第11話 登用官は再会する
アルケイン王国で自分の名前を呼ばれたことに驚き、振り返る。
そこにいたのは一人の男。日に焼けた肌に、高価そうな上着。
「お前は……」
「ノートンです! 昔、帝国兵団にいたノートンですよ!」
思い出した。
帝国兵団の補給部隊にいた奴だ。
剣も槍も人並み以下で、動きも鈍く、体力もなかったな。
ただ、珍しい特徴は持っていたが。
「この辺りで働いているのか?」
「各地を飛び回っていますけど、アルケインには割と来ますよ」
その受け答えから、ノートンが帝国兵から転身したことを思い出した。
「先輩が勧めてくれた商人の仕事が、自分には合っていましてね。今日はここに滞在する予定です」
なぜ帝国兵団に入れたのか不思議なくらい戦闘に向いていなかったから、補給部隊への配置転換を上に進言したな。
すると面白いように仕事をこなしていった。
俺との再会を懐かしむように、ノートンが笑みをこぼす。
「いやー、懐かしいな。先輩に言われなかったら、まだ帝国にいたのかな」
「元気そうだし、その様子だとうまくやっているんだな」
ノートンは照れくさそうに頭を掻いた。
「おかげさまで。今じゃ六台の荷馬車で商売しに来ていますから」
思っていた以上だ。装いにも上品さが漂っているし、かなり成功しているのだろう。
「先輩は何故ここに? 他国まで視察ですか。相変わらず行動範囲が広いですね」
「あーっと。今はアルケインの騎士団に雇われているんだ。帝国からは追い出されたんだよ」
それを聞いたノートンが、驚きの声を上げた。
「えぇ!? なんで!?」
「そんなに驚くことか?」
「驚きますよ!」
思わず声が大きくなったのか、ノートンは慌てて咳払いをした。
「現場からは慕われていたのに……」
「まあ、上からは嫌われていたからね……」
そんなやり取りを懐かしむように、ノートンが笑みをこぼす。
「そうだ! 今晩、空いてますか? 飲みに行きましょうよ」
ほう、さすがノートン。素晴らしい後輩力を備えている。
再会の場に酒は欠かせないからな。
この国で最初に酒を飲むなら、気心の知れた奴とがいい。
「いいな。軽く行くか……あっ」
「どうしました?」
持ち合わせを確かめようと上着に手を入れたところで思い出した。
金がなくて、エルナに借りたことを。
さすがに、その金で飲みに行ったりするのもな。
「大丈夫っすよ。今日は俺に出させてください」
焼けた肌に、口元から覗く白い歯が眩しく見えた。
お前――いつから、そんないい男になったんだよ。
「先輩の懐が寂しいのなんて、いつものことでしたからね。あの時だって――」
ぐぬぬ。古い間柄なんだから、お見通しですよといった感じだ。
「それに、今の仕事が順調なのも、元はと言えば先輩の助言じゃないですか。なかなかお礼を言う機会もなかったから……代わりに今日は奢らせてください」
じわっときた。なんて温かい後輩なんだ。
言われてみれば、俺が商人への転身を勧めなければ、今も補給部隊で人並みの稼ぎだったかもしれない。
うん。それなら遠慮なく奢らせてやるのもいいな。
よしよし、今一度マインドセットをし直したことで、気兼ねなく飲めそうだ。
「そしたら、お言葉に甘えさせてもらおう」
「了解です! じゃあ、残りの仕事を片付けてくるので、日が暮れたらまたここで」
軽く手を上げて、この場を去っていくノートン。
快活なその姿からは、帝国で馬鹿にされていた頃の面影は消え失せていた。
◇
「えぇっ! 賠償金ですか!」
「そうなんだよ! ひどいだろー?」
中央広場の近くにあった酒場で酒を煽っている。
うるさくはないが、ほどほどの賑やかさがあり、ちょうどいい酒場といった店だ。
いい感じにというか、かなり酒が回ってきたところで、ノートンに近況を伝えていた。
「先輩の言動は、奇天烈な時がありましたからね。そのあたりが敬遠されたんすかね」
「けっこー、頑張ってたつもりなんだけどなー」
