第33話 十一人
凍てつくような冬が完全に去り、トゥーリ村に柔らかな春の陽光が降り注ぐ季節がやってきた。
教会の前の広場には、生き残った村人たちが集まっていた。彼らの頬は皆一様に痩せこけ、着ている服はボロボロだったが、その瞳には極限の飢餓を乗り越えた者特有の、静かで力強い光が宿っていた。
祭壇の前に置かれた机には、修道士のテオが分厚い羊皮紙の束を開いて座り、その横で、代官代理の職を解かれたセリカがインク壺の準備をしている。
春の人口調査であった。
「これより、名簿の確認を行う。名前を呼ばれた家長は、家族の無事を申告するように」
テオの静かな声が響き、点呼が始まった。
「ケルド家。ダン」
「おう。俺と、親父とお袋、それからユアン。全員無事だ」
ダンが力強く答える。
「オルド家。村長」
「私と、娘のミラ。二人とも変わりない」
次々と名前が呼ばれ、そのたびに「無事だ」「生きている」という返事が広場にこだまする。村が消滅を免れ、十九番のヤーゴ芋と灰芋によって確実に命が繋がれたという事実が、一つ一つの返事によって証明されていく。
しかし、その安堵の連鎖は、時折訪れる重い沈黙によって断ち切られた。
「……鍛冶屋の夫、返事を」
テオが顔を上げると、鍛冶屋の男が一歩前に出た。
「俺と、息子は無事だ。だが……妻のメヤは、冬の間に熱を出して、そのまま……」
男は言葉を詰まらせ、深くうつむいた。
テオは表情を変えず、手元の名簿の『メヤ』の名前に横線を引いた。
「ペル」
テオが呼んでも、誰も前に出ない。
荷車引きのペル。春先に「七十三日なんて無理だ」と嘆いていた彼は、足に負っていた生傷が冬の間に化膿し、薬も栄養も足りないまま息を引き取っていた。
「エダ」
「はい! 私と、子ども二人。ユアンのおかげで、全員生き延びました!」
エダが涙ぐみながら答える。ユアンは微かに頷き返したが、彼の胸の中には重い鉛が沈んでいた。
テオの点呼は続く。
「ハンネの夫。妻と赤子の様子は」
「……俺と子どもは無事です。でも、ハンネは……産後の肥立ちが悪く、そのまま……」
「ロッサ婆さんの家は、空っぽだよ。ひどい咳をしてたが、いつの間にか冷たくなってた」
「ヨルトの親父さん。息子のヨルトは」
「……あの馬鹿息子、十九番の収穫の時に無理して荷車を引きやがって。その時に倒れて荷車の下敷きになって……腹一杯芋を食わせる前に、逝っちまいやがった……!」
若い農作業員のヨルト。七十日目の収穫で誰よりも泥だらけになって働いた彼は、ついに満腹の歓喜を知ることなく、疲労と運搬事故の果てに命を落としていた。
羊皮紙に、黒いインクで次々と線が引かれていく。
ユアンはその一本一本の線が引かれるたびに、自分の体に直接ナイフを突き立てられるような痛みを感じていた。
やがて、二百一の名前すべての確認が終わった。
テオは羊皮紙の端に数字を書き込み、振り返ってユアンとセリカを見た。
「集計が終わりました」
テオは広場に向き直り、静まり返った村人たちへ向けて、その数字を告げた。
「現在のトゥーリ村の生存者、百九十名。……死者、十一名。ほかに、名簿外の新生児が一名です」
風が吹き抜け、広場は水を打ったように静まり返った。
村は全滅を免れた。それは確かに奇跡に近い成果だった。だが、失われた十一の命の具体的な重さが、生存の喜びを冷たい現実へと引き戻していた。
テオは死者名簿を読み上げた。
「高地畑のガーヴ。水車小屋のオラン。鍛冶屋の妻メヤ。若きヨルト。身重だったハンネ。老羊飼いのヴェク。未亡人のロッサ。荷車引きのペル。織工のドマ。小作農のネルス。薬草採りのアルラ」
一つ一つの名前が、村の生活の一部だった者たちの姿を蘇らせる。
