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Ep.5


目を開けると、そこには知らない天井が広がっていた。そうして今、自分が包まれている薄ピンクの布団からは大人びたシトラスの香りがする。


壁に掛けられた時計を見るに、時刻は大体お昼すぎ程度。どうやら俺は、気絶したあとそのまますっかり眠ってしまったらしい。


「あら、起きた?どこか体、痛むところがあれば言ってね。」


俺がぼうっと天井を眺めたまま呆けていると、ベッドの横から黒崎さんが顔を出す。そうして彼女は俺が起きたことを確認すると、こちらの顔や腕などをぺたぺたと触ってきた。


ひんやり冷たい感覚が四肢の感覚を鋭敏にして、心臓が耳元で鳴っているような感覚を覚える。しかし、そんなこちらの事情には目もくれず、彼女はグイッと俺の額に自らの額を押し当てた。


彼女の顔が一気に近づき、ぐわっと顔が熱くなる。綺麗なカーブを描く二重線に、長くしっかりとした睫毛。俺はそれを見て、つい恥ずかしさから後ろに飛び退いてしまう。


「なっ...!ちょ、どうしたんですか!」


「何って、体調チェックよ。それに、激しい戦闘の後だもの。熱があっても不思議じゃないわ。」


そう言われて、俺はようやく寝起きの頭から少し覚め、今の状況をなんとなく理解した。激しい戦闘による筋肉疲労と精神負担。


特に目立った外傷などのダメージはないにせよ、戦いなど無縁だった体に無茶をさせれば当然、反動だって馬鹿にならない。


俺は両腕や手足に筋肉痛のような痺れがあるのを感じながら、一呼吸おいて彼女に対して質問を投げかける。


「...体は平気です。だから一旦、色々説明してください。」


「...わかった。ただ、その前に少し待って。何かさっと、食べれるもの作っちゃうから。あ、食べれないものとか...ないわよね?」


「はい!なんでも食べれます!」


疲れた体に食事と聞いて、我ながら呆れてしまうぐらい単純な返事が出る。そんな返事の良さに少し和んだのか、彼女は柔らかく微笑んで台所へ姿を消していく。


扉を隔て、ここから向かいの部屋からはフライパンが何かを焼き上げる心地のいい音が聞こえる。俺はそれを聞いて食欲を掻き立てられながらも、頭ではしっかり今までの事を整理した。


まず大前提として、黒崎さんはいい人だ。俺を救ってくれた命の恩人だし、こうやって何かと気にかけてくれている。それに何より、とびっきりの美人だ。


次にあの火宮と言う少年。冷たい目をした、人殺しに一切の躊躇がないモルフ。ただ口ぶりからすると、どうやら積極的に人を喰べたりはしなさそうな雰囲気で。


加えて彼が言っていたことを考えると、黒崎さんと火宮は何か同じ共同体に所属しているメンバーなのだろう。


ここまで整理すると、ざっくりとではあるものの、その全容が見えてくる。人を喰べる事に快楽を見出すモルフ。そんなモルフに抗い、人を喰べることに異を唱える集団。


俺はそこまで考えて、ふと少年が吐き捨てた言葉が脳裏を過ぎった。ボスの死。人喰いから人を助け、流れに抗うとするならば戦いは避けられない。それと同時に、また戦いによる死も。


「お待たせー。親子丼、温かいうちに食べちゃって。」


「うっわ美味しそ!頂きます!」


疲れきった頭が出した結論は、いいからとにかく飯を食え。俺は彼女が作った手作りの親子丼を、とてつもない勢いで胃の中にかき込んでいく。


「ふふ、美味しそうに食べてくれると嬉しいわ。じゃあ食べながらでいいから、色々説明しましょうか。」


それから彼女は、順を追って今に至るまでを滔々と語った。彼女が言うには、火宮も少しは反省しているようで。やりすぎたから謝っておいて欲しい。との言伝まで頼まれたらしい。


