第28話 竜との対峙
南地区にある城門に到着する。
着いた頃には、すでに天幕が張られ、作戦の協議や実行に必要な道具が用意されていた。
ほとんどの騎士が出払っていることもあり、事態の大きさの割には、中にいる人数は少ない。
見慣れないローブに身を包み、フードを深く被った者たちがいるが、恐らく魔術兵団の人間だろう。
「住民の避難状況を教えてください」
「はっ! 南地区を含めて大半の住民が中央広場への避難を完了しています」
竜との距離が一番近い南地区の住民だけでも相当な数だった。
それを含めて予定どおり避難できているなら、騎士団としては竜への対処に注力できる。
エルナもそれが分かっているのだろう。
伝令への質問も核心に迫っていく。
「対象の様子は?」
「今のところ、移動していません」
「押し寄せている魔物は?」
「一定数います! ですが、すでに到着したヴァルト副団長たちで対応できる範囲かと」
伝令からの報告を聞き終えたエルナは、俺へと顔を向けた。
「レイグさん、城門の上に行きましょうか」
いよいよ、竜とご対面というわけだ。
不謹慎極まりないが、どこかで好奇心が勝っていた。
エルナと一緒に天幕を出ようとした時、ローブに身を包んだ人物が声を発した。
「エルナ団長。魔術兵団は、あくまで援護という形で協力します。それでよろしいですね?」
これから未知の相手と戦うという状況で、随分と他人事のような発言に聞こえた。
援護という言葉にも違和感がある。
現場の騎士からすれば、大いに力を貸してもらいたいくらいだろう。
だが、エルナは意に介することもなく、
「それで構いません」
とだけ短く答えた。
天幕を出て、エルナと城門内部の階段を昇っていく。
先ほどのやり取りが気になり、質問してみた。
「魔術兵団とは仲が悪いのか?」
「いいえ。そういうわけではありません。ただ、残念ながらアルケインの魔術兵団は、まだ実戦経験が乏しく、強力な攻撃魔術を扱える者が少ないのです」
エルナが言うには、どうにも魔術の習得に難がある者が多いらしい。
人材の問題なのか、組織の問題なのか。
その原因については、エルナ自身も掴み切れていないようだ。
そのため、国や王都への脅威に対しては、騎士団が全面的に対応せざるを得ないらしい。
……強力な魔術の使い手がいれば、今回も選択肢が増えたのにな。
階段を昇り終えようかというところで、頬に風を感じた。
あと数刻もすれば夕暮れになる時間帯だ。
なんとしても、視界が悪くなる夜までには決着をつけたい。
長い階段の最後の段を踏み越え、城門の上へ出る。
途端に視界が開けた。
眼下には、王都から南へ伸びる街道。
その先には広大な平原が続き、さらに遠くには鬱蒼とした森が横たわっている。
双眼鏡を使おうかと思ったが、やめた。
というより、必要がなかった。
平原と森の境目にいる――あれこそが。
最初は岩か何かにも見えた。
だが、その黒い塊から伸びる長い首が、ゆっくりと上下している。
四肢は地面に深く沈み込むように置かれ、全身を覆う黒い鱗が、傾き始めた陽光を鈍く反射していた。
そして、背中に折り畳まれた二枚の翼。
周囲に生えている木々と比べて、ようやくその巨体の規模が理解できた。
あれが立ち上がったら。
翼を広げたら。
そして――こちらへ向かってきたら。
「……あれか」
さっきまであった好奇心は、いつの間にか消えていた。
代わりに、背中をじわりと冷たいものが伝っていく。
隣から返事がない。
エルナを見ると、彼女もまた竜を見つめていた。
僅かに目を見開いている。
「エルナ?」
呼びかけて、ようやく唇が動いた。
「……ええ」
それだけだった。
少し間を置いてから、
「想定していたより……大きいですね」
「あいつが動いたら、広場にいる人たちにも、ある程度は見えちゃうな」
「はい。混乱を招かないようにしたいですが……難しいでしょうね」
背の高い城門は、当然ながら開口部もかなり大きい。
