第4話 畑を踏むな、税は測る
絶望的な試し掘りから数日が過ぎた。
トゥーリ村を覆う空気は日増しに重くなっている。備蓄の豆や蕪を分け合って凌いではいるものの、身重のハンネなどは明らかに顔色が悪く、すれ違うたびに足元をふらつかせていた。飢えは確実に村人の体力を削り始めている。
そんな中、ユアンはガーヴから借りた石壁際の痩せ地に立ち尽くしていた。
残されたヤーゴ芋の株は、二つ。
一つ目は先日掘り起こし、土の中が空っぽであることを確認してしまった。あの巨大な緑の葉は、地下へ養分を送ることを放棄し、己の蔓を伸ばすことだけを目的としているように見えた。
(蔓ボケ……。いや、別の原因があるのか?)
残りの二株も同じように地下が空室である可能性は高い。しかし、掘り起こして完全に死を宣告する勇気は、今のユアンにはなかった。
不意に、ざくり、と土に硬いものが突き立てられる音がした。
ユアンが顔を上げると、ヤーゴ芋の巨大な葉のすぐ脇に、見慣れない若い女が立っていた。
質の良い濃紺の外套を羽織り、革の長靴を履いている。艶やかな亜麻色の髪を後ろで厳格に束ねた彼女は、手にした測量用の鉄杭を、ヤーゴ芋の畝の真横に打ち込んだところだった。杭には長い麻縄が結ばれ、彼女の背後に立つ従者がその端を握っている。
「ちょっと待て! 何をしている!」
ユアンは血相を変えて飛び出し、女の手から鉄杭を奪い取ろうとした。
「あぶな……! 急に飛び出してこないでちょうだい!」
「あんたこそ、畑の中で何を打ち込んでるんだ! 根を踏むな、そこはまだ生きているんだぞ!」
ユアンはヤーゴ芋の株元を庇うように立ち塞がった。女は不快げに眉をひそめ、持っていた木板の書類に目を落とした。
「ここがケルド家の次男が使っているという畑ね。私はセリカ・カルネ。カルネ辺境伯領の代官代理であり、農税監査官よ。税のための作付面積を測量しているの。邪魔立てするなら、公務執行妨害でしょっぴくわよ」
凛とした冷たい声だった。セリカというその女は、二十一という年齢に似合わない威圧感を放っていた。
「税の測量……? ちょっと待ってくれ。村の麦は全滅したんだぞ。税を払えるわけがないだろう」
「麦が全滅したことは知っているわ。でも、土地を利用して他の作物を植えている以上、その面積に応じた税は発生する。現物で払えないなら、将来の労働力か土地そのもので補填してもらうだけよ」
セリカの言葉に、ユアンは絶句した。
先日やってきたハルギス商会の借金取りだけでも致命的なのに、領主からの税まで容赦なく襲いかかってくるというのか。実るかどうかも分からない――いや、実らない可能性が高いヤーゴ芋の試験畑にまで課税されれば、場所を貸してくれたガーヴにまで税の負担が及んでしまう。
「理不尽すぎる。ここは俺が個人的に未知の作物を試しているだけの場所だ。実らないかもしれない畑に税をかけられたら、誰も新しい挑戦なんてできなくなる!」
「感情論は聞き入れないわ。例外を一つ作れば、誰もが『これも試験だ』と言い張って税を逃れようとする。全ては面積と規定という数字に基づいて公平に処理されるべきよ」
セリカはユアンの抗議を冷ややかに切り捨て、従者に縄を張るよう指示を出した。数字に合わない事情など、彼女の頭の中には存在しないかのようだった。
ユアンは奥歯を噛み締めた。
前世の記憶が、実務家としての本能を呼び覚ます。頭の固い役人や監査官を説得するのに、情熱や泣き落としは無意味だ。彼らを動かせるのは、彼らと同じ言語――すなわち「客観的な記録」だけである。
「待ってくれ。あんた、数字と帳簿が好きみたいだな」
ユアンは懐に手を入れ、手製の帳簿――木の皮を綴じた粗末な束を取り出した。
「これは遊びじゃない。試験だ。公的な試験に公費が免除される仕組みくらい、領主の規定にもあるはずだ」
ユアンは帳簿を開き、セリカの目の前に突きつけた。
「見ろ。定植日、各芋の重量、発芽までの日数、日々の葉の枚数、天候、そして隣の灰芋との比較データ。俺はただ闇雲に種を蒔いたんじゃない。失敗するならなぜ失敗したのか、原因を突き止めるために記録を録っている。これは村の、いや北辺の農業を救うための基礎データになる」
セリカは胡乱な目で木の皮の束を見た。泥で汚れ、文字は木炭で書かれた拙いものだ。
しかし、その中に並ぶ数字の羅列に目を落とした瞬間、彼女の瞳の色が変わった。
日付、気温の推移、株ごとの成長率。それらが一定の規則に従って整然と方眼状に整理されている。一介の小作農が書けるような代物ではない。
セリカは無意識に帳簿を受け取り、ページをめくった。
(……美しいわ。項目の抜けがなく、比較のための条件も揃っている。ただの言い逃れのために書かれたものではない)
数字や帳簿が整っていることに対して、セリカは抗いがたい心地よさを感じる性質だった。彼女は帳簿から顔を上げ、目の前の泥だらけの男を改めて見直した。単なる無学で強情な農民ではなく、狂気じみた情熱を数字に落とし込める「実務家」として認識を改めた。
「……確かに、一定の要件は満たしているようね」
セリカは帳簿をユアンに返し、小さく咳払いをした。
「あなたのその異常な執着に免じて、私の権限で特例を認めるわ。この一角を、一年間限定の『試験圃場』として認定し、本年度の課税を猶予する」
「本当か!」
「ただし」
喜ぶユアンを、セリカは鋭い声で制した。
「公的な試験圃場となった以上、いい加減な真似は許さない。その帳簿に虚偽がないか、私が定期的に監査を行うわ」
「監査? 勝手に見てくれればいいさ。俺の記録は正確だ」
ユアンが胸を張ると、セリカは不敵な笑みを浮かべた。
「ええ、徹底的に見させてもらうわ。成長記録をごまかさないよう、朝だけでなく、日暮れ時にも畑へ確認に来るから。覚悟しておきなさい」
そう言い残し、セリカは従者を引き連れて風のように去っていった。
ユアンは残されたヤーゴ芋の畑で、どっと押し寄せる疲労感にため息をついた。
税の免除は勝ち取ったが、ひどく厄介な監査官に目をつけられてしまった。実らない可能性が高いこの芋を、毎日あの冷徹な女の監視下で育てなければならないのだ。
日暮れ時の畑に吹き込む風が、また少し冷たさを増したように感じられた。




