Ep.4
パチパチと肉が燃えゆく音がして、肉体が焼けた油のせいか、唇周りがベタベタする。そうして断末魔にも似た声が上がり、しばらくしてから炎は緩やかに萎んでいった。
「...悪いことは言わない。今日あったことは全部忘れて、フツーに大人しく暮らせ。」
少年は俺の肩をぽんと叩いて、すぐに俺から視線を外す。それから彼は静かに、俺の後ろに立っていた彼女へと向かった。
「んで、お前は何考えてんだよ。また死人を増やすのか?ボスの時みたいに。」
「それは違...!私はただ、良識のあるモルフ同士で連帯すべきだと言ってるの。」
「詭弁だな。実際、こんな甘いヤツにオレたちの仕事が手伝えるとは思えない。」
俺はただ黙って、蚊帳の外から二人が言い合っているのを聞いていた。視線の先には燃えカスとなって、サラサラと灰が空に舞い上がる死体。
二人の口論が激しくなっていくのを背後に、ぼんやりと目の前に跪いて灰を眺める。あの言い草からして、甲冑はもう既に何人か手にかけているのだろう。
人殺し。人喰いの化け物としては、妥当な最期。喰われた人たちからすれば、ざまあみろと後ろ指をさしたくなるものなのかもしれない。
「なら尚更、チームとしてサポートすべきじゃない。今回はたまたま助かったけれど、次もそうとは限らないわ。」
「なんか勘違いしてんな。オレがやってんのは慈善活動じゃねえ。復讐と弔いだ。自殺志願か?足手まといは要らねえよ。」
人ってのは、そう簡単に死なないと思ってた。どこか他人事のニュースが流れて、それをワンクリックで読み飛ばすような。日常から死が、遠く離された時代。
だから俺にとっては、殺すのも殺されるのもあんまり実感が湧かなかった。豚を直接殺さなくても、スーパーに行けば豚肉は買える。
けれどそんな幻想が剥がされて、今目の前には骨の遺灰と燻る残火。何が正しくて、何が正しくないのか。境界線が曖昧になっていく。
俺は灰を手で掬い上げて、そのまま掌をぎゅっと握る。空に消えていくはずの灰が、また随分と重い。
「...なぁ、こういうの。人が喰われたり、殺されたりってのは、よくあることなのか?」
「...そうだな。掃いて捨てるほど、ゴミみたいに死体があちこち転がってる。」
見ようともしてこなかった世界の現実。人間は脆い生き物で、いとも簡単に殺せるしすぐに死ぬ。
俺は振り返って、少年の目をまっすぐ見つめた。言動からして、おそらく殺しに慣れているであろう彼。俺よりも年下のはずなのに、その瞳にはこちらを見透かしているような聡明さが宿っていた。
「だったら、もしかしたら俺にも...!」
瞬間、俺の頬のすぐ隣を緑色の炎が掠める。ジッと肌が焦がされる音がして、全身から脂汗が吹き出した。反応する事さえ、今の自分には困難な速度。
「殺せないヤツに出来る事なんかある訳ないだろ。いいから、さっさと消えろ。」
「火宮、何やってるの!今すぐやめて!」
「ボス面すんな。安心しろ。殺さないよう、火加減はしてやる。」
静止しようとする彼女を取り払い、少年はポケットから一円玉を取り出した。そうしてまた、それをコイントスのように構えてこちらに狙いを定める。
「ま、死ぬほど痛めつけるがな。『地獄の沙汰も金次第』。」
親指からピンッと一円玉が弾かれて、銀色の炎が俺に目掛けて射出される。ただ本当に手加減されているのか、先刻よりも速度や威力は控えめ。
俺はそれを右に体勢をよろけさせて回避し、再び剣を呼ぼうと試みる。だがしかし、俺の体は言うことを聞かずに虚空を掴む。
「殺す以外にも、他にやりようはあるだろっ...!」
「無い。ならお前、さっきのヤツをそのまま放って置いたとしてだ。その先に生まれる死に、お前は無関係じゃいられない。」
攻撃は当たっていないのに、心臓に火を付けられた気がした。甲冑の男、あいつは人を喰ってた。多分、いや確実に。殺していなければ、また喰われる被害者が出る。
