第30話 騎士団長エルナ・フォン・フェルディア
地響きとともに、竜の巨体が地面へ叩きつけられた。
両脚に絡みついた金属を鬱陶しがるように、低い唸り声を上げている。
飛ばれた時には焦りもしたが、概ね作戦通りではあった。
けれど、喜んでいる暇などない。
私がやったのは、空から地上へ引きずり下ろしただけ。
そして、自分の手札を切ったからこそ理解してしまった。
本当は先程の手で仕留められるのではないかと目論んでいた。
だけど、私に――。
いえ。
今の騎士団には、この竜を討伐しきるだけの決定力がない。
城門付近で待機していた騎士たちも、気づけば戦場の近くまで来ていた。
「団長! 我々も――」
「駄目です!」
言葉を被せる。
「あなたたちが戦える相手ではありません!」
冷たい言い方になってしまった。
それでも、撤回するつもりはない。
竜の巨大な爪が土を抉り、長い尾が地面を削っている。
それに加えて、凶悪な牙が並ぶ巨大な顎。
あれをまともに受ければ――。
「くっ!」
振り下ろされた爪を剣で受け流す。
腕に凄まじい衝撃が走った。
一撃。
たった一撃まともに受けるだけで、命を奪われかねない。
今ので嫌というほど実感した。
死ぬのが怖くないと言えば、嘘になる。
それでも、自分が倒れた先にあるものの方が、ずっと怖かった。
後ろにいる団員たち。
そのさらに向こうにいる、街の人々。
私がここで止められなければ、彼らにまで竜の牙が届く。
ならば――。
差し違えてでも、止めなくてはいけない。
「っづああああっ!」
硬い鱗と鱗の隙間へ、剣先を滑り込ませる。
竜の肉を断つ感触が手に伝わった。
「グオオオオオオッ!」
空気そのものを震わせるような咆哮。
すぐさま剣を引き抜き、後ろへ跳ぶ。
直後、眼前を巨大な尾が通過した。
「ふぅ……」
息を吐き、剣を構え直す。
「どうにも……手が足りませんね」
独り言ちてから、その言葉の重さを痛感する。
そもそも今の騎士団は、これほどの脅威を相手取れるだけの戦力を持った組織ではなかった。
全盛期ならまだしも、今のヴァルトが正面から挑んでも、命を落とすだけ。
本人もそれを分かっているのだろう。
険しい顔で、今にも飛び出してきそうにしながらも、無茶な突進はせず、周囲の魔物に備えている。
クレシアは今頃、孤児院に着いた頃でしょうか。
そもそも彼女の戦い方は、こうした大型の魔物とは相性が悪い。
ここにいたとしても、前には出せない。
他には――。
竜が前脚を振り上げる。
私は横へ駆け、振り下ろされた爪を躱した。
地面が大きく抉れる。
そのまま距離を取りながら、思考を巡らせる。
私が七年前、レイグさんと出会った頃に在籍していた、あの赤髪の彼なら――。
……いえ。
戦力になる以上に問題行動が多くて、別の意味で厄介だったかもしれませんね。
こんな時だというのに、ほんの少しだけ頬が緩みそうになる。
そして――。
もう一人。
真っ先に浮かんでしまった顔がある。
ミカゲ。
彼女になら、背中を預けて戦えただろう。
私が竜の注意を引きつけ、隙を作る。
そこへ彼女が踏み込み、あの流れるような太刀筋で急所を斬る。
二人なら。
この竜を相手にしても、ここまで一方的な戦いにはならなかったかもしれない。
けれど――彼女はもう、騎士ではない。
「……いけませんね」
剣を握り直す。
「どうにも、感傷的になってしまって」
いない人間を数えたところで、戦力が増えるわけではない。
今ここで竜と戦えるのは、私だけ。
ならば。
私がやるしかない。
竜がこちらを睨みつける。
先ほどまでとは、明らかに様子が違った。
低く唸りながら、ゆっくりと頭を持ち上げていく。
そして――大きく息を吸い込んだ。
「……っ!」
膨らんでいく胸部。
僅かに開いた口の奥で、赤い光が揺らめいている。
火炎が来る。
避けること自体は難しくない。
