表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界で芋を植えたら、葉しか茂らなかった。~元・種芋屋の俺が三個の芋から飢えない北辺を作るまで~  作者: 他力本願寺


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/40

第23話 十年後では決裁できない

カルネ辺境伯の居城は、トゥーリ村から馬車で半日ほどの距離にある小高い丘の上に建っていた。


 分厚い石造りの壁に囲まれた城内の一室、床に毛足の長い絨毯が敷き詰められた重厚な執務室で、ユアンはひどい場違い感に苛まれながら立っていた。


 村を出る前に着てきた一番マシな服も、この部屋の豪華な調度品や、目の前にある巨大な黒檀の執務机の前に立てば、ただの泥臭いボロ切れにしか見えない。


「……つまり、その『高地採種』とやらを用いれば、芋の病気は防げると、そう言うのだな」


 机の向こう側で、カルネ辺境伯が重々しい声で尋ねた。


 セリカの父親でもある辺境伯は、顔立ちこそ娘の面影があるものの、その眼光は百戦錬磨の武将であり冷徹な為政者のそれだった。


「はい、閣下」


 ユアンは背筋を伸ばし、持参した木箱の中から、秋に高地で収穫した美しく健全なヤーゴ芋を一つ取り出して机の上に置いた。


「今回の試験では、高地で例の虫の飛来がほとんど確認されず、病徴も大きく減りました。この隔離された環境で原種を育て、そこから得られた健全な種芋を下の村の畑で増殖させる。このサイクルを確立すれば、退化による収量激減を抑え、数年後にはカルネ州全域を賄うほどの食料を生み出すことが可能です。どうか、この増殖計画の拡大と、村の畑を整備するための公費投入をお願いいたします」


 ユアンは熱を込めて語った。前世で何度も行ってきた、新品種のポテンシャルをプレゼンテーションする時のように。この技術がどれほど画期的で、どれほどの可能性を秘めているか。数字と増殖率の理屈を並べ立てた。


 だが、辺境伯の表情はピクリとも動かなかった。


「それで?」


「え……?」


「私が聞いているのは、夢物語ではない。行政の話だ」


 辺境伯は机の上のヤーゴ芋を一瞥すらせず、冷ややかに言葉を叩きつけた。


「その全域を賄う量に達するまでに、いくらの予算がかかる? 五年か、十年か? もしその間に新しい病気が出て全滅した場合、公費の損失と領民の餓死をどう補償する? どの時点でこの事業に見切りをつけるのか、その明確な中止基準はどこにある?」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問に、ユアンは言葉に詰まった。


「そ、それは……やってみなければ分からない部分もありまして……ですが、可能性は……」


「可能性に税金は出せん」


 辺境伯が吐き捨てるように言った、その時だった。


「閣下のおっしゃる通りですな。机上の空論にベットするには、少々リスクが高すぎます」


 執務室の壁際にある長椅子に深々と腰掛けていた男が、にやけ面で立ち上がった。穀物商ギルド代表のハルギス・ヴェインだった。御用商人として、領内の食料事情の意見を求められて同席していたのだ。


「農民の泥遊びに大事な公費を注ぎ込むくらいなら、我々ギルドにその予算を回していただきたい。南方の豊かな穀倉地帯から、安定して麦を輸入するルートを確立してみせましょう。得体の知れない芋を十年待つより、来月の確実な麦のほうが、領民の腹は膨れますぞ」


 ハルギスの商人的な合理性は、飢えと隣り合わせの北辺においては強烈な説得力を持っていた。辺境伯も顎を撫で、ハルギスの言葉に傾いているように見えた。


「ハルギスの言う通りだ。ユアンとやら、お前の熱意は認めよう。だが、費用対効果も撤退条件も示せない計画にハンコは押せん。この申請は却下する」


 辺境伯の決定的な宣告が下された。


 ユアンの視界が暗く沈んだ。技術者としての自負が、音を立てて崩れていく。どれだけ植物の理屈を解き明かそうと、社会を動かす「行政の理屈」を知らなければ、それは無価値なのだ。前世でもそうだった。優れた技術が、予算と計画書の不備で消えていくのを何度も見てきたではないか。


「お待ちください、辺境伯閣下」


 重苦しい沈黙を破ったのは、部屋の隅に控えていたセリカだった。


 彼女は代官代理としての制服に身を包み、分厚い革張りの帳簿を抱えて進み出た。父親である辺境伯の前であっても、その態度はあくまで一人の行政官として毅然としていた。


「彼が提出した計画は、技術の根幹部分にすぎません。行政的な要件を満たした正式な予算案は、こちらにございます」


 セリカは帳簿を開き、一枚の精緻な計画書を辺境伯の机の上に滑らせた。


 ユアンも横目で見下ろして驚愕した。そこには、ユアンが口頭で語ったぼんやりとした増殖計画が、完璧な数字の羅列に変換されて組み込まれていたのだ。


「これは、向こう三年間に限定した『段階投資案』です。一度に全額を投入するのではなく、一年ごとの収穫量目標を設定し、それを下回った場合は即座に資金援助を打ち切る『中止基準』を明確に設けています」


