第29話 騎士団長の実力
「あまり公にはしていませんが――私の手札をお見せします」
そう言うなり、エルナは踵を返した。
「おい、どこに行く?」
「下です。 ここからでは遠すぎます」
騎士団長自ら、竜と対峙するということか。
何をするつもりか分からないが、さすがに城門の上から届くような代物ではないらしい。
それ以上の言葉を発することなく、エルナは階段を駆け下りていく。
無論、俺も後を追った。
この局面で、確かに『手札』と言った。
生半可なものでは、空を飛ぶ竜には通用しない。
それを理解した上での言葉だ。
見たい。純粋な好奇心を抑え切れない。
ぞくりと肌が粟立つ。
エルナは速い。
俺が何段か下りる間に、すでに踊り場を曲がって姿が見えなくなっていた。
どうにか下まで辿り着いた頃には、エルナは城門の外へ出ようとしていた。
「エルナ団長!」
待機していた騎士が驚いて声を上げる。
「私が行きます」
「危険です!」
「だからこそです。一番の脅威には、私が対処します」
その一言で騎士を黙らせる。
エルナは剣を抜き、そのまま門をくぐっていった。
俺の足は、一瞬だけ止まる。
戦えない奴が戦場に行ったところで、邪魔になるだけじゃないか?
だけど――これは自分の目で見届けなければいけない。
そんな気がした。
「エルナ!」
呼び止めると、彼女が振り返った。
「ちゃんと見ているからな。死ぬなよ」
「はい。 約束、忘れないでくださいね」
エルナは微笑んだ。
そして、再び前を向く。
平原では、竜が巨大な翼を広げて滞空している。
エルナはたった一人、その巨体へ向かって走り出した。
「エルナ騎士団長!?」
先ほどまで竜を誘導していた魔術兵たちが声を上げる。
当たり前の反応だ。
騎士団長がたった一人で、あの強大な魔物に向かっているのだから。
竜も気づいたようだ。
空中で首を巡らせ、こちらへ向かってくる小さな人影を捉える。
「何をするつもりだ……?」
蒼い髪を揺らしながら駆けていたエルナは、竜との距離をある程度まで詰めたところで足を止めた。
クレシアや魔術兵たちよりも、ずっと竜に近い。
そこで声を張り上げる。
「クレシア! 魔術兵! 退避しなさい!」
平原に声が響き渡った。
魔術兵たちが顔を見合わせる。
なんだ?何をするつもりだ?
俺には想像もできない。
だが――魔術兵たちは違った。
一人、二人と、エルナの構えを見た途端に表情が変わっていく。
「まさか……」
その声までは、俺のところには届かない。
ただ、明らかに動揺したことだけは分かった。
エルナは何も答えない。
剣を握ったまま、空にいる竜を見上げている。
「……おいおい」
何だよ。知っている奴がいるのか?
魔術兵たちは一斉に、逃げるようにその場から駆け出した。
クレシアでさえ、それに続く。
全員がエルナから距離を取り、俺と同じように彼女より後方へ回っていく。
その時だった。
エルナが剣を持ち上げる。
「……これは?」
何かが違う。風だ。
さっきまでとは明らかに違う風が吹いている。
エルナの蒼い髪が揺れ、外套が大きくはためく。
彼女の周囲に生えていた草が、一本、また一本と同じ方向へ倒れていく。
違う。風が吹いているんじゃない。
エルナの周囲へ――集まっている。
「まさか……」
魔術?詠唱は聞こえない。
あるのは、一本の剣だけ。
その剣を中心に、目に見えない何かが渦を巻いている。
離れている俺にも分かった。
空気が、歪んでいる。
いつの間にか、この場にいる全員がエルナを見ていた。
「あいつ……魔術を使えるのか?」
答える者はいない。
エルナが両手で剣を握る。
剣先を地面へ向けたまま、大きく息を吸った。
竜がこちらへ顔を戻す。
――気づいた。
地上に立つ、一人の女。
その周囲へ集まり続ける異様な力に。
竜の瞳が細くなる。次の瞬間、大きく翼を羽ばたかせた。
さらに高度を上げるつもりだ。
「逃げるぞ!」
エルナも分かっている。
剣を振り上げる。その瞬間だった。
ゴウッ――!
