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師匠の窯から煙が出なくなった日
師匠の工房は、いつも硫黄と薬草の匂いがした。
十二歳で弟子入りした初日、俺は匂いだけで吐いた。
師匠は笑って、窓を開けてくれた。
「鼻が慣れた時が、錬金術師になった時だ」
それから八年、俺は匂いどころか、煙の色だけで調合の進み具合がわかるようになった。
白は順調。
青は過熱。
赤は失敗。
師匠は晩年、ずっと一つの調合に取り組んでいた。
何を作っているか聞いても、「完成したら教える」としか言わなかった。
ある夜、工房から見たことのない金色の煙が立ち上った。
駆けつけると、師匠はフラスコを両手で抱えて座り込んでいた。
中には、琥珀色の液体が静かに光っていた。
「これは何ですか」
師匠は目を閉じたまま答えた。
「お前の母親の病を治す薬だ」
俺の母は、五年前から床に伏せていた。
どんな薬草も、どんな魔法も効かなかった。
「八年かかった。材料を集めるのに三年、配合を試すのに五年」
師匠はフラスコを俺に押しつけると、そのまま椅子にもたれかかった。
「窯の火、消してくれ。もう私には焚く力が残ってない」
翌朝、師匠は静かに息を引き取った。
窯は冷たかった。
母は、あの琥珀色の薬で治った。
俺は師匠の窯に、もう一度火を入れた。
煙は白かった




