第11話 芋から生まれない芋
ガーヴの粗末な小屋の土間に、秋の陽射しが斜めに差し込んでいた。
木でできた古ぼけたテーブルの上に、ユアンは昨日、試験畑の枯れた蔓から拾い集めた青い実を並べた。さくらんぼほどの大きさのそれは、微かに青臭い匂いを放っている。
「なんだい、ユアン。芋が穫れなかったからって、今度はそんな酸っぱそうな木の実を食う気か?」
様子を見に来た兄のダンが、顔をしかめて言った。同席しているミラとガーヴも、怪訝な顔でテーブルの上の青い実を見つめている。
「食わない。これは果物じゃないんだ」
ユアンは腰の小刀を抜き、最も熟していそうな青い実を一つ、慎重に半分に切り裂いた。
中から現れたのは、透明なゼリー状の果肉と、そこに無数に散りばめられた胡麻粒よりも小さな種だった。
「種……?」ミラが目を丸くした。「芋から種が穫れるの?」
「ああ。普通、芋のような地下の塊で増える作物は、わざわざ花を咲かせて実をつける必要がないから、滅多に種を残さない。だが、北辺の環境が合わなくて蔓ボケを起こした株が、生存の危機を感じて無理やり花を咲かせたのかもしれない」
ユアンは小刀の先で、ゼリー状の果肉から小さな種をこそげ落とし、素焼きの皿の上へ移していった。
「これを蒔けば、またあの葉っぱばかり茂るヤーゴ芋が育つってわけか。無駄なこったな」とダンが吐き捨てるように言う。
しかし、ユアンは首を横に振った。
「いや、同じものは育たない」
「はあ? どういうことだ。ヤーゴ芋の種からヤーゴ芋が生えないなんてことがあるかよ」
「ヤーゴ芋は生える。だが、性質が親とは変わるんだ」
ユアンはダンやミラたちに分かるよう、言葉を選びながら説明を始めた。現代農学におけるクローン増殖と有性生殖の違いだ。
「俺たちが春に植えた『種芋』は、親の体の一部をそのまま切り離して土に埋めたものだ。だから、芽吹いた株は親と全く同じ性質を受け継ぐ。自分の分身を作るようなものだ。北辺の昼の長さでは実らないという性質も、そっくりそのまま引き継いでしまう」
ユアンは皿の上の極小の種を指差した。
「だが、花が咲いてできたこの種は違う。こいつらは親の性質をそのまま受け継ぐわけじゃない。人間と同じだ。親から生まれても、兄弟で顔も背の高さも、暑がりか寒がりかも違うだろう? それと同じように、この種から芽吹く芋は、一つ一つ全部違う性質を持って生まれてくるんだ」
ミラがはっと息を呑んだ。彼女は農家の娘として、種から育てる蕪や豆の性質が揃わないことを肌感覚で知っている。
「……つまり、この中には、北辺の長い昼の長さでも土の中に実をつける『変わり者』が混ざっているかもしれないってこと?」
「そういうことだ」
ユアンの言葉に、小屋の中がしんと静まり返った。
黒布を使わずとも、北辺の空の下でそのまま実るヤーゴ芋。もしそんなものを見つけ出すことができれば、村の全農地を覆う黒布も、天文学的な費用の魔法も必要ない。ただ畑に植えるだけで、飢えを凌ぐだけの食料が確保できる。
希望に満ちた空気が広がりかけたが、ユアン自身がそれに冷や水を浴びせた。
「だが、期待しすぎるな。こいつは途方もなく分が悪い賭けだ」
ユアンは小刀を置き、真っ直ぐにミラたちを見た。
「俺は、出来上がった種芋の良し悪しを見分けることはできる。だが、一から新しい性質の作物を作り出す専門家じゃない。人間で言えば、有能な職人を雇う面接官であって、職人を育てる親方じゃないんだ」
前世の彼の実務は、あくまで出来上がった品種を農家へ普及させることだった。育種家と呼ばれる一握りの天才たちのように、親株を交配させて狙った性質を引き出すような高度な技術や直感は持っていない。
「だから、俺にできるのは『数』に頼ることだけだ。この実の中にある種を片っ端から土に蒔いて、たまたま北辺の環境に合う奇跡のような一株が生まれるのを、ただ祈りながら待つしかない」