音が変わった。
エルナを中心に渦巻いていた風が、一斉に剣へ吸い寄せられる。
刀身の周囲で、空気が幾重にも渦を巻く。
魔術兵の一人が呆然と呟いた。
「なぜ……あれだけの魔力を……騎士が」
エルナが一歩踏み込む。身体を捻る。
まるで普段、騎士が剣を振るうのと同じように。
ただし――その剣に込められているものだけが、まるで違った。
竜がもう一度羽ばたく。
それでも彼女は迷わない。
「――はあああぁぁぁ!」
剣を振り抜いた。
一瞬。何も起きなかったように見えた。
直後――。
轟音。
エルナの前方に生えていた草が、一斉に地面へ伏した。
土が一直線に抉れる。見えない何かが、平原を駆け抜けていく。
速い。俺の目では追えない。
竜が反応した。咄嗟に身体を捻る。
避けるつもりだ。
だが――遅い。
空気が爆ぜた。
「――――ッ!!」
竜の咆哮が響き渡る。
右の翼が大きく跳ね上がった。
翼膜に、一本の裂け目が走る。
さらに、その周囲が大きく歪んだ。
切断するほどではない。致命傷ですらない。
それでも――。
飛行を阻害するには、十分すぎる傷だった。
竜の巨体が傾く。
「落ちる……!」
大きく姿勢を崩した。
竜が左翼を激しく羽ばたかせる。
必死に体勢を立て直そうとしている。
だが、傷ついた片翼では、まともに風を捉えられない。
一度失った均衡は戻らない。
高度が落ちる。さらに落ちる。
巨大な影が平原を走った。
その先には――。
エルニックの罠がある。
直後竜の巨体が地面へ叩きつけられた。
――ズドォォォンッ!!
城門まで揺れた。
腹の底にまで響く衝撃。
土煙が天高く噴き上がり、一瞬にして竜の姿を覆い隠す。
俺は息をするのも忘れ、その場所を見つめていた。
一秒。
二秒。
そして――。
土煙の中から、金属の噛み合う音が響いた。
「……入った」
誰かが呟いた。
俺も同じ言葉を口にしていた。
「入った……!」
土煙の向こうで、巨大な影が暴れる。
だが、今度は飛び上がらない。
いや――飛び上がれない。
エルニックが作った罠が、その巨体を地上へ縫いつけている。
騎士たちが叫ぶ。
魔術兵たちも、呆然と平原を見つめている。
その中心。
エルナだけは喜んでいなかった。
剣を地面へ突き立て、荒い呼吸を繰り返している。
やがて顔を上げた。
「まだです!」
歓声を切り裂くような声だった。
「竜は生きています!」
空気が変わる。
騎士たちが我に返った。
そうだ。まだ終わっていない。
土煙の中から、低い唸り声が聞こえてくる。
鎖状の銅線が軋む。
一本。また一本。
今にも引きちぎられそうなほど激しく震えている。
俺はそんな光景を見ながら――。
その少し手前に立つ、小さな背中を見つめていた。
「……騎士団長、か」
若くして、その地位まで登り詰めたのは知っていた。
本人には黙っていたが、七年前と比べれば、恐ろしいほどの成長を遂げている。
それに加えて、あの魔術だ。
あれほど強力な魔術を使う騎士なんて、帝国でもそうそうお目にかかれない。
その異常さは、周囲の魔術兵たちの反応を見れば嫌でも分かる。
魔術兵団と上手くいっていないのは――。
「あいつの才能が故なんだな……」
ようやく腑に落ちた。
そして今。
誰よりも危険な場所へ自ら向かい、空を飛ぶ竜を地上へ引きずり下ろした。
力があるだけじゃない。
その力を使うべき場所も、自分が立つべき場所も分かっている。
少なくとも今だけは――。
その小さな背中が、やけに大きく見えた。




