第33話 決着
地響きが、ここまで伝わってくる。
城門から少し離れた場所で、俺は二人と一匹の戦いを眺めていた。
いや。
あれを一匹と数えていいのかは、甚だ疑問だが。
「……すげえな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
エルナとミカゲ。
二人が竜を挟むように走っている。
先ほどまでとは、明らかに戦い方が違っていた。
エルナが前へ出る。
竜の爪を剣で逸らし、横へ回り込む。
そこへミカゲが飛び込む。
一閃。
竜の前脚から血が飛ぶ。
「グオオオオオオオッ!」
咆哮。
竜がミカゲへ顔を向ける。
その瞬間には、今度はエルナが反対側から斬りつけていた。
なるほど。
そう戦うのか。
エルナが竜の意識を散らし、ミカゲが傷を増やす。
いや、それだけじゃない。
エルナは戦いながら、ミカゲを見ている。
あいつがどこへ踏み込もうとしているのか。
何を狙っているのか。
それを理解した上で、自分の立ち位置を変えている。
団長らしい戦い方だ。
自分一人で倒そうとするんじゃない。
一番切れる刃を、一番切れる場所まで届けようとしている。
「……やっぱり、そっちの方が似合ってるよ」
誰にも聞こえない声で呟く。
どちらに言ったのかは、自分でも分からなかった。
竜が大きく首を振る。
エルナが弾き飛ばされた。
だが、すぐに立ち上がる。
本当に頑丈だな、あいつ。
いや。
身体よりも、精神が、だな。
何かを。
そして誰かを守りたいということに関しては――。
「やっぱり、お前が一番だよ」
だけど、もう限界は近い。
回復術を受けたとはいえ、それまでの傷が消えたわけじゃない。
長くは続かない。
それはミカゲも同じだ。
竜と渡り合ってはいる。
あいつの剣は通用している。
騎士団にいた頃より、明らかに動きがいい。
迷いもない。
だが、右脚は完治なんてしていない。
無理をすれば、いつ限界が来てもおかしくないはずだ。
そして何より――。
倒せない。
何度斬っても、竜は止まらない。
前脚。
腹。
後脚。
傷は増えている。
それでも、あの巨体にとっては致命傷にならない。
やはり、狙う場所は一つしかない。
首だ。
ミカゲも分かっているらしい。
何度か狙っている。
だが、そのたびに竜が炎を吐き、近づかせない。
「あと一つ……」
足りない。
ミカゲの剣を、あそこまで届けるための何かが。
その時だった。
エルナが動いた。
真正面。
竜へ向かって、一人で駆けていく。
「おいおい……」
何をするつもりだ。
竜も当然、気づいた。
巨大な頭がエルナへ向く。
口が開く。
その奥が赤く染まった。
まずい。
そう思ったのに、口から出たのは正反対の言葉だった。
「……いけ」
俺の声など届くはずもない。
そして、エルナも避けなかった。
剣を地面へ突き立てる。
片手を前へ。
魔力の光が、彼女の前へ集まっていく。
直後。
炎が吐き出された。
轟音。
エルナの姿が炎に呑まれる。
「エルナ!」
だが。
炎の向こうから、声が聞こえた。
「――今です!」
エルナの声。
炎の脇を、一つの影が駆け抜けていた。
ミカゲ。
そういうことか。
竜の視線は、完全にエルナへ向いている。
火炎も使わせた。
今なら――。
「行け!」
俺まで叫んでいた。
ミカゲが地面を蹴る。
前脚へ。
そこから肩へ。
漆黒の髪が、炎の光を受けながら舞う。
竜が気づいた。
だが、遅い。
炎を止めようとする。
首が動く。
その瞬間、エルナが炎の中から飛び出した。
「まだです!」
剣が竜の鼻先へ叩き込まれる。
「グオオオオオオッ!」
竜の頭が、再びエルナへ向く。
ほんの一瞬。
本当に、それだけだった。
だが――。
十分だった。
ミカゲが竜の肩を蹴った。
本来なら、そんな力など残されていないはずの右脚で。
跳ぶ。
両手で握った剣が、高々と振り上げられる。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」
振り下ろされた。
刃が首へ食い込む。
おぞましいほどの血が噴き出した。
だが。
止まる。
「……っ!」
太い。
さすがに一撃では断てない。
竜が暴れる。
ミカゲの身体が振り落とされそうになる。
「ミカゲ!」
エルナが叫ぶ。
それでも、ミカゲは剣を離さなかった。
踏ん張る。
さらに力を込める。
「――あぁぁぁぁぁっ!」
刃が進む。
少しずつ。
少しずつ。
そして――。
鈍い音が響いた。
巨大な首が傾く。
竜の身体が、ぐらりと揺れた。
一歩。
二歩。
巨体が地面を踏み締める。
それでも身体を支えきれず――。