「彼らの直接の死因は、肺炎、傷の悪化、出産時の衰弱など、それぞれ異なります」
テオは記録係として、事実だけを淡々と紡いだ。
「しかし、公式な記録として、私はこう書き残します。……彼ら全員の死の背後には、春からの極限の減配と寒冷があった。健康な状態であれば耐えられたはずの病や傷が、食料不足によって彼らの命を奪う致命傷となったのだと」
集会が終わり、村人たちがそれぞれ配給の十九番を受け取って散っていった後。
祭壇の机には、ユアンとセリカ、そしてテオだけが残されていた。
ユアンは机の上に置かれた『七十三日の配給計画書』と、十一人の名前が記された『死者名簿』を並べて見つめていた。
「俺の予測は、当たっていた」
ユアンはひび割れた声で呟いた。
「十九番は七十三日で、村を養うだけの収量に達した。技術的な計算は完璧だったんだ。……それなのに、十一人が死んだ」
「灰芋の予測が、四日分足りなかったからよ」
セリカが静かに言った。彼女の首元にはもう代官代理の印はないが、その目は以前と変わらず、数字の裏にある現実を冷徹に見据えていた。
「四日足りない分を埋めるために、健康な大人の配給を減らした。その結果、ヨルトたち労働力の体力が尽き、収穫が遅れ、寒さに対する抵抗力が削られた。技術予測が完璧でも、現実は四日のズレと人間の肉体の限界によって、十一名の犠牲を出したのよ」
「俺がもっと早く、収穫の工程を変更していれば。もっと効率よく畑を回せていれば、ヨルトは死なずに済んだかもしれない」
「いいえ、私の責任よ」
セリカはユアンの言葉を遮った。
「配給計画に署名し、減配を決定したのは私だわ。……四日分の不足を十二日に薄めれば、誰の体から先に削れていくか。私の計算が、あの十一人を殺したのよ」
互いに責任を被ろうとする二人の間に、テオが静かに割って入った。
「お二人とも、ご自分の責任だけを重く見積もりすぎるのは傲慢です」
テオの言葉に、ユアンとセリカは顔を上げた。
「ミラの灰芋予測が間違っていたわけでも、ユアンの技術が劣っていたわけでも、セリカ様……いや、セリカの配給計画が残酷だったわけでもありません。私たちは全員で、どうにか生き延びるために最善を尽くし、そして自然の猛威の前に十一人を失った。それだけです」
テオは、机の上の書類を丁寧にまとめ直した。
「予測が完璧に当たったという成功の記録だけを残してはいけません。私たちは、この十一名の死と、その原因となった減配の事実を、一つの完全な記録として保存しなければならないのです」
テオの言う通りだった。
前世の種苗会社で、異常の兆候に気づきながら出荷停止の判断を遅らせ、農家への被害を広げた経験がある。
成功の記録だけで終わらせてはならない。技術が人間を救うためには、完璧な予測の裏で人間がどれほど脆く命を落とすかという「失敗の記録」こそが、最も重要な財産となるのだ。
「……そうだな。テオの言う通りだ」
ユアンは深く頷き、十一名の名前が並ぶ羊皮紙に手を触れた。
「この死者名簿と、四日分足りなかった減配の記録は、絶対に隠さずに残す。……来年、再来年、いや何十年後かにまた同じような飢饉が来た時、この記録を見た人間が『四日の誤差が命を奪う』と知って、早めに手を打てるように」
セリカも黙って頷き、二つの書類を同じ革張りの表紙の中に綴じ込んだ。代官の職を失った彼女が、一人の村人として、北辺の未来を守るために残す最初の財産だった。
静まり返った礼拝堂の窓から、春の風が吹き込む。
テオが丁寧に綴じた死者名簿の羊皮紙。
ガーヴから始まり、アルラで終わる十一人の名前。
その一番下には、来年、そしてこれからの未来に続くための、真っ白な空白の欄が、ただ静かに残されていた。