 セリカの通る声が、執務室に響く。


「さらに、この秋は高地採種による健全な種芋がすでに確保されており、村の畑で肥大中の食用芋と合わせれば、およそ二十四トンの収穫が見込まれます。これを春まで腐らせずに持たせるための、大規模な『貯蔵設備』の建設費も本予算に組み込んであります」


「貯蔵設備だと?」辺境伯が眉をひそめる。


「はい。一定の温度と換気、そして暗所を保つための専用の地下貯蔵穴です。いくら畑で増やしても、冬の間に腐らせてしまっては意味がありません。出口の管理まで含めて、初めてこの事業は完成します」


 それは、ユアンが頭の片隅で必要性を感じていながら、目の前の病気対策に追われて形にできていなかった部分だった。セリカはユアンの言葉の端々からそれを拾い上げ、見事な予算計画に仕立て上げていたのだ。


「……よく練られた数字だ。さすがは私の……いや、代官代理だな」


 辺境伯は計画書に目を落とし、感心したように唸った。だが、すぐに為政者の厳しい目に戻る。


「しかし、まだ足りん。ハルギスの麦輸入案に比べ、この芋の計画は不確実性が高すぎる。もしこの三年で病気が再発し、予算が焦げ付いた場合、誰が責任を取るのだ?」


「お言葉ですが、閣下」ハルギスが勝ち誇ったように口を挟む。「一介の小作農に、公費の損失を補う財産などあるはずがありません。やはりこの話は……」


「保証人なら、私がなります」


 セリカの言葉に、ハルギスの薄笑いが凍りつき、辺境伯の目が大きく見開かれた。


「セリカ、お前……自分が何を言っているのか分かっているのか。代官代理としての立場だけではない、お前の私財、すべてを懸けると言うのか」


「ええ、承知の上です」


 セリカは一歩も引かなかった。


「私は農税監査官として、彼の残した帳簿の数字を何年も見続けてきました。四千三百の失敗も、十一万への激減も、すべてごまかしのない事実です。失敗を隠さず記録できる技術者の出す数字には、私の私財を懸けるだけの信頼性があります」


 娘の揺るぎない覚悟を前に、辺境伯は深く息を吐いた。そして、不快げに顔をしかめているハルギスを一瞥した。


「……麦の輸入だけに依存すれば、商会に領の首根っこを握られることになる。独自の食料基盤を育てることも、領主の務めか」


 辺境伯は机の引き出しから決裁印を取り出し、セリカの提出した段階投資案の書類に、重々しく赤い印を押した。


「三年間の限定予算を通す。ただし、一年でも目標を下回れば即座に打ち切り、保証人には相応の責任を負ってもらう。……精進せよ、技術責任者」


 辺境伯が初めてユアンの目を見て、そう告げた。


「は、はい……! 必ず、結果を出します」


 ユアンは深く、深く頭を下げた。


 執務室を出て、重厚な扉が閉まった瞬間、ユアンはどっと壁に寄りかかって息を吐き出した。


 脇の下は冷や汗でびっしょりと濡れている。


「情けない顔ね。技術のことならあんなに堂々と語るくせに、少し威圧されただけで言葉に詰まるなんて」


 隣を歩くセリカが、帳簿を抱え直しながら呆れたように言った。


「……面目ない。俺の計画は、穴だらけだった」


 ユアンは素直に己の非を認めた。


「貯蔵穴の建設費に、撤退の基準。どれも俺が提示しなければならないものだった。お前のあの書類がなければ、長年の苦労がここで終わっていた。……助かったよ、セリカ」


「別に、あなたを助けたわけじゃないわ。私が助けたのは、あなたの出した『数字』よ」


 セリカはそっぽを向いたが、その足取りはどこか軽やかだった。


 城の長い廊下を歩きながら、ユアンはセリカの抱える革張りの帳簿を眩しいものを見るように見つめた。


 農業は、土を耕し、種を蒔くだけでは完成しない。


 土と向き合う技術。そして、その技術を社会に実装するための、予算と制度という防壁。その両輪が揃って初めて、人間の命を救う仕組みになるのだ。ユアンはその事実を、痛烈に理解していた。


 馬車へ向かう足取りの中、ユアンはふと、セリカが抱える帳簿からはみ出している決裁書類の一部を見た。


 辺境伯の赤い印の横。


 そこに設けられた『保証人』の欄には、迷いのない流麗な筆記体で、『セリカ・カルネ』という署名がくっきりと記されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