第34話 大団円
その場に座り込み、少し離れたところにできた歓喜の輪を眺めていた。
「酒、飲みてー」
口から欲望が自然と漏れる。
あれだけの化け物が倒れたんだ。
もうすぐ暗くなるし、今日くらいは夜通し飲んでも、誰にも文句は言われないだろう。
そんなことを考えていると、歓喜の輪の中から数人がこちらへ歩いてきた。
エルナに、クレシアに……そして、ミカゲだ。
揺れる黒髪が徐々に近づいてくる。
なんだろう?
わざわざ俺のところへ来る必要なんてないはずだが。
三人はそのまま真っすぐこちらへ向かってくる。
やがて、俺の前で足を止めた。
先頭に立つミカゲの表情には、どこか緊張が浮かんでいる。
「おい!」
いきなり呼びつけられた。
名前すら呼ばれていない。
まあ、俺のことなんだろう。
仕方なく立ち上がり、目線を合わせる。
ごく自然な動作のつもりだったのだが、なぜかミカゲは居心地が悪そうに視線を逸らした。
「あー、おつかれさん」
こういう場合、とりあえず労っておけば問題ないだろう。
竜を倒した人間に対する、大人として実に適切な対応だ。
そう思っていたのに、彼女は意外な言葉を口にした。
「礼は言わないからな」
「うん?」
何の話だ?
言っていることを理解できずにいると、どうやら俺だけではなかったらしい。
後ろにいるエルナとクレシアも、不思議そうにミカゲを見ている。
「えっと……よく分からんが、礼はしなくていいぞ」
こっちも疲れている。
できれば話を早々に切り上げて、酒でも飲みに行きたい。
これで終わりだろう。
そう思った、その時。
「だけど、金は払う」
「金?」
「変な施しは受けないと言っている!」
駄目だ。
さっぱり分からない。
しかも、いきなり金の話まで出てきた。
何かの誤解なら、早めに解いておいた方がよさそうだ。
「それは何の話だ?」
「脚の薬だ!」
ミカゲが自分の右脚を指す。
「お前がノートン商会から取り寄せたものだろう! それをギルド経由で私に渡すようなことをして……!」
「ああ、そっちか」
ようやく話が繋がった。
そういえば、家を担保に入れる時だったか。
ノートンにその話を伝えるついでに、『古傷に効く薬ってない?』そんなことを手紙に書いた覚えがある。
返事によれば、さすがに完治させることはできないらしい。
それでも痛みを和らげ、状態を少しでも良く保つための質のいい薬があるというので、定期的に送ってもらうことにした。
だから、冒険者ギルドを通してミカゲに渡してもらっていた。
どうやら、そのことを言っているらしい。
「分かった。薬代は受け取ろう」
「……いいのか?」
「お前が払いたいんだろ?」
変なところで頑固な奴だ。
ここで受け取らないと言ったところで、余計に話がこじれるだけだろう。
「駐留所にいる騎士団の誰かに届けておいてくれ」
金のことは、きっちりしておくに越したことはない。
よし。
これで終わりだろう。
そう思ったのだが――。
「ま、待て」
「まだ何かあるのか?」
「私はもう……騎士じゃないんだ」
ミカゲが僅かに視線を落とす。
ほんの一瞬。
それから、こちらを見た。
「だから、駐留所には行かない」
「じゃあ、ギルド経由でも――」
「お前の家に届ける」
「……はい?」
思わず聞き返す。
ミカゲの頬が僅かに引きつった。
その後ろでは、疲弊しているはずのエルナの目に、なぜか力が戻っている。
……なんだ?
