第16話 三つだけ残す
吹きすさぶ秋風が、村はずれの新しい試験圃場を撫で抜けていく。
春に四千三百粒の真正種子から厳選され、等間隔に植え付けられた四百二十七の苗たち。厳しい北辺の夏を越え、その大半が黄色く枯れ上がっていた。
今日はいよいよ、待ちに待った収穫の日である。
畑の周囲には、ユアンの家族であるダンやロブをはじめ、多くの村人たちが詰めかけていた。春先に毒芋騒動があったとはいえ、やはり「新しい食料」への期待は、極限の飢えの前には勝てない。
防寒着を着込んだセリカが、木板の帳簿と墨を手にして立っている。
「さあ、始めなさいユアン。四百二十七株の答え合わせよ」
セリカの合図とともに、ユアンは一番の木札が刺さった畝に鍬を下ろした。
ざくり、と土がめくれる。
しかし、掘り返された黒い土の中に、芋の姿はなかった。
「……ない。次だ」
二番、三番、四番と、ユアンは無心で鍬を振るい続けた。
結果は残酷だった。あるものは蔓ばかりが伸びて地下が空っぽ。またあるものは、小指の先ほどの泥団子のような屑芋が数個ついているだけ。春の段階で「発芽が早く、葉が健康」という基準をクリアした精鋭たちであっても、実際に地下へ養分を溜め込む段階で、北辺の気候に適応できず脱落していくのだ。
「やっぱり駄目じゃねえか……」
村人たちから落胆の溜息が漏れ始める。
だが、七番の木札が立つ畝へ鍬を入れた瞬間、ユアンの手に確かな手応えが伝わった。
土が大きくひび割れ、ごろん、と巨大な塊が転がり出た。
「おおっ!」
ダンが思わず身を乗り出す。
それは、大人の拳よりも二回りほど大きい、薄黄色の立派な芋だった。一つだけではない。一つの株の根元から、同じように巨大な芋が五つも六つも鈴なりになって出てきたのだ。
「こいつはすげえ! ちょっと待ってろ、今すぐ焼いてみる!」
興奮したダンがそのうちの一個をひったくり、畑の隅で焚いていた焚き火の中へ放り込んだ。
しばらくして、焦げた皮を割り開くと、中からホクホクとした黄金色の果肉が顔を出した。甘く香ばしい匂いが周囲に漂う。
ダンが熱さに耐えながら一口かじりつき、目を見開いた。
「う、美味え……! なんだこれ、ミラの作ってる灰芋なんかと比べ物にならねえぞ! 口の中で溶けるみたいだ!」
一口ずつ分け与えられた村人たちも、次々と歓声を上げる。収量も多く、大粒で、何より味が良い。食用として完璧な素質を持っていた。
「記録したわ。七番、優良」
セリカのペンが滑らかに動く。
だが、当たりはそればかりではなかった。
続いて十九番の木札。この株は、他のどの株よりも早く花を咲かせ、一番最初に葉を枯らしていた。
掘り返してみると、七番のような巨大さはない。一口サイズの小粒の芋がコロコロと出てきた。
「小さいな。七番に比べると貧弱だぜ」とダンが言うが、ユアンの評価は違った。
「いや、こいつの真価は『早さ』だ。他のどの株よりも早く成長を終えて実をつけた。これなら、夏が短い年でも確実に収穫まで逃げ切れる」
そしてもう一つ、ユアンの目を引いたのが四十四番だった。
掘り出された芋は、数も少なく、形もいびつで皮がやたらと厚い。見た目からして不味そうだった。
「なんだよこれ、石ころみたいじゃねえか。捨てるか、豚の餌だな」
村人の一人が鼻で笑うが、ユアンはその厚い皮の芋を丁寧に拾い上げた。
「夏の間、一番虫が寄り付かず、葉に斑点も出なかった株だ。見た目は悪いが、過酷な環境を生き抜く強さを持っている」
夕刻になる頃、四百二十七株の収穫と選別がすべて終わった。
大半の株は使い物にならなかった。最終的に、来年のための「種用」としてユアンが選び出したのは、七番、十九番、四十四番の三系統に連なる、合計四十個の芋だけだった。
「おい、ユアン。四十個残すのはいいが、その小っこい十九番と、不格好な四十四番の種は捨てちまえよ」
ダンが、籠の中の種芋を指差して言った。
「せっかく一番デカくて美味い七番が見つかったんだ。来年はこの畑全部に、七番だけを植えようぜ。そうすりゃ、秋には村中が腹一杯美味い芋を食える」