轟音とともに、竜が地へ沈んだ。
土煙が舞い上がり、何も見えなくなる。
俺は動けなかった。
誰も声を上げない。
騎士たちも。
冒険者たちも。
遠く、中央広場にいる市民たちさえも。
世界から音が消えたようだった。
やがて、土煙が薄れていく。
竜は動かない。
その傍ら。
一人の女が、剣を地面へ突き立てながら立っていた。
黒い髪が風に揺れている。
「……勝ったのか?」
近くにいた騎士が呟いた。
誰も答えない。
数秒。
十秒。
それでも、竜は動かなかった。
そして。
遠くから何かが聞こえた。
最初は地鳴りかと思った。
違う。
人の声だ。
中央広場。
どれだけの人が集まっているのかは分からない。
ただ、大勢がいる方角から、凄まじい歓声が押し寄せてくる。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
王都が揺れた。
本当に、そう錯覚するほどだった。
騎士たちも剣を掲げる。
冒険者たちが叫ぶ。
誰かがミカゲの名を呼んだ。
すると、それに続くように声が重なっていく。
「ミカゲ!」
「エルナ!」
「ミカゲ!」
「エルナ団長!」
「ミカゲ!」
……すごいな。
俺は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
竜の傍らに立つミカゲ。
その少し後ろでは、エルナがとうとう力尽きたように膝をついている。
だが、笑っていた。
ミカゲも振り返る。
二人が何かを話している。
ここからでは聞こえない。
まあ、聞く必要もないか。
「竜殺し(ドラゴンスレイヤー)、か」
口に出してみる。
随分と大層な呼び名だ。
だが。
これだけの人間が見てしまった。
もう、誰にも否定できないだろう。
ミカゲは竜を倒した。
そして――。
騎士としてではなく。
一人の冒険者として。
「お前は……そっちだったんだよ」
小さく呟く。
騎士であることを否定したかったわけじゃない。
弱かったわけでもない。
才能がなかったわけでもない。
ただ。立つ場所が違った。
才能を活かせる場所が、そこではなかった。
それだけだ。
剣を振るうこと。
強大な敵と正面から戦うこと。
誰かに決められた隊列の中ではなく、自分の判断で踏み込み、自分の剣で道を切り開くこと。
その場所へ移っただけで。
あれだけ燻っていた人間が、今では竜を殺している。
「フヒッ」
我慢していたが、笑いが漏れた。
人間ってのは、本当に分からない。
だから面白い。
「――レイグさん」
聞き慣れた声が背後からした。
振り返る。
「お」
淡い紫色の髪。クレシアだった。
息を切らしている。服も随分と汚れていた。
「戻ったのか」
「ええ。孤児院の方は問題ありません。全員無事でした」
「そりゃ良かった」
肩の力が抜ける。
クレシアは呼吸を整えながら、倒れた竜を見る。
その目が大きく見開かれた。
「……本当に、倒したのですね」
「ああ」
俺はエルナへ目を向ける。
団長のもとにはヴァルトや騎士たちが、ミカゲのもとには冒険者たちが駆け寄っているところだった。
「ほんと、すごい結末だよな」
「そうです……ね」
短く答えたクレシアが、今度は俺を見る。
じっと。
「……何だよ」
「レイグさん」
「はい」
「あなたは、どこまで予想していたのですか?」
な、なんだよ……。
そんなに見つめて。
しかも『あなた』だなんて。
普段はもっと刺々しいのに、こっちが調子狂うじゃんか。
「何の話?」
「とぼけないでください」
一歩、近づいてくる。
「ミカゲさんのことです」
「ああ」
「明らかに、騎士団にいた頃より強くなっています」
「そうだな」
「最近では、上位の冒険者たちまで彼女を支援するようになっていた」
「人気者だよな。羨ましい」
「そして今日」
クレシアが倒れた竜を見る。
「ミカゲさんは、王都を襲った竜を討ち取った」
「うん」
「うん、ではありません」
クレシアの目が細くなる。
「あなたは……どこから、どこまでを予見していたのですか?」
俺は答えなかった。
中央広場からは、今も歓声が聞こえている。
ミカゲ。
エルナ。
何度も二人の名前が繰り返されていた。
「こうなることを、分かっていたのですか?」
「まさか」
即答した。
クレシアが目を瞬かせる。
「……違うのですか?」
あー、もう。
こういうのは性分じゃないから、言いたくないんだよな。
ただ、ある程度は話さないと解放されないことくらい、クレシアを見ていれば分かる。
今回はクレシアがいなければ、戦況も変わっていただろうし。
少しくらいは、話してやるか。
