第26話 登用官の予感
今月分の給金が出た。
この国に来たばかりの頃なら、真っ先に酒場に向かっていただろう。
懐に金がある。それだけで酒はいつもより美味くなる。
我ながら、実に分かりやすい人間だと思う。
だけど最近は、少しだけ事情が変わっていた。
「じゃあ、これ。 次の分な」
二階の客室で向き合うように腰掛け、小さな革袋を置く。
中身を確認したギルド長であるバランが、俺を見た。
「またか」
「まただ」
「お前は意外と律儀だな」
「意外とは心外だ」
以前、バランに頼み事をしたのを契機に、給金が出るたびに冒険者ギルドに金を渡しにきていた。
最初は無駄になるかもしれないと思ったが、案外愛用されているようだった。
「じゃあ、こいつで支払っておく」
「ああ。 よろしくな」
バランが革袋を持ち上げ、口元を歪める。
「毎月これだけ持ってきて、お前は暮らしていけるのか?」
痛いところを突かれる。
暮らしてはいけるのだが、ギリギリというレベルだった。
もしかしたら、俺は意地になっているのかもしれない。
誰にも伝わらず、誰も証明してくれないことに、執着しているのだろうか?
「これくらい、どうってことない」
そう言い残して客室を後にした。
バランと会っているところを、あいつに見られたくなかった。
ギルドを出ると、昼下がりの陽光が目に入った。
眩しさに目を細めながら、ゆっくりと歩き出す。
アルケインの王都は今日も平和だった。
いつもの光景が流れていく。
先日の魔物らしきものの痕跡が見つかってからも、王都の様子は変わっていない。
騎士団は警戒を続けているし、エルニックも罠を壊した何かの正体を調べている。
それでも、市民によっては遠い話なのだろう。
「……平和だねえ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
俺は歩きながら、何気なく空を見上げた。
ゆっくりと雲が流れている。
鳥が一羽、その下を横切っていった。
その姿を目で追う。翼を広げ、空を飛んでいく。
――飛ぶ。
なぜか、その言葉が頭に引っかかった。
足が止まる。
「……ん?」
何だ?
今、何か――。
頭の奥で、小さな違和感が生まれた。
それは最初、形すら持っていなかった。
だが一つの記憶を引き寄せると、それに釣られるように次々と別の記憶が浮かび上がってくる。
エルニックの作業場で見たもの。
壊された罠。ひしゃげた金具。
そして、そこに残されていたとされる――鱗。
俺は立ち止まったまま、眉間に皺を寄せる。
もう一つ。
書庫で見つけた、二十年以上前の記録。
『王都北東部にて、交戦した魔物との記録』
大型の魔物。多数の騎士が動員され、死者まで出した戦闘。
それだけの被害を出しておきながら、肝心の魔物については詳細な記録が残されていなかった。
いや。
正確には――記録できなかったのかもしれない。
徐々に頭の中で拡散していたものが、一本の線で繋がっていく。
そんなものが王都のすぐ近くにいるわけがない。
だが、二十年以上前にも、大型の魔物との戦闘は起きている。
だったら――。
「……竜とか?」
口から漏れたのは、そんな言葉だった。
――ゴォォォン。
次の瞬間、鈍い鐘の音が何度も響いた。
「……っ!」
思わず振り返る。聞き間違えるはずがない。
王都に緊急事態を知らせる鐘だ。
大通りを歩いていた人々も、一斉に足を止める。
ざわめきが広がっていた。
「なに?」
「鐘……?」
「何かあったのか?」
――ゴォォォン。
再び、低く腹の底まで響くような音。
考えるより先に走り出した。
大通りを駆け抜ける。人の流れが徐々に変わり始めていた。
嫌な予感ばかりが増していった。
やがて駐留所が見えてくる。
門の前には、すでに何人もの騎士が集まっていた。
「レイグ殿!」
俺に気づいた騎士が声を上げる。
「状況は!?」
「まだ確認中です! 南門の先で異常があったと!」
やっぱり南か。
「団長は?」
「中です! すでに招集を!」
最後まで聞かず、建物へ駆け込んだ。
廊下を走り、扉を開ける。
「エルナ!」
そこには、俺が想像していた以上の光景が広がっていた。