左右どちらかへ走れば、おそらく私は逃れられる。
でも。ちらりと後ろを見る。
そこには騎士たちがいる。
さらにその向こうには、王都がある。
――避けられない。
「全員、伏せて!」
叫ぶと同時に、剣を地面へ突き立てた。
空いた左手を竜へ向ける。
意識を集中させる。
身体の奥に残っている力を、根こそぎ引きずり出す。
「来なさい」
次の瞬間。
竜の口から、炎が吐き出された。
視界が赤く染まる。
迫り来るのは火球などではない。
炎の奔流。
巨大な竜の口から、凄まじい勢いで炎が押し寄せてくる。
「――っ!」
迫る火炎へ、魔力を叩きつける。
直後、炎と魔力が激突した。
「くぅっ……!」
重い。
炎を防いでいるはずなのに、巨大な岩でも押しつけられているかのような衝撃が両腕を襲う。
熱が防壁を越えて頬を焼く。
髪の先が焦げた。
それでも。
退くわけにはいかない。
「団長!」
後ろから声が聞こえた。
「来ないでください!」
振り返る余裕もなく叫ぶ。
魔力を注ぎ続ける。
けれど、炎は一向に弱まらない。
「う……ぁ……!」
足が地面を滑る。
一歩。また一歩。押し込まれる。
駄目。
ここを抜かせれば、後ろにいる皆が焼かれる。
この後、剣を振れなくなっても構わない。
今、この瞬間さえ防げるのなら。
「はあああああああっ!」
残っていた魔力を、一気に注ぎ込む。
炎と魔力がぶつかり合う。
視界を覆うほどの光。
轟音。熱。衝撃。
何もかもが入り混じり――。
やがて。
炎が途切れた。
「……はぁ……はぁ……」
立っている。
私はまだ、立っている。
後ろから騎士たちの声が聞こえる。
守れた。そのことに安堵した瞬間。
膝から力が抜けた。
「……っ」
剣に縋りつく。
辛うじて倒れることだけは堪えた。
呼吸が苦しい。
視界も霞んでいる。
左腕は、もうまともに上がりそうにない。
魔力は――。
確かめるまでもなかった。
空っぽだ。
一滴すら残っている感覚がない。
それどころか、無理やり力を引き出した反動で、身体そのものが悲鳴を上げている。
「さすがに……これは……」
笑おうとしたけれど、上手くいかなかった。
竜を見る、実に健在だ。
傷は負わせた。地面にも落とした。
けれど、それだけ。
私はもう、まともに戦えない。
対する竜は、まだ立っている。
――これが、今の騎士団。
嫌というほど思い知らされた。
私一人では足りない。
団長一人がどれだけ戦えたところで、その一人が力尽きれば終わる。
次がいない。
繋いでくれる人がいない。
「……困りましたね」
竜が動いた。
拘束から逃れようと、脚を大きく振る。
金属が軋む。
エルニックが作ってくれたものも、永遠に保つわけではない。
やがて竜が、こちらへ顔を向けた。
怒っている。
当然でしょうね。
空から叩き落とし。脚を拘束し。
何度も斬りつけ。挙げ句の果てには、炎まで防いだ。
私が逆の立場でも、真っ先に殺したいと思う。
竜が前脚を持ち上げる。
逃げないと。
頭では分かっている。
なのに、脚が動かない。
「……っ」
剣を杖代わりにして、どうにか身体を起こす。
せめて。
最後まで立っていよう。騎士団長なのだから。
私の後ろには、守るべき人たちがいるのだから。
震える腕で剣を持ち上げる。
「来なさい」
声まで掠れていた。
それでも、竜へ剣先を向ける。
巨大な前脚が振り上げられた。
ああ。これは――。
避けられそうにありませんね。
妙に冷静な自分がいた。
それでも、剣は下ろさない。
せめて私を殺すことに夢中になってくれれば、その間に皆が逃げられる。
そんなことを考えながら、振り下ろされる爪を見上げる。
その時だった。
聞き覚えのある声がした。
直後。私の目の前を、黒い影が駆け抜けた。
一閃。銀色の軌跡が走る。
その直後――――竜の前脚から、鮮血が噴き出した。




