第2話① 隣国の騎士団長、クビにされた登用官をお迎え
店内の空気が一瞬で張り詰めた。
「……営業はまだなんだが」
店主が声を掛ける。
二十代半ばくらいだろうか。女性は一礼すると、静かな口調で答えた。
「承知しております。ですが、本日はこちらの方に用があって参りました」
その視線が俺に向けられる。
「……おれ?」
酔った頭で周囲を見回す。
どう考えても、この店で昼間から酒を飲んでいるのは俺しかいない。
「失礼いたします」
女性がゆっくりと歩み寄ってくる。
無駄のない足運びは、酔った頭でも見覚えがあった。騎士特有の歩き方だ。
俺の目の前まで来ると、胸に手を当てて名乗った。
「初めまして。私はアルケイン王国、騎士団長――エルナ・フォン・フェルディアと申します」
「……は?」
思わず聞き返す。
アルケイン王国? それで騎士団長?
なぜ隣国の騎士団長――そんな人物が帝都にある場末の酒場にいる。
店主も目を丸くしていた。
どうやら俺に用があるのは間違いないようだ。
「アルケイン王国の騎士団長が、こんなところに何の用だ?」
予想外の来訪者に、酔いは少しずつ醒めていた。
エルナと名乗った女性は店主へ軽く会釈すると、再び俺を見る。
「レイグ・ローウェル様で、お間違いありませんね」
「そう……だけど」
「本日は、あなたをお迎えに参りました」
頭がうまく回らない。迎えに来た?
意味が分からない。
「軍事裁判の件は、すべて承知しております」
その一言を聞いて、一気に酔いが引いていく。
「私は、先日の一戦における敗戦の責任は、あなたにはないと考えています」
いきなり、何を言い出すのか。
けれどそれは、裁判で俺が何度訴えても聞き入れられなかった言葉だった。
「…………」
事情を説明しても、責任逃れだと切り捨てられた。
それなのに、初対面の彼女はあっさりと言った。
俺に責任はない、と。
エルナは一枚の羊皮紙を取り出し、カウンターへ置いた。
そこには深紅の印が押されている。
王冠を戴く双頭の獅子。その周囲を髪の毛ほどに細い文字と幾重もの蔦模様が取り囲み、素人目にも容易に真似できる代物ではないと分かった。
「我が国の王印です。こちらは正式な書簡になります」
「これを……俺に?」
「はい」
エルナは微笑んだ。
先ほどまでの騎士らしい張り詰めた雰囲気が、ほんの少しだけ和らぐ。
「レイグ・ローウェル様。あなたをアルケイン王国にお迎えしたく、本日は招聘に参りました」
酒場が静まり返る。
強面の店主は口を開けたまま固まり、俺は目の前の書簡を見つめることしかできない。
ついさっきまで、人生は終わったと思っていた。
その俺の目の前に、今度は人生をひっくり返しかねない一通の書簡が置かれている。
「ここではなんですので、外に出ませんか?」
エルナから外で話すことを提案される。
店主も突然の来訪者に落ち着かないらしく、さっさと行ってくれと言わんばかりの顔をしていた。
酔いも醒めてきたことだし、俺自身、これ以上居座るのは気が引ける。
「……分かった。エルナさん、外に出よう。さあ、行きましょう」
酔ってさえいなければ、女性をエスコートするくらいはできる。
酒場の出口へ向かおうとした、その時だった。
「おい。勘定を忘れているぞ」
店主の一言が、俺を現実へと引き戻す。
どさくさに紛れて誤魔化すことはできなかったらしい。
俺は、もう着ることもないだろう帝国騎士団の軍服から財布を取り出した。
小銭はいくらか出てきた。だが、到底足りない。
……おかしい。
ギリギリ払えるくらいの金は持っていたはずなのだが。
裁判所へ向かう途中で落としたか、それとも酒を飲みすぎたか。
「よろしければ、ここは私がお支払いします」
エルナはそう言うと、銀貨を数枚カウンターへ置いた。
店主はそれを見て眉をひそめる。
「酒代にしちゃ、多すぎるな」
「営業前に無理をお願いしてしまいましたので。それに、レイグ様へ用件をお伝えできました。そのお礼も込めています」
エルナは銀貨を店主のほうへ押す。
「どうぞ、お受け取りください」
店主は肩をすくめ、小さく笑った。
「……分かった。次は営業中に来な。料理も酒も、とびきり旨いものを食わせてやる」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
二人のやり取りを隣で眺める。
何とも大人らしい、気持ちのいいやり取りだった。
……いや、違う。
なんだろう。俺だけ、社会から置いていかれている気がする。
「では、レイグ様。参りましょう」
エルナが俺の腕を取る。
そのまま細い腕がぴたりと絡みつき、ふわりと花のような香りが鼻をくすぐった。
見下ろせば、陽光を受けて輝く蒼髪と長い睫毛。
こんな女性が騎士団長だという現実を、俺はいまだ信じられずにいた。
……うん。
やっぱり何かの間違いだ。少し話せば誤解も解ける。
そう思いながら、俺は酒場を後にした。
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