第17話 惚れ込んだもの
「ふぁぁ」
眠い。実に眠い。
いくつになっても、夜更かしはよくないなと思う。
ここのところ生活リズムが乱れている。
落ち着いた暮らしが好きなのに、それができていない。
もっと皆さ、俺に優しくしてくれよ。
歩を進めながら、そんなことを考える。
「……ここか」
南地区に入ってすぐの場所に、目当ての建物を見つけた。
どの国にも属さないが、各国に同じような仕組みで設けられている機関だ。
クレシアから治安が悪いと聞いていた地区に、その建物は鎮座している。
入口からは、騎士とは明らかに毛色の違う連中が絶えず出入りしていた。
恐らく、南地区の治安が悪く見えるのは、こういうのも一因なのだろうな。
扉を開けて中に入ると、思っていた通りの喧騒に迎えられた。
左手の壁には人だかりができている。
その前では何人もの男たちが、今にも喧嘩を始めそうな顔で「ああでもない、こうでもない」と話し合っていた。
そんな様子を横目に、俺は正面に並んでいる受付へと歩を進めた。
「どのようなご用件でしょうか?」
特段の待ち時間もなく、受付の女性に声をかけられる。
時刻は正午を回ったところで、寝過ごしたことが功を奏したようだ。
「えーっと、一番偉い人いる?」
女性の俺を見る目が変わった。
ほう。
受付の割には、なかなかの殺気を飛ばすじゃないか。
「失礼ですが、お約束はございますか?」
「ない。 エルムガンド帝国のレイグと伝えてくれ」
着崩した軍服の紋章を掴み、わざとらしく見せる。
女性はそれを睨みつけるように確認すると、どう対応するべきか逡巡しているようだった。
まぁ、いきなり来た奴に特別な対応なんてしたくないよね。
ましてやアルケインに帝国軍人がいるなんて、普通ではないし。
「少し……お待ちください」
「ああ。 悪いね」
なんとか最初の関門は突破できただろうか。
もう帝国の人間じゃないんだけどね。そのあたりは、あとで弁解すればいいかな。
やがて、カウンターの奥に消えていた女性が戻ってきた。
「お待たせしました。 二階の客室へどうぞ」
「ありがとう」
案内されるまま階段を上る。
一階の喧騒が少しずつ遠ざかり、二階に着く頃には周囲の声も随分と小さくなっていた。
女性が一番奥の扉を開けようとして、その手を止める。
「すみませんが、お身体を改めてもよろしいでしょうか?」
「ん? ああ、そうだね。どうぞ」
服の上から身体をなぞるように触られていく。
危険物を持ち込んでいないか、確認したいのだろう。
「ご協力、感謝いたします」
どうやら問題はなかったらしい。
ただ、こちらも一つ気になった。
「あんた、元は現場の人間か?」
一瞬だけ、女性の目が見開かれる。
だが、恐らくこれは演技だろう。
すぐに口元に薄い笑みを浮かべると、
「ただの受付ですよ」
「そうか。 変なことを聞いたな」
なかなかの狸だ。普通の経歴ではなさそうだな。
俺の悪い癖……というか、職業病か?
どちらにせよ、今日の用事とは関係ない。礼を言って、適当に切り上げる。
客室の中には、応接用らしい長椅子と机が置かれていた。
装飾は少ないが、剣呑な連中がたむろする一階とは違い、綺麗に整えられている。
先客はいない。
長椅子に腰を下ろすと、女性は一礼して部屋を出ていった。
さて。
帝国の名を語ってまで押しかけたんだ。
さすがに、世間話だけして帰るわけにはいかない。
しばらくすると、扉が開いた。
入ってきたのは、六十を超えたくらいの男だった。
白髪の混じった短髪に、服の上からでも分かるがっしりとした身体つき。
「ふん。 生きておったか」
俺を一瞥した男は、短く言い放つ。
「こっちのセリフだ。 老けたな、バラン」
バラン・ハーゲン。
帝国にいた頃からの古い知り合いだ。
俺の軽口に舌打ちしながら、向かいの長椅子へ腰を下ろす。
仕事が忙しいのか、大きく息を吐くと、そのまま脚を組んだ。
「それで、今日は何の用だ? アルケイン騎士団の登用官さんよ」
「え!? 知ってたの?」
驚かそうと思っていたのに、肩透かしを食らう。
なんだ、そうなのか。もう今日の用事の半分くらい終わったじゃん。
「仕事柄、そういう情報だけは早く入ってくるのだ」
「そうか。 もったいぶってから言いたかったのにな」
天井を見つめて、得ることのできなかった喜びを想像する。
この威厳のありそうな老人を、椅子からひっくり返したかったのに……。
人生、なかなか上手くいかないね。
「いつまで帝国の格好をしているんだ? 軽犯罪にならんのか」
「……なるだろうね。 内緒にしておいてくれよな」
わざとらしい笑顔を作り、親指を立てたのに、流される。
冷たい奴だなぁ。久しぶりの再会だっていうのに。
「おい。 用がないなら戻るぞ?」
バランが腰を上げようとしたところで、俺はようやく本題を切り出した。
組んでいた脚を戻し、その目を真っ直ぐ見つめる。
「バラン、頼みがある」
「嫌だ」
え? まだ何も言ってないじゃん。
しばらく見ないうちに老害になった?
