第6話 戦場を作る男
伝令の報告に、訓練場が騒然とする。
候補者の選考どころではない。
騎士たちの視線が一斉に伝令へ集まる中、真っ先に口を開いたのはエルナだった。
「討伐したのは冒険者ですか?」
驚きはしている。
だが、それ以上に状況を把握しようとする団長の顔をしていた。
「いえ……討伐の瞬間を見た者がおりません。ただ、現地にはグレイウルフの死体が散乱しており……」
「村人に被害は?」
「ありません。負傷者も一人も出ていないとのことです」
エルナの表情がわずかに変わる。
そこへ巨体を揺らして、ヴァルトが前に出た。
「待て。誰が討伐したか分からないとは、どういうことだ。魔物が勝手に死ぬわけではあるまい」
その迫力に気圧されながらも、伝令は職務を果たそうと背筋を伸ばした。
「全て事実です。少なくとも村人たちは戦闘を目撃しておりません。現地にも、大人数で戦ったような形跡はなかったと」
その報告に、訓練場が静まり返る。
誰もが答えを探すように顔を見合わせていた。
――お膳立ては揃ったようだ。
ここからは、俺の仕事だ。
わざと足音を立てながら歩き、地面に転がっているエルニックの横で止まる。
「グレイウルフを殺ったのは、こいつだ」
ここにいる全員にはっきり聞こえるように宣言した。
視線が一斉にエルニックへ突き刺さる。
「それは、どういう――」
「ふざけるな!」
事情を確認しようとしたエルナの声を遮り、ヴァルトが怒鳴った。
「こいつがグレイウルフの群れを倒しただと? 手柄を捏造してまで、こいつを採りたいというのか!」
「ふざけてなどいない。間違いなく、グレイウルフを殺ったのはここにいるエルニックだ」
同じ内容をもう一度、今度はゆっくりと言い聞かせる。
ヴァルトの肩が震えた。鋭い眼光が俺を射抜く。
ちょうどいい機会だ。この際、はっきり言ってやる。
「先入観を捨てて物事を見ろ。こいつは剣を振るって倒したわけじゃない。グレイウルフを仕留めたのは――罠だ」
「……罠、だと?」
ヴァルトの眉がぴくりと動いた。
「そうだ」
俺は倒れているエルニックの腰へ目を向ける。
こんな時まで、使い込まれた金槌を下げている。
「剣の腕しか見ようとしないお前たちに教えてやる。こいつの罠は一流だ」
再び訓練場がざわめいた。
「はっ。罠を作れるからなんだというのだ。そんなもので都合よく群れを討伐できるものか」
ヴァルトが鼻で笑う。俺は静かに首を振った。
「そう思うから見誤るんだ」
とはいえ、言葉だけで納得させるつもりはない。
俺はエルナへ向き直った。
「エルナ。四人で現地を確認しないか。村の安全確認も必要だろうし、何が起きたのかは自分の目で見たほうが早い」
「行きましょう。私自身の目で確かめます」
そして騎士たちへ振り返った。
「誰か、馬を四頭。それから村への伝令を一人。私たちが到着するまで、現場には誰も近づけないよう伝えてください」
「はっ!」
何人かの騎士が慌ただしく動き出す。
ヴァルトも団長の決定とあっては異論はないらしい。
不満げな顔をしながらも、黙って厩舎へ向かった。
◇
馬を飛ばし、四時間ほどで村へ到着した。
村人から詳しい場所を聞き、森へ入る。
「こっちです」
先頭を歩くエルニックの後を追っていると、しばらくして鼻を刺すような血の臭いが漂ってきた。
ヴァルトの表情が変わる。
やがて木々の向こうに、不自然に掘り返された地面が見えた。
さらに近づいたところで、エルナが手を上げる。
「待ってください」
全員の足が止まった。
エルナは周囲を見回し、エルニックへ尋ねる。
「他にも罠は残っていますか?」
「いえ。作動するものは全て解除しました。ただ、足元には気をつけてください」
「分かりました。ヴァルトも不用意に触らないでください。まず構造を確認します」
俺たちは慎重に穴へ近づいた。
そして、その光景を目にする。
深く掘られた穴の底に、灰色の塊がいくつも折り重なっていた。
グレイウルフだ。一頭や二頭ではない。
十頭を優に超える群れが、そこに死に絶えている。
