第9話 登用官の家は
翌日、団長室の扉が開けられる音で目が覚める。
重たい瞼をなんとか持ち上げようとして、自分を見下ろす人物と目が合う。
淡い紫色の髪は肩口まで伸び、片側だけを丁寧に編み込んでいる女性は、半眼のつり目でこちらを見ている。
先日もエルナへの連絡事項を伝える役をしていた、小柄な女性騎士だった。
「……おはようございます」
「んにゃ、おぱようさん」
「ちっ」
あれ? 今さ、露骨に舌打ちしたよね? 何に対して? ただ寝ていただけなのに理不尽だな。
働き詰めで寝ていただけなのに、勤勉な人間に向かってひどくね。
「団長室は寝る場所ではありませんよ」
なんだ。俺に対してじゃなくて、この場所で寝たことに異議があったのかー。
でも、この前から彼女の態度はなんか、とげとげしいんだよな。
まあ、俺もいい大人だし、こんなことで腹を立てたりしませんけどね。
「ああ、昨日はバタバタしていてね。これからは気をつける」
大人の余裕を見せ、反省と今後の改善する旨を伝えた。
どうだ。これなら不機嫌に接してきたほうが、幼稚に思えるだろ? ああん?
だけど、小柄な騎士は俺と視線を合わせることもなく、机と椅子を拭き始めた。
はい、登用官は見事な空気です。
すると、扉が開けられエルナが現れる。
「おはようございます」
挨拶とともに、颯爽と団長席に腰を降ろす姿は、昨晩の疲れを感じさせることはなかった。
うーん。俺との差が激しいな。こっちは椅子で寝たこともあって、腰が痛いのに。
「クレシア、今日もありがとう」
「いえ、私の仕事ですので」
先ほどとは打って変わる態度。名前はクレシアというのか。
エルナからの礼を受けて、照れながら前髪を触っている。
「エルナ様。今日のご予定は?」
「まずは、レイグさんに騎士団とそれに関連する状況を説明します。それにはクレシアも同席して。その後は――」
既に決めていたであろう予定をクレシアに伝える。
指示を受けた本人は礼儀正しくあいずちを打ちながら、時折、俺を横目で見ている。
その視線はあまり心地がいいものではなかった。
「レイグさんがよければ、このまま始めてもいいですか?」
机に置かれた書類から顔を上げて尋ねられる。
俺には差し当たっての予定はないので断る理由がない。
「ああ。始めよう」
エルナが団長席から移動して、俺が寝ていた長机があるスペースに三人で座る。
対面にはエルナとクレシアが隣り合わせ座る。一枚の書類が机に広げられ、説明が始まっていった。
「まず、アルケイン王国の騎士団についてです」
「規模は帝国に比べ、五分の一程度になります」
そもそも国の規模が違うから、このあたりには違和感がない。
「そして、今もっとも大きな問題が三つあります」
エルナは指を三本立てた。
「一つは、貴族や権力者による口利きでの騎士登用が蔓延しています。私が着任する前から、本来なら実力で選ぶべき騎士を、家柄や権力でねじ込まれることが少なくありません」
横に座るクレシアが口を開く。
「その結果、実力不足の騎士が増え、一部の騎士に負担が大きくなっていますね」
話していたクレシアはちらちらとエルナに視線を投げる。
ありがとう。とエルナはクレシアに応える仕草をする。
なんだろう。俺に補足してくれたというより、「エルナ様を私が支えます」とでも言いたげにクレシアは胸を張っている。
とにもかくにも、人材登用官を呼んだ理由は見えてきた。権力者の口利き自体は珍しくないが、現状を鑑みると、現場が疲弊する大きな要因ということか。
「もう一つは、魔物の活動です」
エルナは表情を引き締める。
「各地で魔物との戦闘が激しくなる兆候が見えています。強力な個体と活発な動きですね。しかし、騎士の増員を申請しても、財務大臣が首を縦に振りません」
「予算不足……か?」
疑問を拭いきれず、口にした。エルナは「分かっています」という風に、続けた。
「しかし、口利きの場合は採用がされます。彼らの税と寄付が王国の運営費になるからです」
見かけの頭数は増えるけど、騎士団としては弱体化していく。地獄みたいな捻じれが生まれているわけね。
「そして、最後は他国からの侵略です。今のところは全面戦争の兆しはありませんが、魔物の活発化が続き、何かが誘因となってしまえば、相当不利な防衛戦を強いられます」
ただでさえ多くない戦力が分散されるから、当然だな。
今は比較的安定しているが、陸続きの大陸においては先を考えると無視ができない問題であるのは確かで、課題は山積みだ。
ふぅーっと息を吐いたエルナが顔を上げ、時計を見る。
それに釣られ、時刻を確認すると説明の開始から一時間はゆうに超えようとしている。
「他にもお伝えしたいことはありますが、今日はここまでにしましょう」
「分かった。続きは今度、お願いするよ」
エルナは席を立ち、団長室を出ようとする。
そこで思い出したように、こちらに振り返えると、どこか申し訳なさそうに笑う。
「忘れていました。レイグさんのお部屋ですが、まだ準備が終わっていません。昨夜は寝づらい場所で失礼しました」
そうそう。その辺りも話したかったが重たい話が続いて、タイミングを失っていた。
部屋まで考えてもらえていたのは、ありがたい。
ありがたいのだが……クレシアからは鋭い視線が飛んでくる。
ここまでを見るに、理由はとっくに分かっている。
「夕方頃に、また声をかけます。お部屋は私の家に用意しましたので、帰りはご一緒しましょう」
え? なにそれ。絶対にダメなやつじゃん。しかも、近くにいる熱々の油に燃料を投下しないくれ。
なんなら、怖くてクレシアの顔を見ることができない。
これは、ツッコミ待ちか? きっとそうだよね。
「エルナ、好意はありが―――」
「ご自宅なんて駄目に決まっています!」
あー。やっぱり吹いてしまったよ。クレシア火山がさ。
小柄な肩をわなわなと振るわせ、拳を握りしめていた。




