第27話 騎士団長のご褒美
「第一班と第二班は南門へ! 到着後は指示があるまで待機を。無理に外へ出て牽制する必要はありません!」
エルナの声が響いている。
部屋には何人もの騎士が集まっていた。
机の上には王都周辺の地図が広げられ、その周囲を騎士たちが囲んでいる。
「第三班は市民の避難誘導を! 南地区から中央地区の広場へ移動させてください!」
「はっ!」
「東地区に簡易的な救護所を設けます! 負傷者が出た場合はそちらに搬送を!」
「承知しました!」
次々と指示が飛ぶ。俺は思わず足を止めた。
エルナはまだ俺に気づいていない。
どう見ても緊急事態の様相だ。
邪魔をしては悪いと考え、俺は端にいた騎士に尋ねた。
「状況は?」
「南門の先、平原と森の境界付近に黒い成竜を確認。今は動きがありませんが、いつ王都に向かってきてもおかしくない距離です」
本当に竜だったとは。
俺自身も先ほどまで南地区にいたが、気づけなかったのは距離があったからか。
それにしても、嫌な予感ほど当たってしまう。
そんなことを考えていると、俺の到着に気づいたエルナに手招きされる。
無論、呼ばれたのは俺だけではない。その場にいた四人が騎士団長の前に並んだ。
エルナはそれぞれの顔を一通り眺めると、口を開く。
「全員、状況は理解していると思います。次にいつ、あなたたちへ指示を出せるか分かりません。ですので、この場で伝えた指示を遵守してください」
そうだ。
まさに今、アルケインの王都と騎士団は非常事態にある。
しかも、相手は竜ときたもんだ。俺が帝国にいた頃ですら、実物を目にしたことは一度もない。
半ば御伽噺に出てくる、伝説の生き物という扱いに近い。
だからこそ――次にいつ指示を出せるか分からないというエルナの言葉は、決して大袈裟ではなかった。
「ヴァルト。竜が現れた影響で、南門に別の魔物が押し寄せる可能性があります。第一班と第二班を率いて、南門の死守をお願いします」
「ああ、了解です。一匹たりとも王都には入れません」
「はい。ただし、一点だけ。竜が接近してきた場合は無理に交戦せず、その場から退避して後退を」
大きく頷くヴァルトの目に、迷いはないようだ。
エルナの指示を理解するとともに、理に適ったものと捕らえているのだろう。
「エルニック。罠の状況を教えてください」
澄んだ瞳が、気弱な青年を捉える。
これまで経験したことのない状況下で話しづらそうにしているエルニックを、急かすわけでも責め立てるわけでもない。
団長として、工兵の言葉を静かに待つような視線だった。
「は、はい! 通常の獣用の罠は問題ありません! 試作品のほうは……まだ、り、竜を想定したものには……」
言い淀むエルニックを、エルナは優しく諭した。
「構いません。今の状態を率直に教えてください。あなたのおかげで、獣への対処については大きく心配する必要がなくなっています」
嬉しさと緊張が入り混じったのか、エルニックは一度顔を伏せた後、意を決したかのように口を開く。
「改良したものはできています! ただ、使うには竜が飛ばないうちに仕掛ける必要があります」
「飛ばれたら使えない?」
「はい」
エルニックが頷く。
「大型の魔物の足を絡め取ることを前提に作ったので……足に掛からないと、どうしようもありません」
エルナの目が瞬く。
そりゃそうだ。
無策だと思っていたが、工兵は改良版を用意していた。
空を飛んでいる奴に罠を踏ませろと言うほうが無茶な話だ。
どこまでも謙虚な青年だった。
「分かりました。竜を地上に留められるかどうかは、改良版に賭けましょう。飛ばれた場合については、別の手段で王都中心部への被害を抑えます」
そんな話を漏れ聞いていた周囲の騎士たちが、わずかにざわめく。
空を飛ばれてしまえば、普段王都を防衛している城壁も門も意味をなさない。
全員が、その事実を改めて理解した瞬間だった。
騎士たちの動揺を、エルナは素知らぬ顔で受け流す。
そのまま身体をクレシアへ向けた。
「クレシア。エルニックと数名の騎士を選出して、改良版の設置をお願いします。数刻後には魔術兵団も合流します。設置後は彼らと連携して、竜を罠の位置まで誘導してください」
