第5話 勝負はもう終わっている
ヴァルトに言われた、三日後の正午。
王都に戻ったのは、つい先ほどだった。
ほとんど眠らずに動き回っていたせいで、頭の芯がぼんやりとしている。若い頃なら一晩くらいどうということもなかった気がするが、三十五にもなるとそうはいかないらしい。
重い足を引きずるようにして団長室へ寄り、エルナに声をかける。
すると、俺の姿を見るなり椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「どこに行っていたのですか!? 探しても見当たらなくて、心配したのですよ!」
開口一番、それだった。
そこからは年下女性による、至極もっともな説教である。
外出するなら行き先くらい伝えてください。
せめて伝令を残してください。
あなたは今、騎士団の登用官なのですから、突然いなくなれば周囲が困ります。
まったくもって正論なので、反論の余地がない。
一通り苦言を呈したところで、エルナはふっと勢いを失った。
「それに……」
視線を落とし、制服の裾を握る。
「もしかして、私や……今日の件で、嫌になってしまったのかと」
最後のほうは、随分と小さな声だった。
さっきまで団長として俺を叱っていたくせに、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
その姿を見ていると、さすがに申し訳ない気持ちになった。
俺はエルナの頭に手を置く。
「大丈夫だ。こうして戻ってきたじゃないか」
子供をあやすように、軽く頭を撫でる。
「それに騎士団長が、こんなことで泣いたら駄目だ」
人の上に立ち、率いる立場というものは、案外見られている。
俺自身、散々それを経験してきたからこそ、少しだけ先輩面をして言ってやった。
しばらくされるがままになっていたエルナだったが、やがて我に返ったように顔を上げる。
「……誰のせいだと思っているのですか」
「あ」
「次からは必ず、行き先を伝えてください。これは団長命令です」
さっきまでとは違う、きっぱりとした口調だった。
「……はい」
思わず素直に返事をしてしまった。
エルナは一度だけ大きく息を吐くと、自分の頬を両手で軽く叩いた。
「では、この話はここまでです」
その瞬間、表情が変わる。
「この後の模擬戦闘について確認します。ヴァルト副団長側の候補者は予定どおりです。進行役も配置しました」
おお。
さっきまで泣きそうだった女の子はどこへ行った。
「問題は、レイグ様側の候補者です。結局、昨日まで名前をいただけませんでしたが――決まったのですか?」
うむ。切り替えの早さは、人の上に立つ者にとって大事な素養だ。
「もう決めてある。さっき訓練場に向かわせておいた」
「……はい?」
さすがのエルナも固まった。
そのまま俺の顔を見つめ、言葉の意味を確かめるように瞬きをする。
「訓練場に……向かわせたのですか?」
「ああ。主役が遅れちゃまずいだろ」
「それはそうですが……」
エルナの眉間に皺が寄る。
「誰を選んだのですか?」
きっと彼女の頭の中では、候補者だった五人の顔が浮かんでいるのだろう。
誰を、いつ選んだのか。
どう考えても答えが見つからないらしい。
「まだ秘密だ」
「レイグ様」
声が一段低くなった。
怖い。
「遊びではありません。今回の結果次第では、あなたの進退にも関わります。それだけではなく、今後の騎士団の登用方針にも影響する話です」
「分かってるって」
「本当に分かっている人は、三日前から行方をくらませたりしません」
ぐうの音も出ない。
そんな時、部屋の扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、先日も伝令に来た小柄な女性騎士だった。
「ヴァルト副団長が訓練場に入りました。候補者も準備を終えています」
「分かりました」
エルナは即座に頷く。
「予定どおり開始します。ただし、双方とも木剣を使用し、頭部への打撃は禁止。立会人には危険と判断した時点で中止させるよう、もう一度伝えてください」
「はい!」
女性騎士が敬礼する。
「私たちもすぐに向かいます」
「承知しました」
一礼して出ていこうとした女性騎士と、その時ふと目が合った。
――お前は先に訓練場に行っていろよ。
そんなことを言いたげな視線だった。
うーん、前も思ったけど嫌われているな。
別にいいんだけどさ。
「レイグ様」
「はい」
「あとで、三日間どこで何をしていたのか説明してくださいね」
団長命令に続いて宿題まで出されてしまった。
◇
訓練場に到着すると、中央には屈強な体躯をしたヴァルトと、木剣を握った若い金髪の男が立っていた。
周囲には多くの騎士たちが集まり、二人を取り囲んでいる。
まあ、当然か。
副団長と登用官が、それぞれ選んだ人材を競わせる。
しかも俺が負ければ、騎士団を去る。
野次馬になるなというほうが無理な話だ。
「遅かったな、登用官さんよ」
ヴァルトは準備万端といった様子で声をかけてくる。
隣にいる金髪の男も、それに応えるように肩を回していた。
見たところ、剣には相当な覚えがあるのだろう。立ち姿にも隙がなく、そこそこ強そうな雰囲気を漂わせている。
……駄目だ。
頭が回らん。
睡眠不足がここまで祟るとは。年は取りたくないね。
「で、そっちは誰を出すんだ?」
反応の鈍い俺に焦れたのか、ヴァルトが催促してくる。
隣に立つエルナもこちらを見ていたが、その表情にあるのは先ほどの不安ではない。
早く出さないと。そう言いたげな団長の顔だった。
ま、ここまで来たら変に勿体ぶっても仕方ない。
「ああ。今呼ぶから待ってろ」
訓練場の出入口へ顔を向ける。