綺麗事だけの、臆病な上辺。それをガリガリとひっぺがされて、俺は一瞬言葉が出なくなる。少年の瞳。真っ黒で、沈んでいて。覚悟を持って人を殺してきたであろう、含蓄と説得力のある眼差し。
正しくない。俺の方が間違っている。何も言われなくても、そう事実として突きつけられる。ただ、そうだとしても。一度見て、感じてしまったものは元には戻れない。
呼吸を整え、酸素が肺を通り、脳まで巡るイメージを強める。そこから腕、指先、腹、足まで。体の細部を意識して、流れるように血流を把握した。
「俺はずっと...自分には何にもないやつだって思って生きてきた。俺に出来る事は大概のやつにも出来て、だから俺がなんかする必要はないって、ずっと思ってた。」
心底、自分勝手な生き様だと自分でも笑ってしまう。ただ、それでも何かが変わる予感がして。
昏腑。それはコンプレックスだという。魂の表出だという。そして同時に、自己解釈でもあるという。
「でも、俺にしか出来ないことがあるなら...。俺は、俺のことを理解したい。」
毎日は退屈で、何も変わらない普通の日々がずっと続くと思ってた。でも、この力が俺の魂で。その能力がコンプレックスだとするならば。
人を殺すなんて、そこまで振り切った生き方は出来ない。その中途半端さが、人を殺す事だってあるのだろう。じゃあ、出来るかもしれないことをやらずに逃げていくのか。
また大学に行ったり、友達と遊んだり、普通に就活とかしたりして。自分の見えないところじゃ人が死んでるかも。なんてことを思いながら、でもそれは俺の仕事じゃないって、言い聞かせるのか。
人喰いの化け物を殺せないことと、被害者を助けられない事はイコールじゃない。俺は、俺に出来るやり方で自分を全うしてみたい。
「人も助けて、自分も知って。俺は、俺に誇れる自分になりたい!」
「...論外。雑魚が、答えになってねえんだよ...!」
少年は苛立ったように、ポケットから再度硬貨を取り出した。銀に光る光沢。一円玉のような軽い光とは一味違う、重い金属の重厚な艶。
今度の構えはコイントスというより、人差し指を使ったデコピンのような立ち姿。そうして十分に力を貯め、少年はその指から思いっきり百円玉を射出した。
空に走るは青緑色。十円より、一円なんかとは比べ物にならない速さと圧を持って、焔の弾がこちらへ向かう。
(速...!回避は...無理だ...!)
「...ヤベッ!雑魚!避けろ!!」
少年の怒号が聞こえ、俺はこの攻撃が当たれば死ぬということを直感で理解する。しかし、回避という選択肢もまた本能で悪手だと悟る。
脳内にあったのは、鈍く重厚な確信。蜘蛛が誰に教わらなくとも巣を張るように、鳥が産まれてすぐに飛び立つように。
俺は空から剣を呼び出し、こちらへ鋭い勢いで迫る炎の元。その百円玉を一刀両断すべく、全力で刃を走らせる。
先刻、僅か数十分前までは何の色も無かった剣は、薄く鈍の色を差して俺の手に握られていた。加えて、体には鉄の鎧。
全身に張り巡らされた金属の甲冑が俺の身を炎から守り、また剣は鋼鉄の意志を持って炎へと突き進む。
(炎の弾を出す昏腑...じゃない。燃えているのはこの百円。ならその核が無くなれば、炎も長くは続かないはず...!)
剣は水平に、俺は炎の中心を捉えようとよくよく目を凝らす。すると一点、燃える青緑の中に濃い影を落とす丸い物体を発見した。
もうこの剣は、軽く何も宿さない空白ではない。これは重く銀を背負った、岩より硬い鉄の刃。百円硬貨を切り捨てるなど、当然のごとく造作もない。
俺は正確に百円玉を剣の先で撃ち抜き、砕くように炎の中心点をぱっくり両断する。すると炎は嘘のように一瞬で掻き消え、またそれと同時に剣も鎧もすぐさま消滅した。俺の視線の先。残ったのは驚いたような顔の少年と、それから彼女。
俺はその表情を目にした直後、身体中から力が抜けていくのを感じる。そうして終ぞ立っていることさえ困難になり、そのまま地面に倒れてから気絶した。




