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異世界で芋を植えたら、葉しか茂らなかった。~元・種芋屋の俺が三個の芋から飢えない北辺を作るまで~  作者: 他力本願寺


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第31話 七十日目

トゥーリ村の中心から十九番が植えられた畑までの道のりが、これほど遠く、険しく感じられたことはなかった。


 灰芋の予測誤差を埋めるための減配が始まってから、十日近くが経過していた。子どもや妊婦、病人の椀の量は維持されたが、その分、ヨルトやダンといった健康な大人の椀は容赦なく削られた。通常の一・五キログラムから両手いっぱい分がごっそりと減り、腹を満たすどころか胃袋を通り過ぎるだけの薄い汁。


 その目に見える代償は、畑へ向かう彼らの足取りに明確に表れていた。


「……くそっ。足が、前に出ねえ」


 若く体力のあるはずのヨルトでさえ、鍬を杖代わりにして息を荒らげ、ぬかるんだ道をふらふらと歩いている。ダンの頬も痩せこけ、目の下には濃い隈が落ち窪んでいた。


 畑に到着しても、作業の速度は春先の半分以下に落ち込んでいた。


 鍬を振り上げる腕には力がなく、土を返す音は鈍く重い。病株や腐敗の兆候を見分ける作業も散漫になっていた。普段なら葉のわずかな変色を見逃さないミラでさえ、虚ろな目で畝の間をふらついている。


 ユアンはそれに気づいていたが、彼自身もまた強烈な飢えに思考をすり減らされ、厳しく注意する気力すら湧いてこなかった。


 減配とは、単なる数字の帳尻合わせではない。未来へ届くはずの「労働力」そのものを前借りして削り取る、命の前借りなのだ。その恐ろしさを、彼らは身をもって味わっていた。


 そして、ついに『七十日目』の朝を迎えた。


 ユアンが技術予測として署名した、十九番の試し掘りが可能になる日である。


 飢えきった村人たちが血走った目で見守る中、ユアンは最初の畝に鍬を入れた。乾いた土が崩れ、中から薄黄色の芋がいくつも転がり出る。


 歓声が上がった。だが、ユアンの表情は険しかった。


 芋は確かについている。しかし、どれも鳥の卵ほどの大きさしかなく、到底収量と呼べるレベルには達していなかった。数畝を掘り進めても、集まったのは籠の底が隠れる程度の量だ。


 二百人の村人を一日養うには、約三百キログラムの芋が必要となる。七十日目の収穫量では、一人一口ずつ行き渡るかどうかという絶望的な少なさだった。


「……足りない。これじゃ、明日も薄い汁だ」


 ダンが力なくその場に座り込んだ。


「焦るな。七十日目はあくまで試し掘りだ。芋は今日から一日ごとに急激に太っていく。七十三日目には、必ず必要量に達するはずだ」


 ユアンはひび割れた唇を舐めながら、自分に言い聞かせるように言った。


 七十一日目、七十二日目。


 ユアンの予測通り、土の中の十九番は一日ごとに明確に大きさを増し、収量は確実に上がっていった。


 しかし、ここにきて、ユアンの計算書にはなかった致命的な矛盾が村を襲った。


「駄目だ……もう、鍬が上がらねえ」


 畑の真ん中で、ヨルトがバタリと仰向けに倒れ込んだ。彼だけではない。減配の限界を迎えた大人たちが、次々と土の上にへたり込んでいく。


 土の中には、確実に大きくなった芋がある。あと一息掘り出せば、村を養えるだけの食料が手に入る。予測された「収量」はそこにあるのだ。


 だが、それを引きずり出すための「人間の作業量」が、決定的に尽き果てようとしていた。


 あと一歩で飯にありつけるというのに、その飯を掘り出す体力がなくて餓死する。そんな馬鹿げた、しかし絶対的な絶望がユアンを打ちのめしかけた。


(このままじゃ間に合わない。掘り出しが遅れれば、結局食料がショートして死人が出る)


 ユアンはふらつく頭で、前世の記憶を必死に手繰り寄せた。


 種苗会社で見た、大規模農場での収穫風景。効率化された工場のような動線。分業。


「……工程を変える!」


 ユアンは枯れ果てた声を振り絞り、倒れ込んでいる村人たちに指示を飛ばした。


「畑の中で、一つずつ土を落として芋を選別するな! 時間がかかりすぎる! 根元から茎ごと引っこ抜いて、土がついたまま荷車に放り込め!」


「土ごと……? そんなことしたら、荷車がすぐに一杯になっちまうぞ」


「構わない! ヨルト、ダン! お前ら力のある男は、とにかく株を抜いて荷車に乗せて、広場まで運ぶことだけに専念しろ。短い時間で交代して、息が上がったらすぐ休め!」


 ユアンはさらに、ミラとセリカに向き直った。


「選別は畑じゃなく、村の広場でやる! 子どもや年寄り、妊婦たちを集めろ。座ったまま土を落として、芋を籠に分ける作業なら、体力のない人間でもできる!」


 ユアンの抜本的な工程変更により、停滞していた収穫作業が再び動き始めた。


 男たちは余計な思考を捨て、ただ目の前の株を引っこ抜き、荷車に投げ込むという単純作業に特化した。彼らが広場に運んできた泥だらけの株の山を、今度は村に残っていた子どもや高齢者たちが取り囲む。