「おーい、エルニック!」
声を張ると、やがて入口から細身の人影が姿を現した。
その瞬間、騎士たちがざわめく。
「あれが?」
「戦えるような体つきじゃないだろ……」
「まさか、あいつを?」
既に勝負はついたと言わんばかりの声が、あちこちから漏れ聞こえてくる。
当のエルニックは、その視線に耐えられないのか、少し俯きながら足早にこちらまでやってきた。
俺の隣で止まる。
その姿を見たヴァルトの顔から、みるみる表情が消えていった。
「……貴様」
低い声だった。
肩が震えている。
「騎士になろうとする者の戦いを、侮辱するつもりか!」
ま、そう言うと思ったよ。
「そんなつもりはないが」
「ならば、なぜ――」
「待ってください、ヴァルト副団長」
割って入ったのはエルナだった。
ヴァルトが言葉を止める。
エルナはまずエルニックを見た。
細い腕。落ち着かない視線。どう見ても、正面から剣を打ち合わせる人間には見えない。
それでも、すぐに否定することはしなかった。
「レイグ様」
俺を見る。
「この方を、騎士団に必要な人材だと判断したのですね?」
「ああ」
「剣の腕ではなく?」
さすが団長。
そこには気づくか。
俺は口元をわずかに緩めた。
「そういうことだ」
エルナは数秒、俺の顔を見つめた。
それからエルニックへ視線を戻す。
「……分かりました」
「団長!」
「模擬戦闘は予定どおり行います」
ヴァルトの抗議を遮り、はっきりと言い切る。
「レイグ様は登用官として、この方を選びました。ならば、その判断を確認するのも今日の目的です」
そして俺を見る。
「ただし、最終的に騎士団へ迎えるかを決める責任は、団長である私にあります。納得できる理由を、必ず見せてください」
おお。
言うようになったじゃないか。
「もちろん」
そのやり取りが気に入らなかったのか、ヴァルトが鼻を鳴らした。
「もういい! こいつが負けたら、約束どおり貴様にも騎士団を去ってもらうぞ!」
だから、それは分かっている。
何度も言うなよ。
「構わない」
俺の返答を受け、ヴァルトは進行役の騎士へ目配せした。
これから行われる模擬戦闘の説明が始まる。
規則は非常に簡単だ。
木剣を使用し、相手から一本を取れば勝ち。
立会人が危険と判断すれば、その時点で試合を止める。
「それでは双方、前へ」
進行役の騎士が告げる。
金髪の候補者は意気揚々と前へ出た。
一方のエルニックは、対戦相手と俺の間で何度も視線を彷徨わせている。
その背中へ声をかける前に、俺はふと思い出したように手を上げた。
「一つ、確認していいか?」
「なんだ、この期に及んで」
ヴァルトが苛立たしげに答える。
「この模擬戦闘は、騎士団に必要な人材を登用するために行われる。その理解でいいよな?」
ヴァルトは鼻で笑った。
「当たり前だ。今さらそんなことを聞くとは、貴様の程度が知れるわ!」
「それと、勝った者には当面、北の村周辺で増えている魔物への対処に加わってもらう。これも合ってるよな?」
「くどい!」
俺はエルナを見る。
彼女はすぐに頷いた。
「その予定です。北部ではグレイウルフによる被害が続いています。今回の登用者には、現地への派遣を想定しています」
「ならいい」
俺は開始を待っていた進行役へ顔を向けた。
「始めてくれ」
掛け声が訓練場に響く。
直後、金髪の男が動いた。
軽やかな足取りで距離を詰め、間合いを確かめるように木剣を持ち上げる。
「――ひっ」
エルニックが小さく声を上げ、必要以上に後ろへ飛び退いた。
途端に周囲から笑いが起こる。
「わはは、そんなにビビることないだろ!」
「おいおい! せめて少しくらい戦ってくれよ!」
そんな声を浴び、エルニックの顔がみるみる赤くなっていく。
「おい、登用官よ!」
ヴァルトまで声を上げた。
「さすがに可哀想だ。降参するなら止めてやってもいいぞ」
勝利を確信しているのだろう。
笑いを堪えながらの申し出だった。
……まったく。
どいつもこいつも、よく喋る。
対戦相手の金髪まで口元に笑みを浮かべ、わざとらしく木剣を左右へ振って牽制している。
……馬鹿が。
お前は戦場でも、そんな余裕を見せるのか?
少し苛ついた俺は、金髪へ向かって声を張った。
「おい! そんなに余裕なら足でも狙ってやってくれ。腕や顔を打つのは、お前だって気が引けるだろ」
本当は顔なんてどうでもいい。
ただ、手だけは守ってもらわなきゃ困る。
俺の発言を聞き、打ち込む許可を得たとでも思ったのだろう。
金髪の男の表情が変わる。
一気に間合いを詰め、上段からエルニックの脚めがけて木剣を振り下ろそうとした。
その時だった。
「報告です!」
訓練場へ一人の騎士が駆け込んでくる。
息を切らしながらも、その声は場内の隅々まで響いた。
「北部より緊急報告! 村周辺に出没していたグレイウルフの群れが――討伐されました!」
空気が止まった。
騎士たちの視線が、一斉に報告へ向く。
「討伐された?」
真っ先に反応したのはエルナだった。
「誰が討伐したのですか。派遣部隊はまだ出していないはずです」
「は、はい! それが……」
報告に来た騎士が戸惑いながら答える。
「罠です。森に仕掛けられていた大量の罠によって、群れが壊滅したと」
ざわめきが消えた。
今度こそ、本当の静寂が訓練場を包む。
俺はゆっくりと視線を戻した。
誰も見ていなかった木剣は、エルニックの身体に触れることなく、虚しく地面を叩いている。
その向こうで、エルニックが俺を見ていた。
俺は薄く笑う。
――さて。
これでもまだ、剣を振らせる必要があるか?
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