「だから! 薬代はお前の家まで持っていくと言っている!」
「いや、聞こえてたけど」
だったら、なんでわざわざ。
そう聞こうとしたところで、ミカゲが先に口を開いた。
「あ、あとだな」
急に声が小さくなる。
「冒険者になっても……アルケインを守れるのだと分かった」
俺は黙って続きを待った。
「騎士とは別の戦い方もある。それを知った」
「ああ」
以前のこいつなら、絶対に口にしなかった言葉だろう。
騎士であることに拘り続けていた。
親父さんと同じ騎士でなければ、自分のやりたいことはできないと思い込んでいた。
でも。
ようやく、自分で見つけたらしい。
「これからもよろしくな」
「……ああ」
ミカゲは小さく頷いた。
これで終わり――。
「お前が、ギルドに私のことを言ったのだろう?」
終わらなかった。
まずい。
話が長引きそうだ。
正直に打ち明けて終わりにしよう。
「言ったよ。イキのいい元騎士が暇してるから、冒険者にして難しい依頼を押し付けてくれって。それだけだ」
「……それだけ?」
「それだけ」
少なくとも、今ここで説明する気はない。
それだけ答えると、ミカゲはふいと顔を逸らした。
なんなんだ、本当に。
竜を倒せるくらい強くなったくせに。
こういうところは相変わらずだ。
ちらりと後ろを見る。
エルナとクレシアが、揃って俺を見ていた。
……嫌な予感がする。
クレシアはともかく、エルナまで随分といい目をしている。
後で根掘り葉掘り聞かれそうだ。
エルナからは、また別の意味で尋問されそうな雰囲気まである。
よし。
話を変えよう。
「お前ら、広場に行って凱旋してこいよ!」
三人がこちらを見る。
「王都を守った主役が行かないでどうするんだ?」
三人は顔を見合わせる。
最初にエルナが頷き、続いてクレシア。
最後にミカゲも、渋々といった様子で頷いた。
よし。
これで解放される。
「レイグさんも、一緒に行きましょう」
エルナが笑顔で言った。
「え?」
なんなら、このまま酒場に寄ってから家に帰ろうとしていたのに。
「一緒に、行きましょう」
二度言われた。
笑っている。
なのに、断れる雰囲気じゃない。
「……はい」
仕方ない。
今日くらいは団長の意に従うとしよう。
◇
中央広場が近づくにつれ、歓声が大きくなっていく。
それもそうだ。
竜を討った二人が、並んで歩いているのだ。
興奮するなと言う方が無理だろう。
「エルナ団長!」
「ミカゲ!」
「王都を守ってくれてありがとう!」
「竜殺しだ!」
「アルケインの英雄だ!」
あちらこちらから声が飛んでくる。
エルナは傷だらけの身体で、それでも市民へ手を振っていた。
一方のミカゲは――。
「…………」
ものすごく居心地が悪そうだ。
「少しくらい手を振ってやったらどうだ?」
「無理だ」
即答された。
竜の前には平然と飛び込めるくせに、市民に手を振るのは無理らしい。
人間には向き不向きがある。
改めて勉強になった。
とりあえず、二人を前に歩かせる。
俺は少しずつ歩調を落とした。
この辺りで人混みに紛れて、華麗に姿を消そう。
あとは英雄様たちに任せて、俺は……酒だけ買って家へ――。
「おや」
聞き覚えのある声がした。
足が止まる。
嫌な予感しかしない。
人混みの中から、見覚えのある二人の男が歩いてきた。
「逃げようとしておったな?」
宰相だ。追放命令を取りに行った時、長官と一緒にいた奴だ。
案の定、その隣には王宮庁長官までいる。
二人とも平服。
こんなところで何をしてるんだ、この国の偉い人たちは。
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。俺はただ、ちょっと酒場に――」
「それを逃げると言うのでは?」
長官にまで塞がれた。
……帰りたい。
「それより」
長官が俺の横を通り過ぎていく二人へ目を向けた。
エルナ。