「お前さ……英雄と呼ばれる人間が、必ず持っているものって分かる?」
真っすぐにクレシアを見る。
「卓越した能力ですか?」
まあ、普通はそう考えるよな。
「正解は――伝説的な逸話だよ」
クレシアは何も言わない。
ただ、真っすぐな瞳で続きを促してくる。
少女が童話に聞き入っているようにも見えた。
「あー、だからさ。人って……化けるんだよ」
柄にもなく正直に話している自分が、少し恥ずかしくなる。
「そんで、化ける時にはきっかけがいる。俺がやったのは、そのきっかけを作って、別の場所へ押し出しただけだ」
「はい。それで?」
こいつ。俺を何だと思ってるんだ。
「あなたのことが時々、本気で分からなくなるので、全部言ってください」
ひどい。
俺は頭を掻いた。
苦手なんだよな、自分の頭の中を話すの。
「一つは、感情だよ。これまでの価値観をぶっ壊されるような、強い感情。それを抱えたまま別の環境に身を置くと、人間は化ける……こともある」
「なんで、最後は自信なさそうなんですか」
これだから、お嬢ちゃんはよ。
「結局、俺ができるのはそこまでなんだ。本当の意味で現状を打開するには、本人が変わるしかない」
俺は倒れた竜へ目を向ける。
「何かに狂ったみたいに熱中するのでもいい。世の中を呪うくらいの悔しさでも、怒りでもいい。今までの自分じゃいられなくなるくらいの何かがあれば、人間は思ってもみないところまで行くことがある」
「だから、ミカゲさんを追放したのですか?」
「追放が、あいつにとってそういうきっかけになるとは思った」
クレシアの目が僅かに見開かれる。
「もちろん、その先まで決められるとは思ってない」
そう。
他人から見れば、到底理解できないほど何かに没頭する奴がいる。
そうして積み重ねたものが、ある日、周囲の想像を超える結果として現れる。
その時。
誰にも真似できない逸話を背負った人間は――。
『英雄』と呼ばれる。
「竜が来るなんて、分かるわけがない。ミカゲの親父さんと、この竜との因縁だって知らなかった」
「では――」
「ただ」
言葉を挟む。
倒れた竜の向こう。
ミカゲの周りに人が集まり始めている。
騎士。
冒険者。
そして、その隣にはエルナ。
違う人間たちが、一つの場所に集まっている。
「ミカゲは騎士団や、亡くなった親父さんへの想いが強かった。だから騎士を辞めたところで、この国を守りたいって気持ちまで消えるとは思わなかった」
むしろ。
騎士という枠から外れれば、別のやり方を見つけるかもしれない。
そこまでは考えた。
だけど――。
「こんな結末までは、さすがに予想できなかったよ」
倒れた竜を見る。
「いつだって、英雄と呼ばれる奴らは、俺の想像を超えてくる」
クレシアが黙る。
しばらくして、再び口を開いた。
「では、そこまで考えて……追放したのですね?」
「さてね」
「レイグさん」
「怖いって」
睨まれた。
俺は苦笑して、もう一度戦場へ目を向ける。
「俺がしたのは、そのくらいだよ」
冒険者ギルドや王宮庁への根回しも。ノートンに出した手紙も。
結局は、ほんの少し道を作っただけだ。
才能を与えることなんてできない。
だけど、あいつが持っている才能を、潰させないようにすることはできる。
俺にできるのは、せいぜいそこまでだ。
竜を倒したのは、ミカゲだ。
そして、その一撃を届かせる好機を作ったのはエルナだ。
エルナに至っては、俺すら知らなかった力を隠し持っていた。
二人とも。
俺の想像なんて、あっさり飛び越えていった。
「俺は戦場じゃ役に立たない、いち登用官だからな」
「……知っています」
「即答するなよ」
「事実ですから」
少しくらい気の利いたこと言えよ。
そんな俺を無視して、クレシアはエルナとミカゲを見つめていた。
やがて視線を切り、こちらへ身体を向け直す。
「分かりました。今日はこれくらいにします」
ふう。
よかった。
やっと小娘から解放されそうだ。
そう油断した、その時。
「今度、時間を作ってください。続きはその時に聞かせてもらいます」
やれやれ。
何かと注文の多い奴だ。
「分かったよ。それでいいから、お前もエルナのところに行ってこい」
まあ、五分くらい時間を作ればいいか。
時間を設けて話をしたという事実さえあれば、こいつも満足するだろう。
そんなことを考えていたら――。
「半日は空けておいてくださいね」
「は?」
言い返す暇もなく、クレシアはエルナのいる方向へ走っていった。
俺はしばらく、その背中を黙って見送る。
……半日?
竜との戦いが終わったばかりだというのに。
俺にはもう、次の戦いが待っているらしい。




