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異世界で芋を植えたら、葉しか茂らなかった。~元・種芋屋の俺が三個の芋から飢えない北辺を作るまで~  作者: 他力本願寺


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第36話 成功だけを書け

王国暦八九七年の冬が近づく頃。


 トゥーリ村の教会の礼拝堂には、村を統べる顔ぶれと、カルネ城から派遣された新任の代官代理、および数人の役人たちが集まっていた。


 祭壇の前の机に広げられたのは、カルネ辺境伯の赤い印が押された真新しい命令書だった。


「実に見事な成果だ。大飢饉を乗り越え、さらには隣のファルサ村をも救った奇跡の作物」


 新任の代官代理は、満足げにふんぞり返りながら言った。


「辺境伯閣下は、この『ヤーゴ芋』の価値を高く評価しておられる。ついては、この芋の品質を維持するため、トゥーリ村にある原種をこれより『領主直轄財産』とし、城の管理下に置くこととする」


 その言葉に、ユアンは眉をひそめた。


 品質維持という名目はもっともらしいが、要するに技術と富の独占だ。かつてのハルギス商会がやろうとしたことを、今度は領主側が合法的に行おうとしているのだ。


「それに伴い」と、代官代理は傍らに控える修道士のテオを一瞥した。「北辺三州へこの芋を大々的に普及させるため、公式な記録を編纂する。だが、現在お前が書いている記録帳には、普及の妨げになる『不名誉な事実』が多すぎる」


「不名誉な事実、ですか」テオが静かに問い返す。


「そうだ。管理の甘さによる緑化芋の中毒事件。農民による種芋の盗難。過酷すぎる減配の生々しい描写。そして何より、十一名もの死者が出たという事実だ。これらは、素晴らしい成功譚に泥を塗る農政の失敗と捉えられかねない。よって、公文書からはこれらの汚点をすべて削り落とし、『輝かしい成功だけ』を書いた新たな年代記を提出せよ」


 礼拝堂の空気が、凍りついたように冷たくなった。


 ユアンは机に両手をつき、鋭い声で反発した。


「ふざけるな! その失敗の記録こそが、一番重要なんだ! 俺たちはその失敗があったからこそ、安全規則を作り、隔離採種を始めた。失敗を隠せば、必ずまたあのファルサ村のように、間違った知識で死ぬ人間が出るぞ!」


「そうだわ!」


 ミラも進み出て、代官代理を睨みつけた。


「一番大きくて見栄えのいい七番だけを残して、不味い灰芋や他の品種を記録から消す気でしょう!? 多様な品種を残さなければ、北辺の農業はすぐに全滅するわよ!」


 だが、代官代理は鼻で笑った。


「黙りなさい、ただの小作農と村娘が。領主の決定に逆らう気か? お前たちの個人的な思い入れなど、行政には不要なのだ」


「いいえ。行政の危機管理としても、あなたの提案は三流以下だわ」


 堂内の奥から、凛とした声が響いた。


 現れたのは、代官代理の職を解かれ、今は簡素な平服に身を包んだセリカだった。彼女の首元にはもう決裁印はないが、その手には、かつてよりもさらに分厚くなった革張りの帳簿が抱えられていた。


「セリカ……様」


 新任の代官代理が、元上司であり辺境伯の娘である彼女を見て、わずかに狼狽する。


「権力や財産を一つに集中させ、都合の悪い情報を隠蔽する。それは、短期的には美しく見えても、長期的には必ず腐敗と破滅を招くわ。……私が、この北辺の農業を永続させるための『制度案』を提出するわ」