身体のあちこちには太い鉄杭が突き刺さり、流れ出た血はすでに黒く乾き始めていた。
「……鉄杭?」
エルナが息を呑む。
一本一本が鉄で作られ、先端はグレイウルフの厚い皮を貫けるほど鋭く研ぎ上げられている。
ヴァルトがゆっくりと穴の縁へしゃがみ込み、その一本へ手を伸ばした。
「重いな……」
「一本、十キロほどあります」
エルニックが答える。
「鍛冶場や冒険者ギルドで廃棄される鉄を譲ってもらって、自分で加工しました」
ヴァルトが振り返った。
「お前が?」
「はい」
その受け答えには、訓練場で地面に転がされていた男の面影がない。
エルニックは穴を見下ろした。
「木杭では駄目なんです。グレイウルフの体重だと、折れたり、深く刺さらなかったりすることがある。群れを相手にする以上、一頭でも生き残れば村へ向かう可能性があります」
だから――。
「確実に仕留めるために、鉄にしました」
エルナは穴ではなく、その周囲へ視線を巡らせていた。
「でも、これだけ大きな穴です。普通なら気づくのでは?」
俺は思わず口元を緩める。
さすが団長。見るべきところを見ている。
「はい。だから、落とし穴だけではありません」
エルニックが少し離れた場所へ歩き、積もった落ち葉を払った。
その下から、細い鋼線が現れる。
「これを森の中に張りました」
エルナがしゃがみ込む。
「鋼線……?」
「鳴子につながっています。グレイウルフが通ると、後方から金属音が鳴るようにしました」
「なぜ音を?」
「追われていると思わせるためです」
エルニックは立ち上がると、森の奥を指差した。
倒木や茂みによって道が狭められ、一本の獣道だけが不自然なほど走りやすく残されている。
「グレイウルフは危険を感じると、障害物の少ない道へ逃げる習性があります。特に背後から金属音のような聞き慣れない音が続くと、立ち止まらず逃げようとする」
ヴァルトが獣道の先を見る。
その延長線上には――あの穴がある。
「つまり……」
「群れが普段使っている獣道に見当をつけて、途中から進路を絞りました。先頭が鋼線を踏めば、少し遅れて後方の鳴子が鳴るようにしてあります。そして、逃げ道を一つだけ残しました」
エルニックは淡々と答えた。
「後ろから音で追い立て、走りやすい道へ誘導する。その先に落とし穴を作ったんです」
剣で戦ったわけではない。力で押さえつけたわけでもない。
魔物の習性を利用して、自ら死地へ飛び込ませた。
「その方の言う通りです」
声に振り返る。
数人の村人がこちらへ歩いてきていた。
先頭にいた老人が、深々と頭を下げる。
「私どもが、この場所まで案内しました」
どうやら村長らしい。
「どうか、その方を責めないでください」
震える手で、穴の底を指差す。
「最初は私どもも理解できませんでした。この方に頼まれて、村の者たちで穴を掘り、鉄杭を運びました。何をするつもりなのだと笑う者までおりました」
村長は穴の底へ視線を落とす。
「ですが、場所も穴の深さも、杭を立てる位置も、すべてこの方が決めたものです。私どもは言われた通りに手を貸しただけで……」
そこで一度、言葉を切った。
「ですが、先日は――村からは、悲鳴一つ上がりませんでした」
村長の目に涙が滲む。
その言葉に、エルナの表情が変わった。村長は彼女へ向き直り、深く頭を下げる。
「これほど博識な方を私どもの村へ遣わせてくださったこと、騎士団の皆様には感謝してもしきれません」
俺が村へ来た時、騎士団としての行動だと説明したせいだろう。
どうやらエルニックまで騎士団の一員だと思われているらしい。
当の本人は困ったように首を振った。
「僕は、やれることをやっただけです」
「エルニック」
エルナが呼ぶ。
「この罠は、あなた一人で考えたものですか?」
「はい」
「鉄杭の加工も?」
「はい」
エルナはしばらく何も言わなかった。
穴、鋼線、獣道、そして死骸。
一つ一つを確かめるように視線を動かしていく。
「偶然ではないんですね」
エルニックが顔を上げる。
「同じ条件なら、もう一度できますか?」