ヴァルトたちが退避できるよう、今のところ閉ざす予定はない。
背中がひりつくような感覚を覚える。
下を見ると、すでに城門まで押し寄せてきた何匹かの魔物の死体が転がっている。
少し目を凝らすと、クレシアとエルニックたちが罠を運搬しているのが見えた。
そして、設置する場所も決まったようだ。
その位置は――城門から、かなり近い。
エルナの目でも確認できたようで、俺の隣で小さく息を呑んだのが伝わった。
「では――始めましょう」
誰に言うでもなく、騎士団長は決戦の合図を静かに告げた。
◇
俺とエルナは変わらず、城門の上から戦況を見つめている。
竜に大きな動きはないが、時折、翼がぴくりと動いている。
いつ動き出し、こちらへ飛んできてもおかしくない。
双眼鏡でエルニックを見る。顔が引きつっていた。
無理もない。
少し離れた場所には、伝説の魔物がいる。
そして今回は、改良された罠が機能するかどうかが作戦の成否を左右する。
「よしよし。ちゃんと設置の指示は出せているな」
時折、吐き気を堪えるような仕草をしているが、頭は回っているようだった。
クレシアはこまめにエルニックを見やりながらも、竜の動きから意識を外さない。
常に半身になるような立ち位置で、両者を視界に収めている。
「あいつはあいつで図太いな。それが頼もしくもあるが」
そうこうしているうちに、エルニックが設置完了の合図をクレシアへ送った。
それを受けると、クレシアはすぐにエルナを探す。
ほどなくして、城門の上にいる俺たちへ合図が送られた。
常にエルナを気にかけているあいつだから、すぐに見つけられるのかね?
そんなことを考えていると、
「誘導が始まります」
クレシアと魔術兵団の数人が竜に向かって走る。
距離が詰まったところで、火球が放たれた。
当てるためではない。
竜の眼前をわざと掠めるように通り、空中で弾ける。
その瞬間――咆哮が響いた。
「――――ッ!」
腹の底まで震わせるような轟音に、思わず身体が強張る。
距離がある俺ですらこれだ。
間近にいる連中は、まともに立っていられるのか?
竜が頭を大きく振り、火球を放った人物へ顔を向けた。
「効いていない……か」
「はい。怒らせただけですね」
恐ろしいことを平然と言うもんだ。
二発目。今度は別の魔術兵が火球を放つ。
それも当てることなく、竜の顔の横で弾けた。
鬱陶しい。そんな感情でも抱いたのだろうか。
竜は前脚を踏み出した。
クレシアたちは一斉に背を向ける。
逃げるようにしながらも、距離を保ち、速度を調整しながら目的の地点まで誘っている。
このままなら――。
そう思った直後だった。竜が地面を蹴った。
「なっ……」
思わず声が漏れる。
速い。そして、一歩があまりにも大きい。
人間が何歩もかけて稼いだ距離を、たった一度地面を蹴るだけで詰めてくる。
規格外。そんな言葉が相応しい存在だった。
クレシアが後方を確認すると、何かを叫びながら腕を横に振った。
魔術兵たちが左右へ散る。
直後、竜の前脚が地面を叩き、土が弾けた。
まるで小さな爆発でも起きたかのように、土煙が舞い上がる。
その中に、何人かの姿が消えた。
「……っ」
俺とエルナは城壁から身を乗り出すようにして、目を凝らす。
頼むぞ。こんなところで――。
土煙の中から人影が飛び出した。
最後に、小柄な身体が地面を転がるようにして竜から離れる。
クレシアだ。すぐに立ち上がり、安堵する暇もなく、再び走り出す。
隣でエルナが小さく息を吐いた。
安堵したのも束の間、その目はすぐに竜へ戻っている。
「このままでは追いつかれます」
「でも、距離を離しすぎたら誘導できないだろ?」
「はい」
難儀な話だ。近づきすぎれば殺される。離れすぎれば、竜が興味を失う。
しかも、相手がどれほど賢いのかすら分からない。
竜が再び地面を蹴る。その時だった。逃げていたクレシアが急に足を止めた。
「おい」
身体を反転させ、竜と向き合う。何を考えている。
まさか――。
「クレシア!」
今度はエルナが声を上げた。竜が迫る。
