二百万の命と、冷たい刃
血の匂いが、土と鉄の匂いを上書きしていく。
肩口から噴き出す熱い血液が、少女の意識を急速に白く染め上げていた。
『――マスター。バイタルサイン低下。失血によるショック死まで、残り40秒』
「……五月蝿い」
少女は、のしかかろうとする機械獣の顎を泥だらけの靴底で必死に押さえつけながら、視界に広がる青いウィンドウを睨みつけた。
残高、約二百万円。
せっかく手に入れた、普通の生活のための資金。だが、ここで死ねば全てが終わる。
「……弾切れしない武器。それと、この体を……動かせるやつ」
『了解しました。残高二百万円を全額消費――旧世代軍事規格、第4世代医療用ナノマシン、及び『高周波振動刀』を転送します』
瞬間、少女の首筋に冷たい何かが打ち込まれる感覚が走った。
ナノマシンだ。それは血管を逆流し、千切れた筋肉や血管を「強制的に」縫い合わせ、痛覚神経を電気信号で遮断していく。
温かい治療ではない。体を内側から冷たい機械に作り変えられるような、おぞましい感覚。だが、痛みは完全に消え去った。
そして、彼女の右手に、黒い鞘に収められた一本の直刀が実体化する。
「……」
少女は立ち上がった。
先程までの怯えも、絶望もない。感情の波はナノマシンによって強制的に凪の底へと沈められ、瞳にはただ氷のような冷酷さだけが宿っていた。
獲物が立ち上がったことに激昂し、機械獣が再び喉笛を目掛けて跳躍する。
少女は、刃を抜いた。
――キィィィィィンッ。
耳障りな、しかし酷く澄んだ超高音の共鳴音が空間を支配する。
刀身が目に見えない速度で振動し、触れるもの全ての分子結合を断ち切る「旧世界の刃」だ。
少女は叫ばない。大振りもしない。
ただ、最短距離で、最も効率よく、迫り来る獣の鼻先から胴体にかけて、斜めに一本の線を引いただけだった。
「……邪魔だ」
手応えすら、なかった。
機械獣の巨体は、空中でまるで熱したナイフでバターを切るように、音もなく二つにズレて滑り落ちた。
どしゃあ、と黒いオイルと部品を撒き散らしながら、獣の残骸が地面に転がる。
それを見下ろす少女の顔には、勝利の歓喜も、生き残った安堵もない。
ただ、「ゴミを片付けた」という事実だけがあった。
「……こっちの方が、確実だ。弾切れの心配もいらない」
血振りをするように軽く刃を振ると、付着していたオイルが振動で完全に弾け飛んだ。少女は静かに刀を鞘に収める。
『マスター。見事な剣術……いえ、処理能力です。ですが、誤解のないように申し上げておきます。現代兵器において弾切れは「終わり」ではありません。弾倉という概念を学習してください』
「……弾倉。要するに、空っぽになったら中身だけを買って、詰め直せばまた撃てるってことか」
『はい。弾丸という消耗品を対価に、圧倒的な火力を出力する。それが旧世界の銃です』
「……金のかかる道具だ」
少女は小さくため息をつき、獣の残骸から換金できそうなレアメタル基板を無造作に引き抜いた。二百万を失ったのだ。せめて少しでも回収しなければならない。
『それにしても、先ほどのナノマシンの適応率、驚異的でした。あなたの細胞は、旧世界のテクノロジーと非常に相性が――』
「……もういい。帰る」
体を機械で治せば治すほど、自分の中の「人間(普通)」が欠落していくような嫌な予感が、彼女の心を冷たく撫でていた。
――その時だった。
瓦礫の影から、カサリ、と小さな足音が鳴った。
少女は瞬時に殺気を放ち、鞘の鯉口を切る。
「……誰だ。そこか」
そこに立っていたのは、スラムの住人には珍しく、小綺麗な(とはいえ油汚れにまみれた)ツナギを着た、自分と同じくらいの年齢の少女だった。
その少女は、怯えるどころか目をキラキラと輝かせ、サクラが今まさに拾い上げたばかりの「部品」と、腰の「刀」を凝視していた。
「ねえ、今の……! それ、旧世界の『直列基板』じゃない!? ていうか、その刀の駆動音、どういう動力源になってるの!?」
「……は?」
名もなき少女と、スラムの天才メカニック・シエル。
二人の運命が交差した瞬間だった。