「それで、ここからは真剣な話。もし良ければ...。ううん、これじゃあ誠実じゃないわね。お願いします。私たちと一緒に、戦ってください。」


彼女は俺に向かって深く頭を下げて、心底申し訳なさそうな声色を出す。俺はそれを見てギョッとしつつも、すぐさま食事を中断して言葉を紡ぐ。


「そんな、頭上げてくださいよ。助けて貰って、ご飯だって作ってもらったのに、それじゃ立つ瀬が無いですって。」


「私だって、あなたに助けられているの。だから、それはせめてものお礼よ。あまり気にしないで頂戴。」


戦うこと。今回はほとんど無傷と言っていい戦闘で、命に別状があったりした訳じゃない。それなのに、こんな風に寝込むほど体は負担を背負っている。


殺すこと。殺されること。殺し合うこと。彼女の誘いに乗るというのは、得てしてそういう事になる。


「じゃあ、理由を聞いても?」


「...私たちにはね、リーダーがいたの。強くて、優しくて。彼女はいつも、人の事ばかり考えていた。」


けれど、殺されてしまった。分かりきっていた話だが、結論は無慈悲にもそう締めくくられる。そうして少し上げられた彼女の表情には、うっすらとまだ残る悲しみが浮かんでいた。


「『シャーデンフロイデ』。野良のモルフたちとは違う、明確な意志と強さを持って人を喰らうモルフ集団。そいつらに、彼女は殺されたの。」


「...復讐ですか。」


「違う。私は違うわ。彼女はずっと、人の事が好きだった。優しくて、お人好しで...。私は、彼女の意志まで殺したくない。」


目線がようやく交錯する。悲しみと、覚悟と、それから少しの罪悪感。さらにその奥、深く隠された途方もない怒り。彼女の言葉にも表情にも、そのどれにも嘘はなかった。


「とても、自分本位なお願いよ。」


「よしてください。俺だって、自分勝手なんです。自分のことが知りたい。自分のことを肯定したい。その為に戦って、そのお陰で誰かを救えるんなら。それって最高じゃないですか。」


生き方は決めた。あとは俺なりに、全力で進んでいくだけだ。俺は親子丼を米粒一つ残さず平らげて、それから彼女の手を取った。


すんなり殺しができるようになる訳じゃない。出来れば殺したくないし、殺されるのだってごめんだ。


ただ、彼女の意志を継いだ透き通る瞳。ここで彼女の願いを断るような人生は、多分味気なくて悔いが残る。


「喜んで。俺に、黒崎さんの手伝いをさせて下さい。」


「...ありがとう。とても、心強いわ。」


ただやっぱり、哀しそうに彼女は笑った。大切な人を失った悲しさとはまた別の、どこにも行けないような哀しさ。


俺がそれを感じ取った瞬間、けたたましい電子音が鳴って繋いでいた手が離される。どうやら彼女のポケットに入っているスマホが、着信を健気に伝えているらしい。


「もしもし、黒崎です。...なるほど、えぇ。伝えてくれてありがとう。あとはゆっくり休んで。」


すぐに電話は切られ、彼女はその後血相を変えて外出の準備をする。俺はそんな彼女を見て、ただ事ではないとベッドから抜け出して声を掛けた。


「何か...あったんですか?」


「死体が見つかったそうよ。犯人は十中八九モルフ。それも大物...花屋。」


「花屋?」


彼女の焦り様からは、やはりどこか鬼気迫るものを感じる。そんな鋭い横顔に、俺は思わず固唾を飲み込んだ。


「私は行く。あなたはいいから、とりあえず休んでて。」


俺が制止する間もなく、彼女は飛び出すように部屋から出て行く。俺はそんな中で一人、静かになった部屋の中に取り残される。


あまりの急な出来事に対応できず、追うべきか追わないべきか。そもそも、彼女はどこへ向かったのか。そんな事を考えているうちに、部屋のインターホンが素っ頓狂な音を出す。


「...黒崎さん。花屋、連絡こっちにも来たんで、来ました。」


画面の向こう。ガタイの良く、前髪が目にかかってモッサリとした印象の男がオドオドしながら写っている。俺はそれを見て、とりあえずと何も考えることなく応答ボタンを押した。


「あの...はじめまして...。」


「あぁ...。黒崎さんって彼氏いたんだ......。」


男は画面の向こうで、声を立てずにボロボロと泣き始めた。そうして地面に倒れ込んだのか、男はバタンと画面からフレームアウトしていく。

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