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Ep.2


世界が止まったみたいな錯覚を覚えて、それからすぐにはっと現実に戻される。対面には未だ正体不明の甲冑不審者がいて、甲冑もまた彼女を見て惚けているようだった。


「お前もモルフか。しかも面が良い。今日はご馳走だな。」


「あら、理性は置いてきてしまったの?それとも、甲冑に身を包んで気が大きくなった?」


彼女は自ら攻撃を引き受けるように、俺より一歩分ほど前に出る。端正な容姿がそう思わせるのか、あまりにも落ち着き払った所作からは圧倒的なプレッシャーが滲み出ていた。


一方で甲冑も、俺と同じように彼女から圧を感じ取ったのだろう。先刻までの果敢な勢いを一度捨て、じっくりと落ち着いた構えを取って一歩下がる。


「賢明。あなた、意外と頭は回るのね。」


「長生きするための野性ってヤツだ。理性よりよっぽど役に立つ。」


「そう。でも残念、今回はハズレ。」


彼女はふっと軽やかに笑って、それから俺の手を取った。手のひらに冷たい指先が絡められて、勢いよく体を全力で後方に引っ張られる。


「「えっ。」」


合間見えていたはずの俺と甲冑の意思が一瞬だけ等直線上に重なり、同じような困惑に支配される。そうして一呼吸置いた後、彼女が取った選択が逃亡という事実にようやく思考が追いついた。


空気感の緩急。緊迫していた空間が一気に弛緩したせいもあって、甲冑はこちらを追跡しようと動き出すまでに時間がかかっているようだった。


「あんなに着込んでるんだし、足は早くないはずよ。」


「あっ...あの、助けて貰ってほんと、ありがとうございました。」


彼女に手を引かれて走りながら、俺は緊張感の欠けらも無いような感謝を漏らしてしまう。けれどすぐに返事は帰って来ず、さっき見せた笑顔が嘘のように彼女の頬には冷や汗が垂れる。


「まだ、助かってない。どうせ匂いで追ってくる。あなたもモルフなら分かるでしょう?」


「モルフって何ですかって聞いたら...怒ります?」


俺の手を握っている方とは反対の手で、彼女は自身の顔を抑えた。ため息か、走っている際の息継ぎか。とにかく小さな呼吸を漏らしてから、彼女は俺に説明を開始した。


「...共食いモルフ。増えすぎた群れの、自浄作用なのかしら。産まれた場所に同種が多いと勝手に生まれてくる変異個体。要するに、人喰いの化け物のこと。」


ここまで聞いて、俺の脳内にはスプラッタなイメージが湧き上がった。頭から血の気が引いていく感覚が流れ、呼吸が一気に荒くなる。帰り道にばったり出会った不審者が、実は化け物のカニバリストだったなんて笑えない。


と、ここまで考えて、また甲冑の事を思い出す。甲冑は俺のことも、尚且つ彼女のこともモルフだと言った。


俺の体を、華奢な女とは思えないほどの力で導いてくれる彼女。彼女もまた、あの甲冑と同じ存在なんじゃないか。ぞっと、全身に鳥肌が立つ。しかしまた考えて、俺はすぐに自分のことが恥ずかしくなった。


(助けて貰っておいて、クソ野郎かよ俺は...!)


頭をブンブン振って、脳みそから疑念を追い出していく。命の恩人、窮地から救ってくれた彼女に対して、この疑いは失礼にも程がある。すぐに俺は考えを切り替えて、また別の疑念を口にした。


「じゃあ、あいつはカニバリストの早着替えマジシャン不審者ってことですか?」


ウィンドブレーカーの中から現れた甲冑と、虚空から出現した剣。人喰いという部分までは生物学的に説明が付くけれど、あの早着替えは手品以外に説明のしようがない。


「例えば、ウーパールーパーの話。あの子たちのモルフは頭が大きく発達するの。牙とか筋肉とか、そういう部分。でも人間の場合、発達する部分が違う。人間のモルフは、脳が変異する。」


脳。自然を踏破し、地球をほとんど知り尽くしたと言っていい人類が、未だに解明しきれていない自身の内側。そんな、科学では証明の追いつかない人間の変異種。


昏腑(コンプ)。モルフの脳だけに発生した、第七の新しい臓腑。この器官がある限り、私たちは科学じゃ説明できない現象を引き起こせる。」


人喰いの、それも超能力を持った存在。漫画やゲームの中だけだと思っていた超常が、今目の前に現実として肉を帯びている。加えて甲冑の言葉を信じるなら、彼女も俺も超常側の存在で。


