第6話 収穫ゼロ
北辺の秋は短く、そして無慈悲だ。
朝夕の風が肌を刺すようになり、村の広場を囲む木々が葉を落とし始めた頃。ガーヴから借りた石壁際の試験畑に、一つの空の籠が置かれていた。
竹を編んだその籠は、収穫の喜びを満載するためのものだ。しかし今、籠の底には冷たい秋の風が吹き抜けているだけだった。
「さあ、見せてもらうわよ。あなたが特例の猶予まで勝ち取って守り抜いた、未知の作物の成果を」
腕を組み、冷徹な視線を畑に注いでいるのはセリカ・カルネだった。彼女の後ろには、測量用の縄を持った従者が無表情で控えている。
ユアンは鍬を握りしめたまま、足のすくむ思いで立っていた。
夏の間、周囲を圧倒するほど青々と茂っていたヤーゴ芋の葉も、今や秋の冷気にあてられて黄色く変色し、見る影もなくしおれている。植物としての生命活動を終えようとしているのだ。収穫の時期としては間違いない。
夏の終わりに密かに試し掘りをした時の、あの空っぽの土の感触が両手に蘇る。だが、あれから季節が一つ巡った。あの時はまだ地下へ養分を送る前だったのだと、ユアンは自分に言い聞かせていた。
「……やります」
ユアンは震える息を吐き出し、最初に植えた「開けた場所」の株へと鍬を下ろした。
ざくり。
冷たく固まった土が崩れる。ユアンは鍬を投げ捨て、這いつくばるようにして両手を土の中へ突っ込んだ。
前世で幾度となく行ってきた収穫作業。土の中にゴロゴロと眠る黄金色の塊を探す、あの手触り。
だが、彼の指先が捉えたのは、黒く湿った泥と、細く貧弱な根の集まりだけだった。
「……ない」
ユアンはさらに深く、広く土を掻き出した。爪の間から血が滲んでも構わず、一心不乱に掘り続けた。
しかし、何もない。一つとして、膨らみすら存在しなかった。
「次だ。次なら……!」
ユアンは立ち上がり、狂ったように二つ目の「湿った場所」の株へ向かった。夏の間、最も太く長い蔓を伸ばしていた株だ。
鍬を打ち込み、土を抉る。
結果は同じだった。
無惨に掘り返された黒い土の山と、力尽きた地下茎が虚しく空を向いているだけだ。
籠は、依然として空のままだった。
静寂が下りた。
周囲を取り囲んでいた数人の村人たち――少しでも食べられるものが出るのではないかと期待していた者たち――が、無言で踵を返し、一人、また一人と去っていく。彼らの背中からは「やはりな」という落胆と冷笑が発せられていた。兄のダンもまた、深くため息をついて背を向けた。
「……結果は明白ね」
セリカの声は、秋の風よりも冷たかった。
彼女は木板に挟んだ羊皮紙の帳簿を、ユアンの目の前に差し出した。
「記入しなさい。技術責任者であるあなたの手で、最終的な収量を」
ユアンの視界が歪んだ。
前世の種苗会社時代。どんなに天候が悪くても、どんなに病気が出ても、収量が「完全なゼロ」になることなどあり得なかった。生き物である以上、必ず何らかの形で子孫を残そうとする。それが農業というものだった。
だが、この北辺の土は、彼の持つ現代の農業常識を根底から否定した。ヤーゴ芋は、子孫を残すための塊茎を一つも作らなかった。
ユアンは震える手で木炭の欠片を受け取った。
『王国暦八八七年秋 収量』――その欄に、掠れた文字で「0」と書き込む。
後年、修道士テオが年代記『北辺農事記』の冒頭に記すことになる、「ただ一人の技術責任者の帳簿に記されたゼロ」という絶望が、まさにこの瞬間のことであった。
「確認したわ」
セリカは帳簿を引き抜き、冷ややかに宣告した。
「公費による免税試験は、本日をもって打ち切りとする。明日からこの区画は通常の課税対象に戻し、面積に応じた税を所有者のガーヴ殿に請求する。もちろん、実態のない作物のために村の労働力を割くことも一切認めない」
「待ってくれ!」
ユアンは泥だらけの手を伸ばした。
「俺の知識が間違っていた。だが、何か原因があるはずだ! 土質か、温度差か、肥料の成分か……もう一年、いや春まで時間をくれれば、原因を切り分けて……」
「原因? それが分かって、誰の腹が膨れるの?」
セリカの鋭い一瞥に、ユアンは言葉を詰まらせた。
「いいこと、ユアン。私はあなたの実験ごっこを支援しているわけじゃないの。カルネ州の民を飢えさせないための手段を探しているだけ。収穫ゼロという『結果』が出た以上、これ以上の公費投入は行政的背任よ。私たちには、意味のない失敗に寄り添っている余裕なんて一日もないの」
正論だった。情状酌量の余地など、どこにもない。
「……あそこに、まだ一株残っている」
ユアンは消え入りそうな声で、石壁の際を指差した。
そこには、三つ目に植えた株がある。毎日夕方からガーヴの黒布に覆われていたあの株だ。夏の間も他の二株ほど葉を茂らせることはなく、秋口には早々に葉を枯らし、今はしおれた残骸のように縮こまっている。
セリカはちらりとその株を見たが、すぐに鼻を鳴らした。
「あんな枯れかけの残骸から、奇跡でも起きると言うの? 一番勢いのあった二株がゼロだったのよ。見苦しい言い訳はやめなさい」
セリカは従者に合図を送った。
「あの石壁際の小株は、明日中に掘り返して処分しておくこと。枯れ草を放置しておけば、他の畑に病気を広げるかもしれないからね。明日の夕方、更地になっているか確認に来るわ」
それだけ言い残し、セリカは足早に去っていった。
残されたユアンは、掘り返された黒い土の前に膝をついた。
完全な敗北だった。
前世で培った「種芋の選別」や「対照区の記録」といった知識は、芽を出すところまでは通用しても、実らせることには何の役にも立たなかった。
自分が信じていた現代の農業技術が、この異世界の北辺では無力な紙切れにすぎないという事実。その重圧が、ユアンの肩にのしかかる。
日は落ち、冷たい夜風が試験畑を吹き抜けた。
ガーヴがいつものようにやってきて、無言のまま乾燥棚から黒布を下ろす。ばさっという音とともに、処分を宣告された最後の一株が、深い闇の中へと隠されていった。