 セリカは机の上に、自らが書き上げた真新しい羊皮紙の束を広げた。


「芋の原種を管理・普及させるための独立機関、『北辺採種院』の設立よ」


 セリカのペン先が、その統治構造の図をなぞる。


「この機関は、決して一人の人間や一つの権力で独占させない。意思決定は、立場の異なる四者の合議と『四者署名制』とするわ」


 一つ、品質と栽培の基準を定める『技術責任者』。


 一つ、予算と規則の遵守を監視する『会計監査者』。


 一つ、現場の農民の生活と在来種を守る『村代表』。


 そして、法的な裏付けと広域の流通を担保する『領主側承認者』。


「この四つの署名が揃わなければ、いかなる決定も下せない。互いが互いを牽制し、同時に支え合う仕組みよ。ハルギスのような独占販売権は一切認めず、原種は公的に保管する。そして一定の技術基準をクリアした農家だけを『認定農家』とし、そこへ増殖を委託する。種芋の価格には厳しい上限を設け、在庫量は常に村の広場で公開するわ」


 それは、ユアンの持つ前世の「技術基準」と、セリカが培ってきた「会計・法務」の知識が完璧に融合した、極めて強固な制度設計だった。


「さらに」


 セリカは代官代理を真っ直ぐに見据え、言葉に力を込めた。


「この採種院の最も重要な義務として、『事故と病害、および死者の記録』を永遠に保存・公開することを法的に定めるわ。成功だけを書いた記録など、ただの詩や童話よ。人間の命を守るのは、血の滲むような失敗の記録だけなの」


「で、出過ぎた真似を……!」


 代官代理が顔を真っ赤にして反論した。


「あなたは既に代官代理ではない、ただの私人だ! それに、そのような面倒な独立機関を立ち上げるための莫大な予算など、領主直轄でなければ一銭の公費も出せんぞ!」


「公費なら、いらないわ」


 セリカは平然と言い放った。


「南方の穀運商家との縁談が破談になったことで、私には使われなかった莫大な『持参金』が残されている。辺境伯家から私個人の名義として切り離されたその私財の半分を、この北辺採種院の設立基金として寄付するわ」


「なっ……! 正気ですか!?」


 代官代理が絶句した。ユアンも驚いてセリカを見た。


 自らの結婚の対価として用意されていた財産を、彼女は惜しげもなくこの北辺の泥臭い芋の制度に注ぎ込もうというのだ。


「私はいつだって正気で、そして計算通りよ」


 セリカは不敵に微笑んだ。


「一人の天才に頼る技術は、その人間が死ねば終わる。領主の気まぐれに依存する事業は、代が変われば潰れる。……でも、正しく組まれた『制度』は、私たちが死んだ後も、自動的に人間を救い続けるわ。それこそが、私の全財産を懸けるに値する最高の事業よ」


「……私も、セリカ様の案に賛同いたします」


 静かな声で同調したのは、テオだった。彼は自分の手元にある死者名簿を両手でしっかりと押さえた。


「十一名の死者は、ただの数字ではありません。彼らの痛みと喪失を消し去ることは、神への、そしてこの記録を読むであろう未来の人間への冒涜です。私は記録係として、絶対に彼らの名を削りません」


 ミラも進み出て、セリカの横に並んだ。


「在来種と多様性を守る枠組みがあるなら、私も村代表としてこの制度を支持するわ」


 ユアンは、三人の頼もしい横顔を見渡した。


 前世で彼が成し得なかったこと。技術を、社会の血肉となる「制度」へと昇華させること。それが今、この小さな北辺の礼拝堂で、仲間たちの手によって形になろうとしている。


「俺も、技術責任者として全責任を負う」


 ユアンは一歩踏み出し、代官代理に向かってはっきりと告げた。


「俺たちの答えは、この制度案だ。公費に頼らず、私財で基金を賄う以上、領主側がこれを否決する正当な理由は無いはずだ。承認の印をもらおうか」


 数日後。


 カルネ城から返送されてきた羊皮紙には、辺境伯の正式な承認印が押されていた。


 広場の教会の扉に掲示された『北辺採種院・設立趣意書』。


 その末尾には、特定の個人の手柄を示すような記述は一切なく、ただ四つの役職の署名欄が並んでいた。


 技術責任者、ユアン・ケルド。


 村代表、ミラ・オルド。


 領主側承認者、カルネ辺境伯代理。


 そして、会計監査者の欄には、セリカ・カルネの流麗な署名が、誰よりも誇らしげに記されていた。

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