いや、単純に考えるな。
それだけ今の仕事が理不尽で過酷なのかもしれない。
きっとそうだ。一人の労働者を疲弊させる構造に問題があるに違いない。
それでストレスに苛まれ、親愛なる俺の頼みすら聞けなくなっているのだろう。
くっそ、敵は労働社会という強大なものだったのか。
「働きすぎて、奥さんに逃げられたか?」
「……なんだって?」
こっわ。怖すぎるんですけどー。
六十を過ぎた爺さんの圧じゃないよね、これ。
「お前の頼みは昔から、ろくなもんじゃない。 なら聞く必要もない。 こっちは仕事も溜まっているんだ」
「そうか? みんなが笑顔になれるように動いているけど」
「そう言って、本当に笑顔になった奴がどれだけいるんだ?」
いや……。
いるだろう。たぶん。
少しくらいはさ。
頭の中に出てこないけど。
バランが深く椅子に腰を下ろす。
口では嫌だと言いながら、どうやら聞いてくれるらしい。
こういうところは昔から変わっていないな。
「――というわけなんだ」
一通り説明を終えると、バランは腕を組んだ。
「ううむ。 お前からの話だけで動くのは、しんどいな」
眉間には深い皺が刻まれている。
それだけで頭を抱えているのが伝わってくる。
まぁ、そうなるわな。
自分で話していて、都合が良すぎる話だと思うもん。
「レイグ……お前、金はどれくらいある?」
バランからようやく出てきた言葉は、意外なものだった。
ここまでの話に、金は関係ないはずだ。
ただ、こいつが無意味に持ち出す話題でもない。何か考えがあるのだろう。
隠しても仕方がないし、隠せるほど持っていないので正直に打ち明ける。
「まったくないな。 俺の手元にあるのは、僅かな生活費くらいだ」
バランが今度は天井を見上げた。
唸るように声を上げながら、あれやこれやと思案している。
やがて顔を元の位置に戻すと、俺を見据えた。
「こっちも慈善事業じゃない。 そして、儂はここの責任者だ。ここまではいいな?」
「ああ。 だからアンタを頼ったんだ」
胸のポケットから煙草を取り出し、バランは火を点ける。
深く吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出し、紫煙をくゆらせた。
次の言葉を待つように、俺は黙って煙の行方を見つめる。
「お前の見立てが外れた時、何を差し出す?」
「……ん?」
意味が分からず、聞き返す。
バランは煙草を指に挟んだまま、こちらを睨んでいた。
「儂に、規則を曲げろと言っているんだろう」
「まぁ、そうなるな。 だから、金を出せって話か?」
紫煙の向こうから、バランの鋭い目がこちらを射貫く。
伸びた灰を、灰皿の縁で軽く叩き落とした。
「お前の話を信用するにしても、担保がいる。 不測の事態が起きた場合、何人かには補償も必要になるだろう」
そういうことか。
ようやく話が見えてきた。
俺の我儘で、少なからず巻き込まれる人間が出てくる。
つまりバランは、『そこまで考えているのか? 口だけなら何とでも言えるぞ』と言いたいわけだ。
言葉だけで組織の規則を動かそうとしている俺に、お前自身も何かを賭けろと迫っている。
「ちなみに……そういうのって、どれくらいの額を見ておけばいいんだ?」
「そうだな……」
バランが煙を吐き出しながら考える。
やがて告げられた金額に、俺は黙った。
聞き間違いかと思って、もう一度頭の中で数える。
「値切れる?」
「ここは市場じゃない」
ですよねー。
しかし、これは困った金額だ。
厳格なバランが絞り出した落とし所だ。疑うようなものじゃない。
腕を組み、背もたれに身体を預ける。
アテは……ない。
うん、まったくない。
俺が背負わされた賠償金よりは少ないが、それでもかなりの額だ。
背伸びをしたところで、到底出せそうにない。
いや……待てよ。
「……あるわ」
「何がだ?」
バランが眉を上げる。
「金……になりそうなもの」
口にした瞬間、一つの建物が頭に浮かんだ。
あいつが俺のために譲ってくれた家。
寝る場所に困っていた俺に、好きに使えと渡してくれたものだ。
それを、勝手にこんなことへ使っていいのか。
さすがに良心が痛んだ。
あいつの厚意を踏みにじることになるんじゃないか。
ようやく手に入った、落ち着いて暮らせる場所でもある。
俺自身だって、手放したいわけじゃない。
でも――。
ここで引いたら、きっと後悔する。
そう思った瞬間、頭の奥で警鐘が鳴った。
これまで何度も聞いてきた警鐘だ。
人を見る。才能を見る。
そして、どうしても目を逸らせない何かを見つけた時、決まって俺の中で鳴り始める。
過去の記憶を辿りながら、何度も拳を握っては開いた。
家か。
それとも――。
しばらく逡巡しているうちに、散らばっていた思考が一つにまとまっていく。
「答えは出たか?」
「ああ」
惜しくないわけじゃない。
あいつへの申し訳なさだって消えていない。
それでも、最後に何へ賭けるのかだけは、昔から変わっていなかった。
バランが煙草の火を灰皿に押しつけ、消していく。
「話してみろ」
俺がずっと見てきたもの。
何度失敗しても、懲りずに探し続けてきたもの。
そして――大きく賭けるなら、俺は惚れ込んだものに賭けたい。
俺の話を聞き終えたバランは、しばらく黙っていた。
やがて呆れたように鼻を鳴らす。
「……お前らしいな」
そう言って、笑った。
帰ったら、あいつに手紙くらいは書かないとな。




