この世界で一番厄介な好意
気がついたら、見知らぬ森の中に立っていた。
最後の記憶は、コンビニからの帰り道。
横断歩道を渡ろうとしたところまでは覚えている。
そこから先は、何もない。
とにかく歩いた。
森を抜けると小さな村があって、言葉はなぜか通じた。
どうやらここは、魔法と剣が当たり前に存在する世界らしい。
村人に事情を話すと、同情はしてくれたが、帰す方法は誰も知らなかった。
「王都に行けば賢者がいる。何かわかるかもしれないよ」
そう言われて、三日かけて王都を目指した。
王都の門をくぐったとき、人混みに紛れてひっそり入るつもりだった。
けれど門の前で、一台の豪華な馬車とすれ違った。
そこから降りてきた少女と、目が合った。
銀色の長い髪。
深い赤の瞳。
どこか人間離れした美しさだった。
少女は俺を見た瞬間、ぴたりと動きを止めた。
「……見つけた」
それが、竜族の姫リーゼとの出会いだった。
リーゼは竜族に伝わる「運命の番」という概念を信じていた。
生まれたときに定められた魂の伴侶。
それが俺だと、一目見てわかったらしい。
「竜の瞳には、魂の色が見えるのです。あなたの魂は、私のものと同じ輝きをしています」
俺は当然、困惑した。
「いや、俺はただの一般人なんだけど」
「存じております。異世界から来られた方ですね」
その日から、生活が一変した。
王都の高級宿に部屋が用意された。
食事は三食、リーゼ自らが選んだ料理が届いた。
服も靴も、見たこともないような上等なものが次々届いた。
最初はありがたいと思った。
異世界で路頭に迷うよりは、ずっとましだと。
でも、すぐに気づいた。
これは「好意」という名の包囲網だと。
外出すると、リーゼの護衛が必ず三人ついてくる。
他の女性と少し話しただけで、翌日にはその人が別の街に異動になっている。
冒険者ギルドに登録しようとしたら、「危険ですから」と丁重に却下された。
ある夜、思い切って言った。
「リーゼ、俺は自分の意思で生きたいんだ」
リーゼは悲しそうな顔をした。
「あなたを失うのが怖いのです。異世界に帰ってしまわれたら、もう二度と会えません」
「だからって、籠の中に閉じ込めるのは愛とは言わないだろう」
長い沈黙が落ちた。
リーゼの赤い瞳が、微かに揺れた。
「……私は、愛し方を知らないのかもしれません」
竜族は何百年も生きる。
だがリーゼは幼い頃に両親を亡くし、たった一人で生きてきた。
誰かを大切に想う方法を、誰からも教わらなかった。
だから「守ること」しか知らなかった。
守る=囲い込むことだと、本気でそう思っていたのだ。
俺はため息をついて、リーゼの隣に座った。
「じゃあ一緒に覚えよう。俺もこの世界のことは何も知らない。お前も人との距離の取り方がわからない。お互い様だ」
リーゼは初めて、子どものような顔で笑った。
「一緒に、ですか」
「ああ。ただし条件がある。俺が外を歩くとき、護衛は一人だけにしてくれ」
「……三人では駄目ですか」
「一人だ」
「……二人」
「一人」
「…………わかりました」
それから少しずつ、俺の異世界生活は変わっていった。
朝起きると部屋の前にリーゼがいるのは相変わらずだし、届く食事の量は明らかに二人前を超えている。
溺愛は続いている。
でも、変わったこともある。
リーゼは最近、「ありがとう」と「ごめんなさい」を自然に言えるようになった。
以前は命令と沈黙しか知らなかった竜族の姫が、少しずつ人の気持ちに寄り添うことを覚えている。
先日、俺が風邪をひいたとき、リーゼは王都中の薬師を集めようとした。
俺が「水と毛布があれば治る」と言うと、信じられないという顔をしていた。
「たったそれだけで?」
「人間ってそういうもんだよ」
リーゼはしばらく黙った後、自分で水を汲んできた。
不器用に毛布をかけ直して、枕元にそっと座った。
「……これで合っていますか」
「完璧だよ」
その言葉に、リーゼは泣きそうな顔で微笑んだ。
溺愛というのは、厄介なものだと今でも思う。
けれど同時に、それはどこまでも不器用に誰かを求めている姿なのだと、最近は感じている。
大事なのは、その気持ちを拒絶することじゃない。
一緒に、もう少しましな形に育てていくことなのだと思う。