積もる話が酒を進ませていくが、俺という人間は酒豪というわけではない。
頭がふらつきながら、小魚の揚げ物を口に入れた時、ノートンは表情を引き締めた。
「ずっと聞きたかったんですけど」
声色はどこか緊張を含んでいるようだった。
「どうして俺に商人を勧めたんですか?」
酒場には賑やかな声が飛び交う。その中で、お互いが過去を振り返るように視線を交わす。
「補給部隊に残したほうが、先輩の評価になりそうなのに」
グラスを掴むと、注がれたエールを揺らしながら、俺の返答を待っている。
話すか迷っていた俺は、正直に打ち明けることにした。
「補給をやっていた時、本当は苦しかっただろ?」
かなり昔のことだ。それでも、苦労して記憶を辿らずとも、すぐに理由を答えることができる。
周囲の目には生き生きと仕事をしているように映っていたが、その裏で苦悩していることを俺は知っていた。
「……そんな風に見えました?」
「あぁ。お前は……自分の行動と、その結果に対する答え合わせを厳密にやっていた。でも、大きな組織にいると他人の介入で結果が変わる。たとえ結果そのものは大きく変わらなくても、『なぜそうなったのか』が自分の中で腹落ちしないことにストレスを感じていただろう」
大きな組織での葛藤。
ノートンが、辻褄の合わないことに悩んでいたのを覚えている。
「それで商人に?」
「そうだ。きっとお前は、自分の判断と結果が直接結びつく環境のほうが合っていると思ったんだ。仕入れを間違えれば損をする。読みが当たれば儲かる。良くも悪くも、自分の判断の答えがそのまま返ってくる仕事がな」
俺はグラスに残ったエールを一口飲む。
「どこまで答え合わせをしても、誰からも文句を言われない。そういう環境がお前には合っていると思ったんだよ」
「……いやぁ、先輩には敵わないなぁ」
「そんなことない。決断したのはお前だし、俺は勧めただけで大したことじゃないよ」
気が付けば目の端に涙を溜めながら、ノートンは笑っている。
「商人になって大変な時もあったけど――」
そう言ってグラスを傾ける。
「先輩に言ってもらえたから、奮起できたんすよねぇ」
「買い被りすぎだろ。お前の努力の賜物だよ」
いい時間だ。かなり夜も更けてきたことだろう。
「何か……お礼をしたいですね」
おいおい。後輩から酒を奢ってもらえただけでも満足だよ。
むしろ申し訳ない気持ちが多少はある。
成功している後輩と、クビになってなんとか再雇用された先輩。
この構図には、さすがに思うところがあった。
「ありがとな。気持ちだけで十分だよ」
「そうだ! 先輩、アルケインで暮らすなら、家いりません?」
え……。
今、家って言ったか?
聞き間違いじゃないよな。
ノートンはそのまま続ける。
「しばらくは別の国で商売してくるんで、アルケインでの拠点は一旦、手放そうと思っていて」
ノートンは「うーん」と唸りながら頭を捻る。
「でも、あれか。騎士団にスカウトされたわけだから、立派な家が用意されていますよね?」
ああ。訳ありの家が用意されていたけど、手放してきたよ。
なんなら今日から絶賛野宿する予定だよ。
何も答えずテーブルに視線を落とす俺を見て、ノートンは驚きを隠せないでいる。
「え……もしかして。家……ないんですか?」
後輩からの哀れみの問いに、朝のやり取りを思い出して複雑な気持ちになる。
そうだ。酒を飲んで現実逃避していたけど、俺は可哀想な家なき子だった。
「だったら、なおさら俺の家を使ってくださいよ。大きくないけど、一人で住むには十分ですよ」
いいのだろうか。
だって、ノートンが買った家ってことだろ。
「いや、さすがに家はなぁ……」
気持ちはありがたい。
ものすごくありがたいのだが、酒を奢ってもらうのとは訳が違う。
そんな会話をしているうちに、酒場も閉まるようで、会計を済ませたノートンと一緒に店を出た。
中央広場まで二人で歩き始める。
「あの時、先輩は俺に荷馬車をくれたじゃないですか」