「そうですとも!」他の村人たちも同調した。「あんな石ころみたいな芋に土を使うのはもったいない!」
誰もが、目の前の最も優れた「七番」という成果に熱狂していた。
だが、ユアンは四十個の芋が入った籠を両腕で抱え込み、首を横に振った。
「駄目だ。七番だけに絞ることはしない。この三つは、全部残す」
「なんでだよ! 効率が悪いだろうが!」
「七番は確かに大粒で美味い。だが、生育日数が長い分、もし秋の冷え込みが例年より早ければ、地下が太る前に全滅する危険がある。その時は、早く実をつける十九番が命綱になる」
ユアンは籠の中の厚い皮の芋――四十四番を見つめた。
「それに、まだ分からない病気や虫が流行った時、この三つのうちどれが生き残るかは分からない。……一番収量が高い一種類だけに頼るのは、農業において最も危険な賭けなんだ。だから、三つとも残す」
前世の種苗会社で、単一品種に依存した産地が新しい病気で壊滅するのを、ユアンは知っている。多様性こそが、不測の事態に対する唯一の盾なのだ。
「ほう。随分と欲張りな農民だ」
不意に、畑の入り口から滑らかな声が響いた。
振り返ると、豪奢な馬車から降り立った恰腹の良い男――穀物商ギルド代表のハルギス・ヴェインが、護衛を連れて立っていた。
「ハルギス……!」
村の麦の負債を握る男の登場に、村人たちの顔色が強張る。
ハルギスは、ユアンたちの足元で焚き火の灰にまみれている七番の皮を一瞥し、ニヤリと笑った。
「耳ざとい部下がおりましてね。カルネの代官代理殿が熱心に足を運ぶ畑で、何やら素晴らしい新種の作物が穫れたと。先ほど、少しばかり味見をさせてもらいましたが……なるほど、これは金になる」
ハルギスは懐から丸めた羊皮紙を取り出し、ユアンの前に突きつけた。
「単刀直入に言いましょう。その『七番』という大きな芋、我々商会が独占的に買い取らせていただく。もちろん、来年以降の増殖にかかる費用や肥料代はすべてこちらで持ちましょう。なんなら、村の麦の負債を少しばかり待って差し上げてもいい」
ハルギスの提案に、ダンや村人たちの目が色めき立った。
あの美味い芋を商会に高く売れば、借金が帳消しになり、麦を買う金ができるかもしれない。
「独占契約……」
ユアンは羊皮紙と、自分の腕の中にある四十個の種芋を交互に見た。
「悪いが、お断りだ」
「ほう?」
「これは村を養うための食料であって、あんたたちの商売道具じゃない。それに、俺は七番だけを育てる気はないと言ったはずだ」
ユアンが冷たく拒絶すると、ハルギスは肩をすくめ、羊皮紙を懐にしまった。
「ふふ、強情な男だ。まあ良いでしょう。どうせその程度の数では、商売の規模には満たない。ですが、いずれあなたのほうから我々に泣きついてくる日が来ますよ。……なにせ、それを村全体に広めるには、途方もない時間がかかるのですからね」
ハルギスは意味深な笑みを残し、馬車に乗って去っていった。
商人が去り、村人たちも解散した後。
残されたユアンとセリカは、夕闇の迫る畑で、籠の中の四十個の種芋を見つめていた。
四千三百からの、大いなる報酬。
しかし、セリカは木板の帳簿の上に羽ペンを滑らせ、冷徹な計算を始めていた。
「……ユアン。ハルギスの言う通りよ」
「何がだ」
「数よ。二百人の村人を一日養うには、およそ三百キロの芋が必要。でも、今ここにある四十個の種芋は、全部合わせてもせいぜい二キロかそこらよ」
セリカは帳簿から顔を上げ、暮れなずむ空の下でユアンを真っ直ぐに見据えた。
「病気や腐敗で失われる分を無視して、最も都合よく増殖率を計算したとしても……この四十個から、村全体に配れるだけの量を殖やすには、最低でも七年はかかるわ」
ユアンは絶句した。
奇跡の種を見つければ、すぐにでも村が救われると思っていた。
だが、発見することよりも、それを命をつなぐ量まで『殖やす』ことのほうが、はるかに厚く、高い壁となって二人の前に立ち塞がっていた。




