第9話 結界、落つ
王都を出て、半日が過ぎた。
太陽は、もう高い。
私たちは、街道沿いの村で、少し休んだ。
そこで、運がよかった。
南へ向かう行商が、途中まで荷車に乗せてくれることになった。
痩せた体に、長旅はこたえる。
歩かずに済むのは、ありがたかった。
コラリーは、何度も咳をしていた。
「大丈夫?」
私が聞くと、彼女は笑った。
「平気。外の空気、おいしいから」
その笑顔に、胸が温かくなった。
村の井戸で、水を汲んでいたときだった。
村人たちが、騒いでいた。
「王都が、おかしいらしいぞ」
私は、耳をそばだてた。
「結界が、消えたって。
街を守ってた、あの結界が」
「井戸の水も、濁り始めたとか」
「病人が、急に増えてるそうだ」
私は、息を呑んだ。
結界。
浄化。
治癒。
ぜんぶ、聖女の祈りが支えていたもの。
私たちが、いなくなった。
だから、止まったのだ。
胸が、ざわついた。
「リーゼ」
コラリーが、私の顔を見た。
「どうしたの?」
「……私たちのせいで」
私は、つぶやいた。
「王都の人たちが、苦しんでる」
迷いが、胸をよぎった。
逃げたのは、正しかったのか。
関係のない市民まで、巻き込んでよかったのか。
水桶を持つ手が、止まった。
そのときだった。
マレナさんが、私の隣に来た。
「何、しけた顔してるの」
「だって……」
私は、うつむいた。
「私たちが逃げたから、みんなが」
「違うわよ」
マレナさんの声は、きっぱりしていた。
「いい? よく考えなさい」
彼女は、私の目を見た。
「結界も、治癒も、ぜんぶ聖女の祈りだった。
なのに神殿は、あたしたちに何も払わなかった。
飢えさせて、使い潰して。
ただ働きさせてた」
「うん……」
「祈りを、独り占めしてたのは誰?
神殿でしょう。
あたしたちを、奴隷みたいに縛ってたから。
だから、こうなった」
マレナさんは、続けた。
「市民が苦しむのが嫌なら。
神殿が、ちゃんと聖女を雇えばよかった。
報酬を払って、休ませて。
そうすれば、誰も逃げなかった」
私は、はっとした。
そうだ。
私たちは、逃げたんじゃない。
無理を、もう続けられなかっただけ。
壊れたのは、私たちのせいじゃない。
無理を強いた、仕組みのせいだ。
「あんたが背負うことじゃない」
マレナさんは言った。
「これは、神殿が払うべきツケよ」
私は、顔を上げた。
胸の中の迷いが、少しずつ晴れていく。
「……うん」
私は、うなずいた。
「そうだね」
自責は、捨てた。
私たちは、間違っていない。
そのときだった。
村人の一人が、駆け込んできた。
「王都から、騎兵が出たらしいぞ!」
私たちは、緊張した。
「聖女がさらわれた、とか言って。
血眼で、捜してるって」
さらわれた?
私は、眉をひそめた。
逃げたのに。
神殿は、「さらわれた」ことにしているのか。
自分たちの失態を、隠すために。
「揉み消す気ね」
マレナさんが、低く言った。
「あたしたちが逃げたなんて、認められないのよ。
だから、賊のせいにしてる」
汚いやり方だ、と思った。
でも、好都合でもあった。
賊を捜しているなら、私たちが聖女だとは思わない。
「急ごう」
私は、立ち上がった。
「南へ。ミレルへ」
みんなが、うなずいた。
荷車に乗り込んで、私たちは再び南を目指した。
追手が、いつ来るか分からない。
でも、もう怖くなかった。
私たちは、正しい。
その確信が、私を前へ進めた。
背後の北の空。
王都の方角に。
何か不穏なものが漂っている。
そんな気がした。
崩れ始めている。
あの、巨大な神殿が。
私たちが、たった半日いなくなっただけで。