「はい、これ食べられるお芋。こっちは腐ってるからぽいっ」


 ニアが小さな手で泥を払いながら、的確に芋を仕分けていく。身重のハンネも、息を整えながら座って作業に加わった。


 畑で土と格闘する重労働と、広場での座り作業。動線の分離と分業化によって、村の残りわずかな労働力が、最後の一滴まで効率よく収穫へと変換されていく。


 そして、運命の『七十三日目』。


 夕暮れ時、教会の前の広場には、土を落とされた十九番の芋が次々と籠に満たされ、大秤の上に乗せられていた。


 セリカが帳簿を片手に、分銅の目盛りを睨みつける。


 百キロ、二百キロ。


 ヨルトたちが最後の荷車を引き入れて崩れ落ちる中、秤の腕がゆっくりと傾き、ピタリと止まった。


「……三百十キログラム」


 セリカの声が、夕闇の広場に響いた。


「一日の村の必要量に達したわ。今日の配給から、減配を解除。全員に通常量の椀を行き渡らせることができるわよ!」


 その宣言を聞いた瞬間、広場を包んでいた死のような沈黙が、爆発的な歓声と号泣に変わった。


 ダンが地面を叩いて男泣きし、エダが子どもたちを抱きしめる。ミラも泥だらけの手で顔を覆い、へたり込んだ。


 技術予測は、完璧に当たった。


 彼らは七十三日という極限の綱渡りを、二百一人の命を一つに繋ぎ合わせることで、ぎりぎりのところで渡り切ったのだ。


 ユアンは教会の壁に背を預け、ずるずると座り込んだ。体中の筋肉が悲鳴を上げ、視界が白く明滅している。だが、広場に漂い始めた、芋を煮る温かく甘い匂いが、彼に確かな生を実感させていた。


 だが、その匂いの中に、ヨルトの姿はなかった。


「ユアン! 来てくれ、ヨルトが……!」


 広場の隅から、ダンの引きつった声が上がった。


 ユアンが壁を伝って立ち上がり、よろめきながら駆けつけると、横倒しになった最後の荷車の下から、ヨルトの足が覗いていた。畑と広場を何十往復もし、それを引き入れた男だった。


「坂を登りきったところで、あいつが膝を折ったんだ」


 荷車の縁を持ち上げようとしながら、ダンが震える声で言った。


「いつものあいつなら、止められた重さだった。片手で押さえられた坂だったんだ」


 数人がかりで荷車をどけ、ヨルトを仰向けに寝かせる。胸が潰れ、呼吸のたびに嫌な音が鳴っていた。鍬を振るう男の腕とは思えないほど、その腕は骨と皮ばかりに細くなっている。


 ヨルトは十二日間、椀の底が透けるほど薄い汁だけで畑に立ち続けた。子どもと妊婦と、熱を出した者の椀を守るために、「健康な大人」として削られた側にいた男だ。


 ユアンは掘り出したばかりの十九番を一つ、ヨルトの手のひらに握らせた。


 温かく、確かな重さがあった。


「……食え、ヨルト。間に合ったんだ」


 ヨルトの唇がわずかに動き、笑うような形になった。


 だが、その手が芋を握り返すことは、二度となかった。


 三百十キログラム。数字は足りていた。足りていなかったのは、その数字が届くまでの十二日間、彼の体に残しておくべき四日分だった。


 しかし、飢餓という怪物は、そう簡単に彼らを逃がしてはくれなかった。


 その夜。久しぶりに腹を満たせるだけの温かい芋の汁が各戸に配られ、村中が安堵の眠りにつこうとしていた頃。


 水車小屋の方から、短い悲鳴が上がった。


 ユアンとミラが駆けつけると、薄暗い小屋の床で、老いた水車番のオランが仰向けに倒れていた。


 彼の傍らには、手付かずのまま冷たくなった芋の汁が入った木椀が転がっている。


「オラン爺さん!」


 ミラがすがりつき、胸に耳を当てる。だが、その薄い胸はすでに微かな上下動すら止めていた。


 春先から発熱と衰弱を繰り返し、誰よりも配給の再開を待ち望んでいたはずだった。しかし、十二日間の減配と寒さは、彼の老いた命の灯火を削り切るのに十分すぎたのだ。目の前に食料が届き、あと一口飲み込む力さえあれば生き延びられたというのに、その一口を飲み込む筋肉すら、飢餓は彼から奪い去っていた。


 十分な飯の匂いが漂う小屋の中で、飢えによる死が訪れたという残酷な矛盾。


 ユアンは握りしめた拳を震わせ、冷たくなったオランの顔を見下ろすことしかできなかった。


 翌朝、教会の暗い礼拝堂で、修道士のテオが分厚い記録帳を開いていた。


 彼はカンテラの灯りを頼りに、羽ペンに黒いインクをたっぷりと含ませる。


『王国暦八九五年、夏。十九番の収穫により、村は全滅を免れた』


 そこまで書いた後、テオは手を止め、一つ深呼吸をした。


 そして、新しいページを開き、一番上の行に静かにペンを下ろした。


『死者、二名。ヨルト、オラン』


 予測が当たり、食料が間に合ったという「成功」の記録だけでは、未来は守れない。飢えと寒さが確実に人間の命を奪ったという事実を、決して消してはならない。


 テオの記した二人の名前の下には、まだ真っ白な、不吉な空白が長く残されていた。

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