硝煙と命の値段
巨大な刃が振り下ろされる。
少女の脳内で、世界がひどくゆっくりと動いているように見えた。極度の恐怖と生存本能が、体感時間を引き伸ばしているのだ。
『マスター。ショップ・インターフェースを解放します。……あなたの命に、値段をつけてください』
視界に展開された半透明の青いウィンドウ。そこに並ぶのは、新世界のガラクタとは次元が違う、無機質で洗練された「兵器」のカタログだった。
所持金、29万9500円。
少女は、迷わなかった。せっかく手に入れた温かい飯の記憶を、こんなゴミ溜めの底で終わらせるわけにはいかない。
「……一番安くて、確実にこいつを殺せるやつをよこせ!」
『了解。残高28万円を消費――旧世代軍事規格、近接防衛用・自動拳銃を転送します』
瞬間、少女の手首のデバイスが熱を放ち、空中の光の粒子が実体を持って収束していく。
泥だらけの小さな手に収まったのは、手のひらに隠れるほど小型で、黒く四角い無骨な鉄と強化プラスチックの塊――**『Glock 26 Gen4』**だった。
『装弾数10発、9×19ミリ・パラベラム弾。安全装置は解除済み。指をかけて、引くだけです』
重い。見た目の小ささに反して、ずっしりとした冷たい鉄の質量が手の中にある。
少女は震える両手でその黒い塊を握り締め、迫り来る怪物の赤い複眼に向けて、重い引き金を力任せに引いた。
――ダァンッ!!
新世界のジャンク銃が立てる「パンッ」という気の抜けた音ではない。
狭い地下空間の空気を叩き割り、内臓を揺さぶるような爆音。
それと同時に、少女の腕に予想を絶する暴力的な衝撃が走った。
「がっ……!?」
小型で軽い銃身から放たれた爆発のエネルギーは、逃げ場を失って少女の手首を強烈に跳ね上げた。肩の関節が外れそうになり、骨の髄まで痺れるような振動が駆け抜ける。
素人の細腕では、銃を取り落としていたかもしれない。だが、生存本能が彼女の指をグリップに縫い付けていた。
放たれた音速を超える弾丸は、怪物の鋼鉄の外殻をまるで薄いガラスのようにあっけなく貫通し、内部の駆動系を粉砕した。
怪物の巨体がバランスを崩し、刃が少女の頬の数ミリ横を掠めて地面に突き刺さる。
「……まだだっ!!」
少女は跳ね上がった銃口を必死に押し殺し、再び引き金を引いた。
ダンッ! ダンッ!
合計3発。暗闇の中でマズルフラッシュが瞬き、怪物の急所を正確に撃ち抜いた。
ガキン、と怪物の巨体が崩れ落ちる。
少女の手の中にある黒い鉄の塊は、ほんの少し熱を持ち、静かに次の発砲を待っていた。
少女は「これがあれば、無敵だ」と確信する。それが、現代兵器の弱点である『弾数制限』を知らない素人の、致命的な勘違いであることにも気づかずに。
静寂。
巨大な怪物は、頭部と胴体を完全に蜂の巣にされ、二度と動かない鉄クズへと変わっていた。
「はぁ……はぁ……っ……」
少女は膝から崩れ落ちた。両腕は鉛のように重く、ジンジンと痺れている。
暗い地下室に、ツンとした刺激臭が充満していた。
焦げた火薬と、硫黄、そして熱された金属が混ざり合った匂い。
それが、旧世界の『硝煙の匂い』だった。
『見事です、マスター。初弾の命中率、その後の制御、全てが私の予測値を上回りました。……どうやら、あなたには殺しの才能があるようです』
「……嬉しくない。28万も……スッカラカンだ……」
少女は荒い息を吐きながら、熱を持った銃身を床に置いた。せっかく掴んだ大金が一瞬で消えた虚脱感に襲われる。
だが、セレナのホログラムが怪物の奥、瓦礫の山を指し示した。
『マスター、落ち込むのは早計です。あちらをご覧ください。あの怪物が守っていた「巣」です』
少女が足を引きずりながら奥へ進むと、そこには旧世界の軍用コンテナが手つかずのまま残されていた。
中に入っていたのは、真空パックされた高純度のエネルギー・セルと、未開封の医療キットの山。
『……推定換金価格、およそ300万円。初期投資としては、十分すぎるリターンですね』
「さ、さんびゃく……」
少女は息を呑んだ。
スラムの底辺で泥水をすすっていた自分が、たった数分で、何年働いても手が届かないほどの富を築いたのだ。
震える手で、その宝の山に触れる。これで、屋根のある家が借りられる。温かいお湯に浸かれる。
彼女は、自分がようやく「人間」のスタートラインに立てたのだと確信し、小さく、けれど確かに笑みをこぼした。
だが。
その直後、セレナの声ではない、ノイズ混じりの奇妙な電子音声が、少女の脳内に直接割り込んできた。
『――ターゲットの生体反応、継続を確認。戦闘データ、転送完了』
『――検体01、フェーズ1クリア。監視プロトコルへ移行します』
「え……?」
少女が振り返るが、暗闇には何もいない。
彼女の知らない所で、この「成り上がり」のシステムを操る巨大な影が、確実に動き始めていた。