「できます」
今度の返事は早かった。
「地形と相手によって罠は変えます。でも、調べる時間と材料さえあれば」
「分かりました」
エルナはそれ以上聞かなかった。もう十分なのだろう。
ヴァルトは穴の底を見つめたまま動かない。
やがて低い声が漏れた。
「……十頭以上を、一人でか」
「はい」
「剣も抜かずに……」
短い返事が、かえって重かったのだろう。
俺はゆっくりとヴァルトの隣へ歩み寄る。
「ヴァルト」
名前を呼ぶと、視線だけがこちらへ向いた。
「お前は訓練場で言ったな。軟弱な奴に何ができる、と」
返事はない。
「なら、聞こう」
俺は穴の底を指差す。
「お前なら、この数をどう倒す?」
ヴァルトはしばらく考えてから答えた。
「……騎士を三人。いや、確実を期すなら四人は連れてくる」
「負傷者は?」
「出る可能性はある」
今度は隣の男へ問いかける。
「お前なら?」
エルニックは困ったように頭を掻いた。
「魔物が罠に入ってからなら……負傷者は出ません。討伐は数分で済むと思います」
俺は笑った。
「――これが才能だ」
ヴァルトは何も言わない。
「お前は剣しか見ていなかった」
穴の縁に転がる一本の鉄杭を拾い上げる。
ずしりとした重みが腕へ伝わった。
「強い奴が剣を振れば、敵は倒せる。確かにそうだ」
俺は鉄杭を穴へ放り投げる。
ガァン――。
鈍い金属音が森へ響いた。
「だが、こいつは違う」
鋼線。
鉄杭。
地形。
魔物の習性。
それらを組み合わせて、戦う前から勝敗を決めてしまう。
「剣で十頭を倒せる奴が優秀なのか」
一歩、ヴァルトへ近づく。
「それとも――味方に剣を抜かせることすらなく、十頭を殺せる奴が優秀なのか」
誰も答えない。いや、答える必要なんてない。
穴の底に転がるグレイウルフが、何より雄弁に物語っている。
俺はエルニックの肩へ手を置いた。
「こいつは屈強な戦士じゃない」
それでいい。
「鉄を知り、加工を知り、獣を知り、地形を読む。そして、それら全部を勝利へつなげられる」
俺はヴァルトを真っ直ぐ見据えた。
「こいつは――戦場そのものを作れる男だ」
ヴァルトの拳が固く握られる。
「これでもまだ、軟弱者と言うか?」
長い沈黙が落ちた。やがてヴァルトは深く息を吐く。
「……言わん」
その一言で十分だった。俺は小さく笑う。
「これが俺の仕事だ」
ヴァルトがゆっくりと顔を上げる。
俺はその視線を真正面から受け止めた。
「そして、これが――エルニックの才能だ」
森が水を打ったように静まり返る。
この言葉は、ヴァルトだけに向けたものじゃない。
ここにいる全員へ向けた宣言だった。
俺はエルナへ視線を向ける。
「団長。俺はエルニックを工兵として推薦する」
エルナはすぐには答えなかった。
改めて罠を見て、村人たちを見て、最後にエルニックへ視線を向ける。
「エルニック」
「は、はい」
「あなたの罠は強力です。だからこそ、使い方を誤れば味方や民間人まで傷つけることになる」
エルニックの顔から緩みが消える。
「騎士団に入れば、自分の判断だけで設置できないこともあります。誰かを守るために、自分が最善だと思う方法を諦めてもらうこともあるでしょう」
「……はい」
「それでも、この力を騎士団のために使えますか?」
エルニックは自分の手を見る。
鉄を削り、穴を掘り、誰にも理解されなかった手だ。
やがて、強く握りしめた。
「使いたいです」
顔を上げる。
「僕の作ったもので、誰かを守れるなら」
エルナは静かに頷いた。
「分かりました」
その声に迷いはなかった。誰も口を挟まない。
今度こそ、ヴァルトも何も言わなかった。
ふとエルニックを見る。
鉄杭を見つめていたその横顔から、不安の色が少しずつ消えていく。
――才能は、最初からそこにあった。
剣を握れなかったから、弱かったんじゃない。
そこらへんに転がっていたのに……。
誰にも見つけてもらえず、埋もれていただけだ。
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