「随分と無責任な事業計画ね」
不意に、小屋の入り口から硬質な声が響いた。
いつの間にか、代官代理のセリカが立っていた。彼女は木板の帳簿を胸に抱え、冷ややかな視線をテーブルの上の皿に向けている。
「昨日、公費による支援は打ち切ったはずよ。こんな埃みたいな種の世話のために、村の労働力や予算を割くことは認めないわ」
「分かっている。これは俺個人の時間でやる」
「だとしても、権利関係ははっきりさせてもらうわよ」
セリカはテーブルに近づき、木炭の欠片を取り出した。
「もし万が一、その種の中から北辺で育つ奇跡の芋が見つかったとする。その時、その新しい芋は誰のものになるの? 土地を貸したガーヴ殿? 元の芋の代金を出したあなた? それとも、領主の財産? 公費を入れない個人の事業だと言うなら、利益が出たときの所有権や税の扱いを今のうちに明確にしておかないと、後で必ず村が揉めるわ」
セリカの指摘は、技術しか見ていないユアンにはすっぽりと抜け落ちていた視点だった。新しい作物が富を生まなくても悲劇だが、莫大な富を生んだ場合、それはそれで人間の欲を刺激し、血を見る争いの火種になる。
「所有権、か……。なら、この種から生まれたものの権利は、俺個人ではなく、この試験に関わった全員の共有財産ということに……」
「ちょっと待って」
ユアンの言葉を遮ったのは、ミラだった。彼女は険しい顔で、青い実の山を指差した。
「権利の前に、現実的な話をさせて。ユアン、その種を全部蒔くって言ったわね。この実一つに、どれくらいの種が入っているの?」
「……ざっと見て、百粒から二百粒といったところか」
「その実が、全部で数十個はあるわね。それを全部育てて、どれが当たりか外れか見極めるつもり?」
ミラの言葉に、ユアンは口を閉ざした。
「いい、ユアン。村の畑は、私たち農民が来年の冬を越すための豆や蕪を植えるためにあるの。何千本も生えてくるかも分からない雑草の世話のために、割ける土地も手間も水もないわ。あなたが個人でやると言っても、何千もの苗を一人で管理しきれるわけがないじゃない」
ミラの怒りを含んだ正論が、小屋の中に重くのしかかる。
所有権という未来の皮算用の前に、労働負担という今日の現実が立ちはだかっているのだ。
「……だから、選抜するんだ」
ユアンは静かに、しかし断固たる声で言った。
「全部を大きな畑で育てるわけじゃない。最初は箱に土を入れた小さな発芽床で芽を出させる。その時点で、芽を出すのが遅い奴、葉の色がおかしい奴は全部捨てる。少しでも弱さを見せた株は、畑に移す前に根こそぎ引き抜く。北辺の環境に耐えられる、本当に強くて見込みのある奴だけを畑に定植して、労働力を最小限に抑える」
それは、種苗会社で嫌というほど見てきた、効率的で残酷な選抜のプロセスだった。
ミラはユアンの冷徹な言葉に、少しだけ顔をしかめたが、それ以上は反論しなかった。
ユアンは残りの青い実を引き寄せ、小刀で一つ一つ丁寧に切り開き始めた。
ゼリー状の果肉から取り出された極小の種子が、素焼きの皿の上に少しずつ、しかし確実に山を作っていく。
セリカが帳簿を開き、ユアンが数え上げる数字を冷徹に記録していく。
ミラとガーヴ、そしてダンは、ただ無言でその果てしない作業を見守っていた。
「四千二百九十八、四千二百九十九……四千三百」
最後の一粒を皿に落とし、ユアンは泥と果汁で汚れた手を拭った。
テーブルの上には、胡麻粒よりも小さな真正種子が、皿一面にびっしりと広がり、鈍い光を放っている。
この四千三百粒のほとんどは、北辺の冷たい土の中で死に絶えるか、実を結ばずに捨てられる運命にある。
だが、この途方もない数の暴力の中にしか、北辺を救う答えは隠されていないのだ。
四千三百の絶望的な失敗を前提とした、残酷な選抜が幕を開けようとしていた。




