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誰も唱えられない言葉を、婆さんだけが知っていた
村はずれの廃墟に、婆さんは一人で住んでいた。
魔法使いだとは、誰も知らなかった。
薬草を売る老婆、それだけだと思っていた。
俺が初めて訪ねたのは、妹の熱が三日引かなかったときだ。
「古い病だ」婆さんは静かに言った。
口の中で何かを呟き始めた。
それは言葉というより、息のような音だった。
「今の、何語ですか?」
「忘れられた言葉だよ」婆さんは手を止めずに言った。
「名前すら、もう誰も知らない」
妹の熱が引いた。
翌朝、嘘みたいに元気に目を覚ました。
俺はもう一度、婆さんを訪ねた。
「その魔法、俺に教えてもらえませんか?」
婆さんは長い間黙っていた。
「教えられる言葉じゃない。感じる、という行為に近い。学ぶのではなく、思い出すものだ」
「思い出す?」
「言葉が生まれる前から、世界にあった力だ。みんな忘れたが、消えてはいない」
俺には何も見えなかった。
何も聞こえなかった。
でも婆さんの手が空気に触れるとき、確かに何かが応えているような気がした。
婆さんは翌年の冬に逝った。
その言葉を知る者は、もういない。
だが俺は今でも、風の音の中に、あの息遣いを探している。