そこで一度言葉を切ると、エルナは真っ直ぐにクレシアを見つめた。
「危険な任務ですが、あなたにしか頼めません。設置場所についても、現場を最もよく把握しているあなたに一任します」
王都の命運を握るかのような指示を、クレシアは臆することなく受け止めた。
「はい。覚悟はできています。設置した後、速やかにエルナ様の補佐に戻ります」
小柄な騎士からは、団長を支えるために行動するという気概が溢れていた。
そんなクレシアを見て、エルナは顔を近づけ、そっと耳打ちする。
「いいえ。私の元に戻るのは、孤児院の安全を確保してからです。あなたの目で見届けてから、戻ってきてください」
クレシアの目が大きく見開かれた。
「……ですが」
「これも命令です」
小さな声で即答された。
恐らく、クレシアは孤児院にゆかりがあるのだろう。エルナはその背景を汲んだということか。
南地区に孤児院があるのは知っていたが、それがクレシアが南地区を気にかけていた理由だったのか。
「……ありがとう、ございます」
クレシアが小さく頭を下げる。
「お礼を言われることではありません。戻ってきたら、その分働いてもらいますからね」
茶目っ気を含んだ声でそう告げると、エルナはクレシアの髪を優しく撫でた。
そして顔を上げ、全員に届くよう声を張る。
「各員への指示は以上です! この後、司令部は南地区の城門内に置きます!」
その言葉が号令となり、それぞれが与えられた任務を果たすために移動を開始した。
ほとんどの騎士たちから、ただならぬ緊張感が窺えた。
それもそうか。
次に全員が顔を合わせられる保証なんて、どこにもないのだ。
俺も移動することにしよう。
……あれ?
もしかして、俺だけ指示がない?
隠れていればいいのか……。
それはそれで、疎外感があるな。
どっちにせよ、エルナに一言声を掛けることにした。
全員が退出し、最後に部屋を出ようとしたエルナが、思い出したかのようにこちらを振り返る。
ちょうど声を掛けようとしていた俺は、危うくぶつかりそうになった。
思わぬ距離の近さに、お互いが黙り込む。
先に口を開いたのはエルナだった。
「レイグさんにも、指示を出していいですか?」
少しだけ恥ずかしそうに笑う。
断る理由なんてない。
俺は戦えはしないが、こういう時は空気を読む男だ。
「ああ。なんでも言ってくれ」
「では……私に随行して、そばで見ていて……ください」
先ほどまでとは打って変わった様子に、年相応の女性らしさを感じる。
そんなに畏まって言わなくていいのに。
元より、そのつもりだった。
俺の目的を叶え――それを見届けるには、エルナのそばにいる必要がある。
「そうさせてもらう。邪魔にはならないようにする」
それを聞いて、エルナがはにかむ。
その表情が、今の状況をほんの少しだけ忘れさせた。
さて、俺のやることは決まった。
内心で腹を括ったところで、エルナの言葉が続いた。
「もう一つ、いいですか?」
「なんだ?」
「今は、訓練や演習でも経験したことのない事態ですよね?」
「そうだな。こんな状況、人生で何度も経験するもんじゃないだろうな」
自分で言っていて、心底納得してしまう。
それくらいの状況下に騎士団は置かれ、その中心でエルナは指揮を執っている。
「無事に帰ってこられたら、ご褒美……いいですか?」
「褒美?」
「はい。指揮する団長に個人的な見返りがあっても、いいのではないでしょうか?」
ああ、うん。
あってもいいし、命を賭けているわけだからな。
合法的なものなら、問題ないと思う。
でも、なんでそれを俺に言うんだ?
「えーっと、その褒美は俺が関係する?」
「はい。お互い無事でしたら、一日、二人きりで過ごせませんか?」
あ、それくらいでいいのか。
全容はよく分からないけど、戦地に向かうエルナに俺がしてやれることは多くない。
心残りなく送り出してやりたい気持ちもあった。
「分かった。そうしよう」
「……約束、ですよ?」
エルナは背伸びをして俺に顔を近づけると、片目をそっとつむってみせた。
そんな年相応の仕草も束の間。
俺から離れて前を向いた時には、もう騎士団長の顔に戻っていた。