「あれと家じゃ、値段もだいぶ違うだろ」
「俺にとっては同じですよ」
即答される。
ノートンが商人になる時、貯えも少ないだろうと思い、俺が買って渡したものだ。
中古品だったが、売主は値下げを渋っていた。
それを、『帝国を出て、一から商売を始める若者が使うんだ』と売主に掛け合い、どうにか格安で譲ってもらった。
格安と言っても俺の給与では厳しいもので、無理を言って分割払いにもしてもらったな。
「今は荷馬車も増えましたけど、最初の一台は特別だったんすよ」
ノートンは記憶を辿りながら、当時の心境をぽつりぽつりと吐露していく。
「『商人になるんだろ? だったら馬車くらい持っとけ』。あの時の言葉をまんま返します」
一度そこで言葉を切ると、ノートンは俺を見る。
「アルケインの騎士団で登用官やるんですよね? だったら――住む場所くらい、ちゃんとしてないと」
商人として成功し、口まで達者になったな。
だんだんと断る理由がなくなっていく。
ここまで言われると、野宿をする理由なんて、もっとない。
「……本当にいいのか?」
「もちろん」
ノートンが笑う。
いつの間にか立派になったもんだ。
そして、懐から一本の鍵を取り出すと、俺の前に差し出した。
「あれ? お前は今日どこで寝るの?」
「実は……娼館にお気に入りの娘がいて……」
深く聞くのは野暮になりそうなので、やめておいた。
「じゃ、これ。東地区の三番街です。赤い屋根で、玄関の横に小さな木がある家ですから、すぐ分かりますよ。少し埃っぽいかもですが、適当に掃除してください」
しっかりと家の鍵を受け取った。
昔、俺がこいつに渡したのは一台の中古の荷馬車だった。
それが何年も経って、まさか家になって返ってくるとは。
人生、何がどう巡ってくるか分からないものだ。
「じゃあ……俺はそろそろ行きますね」
「ああ。またな」
後輩の背中を見送る。
すると十歩ほど進んだところで、ノートンが振り返った。
「おすすめの娼館、知りたくなったら言ってください!」
「早く行け!」
笑い声を上げながら、ノートンは夜の街へと消えていった。
その背中を見送った後、東地区へ向かって歩いていく。
クレシアの案内で、居住エリアだと聞いていた場所だ。
東地区に入ってから十分ほど歩いたところで、それらしき家が見えてきた。
二階建ての家だった。
大きくはないと言っていたが、一人で住むには十分広いし、二人くらいなら問題なく暮らせそうだった。
「あいつ……成功してんなぁ」
思わず呟いた。
俺なんて、今日から住む場所すら怪しかったのに。
鍵を差し込んで扉を開ける。
中は綺麗に片付いていた。もっと物が多いかと思ったが、そうでもなかった。
灯りをつけて奥へ進んでみると、リビングには小さな食卓が置かれている。
椅子を引いて座ろうとしたところで、ふと手が止まった。
「……ん?」
壁に何か掛かっている。
「車輪、か?」
古びた木製の車輪だった。
随分と使い込まれている。縁は擦れ、木にはいくつもの傷が走っていた。
「これ……」
俺がノートンに渡した、あの中古の荷馬車。
間違いない。
「まだ持っていたのかよ」
思わず笑ってしまった。
馬車そのものは、もう残っていないのだろう。
何年も商売で各地を渡り歩けば当然だ。
壊れて、修理して、それでも駄目になって。
最後に車輪だけ残した。
たぶん、そんなところだ。
よく見ると、何か文字が書いてあった。
傷に紛れて、近づかなければ気づかないほどのもの。
『この一台から、始める』
短い一文に、当時のあいつの決意が記されていた。
まったく……。
俺が忘れかけていたものを、あいつはずっと取っておいたみたいだ。
人生というのは、本当に分からないな。
「返しすぎだっての」
誰もいない部屋で呟く。
けれど、悪い気はしなかった。
少なくとも昔の俺は――。
一人の男の人生を、ほんの少しだけ良い方向へ押してやれたらしい。