それでもクレシアは動かない。魔術兵たちはすでに先へ逃げている。
一人だけ残って、竜を真正面から見据えていた。
あと僅か。俺にはそう見えた。
竜の首が伸びる。その巨大な顎が開いた。
「逃げろ!」
届かないと分かっていても叫んでしまう。
直後。クレシアが横へ跳んだ。
ほとんど同時に、竜の顎が閉じる。
何もない空間を噛み砕くような音が、ここまで聞こえてきた気がした。
だが、クレシアの狙いはそれだけではなかった。
彼女が横へ跳んだことで、竜の正面が開く。
その先。先行していた魔術兵たちが振り返り、一斉に杖を構えた。
火球が放たれる。一つではない。
複数の炎が、竜の眼前でほぼ同時に弾けた。
「――――ッ!」
再び咆哮が響く。竜が頭を振った。
その隙にクレシアは立ち上がり、全力で走り出す。
「……あいつ」
わざと残ったのか。
竜の注意を自分に引きつけ、魔術兵を先へ行かせるために。
「無茶しやがる」
「ええ」
エルナの声が低い。
「戻ってきたら叱ります」
「そこは褒めてやれよ」
「褒めてから叱ります」
なら、まあいいか。
俺は再び双眼鏡を覗き込んだ。クレシアたちの進行方向を追う。
そして、気づいた。近い。罠を仕掛けた場所まで、もうそれほど距離がない。
土と草で隠されているため、ここから見ただけでは何があるのか分からない。
それは恐らく、竜から見ても同じだ。
クレシアがちらりと足元へ視線を落とす。位置を確認したのだろう。
そのまま走る。竜も追う。あと少し。
「そのまま……」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
エルナは何も答えない。
城壁の縁を掴み、食い入るように平原を見つめている。
クレシアが罠の手前を通過した。
魔術兵も続く。竜が一歩。さらに一歩。
次だ。次の一歩で――。
その時だった。竜が止まった。
「……?」
何かに気づいたのか?竜がゆっくりと頭を持ち上げる。
騎士たち。魔術兵。
そして、その先にある地面。
まるで何かを確かめるように視線を巡らせる。
背中の翼が――開いた。
「まずい!」
平原にいるクレシアたちも異変に気づき、左右へ散開した。
次の瞬間、竜が翼を大きく羽ばたかせる。
地面から土埃が巻き上がる。
草が一斉になぎ倒され、クレシアたちの身体まで煽られた。
二度目。巨体が浮く。
「嘘だろ……」
あれだけの身体が、地面から離れていく。
三度目の羽ばたき。完全に浮いた。竜の下に巨大な影が生まれる。
その影が平原を滑るように移動していく。
「罠が……」
意味を失った。地面にはエルニックが作った罠がある。
あと一歩だった。本当に、あと一歩。
それなのに竜は、こちらを嘲笑うかのように、その場で身を浮かせた。
しかも、高く空へ逃げたわけではない。
地上から僅かに距離を取り、クレシアたちの頭上で滞空している。
まるで――こちらの狙いを分かっているかのように。
「嫌な……状況だな」
「はい。ですが、最悪の状況ではありません」
蒼髪の隙間から覗く瞳は、竜を真っすぐに射抜いていた。
想定内ではなかったのだろう。
それでも、動揺は感じられない。
「最悪の場合はどうなっていた?」
「炎を吐かれ、クレシアたちが焼かれてしまう……ですね。魔術兵の障壁で、いくらかは軽減できるかもしれませんが」
なるほど。確かに今のところ、そのような攻撃の気配はない。
そもそも炎を吐く個体なのかも分からないが、ここまで作戦が進んだのは、運に助けられた部分もありそうだ。
とはいえ、楽観できるような戦況でないことは明らかだった。
このままでは、作戦は失敗する。
エルナを横目で見やる。
彼女はゆっくりと腰の剣を抜いていた。
「私が行くしかないですね」
「相手は飛んでいるぞ? 手はあるのか?」
「ええ」
エルナは抜いた剣を一度見つめる。
そして、何でもないことのように言った。
「あまり公にはしていませんが――私の手札をお見せします」