「失礼だったら、あれなんですけど...。そんな魔法じみた力があるなら、どうしてそれを使わないんですか?」


彼女の表情に一瞬、薄暗い影が落ちる。それからゆっくりと走るスピードが落ちていき、最終的にはほとんど徒歩と変わらない速さにまでなってしまった。


「変異のきっかけはね、強いストレスなの。それはほかの生き物だってそうだけど、モルフの違うところはね。より変異するために、より受けるストレスをより強くしようと働く。」


人間は汗という不快を排除するため、眉毛を得る進化に至った。このように、進化は不快の踏破に意義を持つ。ただ彼女が言うには、モルフだけが例外的に進化を続けようとする。強さの為。より、生命としての意味を果たすため。


昏腑(コンプ)。コンプレックスなんて、皮肉よね。私たちは、望んだものが決して手に入らないようになってる。」


「見解の相違だな。俺たちの昏腑(コンプ)は魂の表出だ。好きに奪い、好きに喰らい、好きに生きるための、俺たちだけが持てる牙だ!」


背後から金属音を携えて、甲冑が再び姿を表した。如何に金属の重りを身につけているとは言え、ほとんど立ち止まっている相手に追いつくことは容易い。


しまった。と、思った頃には手遅れで、また逃げようと前を向くも、視界の先には行き止まり。ここが終着。そう、物言わぬ壁が告げている。


「逃げたってことは、戦闘用の昏腑(コンプ)じゃないんだろ。あんまり、手間かけさせんなよ。」


くるくると剣を手で回しながら、甲冑は一歩一歩、確実に近づいてくる。追い詰めた獣が舌なめずりをする様に、残虐で嗜虐的な足音。


無知は恐怖を呼ぶ。しかしそれ以上に、中途半端な知識は恐怖のディテールを上げる。人喰いの根拠、超常の裏付け、モルフという存在。その全てが実態を持って、恐怖に太鼓判を押す。


足が震えて、呼吸が整わず、上手く相手を見つめることさえできない。本当に情けない最後。せっかく助けてもらったのに、呆気ない終わり方だと思う。でもせめて、助けて貰った恩ぐらいはと、凍える体を前に出す。


「あ?おい腰抜け、やる気かよ。」


彼女は、甲冑は言った、俺はモルフだと。本当にそれは偶然で、もしかしたらなにかの勘違いなのかもしれない。たまたま、体臭がモルフのものと似ていたとか。それぐらいのちっぽけな奇跡なのかも。


ストレス。現代社会じゃありふれてる、耳にしない日は無いぐらいの普遍的な言葉。だったら、俺にもなれるんじゃないか。


いや、なれてもなれなくても、そんなのは関係ない。彼女は俺を、何の見返りもないのに助けてくれた。


冷や汗だってかいてたんだ。本当はすぐにでも逃げ出したいぐらい怖かったんだろう。でも、俺の手を引いてくれた。そんな勇気が、俺にはあるか?


(ないな。100ない。)


自分でも笑っちゃうぐらい、脳みそからは同じ回答しか出てこない。だから、それは何よりも尊い事に思えて。


「何笑ってんだ?狂ったか?」


「全力でシラフだよ。ってか、まだ聞いてない事あんだよな。なんでモルフって、人間なんか食うんだ?」


「そりゃあ、喰った人間のことがまるまる理解できるからさ。一つに溶け合うような一体感の快楽!食と性が混じった、最っ高の娯楽だぜ!」


不意に、ふと後ろを振り返る。ぺたんと地面に座り込んで、心配そうにこちらを見つめている彼女。これが、甲冑と同じ人喰いの化け物?冗談じゃない!


ごくごく平凡。どこにでもいる一般大学生。痛いのは嫌い、死にたいなんてたまには呟くけれど、本当にヤバくなったら逃げ出す臆病者。だからこそ、立ち向かう理由だって俗に塗れたしょうもないもの。彼女の勇気になんて、ひとさじだって似つかない。


「可愛い美人が後ろにいんだよ。男なら誰だって、カッコつけたいだろ。」


「...殺す。」


眼前に、銀色の塊が迫る。死ぬ前の一秒。たった刹那の走馬灯に、俺はただ空っぽな月を見ていた。白とも違う、透明なんてかけ離れている伽藍の色。


俺は何がしたかったんだろう。何に、なりたかったんだろう。どんどん何者かになっていく他の奴らが、いつだって羨ましかった。でもそれも、もう考えなくて良くなる。


空白に想いを馳せて、ゆっくりと視界を閉じていく。そうして緩やかに生を終えようとした瞬間、金属同士がぶつかるような快音が弾けた。


それに驚いて、俺は反射的に自分の右手を見つめる。するとそこには、ただ何色でもない、描かれる前のキャンバスのような色をした剣が握られていた。

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