そして、ミカゲ。
市民たちが二人の名を呼んでいる。
「見事なものですね」
「ええ。本当に」
俺も二人を見る。
あの歓声の中心に、自分が立つことはない。
それでいい。
むしろ、あんなところに放り込まれたら困る。
宰相が口元を緩めた。
「覚えているか?」
「何をです?」
「以前、お前が長官に言ったことだ」
あー。
嫌な話になりそう。
「この国に、英雄が生まれる瞬間を見たくありませんか、と」
やっぱり。
「そんなこと言いましたっけ?」
「言いました」
長官に即答された。
誤魔化せなかった。
長官は、しばらくエルナとミカゲを眺めている。
そして。
小さく笑った。
「困りましたね」
「何がです?」
「一人どころか――」
長官が二人へ視線を向ける。
「英雄が二人も生まれてしまった」
思わず、俺もそちらを見る。
エルナは市民から何度名前を呼ばれても、一人一人に応えるように手を振っている。
あいつがいなければ、王都はどうなっていたか分からない。
市民を避難させた。
騎士たちを動かした。
竜を地上へ引きずり下ろした。
そして最後まで、あの化け物の前に立ち続けた。
その隣。
居心地悪そうに歩いている黒髪の女。
ミカゲ。
騎士団では燻っていた。
追い出されて。
冒険者になって。
そして今日、竜の首を断った。
「……二人、ねえ」
呟く。
宰相が笑う。
「不満か?」
「いや」
むしろ。
随分と面白い結果になったもんだ。
「一人より、二人の方が得じゃないですか?」
長官が一瞬、呆れた顔をした。
「あなたは……」
「何です?」
「いえ。もういいです」
なんだよ。
気になるじゃん。
宰相が声を上げて笑った。
「しかし、随分と違う二人だ」
「そうですね」
長官が頷く。
「一人は騎士団を率い、人々を守った団長」
エルナを見る。
「もう一人は、その団長が繋いだ戦場で竜を討った冒険者」
ミカゲを見る。
確かに。全然違う。
英雄って言葉から想像する姿なんて、人それぞれなんだろう。
強大な敵を倒す奴。
誰かを守る奴。
大勢を率いる奴。
きっと、どれも間違っちゃいない。
「二人とも、自分に合ったことをしただけですよ」
俺がそう言うと、長官がこちらを見る。
「自分に合ったこと、ですか」
「ええ」
エルナは人の前に立つ。
人を守る。人を動かす。
ミカゲは剣を持って、誰より危険な場所へ飛び込む。
それだけだ。
「向いてることを、向いてる奴がやった」
結果。
王都が救われた。
それ以上でも、それ以下でもない。
「なるほど」
長官が呟く。
「それが、人材登用官の見方というわけですか」
「大袈裟だなあ」
本当に。
俺はただ、惚れ込んだ才能と、その原石を見つめるのが好きなだけだ。
その時。
「レイグさん!」
前方から声が飛んできた。
エルナだった。
こちらを振り返っている。
「何をしているのですか! 早く来てください!」
「いや、俺はいいって!」
「駄目です!」
やめてくれ。
そういうのは、本当に性に合わない。
「登用官殿は、これからもアルケインに英雄を生んでくれるかの?」
宰相が面白そうに意地の悪い笑みを浮かべて言う。
このジジイ。こっちはさっきまで死闘だったんだよ。
気楽に言いすぎだろ。
そんなことを思いながら、二人を見る。
エルナ。ミカゲ。
今回だって、あいつらが自分で戦って自分たちで掴んだものだ。
俺がしたのは、ほんの少し。
立つ場所を考えただけ。
「ま、約束はできませんね」
当然だ。そんな甘い世界じゃない。
まいったな、俺自身もこの結末にのぼせているみたいだ。
柄じゃないんだよな。
それなのに、自然と言葉が出てしまう。
「だけど……俺らしい登用なら、これからも」
それだけ言って、俺はエルナたちの方へ歩き出す。
二つの名前が、夕暮れの王都に何度も響いている。
英雄が二人。
まったく。
才能ってやつは本当に、どうなるか分からないもんだな。




