第5話 不味い芋
北辺の短い夏はあっという間に過ぎ去り、風に混じる冷気が日増しに鋭さを増す秋がやってきた。
トゥーリ村では、春の遅霜を生き延びたわずかな蕪や豆の収穫が始まっていた。しかし、村人たちの顔は一様に暗い。鍛冶屋の妻であるメヤが、収穫したての小ぶりな蕪を籠に入れながら、ひどい咳き込みを繰り返している。栄養不足と寒さが、村全体からじわじわと体力を奪い始めているのは明らかだった。
ガーヴから借りた試験畑でも、一つの収穫が行われていた。
ミラが泥だらけになりながら、鍬で灰芋の畝を掘り返している。
ごろん、と土の中から姿を現したのは、握り拳にも満たない小さな灰色の塊だった。ヤーゴ芋の巨大な葉に比べると、あまりにもささやかな収穫物である。
「よし、これくらいね」
ミラは額の汗を拭い、満足げに灰芋を籠へ集めた。
その日の昼、ミラは収穫したばかりの灰芋を塩茹でにして、試験畑の脇へ持ってきた。農作業の合間に、ユアンやガーヴ、そして様子を見にきていた村長のオルドも交えての小さな食事である。
「さあ、食べてみて。これが北辺の土が育てた味よ」
ミラに促され、ユアンは湯気を立てる灰芋を手に取った。
皮は分厚く、指で剥こうとしてもごわごわとしていてうまく剥けない。仕方なく皮ごと噛みちぎる。
「……っ」
思わず顔をしかめそうになるのを、ユアンは必死に堪えた。
不味い。
水っぽく、べちゃりとした食感。芋特有のホクホクとした甘みやデンプンの豊かさはまるでなく、代わりに土臭さと微かな渋みが口の中に広がる。分厚い皮がいつまでも口の中に残り、飲み込むのに苦労した。
(ひどい味だ……。おまけに一つの株から穫れる量も、大きめの石ころが数個分といったところか。前世の基準で言えば、完全に規格外の低収量品種。こんなものを商品としてカタログに載せたら、種苗会社は一発で信用を失う)
ユアンが内心で厳しい評価を下していると、横で灰芋を頬張っていた村長オルドが、深く息を吐いた。
「相変わらず、美味いもんじゃねえな。だが、この水っぽさと皮の厚さがいいんだ。これのおかげで、土の中で凍ることもなく、冬を越すための貯蔵にも耐えられる」
「村長、これではあまりにも効率が悪すぎます」
ユアンは手の中の灰芋を見つめながら、率直に言った。
「味が悪いだけじゃない。収量が低すぎる。この芋で二百人の村の胃袋を満たそうと思ったら、村中の土地を切り拓いても足りません。もっと反収――面積あたりの収穫量が多い作物を作らなければ、飢えの根本的な解決にはならないはずだ」
実務的な数字に基づいたユアンの正論。しかし、それに対してオルドは静かに首を横に振った。
「ユアン。お前の言う『効率』とやらを追い求めた人間が、過去にこの村にいなかったと思うか?」
「え……?」
「三十年ほど前だ。南の街から来た学者が、うんと穫れるという新しい麦を持ち込んだ。村の衆はこぞってそれに飛びつき、在来の麦やこの灰芋を捨てて、畑中をその新しい麦で埋め尽くした。結果はどうなったと思う?」
オルドの顔に、暗い影が落ちる。
「夏の長雨と冷え込みで、新しい麦は穂をつける前に全部腐っちまった。その年の冬、村の半分が餓死したよ。……昨年の冷害の時だってそうだ。他の作物がやられる中、うちの畑でこっそり育てていたこの不味い灰芋だけが土の中で生き残り、何日か分の命を繋いだんだ」
土地の記憶に刻まれた、重い事実だった。
だが、ユアンも引き下がるわけにはいかなかった。
「過去の失敗は分かります。でも、だからといって新しい作物を試すことを恐れていたら、いつかまた大きな気候の変動が来た時、今度こそ全滅します。俺のヤーゴ芋なら……」
「まだ言うの!」
突然、ミラが立ち上がり、ユアンを鋭く睨みつけた。
「あなたのそのヤーゴ芋、葉っぱが茂っているだけで、まだ一つも土から出てきていないじゃない! あなたはずっと数字や『効率』の話ばかりするけれど、数字じゃ今日のお腹は膨れないのよ! この不味い灰芋はね、少なくても、今日こうして私たちの命を繋いでくれているわ。土地の経験を馬鹿にしないで!」
ミラの怒りに満ちた言葉に、ユアンは返す言葉を見つけられなかった。
数日前、密かにヤーゴ芋の株元を掘り返し、土の中が空っぽだった事実を彼だけが知っている。反論できるだけの成果が、今のユアンには何一つないのだ。
「まあまあ、若いもん同士、飯の時くらい喧嘩すんな」
気まずい沈黙を破ったのは、ガーヴのしゃがれた声だった。
彼はゆっくりと立ち上がると、石壁の際にある木組みの乾燥棚へと歩いていった。
「すっかり日が短くなりやがった。もう夜露が降りてくる頃合いだ。農具が錆びちまう」
ガーヴはそう言いながら、乾燥棚の上に丸めてあった分厚い黒布を、よっこらしょと下へ引き下ろした。
ばさっ、という音とともに、黒布が棚全体を覆い隠す。
その瞬間、棚のすぐ脇――ユアンが三つ目のヤーゴ芋を植えた株が、すっぽりと黒布の影に飲み込まれた。
「あ……」
ユアンが声を漏らすと、ガーヴは布の端を石で押さえながら振り返った。
「ああ、すまねえなユアン。この場所は俺が毎日、夕方になるとこうして布を下ろすんだ。お前の芋の株も、夜明けまで布ん中に入っちまう。まあ、どうせこの石壁の際は日暮れが早えから、大して変わらねえだろうが」
「毎日……? 春に定植した時からずっとですか?」
「ああ。夕方から朝まで、この株だけは真っ暗な布ん中で眠ってもらってる。窮屈だろうが我慢してくれや」
ガーヴが何気なく言った言葉に、ユアンははっとして立ち上がり、黒布の隙間から顔を覗かせているヤーゴ芋の葉を凝視した。
開けた場所に植えたヤーゴ芋は、秋風の中でもまだ青々とした巨大な葉を茂らせ、蔓を伸ばし続けている。
だが、毎日夕方から黒布に覆われていたというこの株だけは、様子が違っていた。
(葉の色が……褪せている?)
ユアンは息を呑んだ。
黒布の下の株は、下の方の葉から徐々に黄色く変色し、端が縮れて枯れ始めていたのだ。茎の勢いも衰え、全体がしおれるように頭を垂れている。
植物が地上部の成長を止め、葉を枯らし始める理由。
それは病気か、あるいは――蓄えたすべての養分を、新しい命を残すための器官へ一気に送り込み始めた証拠だった。




