第18話 登用官は制服を着る
ある日のこと。
家で惰眠を貪っていた俺は、玄関の戸をノックする音に叩き起こされた。
押し売りか、それとも近所の掃除当番でも回ってきたのか。寝起きの頭では判断がつかない。
何より、ここ数日は夜中まで資料に目を通していたせいで、本当に眠い。
なので、俺がすべきことは一つしかない。
――そう、無視を決め込む。
留守だと分かれば、外にいる人物もそのうち諦めていなくなるだろう……。
だが、そんな淡い期待はいとも簡単に裏切られた。
再びノックの音が響く。
いや、もはや戸を殴打していると言ってもいいくらいだ。
ドンドンと叩かれる音が、どんどん強くなっていく。
……冗談を言っている場合じゃない。
面倒くさいが、仕方なくベッドから身体を起こして一階へ降りる。
「あれ?」
さっきまで、あれだけ戸を叩いていた音が聞こえない。
諦めた?
それなら、もっと早く諦めろよ。
ちっ、俺の睡眠をなんだと思っていやがる。
二度寝しようと階段を上り、愛しのベッドを視界に捉えた、その時だった。
見慣れた人物が枕元に座っている。
「うわあああああっ!」
「おはようございます」
クレシアが、何食わぬ顔でベッドに腰掛けていた。
あまりの出来事に尻もちをつき、そのまま階段から転げ落ちそうになる。
なんとか踏みとどまったものの、驚きは収まらない。
「お、おまっ、なんで!? いや、どっから入った?」
「そこの窓からですよ。なかなか開けてもらえないので」
クレシアが指さした先には、ベッド脇の窓。
そうか。俺は暑いと窓を開けたまま寝る癖があるからな。
うん、そうかそうか。
「……いや、ここ二階だぞ?」
「知っています」
「知ってて入ったの!?」
「はい」
何を当然のことを、という顔をしている。
立ち上がった俺は窓から外を覗き込んでみるが、足場になりそうなものはほとんどない。
どう考えても、人間の出入口ではなかった。
「怖いな、お前」
「戸を開けてもらえれば、私もこんなことはしませんでした」
そうか。
俺が悪いのか……。
うん、他にも言いたいことがあった気がするが、なんだか悪いことをした気になってきた。
「あれだ。すまんな……で、何の用だ?」
「エルナ様がお呼びです。ここのところ姿を見せていなかったので、直接呼びに来ました。手間をかけさせないでもらえますか?」
まぁ、クレシアも仕事で呼びに来たのなら責められないか。
でもなぁ。
俺は今日は自主的な休日のつもりだったんだよな……最近、働き詰めだし。
一度気持ちを切っていたせいか、今から外出するのがひどく億劫だった。
「その用事、明日じゃ駄目か?」
「……ちっ」
いつものように半眼が向けられる。
あー、はいはい。
こうなると何も言えなくなるよね。
「支度するから、少し待ってて」
「早くしてください」
人が大人しくしていれば、つけあがりやがって。
いつかぎゃふんと言わせてやると心に誓いながら、身支度を始める。
クレシアはベッドに腰掛けたまま、部屋の中を見回していた。
視線が右から左へ。その次は、左から右へ。
……もしや、男の家に入ったことがないクチか?
まだ若いもんなぁ……お嬢ちゃん。
そのことをからかってやろうとした時だった。
「でも、本当に家に住んでいたんですね」
「どういう意味だ?」
「私はレイグさんの人間性を信じていたので、家に住んでいるとは思っていませんでした」
そんな一言で、何かを言ってやろうという気は失せた。
◇
クレシアに連れられ、団長室に入る。
執務机で書類に目を通していたエルナが、俺たちに気づいて顔を上げた。
「レイグさん。お呼び立てしてしまってすみません」
「いいよ。クレシアに叩き起こされたから」
「レイグさんが戸を開けないからです」
横から訂正が入った。
エルナは苦笑すると、執務机の脇に置かれていた紙袋を持ち上げる。
「最近、ずっとお忙しそうでしたし、こちらもお渡ししたかったので」
「俺に?」
差し出された紙袋を受け取り、中を覗く。
何着かの衣服が、綺麗に畳まれて収められていた。
真っ先に目についたのは、鮮やかな群青色の上着だった。
アルケインに来てからというもの、騎士団で何度も目にしている色だ。
「おぉ……ずいぶん、アルケインだな」
思わず、そんな感想が漏れた。
「ずっと帝国にいた頃のお召し物でしたので」
エルナが嬉しそうに微笑む。
上着を持ち上げてみると、群青を基調に、襟や袖口へ銀糸で細い刺繍が施されていた。
今着ている鉄を思わせる濃い灰色の軍服とは、随分と印象が変わりそうだ。
「これからは、そちらを着てください。帝国の時のものは、もう……」
そこでエルナは言葉を止めた。
捨てろってことかな?
それなら、全然構わないけど。
ただ、エルナの言葉は妙に歯切れが悪い。少し困ったように視線を落としている。
「最近、王都で怪しい帝国軍人がいるって噂になっていますよ」
横から口を挟んだクレシアが、苛立ち混じりに俺の服を指さした。
「どう考えてもレイグさんのことです」
「俺?」
思わず自分を指さす。
「他に誰がいるんですか。帝国の格好をした男が、双眼鏡をぶら下げて王都をうろついていると」
そうか。
俺は仕事をしていただけなのに、不審者扱いされていたのか。
心外だなぁ。
エルナを見ると、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「帝国で着ていたものを、もう着ないでくださいと私が言うのは……少し違う気がして」
「ああ、なるほど」
ようやく、エルナの歯切れが悪かった理由が分かった。
俺にとっては、長く暮らした故郷のものだと思ったのだろう。
帝国から追い出された俺に、それまで身につけていたものまで捨てろと言うようで、気が引けたらしい。
「そんなに深く考えなくて大丈夫だぞ」
群青の上着を広げ、もう一度眺める。
帝国の色とはまるで違う。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
「これからは、こいつを着て仕事するから」
エルナが目を瞬かせる。
それから、ほっとしたように表情を緩めた。
後ろにいたクレシアからは、大きなため息が聞こえてくる。
「レイグさんは、もう少し深く考えてみては?」
どういう意味だよ。
俺のほうが大人だし、エルナが喜んでいるから反抗しないけどね?
なんにせよ、実はアルケイン騎士団の関係者だと一目で分かる服が、ずっと欲しかったのだ。
他のことに追われているうちに、伝えそびれてしまっていた。
それが、こういう形で手に入ったのは申し分ない。
群青の上着を眺めながら、ふと昨日まで考えていたことを思い出す。
せっかく制服まで用意してもらったんだ。
よし。
それじゃあ――仕事の続きを始めようか。




