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異世界住人譚~ショートショート集~  作者: nireron


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聞こえなくなった日

私が自分の耳の異常に気づいたのは、七つの頃だった。

他の子どもたちには聞こえない音が、私にはずっと聞こえていた。


人が歩くたびに、かすかな旋律が鳴る。

木々が風に揺れると、低く穏やかな和音が響く。

犬が駆け回れば、弾むような短い音が連なる。


母に話しても信じてもらえなかった。

父は少し心配そうな顔をしていた。

転機が来たのは、十二のとき。

旅の吟遊詩人が村に立ち寄り、私の話を聞いて目を丸くした。


「それは命音いのちねだよ。生きているものが発する、命そのものの旋律だ。聴ける人間は、百年に一人いるかいないか」


吟遊詩人は私を都の音楽院に紹介してくれた。

そこで私は楽師としての訓練を受けた。


命音を聴ける耳は、演奏にも大きく役立った。

聴衆の命音の変化を感じ取りながら、心に響く旋律を紡ぐことができた。

悲しみに沈む人には温かい和音を。

怒りに震える人には静かな低音を。

命の音に寄り添うように弾くと、人の表情がふっと緩む瞬間がある。


それが、私にとって何よりの喜びだった。


二十五になる頃には、王宮の宴にも招かれるようになった。

街の人々は私を「命音の楽師」と呼んだ。

順風満帆だった。

異変が起きたのは、二十八の冬だった。


ある朝、目を覚ましたとき、いつもと何かが違った。

窓の外で小鳥がさえずっている。

隣の家の子どもが走り回っている。

それぞれの命音は、いつも通り聞こえていた。


けれど、ひとつだけ足りない音があった。


自分の音だ。


生まれてからずっと、自分の命音だけは聞いたことがなかった。

自分の声は自分の耳に返ってくるが、命音は違う。

自分のものだけは聞こえない。

それは当たり前のことだと、ずっと思っていた。


けれどその朝、初めて気づいた。

聞こえないのではなく、「鳴っていない」のだと。


音楽院時代の師匠を訪ねた。

師匠はもう目がほとんど見えなかったが、耳だけは誰よりも鋭い人だった。


私の前に座り、じっと耳を傾けた後、静かに言った。


「お前の命音は、鳴っているよ」


「でも、私には聞こえません」


「当たり前だ。命音というのは、他の命に向かって鳴るものなんだよ。自分のために鳴る命音はない」

師匠は続けた。


「お前が不安になったのは、自分の命音が聞こえないからじゃない。自分が誰かのために鳴っているかどうか、わからなくなったからだろう」


図星だった。


最近、私は演奏に迷いを感じていた。

技術は上がっている。

評判も悪くない。

けれど、かつてのように聴衆の命音に寄り添える感覚が、少しずつ薄れていた。


いつの間にか、聴衆のためではなく、自分の評価のために弾いていたのかもしれない。


師匠は私の手を取って、自分の胸に当てさせた。


「聞こえるか」


微かに、温かい旋律が伝わってきた。

穏やかで、ゆっくりとした、老いた命の音。


「お前が来てくれたから、今日の私の命音は少し明るいのではないか? 命音というのはそういうものだ。誰かと向き合ったときに、初めて本当の音が鳴る」


私は泣いた。


音楽院を出てから、ずっと一人で弾いてきた。

大きな舞台、華やかな宴、名声。

それを追いかけるうちに、目の前の一人のために弾くことを忘れていた。


師匠の家を出た後、私は街の広場に立った。

リュートを構えて、静かに弦を弾いた。


通りすがりの人が足を止めた。

子どもが座り込んで聴き始めた。

老人が目を閉じて、ゆっくりと頷いていた。


その一人一人の命音が、私の耳に流れ込んできた。

温かくて、ばらばらで、でも確かに生きている音。


私はその音に合わせるように、弦を鳴らした。

私の音が誰かに届いているなら、それが私の命音の証なのだ。

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