怒りが凍らせたもの
「……っ」
最初に異変に気づいた騎士が、息を呑んだ。
先ほどまでとは比べものにならない。
白い息が、はっきりと目に見えるほどになっていた。
「な、なんだ……?」
――パキッ。
小さな音が、広間に響いた。
「……今の、何だ?」
誰かが呟く。
一瞬、静寂が落ちた。
けれど――。
――パキ、パキッ。
今度は、一つではなかった。
床のあちこちから、乾いた音が立て続けに響く。
「……何の音だ?」
騎士の一人が足元へ視線を落とす。
すると。
石造りの床に、白い霜が浮かび始めていた。
「……氷?」
誰かが呟いた。
その声を合図にするように。
――パキ……パキパキッ。
白い霜が、まるで何かに押し広げられるように床を這っていく。
霜は床だけに留まらなかった。
「なんだ、この寒さ……」
柱へ。
壁へ。
そして、周囲に置かれていた金属製の器具へ。
白い霜が次々と広がっていく。
「……嘘だろ」
「凍ってる……?」
室内の空気が、急激に冷え込んでいく。
「魔法……?」
魔法士の一人が周囲を見回した。
だが、その声が終わるより早く。
――パキッ。
また音がした。
今度は先ほどよりも大きい。
床に薄く張った氷が、まるで生き物のように広がっていく。
じわじわと。
確実に。
その中心にいるのは――もう1人の異世界人だった。
「な、なんなんだこれは!?」
騎士たちが慌てて後退する。
「魔法……なのか!?」
「誰が発動させた!?」
「術式を探せ!」
「無理です! 術式が見当たりません!」
魔法士たちも次々と騒ぎ始めた。
通常、魔法を発動するには魔力を操作し、何らかの術式を組み上げる。
炎なら炎。
水なら水。
それぞれの属性に応じた魔力の流れがある。
だが。
「こんな魔法、見たことがない……!」
「術者はどこだ!?」
「だから、分からないんです!」
魔法士たちの視線が、広間を駆け巡る。
――そして。
一人の魔法士が、ゆっくりと顔を上げた。
「……まさか」
視線の先。
そこには――。
「……っ」
自分の手を見つめているもう1人の異世界人がいた。
指先から、白い冷気が立ち上っている。
「…………何、これ」
彼女自身も、何が起きているのか分からなかった。
指先が震える。
寒い。
そう思った。
――けれど。
身体の内側は、むしろ熱かった。
胸の奥が燃えているようだった。
頭まで熱くなっている。
なのに。
自分の周りだけが、異様なほど冷たい。
「私……何かした?」
問いかけても、答える者はいない。
誰も近づこうとはしなかった。
近づけなかった。
彼女を中心に、冷気がどんどん広がっている。
床だけではない。
柱が白く染まる。
壁に霜が走る。
空気までもが凍りついていく。
「止めろ!」
魔法士の一人が叫んだ。
「炎魔法を使える者は前へ!」
「はい!」
数人の魔法士が前へ出る。
杖を構え、炎を生み出す。
赤い炎が一斉に燃え上がった。
「凍結を解除しろ!」
炎が氷へ向かって放たれる。
――ジュッ。
氷の表面から白い蒸気が立ち上った。
「効いている!」
騎士の一人が叫ぶ。
だが。
「……なに?」
溶けたはずの氷が。
瞬く間に、再び凍り始めた。
パキパキパキッ――。
「嘘だろ……」
「もっと火力を!」
「やっています!」
炎が強くなる。
広間の温度が一瞬だけ上がった。
――けれど。
それすらも、彼女から溢れ出す冷気に飲み込まれていく。
「そんな……」
「炎が……押し負けてる?」
魔法士たちの顔から血の気が引いていく。
その間にも。
氷は広がり続けていた。
「う、うわぁぁぁあ!!」
突然、一人の騎士が叫び声を上げた。
「足が!」
見ると、騎士の靴の周囲が白く染まっている。
「凍ってる!」
「誰か助けろ!」
別の騎士が駆け寄ろうとする。
しかし、その騎士の足元にも氷が伸びてきた。
「こっちもだ!」
「動けない!」
「逃げろ!」
「どこへ逃げるんだ!?」
広間は一瞬にして混乱に包まれた。
誰かが叫ぶ。
誰かが魔法を放つ。
誰かが逃げようとする。
けれど、逃げるよりも早く氷が足元を覆っていく。
彼女は、その光景をぼんやりと見ていた。
「…………」
怖い。
そう思うはずだった。
なのに。
今は、何も考えられない。
ただ。
胸の奥にある怒りだけが、膨らんでいく。
勝手に呼ばれて。
何も説明されなくて。
帰れるかどうかすら分からなくて。
それなのに。
年増だと笑われた。
挙句にそのまま放置。
「……ふっ」
小さく、笑いが漏れた。
「……ふふ」
自分でも、どうして笑ったのか分からない。
もう。どうでもよかった。
「……もういいや」
彼女は俯いた。
「……どうにでもなっちゃえ……」
その瞬間。
――ゴォォォォッ!!
凄まじい冷気が、彼女を中心に一気に噴き出した。
「な――」
誰かが声を上げる。
だが、その声さえ途中で途切れた。
床が。
壁が。
柱が。
天井までもが。
一瞬で白く染まっていく。
「うわぁぁぁぁ!!」
「逃げろ!!」
「無理だ! 足が――!」
「誰か、止めろ!!」
叫び声が響き渡る。
しかし。
その声も次第に小さくなっていった。
足元を覆っていた氷が、膝へ。
膝から腰へ。
腰から胸へ。
そして――。
「た、助け――」
伸ばされた手までもが、白い氷に包まれる。
魔法士たちも。
騎士たちも。
広間にいた誰もが、逃げることすらできなくなっていく。
最後に。
――パキン。
静かな音が響いた。
広間にいた人々は、まるで時を止められたかのように、氷の中で動きを失っていた。
先ほどまで人の声で満ちていた広間は、今や息をする音すら聞こえない。
床も。
壁も。
柱も。
すべてが白い氷に覆われた、巨大な氷の世界へと変わっていた。
そしてその中心で。
彼女だけが、何が起きたのか理解できないまま立ち尽くしていた。
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