巨神の死角と、5億の青
――ガキィィィィンッ!!
暗闇に火花が散る。MP7から吐き出された4.6ミリ徹甲弾の連射が、4メートルを超える巨人『ヘカトンケイル』の漆黒の装甲に弾き返された。
分厚いコンクリートの壁を粉砕したはずの旧世界の弾丸が、文字通り「傷一つ」つけられない。
「……っ、マジで硬すぎだろ……!」
少女は舌打ちをしながら、シエルの襟首を掴んで真横へ跳んだ。
直後、二人が立っていた床を、巨人の右腕――巨大な破砕ドリルが轟音と共に抉り取る。岩盤が砕け散り、鋭い破片が少女の頬を掠めて一筋の血が流れた。
「ひぃぃっ! 無理だよ、あんなの勝てるわけないっ!」
「泣くな、舌を噛むぞ!」
少女はシエルを瓦礫の陰に突き飛ばし、再びMP7を構える。だが、巨人はそんな豆鉄砲など気にも留めない様子で、三つの赤いカメラアイを不気味に瞬かせながら左腕の重機アームを振り上げた。
『マスター! 正面からの装甲貫通確率は依然ゼロです。……しかし、自己修復機能を持たない旧世代機なら、物理的な『継ぎ目』が存在するはずです』
「……継ぎ目。関節か!」
電磁場のノイズで視界が歪むバイザーを、少女は忌々しそうにむしり取って投げ捨てた。機械の目が使えないなら、泥水を啜って生き延びてきた自分の『本能』を使うまでだ。
巨人が再びドリルを突き出して突進してくる。
少女は逃げない。ナノマシンで強化された脚力にすべてを集中させ、ドリルの回転が空気を切り裂くギリギリのタイミングで、前方へと跳躍した。
「……シィッ!」
ドリルの螺旋の隙間をすり抜け、そのまま巨人の巨大な右腕の装甲の上へと着地する。
そのまま、駆け上がった。まるで切り立った鉄の崖を登るように。
「ギ、ギィィ……ッ!?」
巨人が予期せぬ虫の侵入にエラー音を鳴らし、左腕のアームで自分自身の右腕ごと少女を叩き潰そうとする。猛烈な風圧が少女を襲い、肋骨が嫌な音を立てた。ナノマシンの緊急修復が走るが、痛みが視界を白く染める。
だが、少女は止まらなかった。
巨人の肩口まで到達した彼女は、黒い鞘から『高周波振動刀』を引き抜いた。
キィィィィィィンッ――!!
耳を劈く共鳴音。バルトロの純鋼鉄の義手すら両断したその刃を、巨人の分厚い装甲……ではなく、首の付け根、装甲の隙間から覗く『駆動シリンダー』の束へと全力で突き立てた。
「……大人しく、寝てろっ!!」
ズバァァァンッ!!
高周波の刃が、頑強なシリンダー群と内部の配線を一瞬で切断する。火花と黒いオイルが間欠泉のように噴き出し、巨人の上半身がガクンとバランスを崩した。
「ギ……ガ、ガガガガッ……!!」
クラスSの化け物はこれでは止まらない。機能不全に陥りながらも、胸部の装甲が開き、自爆も辞さない高熱の排熱プラズマを放とうとする。
「……セレナ! ありったけの弾丸を、ここに!」
少女は刀を突き立てたまま、空いた左手でMP7の銃口を、パージして無防備になった胸部の『動力炉』へ直接ねじ込んだ。
『了解。……オーバーキル(過剰破壊)を推奨します』
――ビィィィィィィィィィィィィッ!!
残っていた数十発の徹甲弾すべてが、巨人の心臓部である動力炉の内壁で乱反射し、中枢デバイスを完全にミンチに変える。
ドォォォォォンッ!!!!
内部からの誘爆。少女は爆風を利用して後方へと宙返りし、軽やかに着地した。
背後で、4メートルを超える漆黒の巨人が、膝から崩れ落ちる。三つの赤い瞳がゆっくりと明滅し……やがて完全に沈黙した。
「……ふぅ。……死ぬかと思った」
熱を持ったMP7のマガジンを排出しながら、少女は血の混じった唾を吐き捨てた。
瓦礫の陰から、シエルが腰を抜かしたまま這い出てくる。
「あ、あんた……人間じゃないよ、マジで……」
「失礼なやつだな。私は、ゆっくりお風呂に入りたいだけの普通の人間だ」
少女が軽口を叩いたその時、巨人が守っていた最奥の分厚い隔壁が、プシューという空気の抜ける音と共にゆっくりと開き始めた。
奥は、真っ白な光に包まれている。
「……お宝の部屋だ。行くぞ」
二人が警戒しながら足を踏み入れると、そこは兵器庫ではなかった。
無菌室のような純白の空間の中央に、透明なクリスタルガラスで覆われた、巨大な円柱状の装置が鎮座している。その装置の中では、淡い青色の『何か』が、まるで呼吸するように明滅していた。
「……なに、これ。兵器じゃない……ジェネレーターでもない……?」
少女が首を傾げる横で、シエルは目を見開き、信じられないものを見るように震え出した。
「う、嘘でしょ……スラムの底に、これが……!? 伝説じゃなかったの!?」
「おい、シエル。これ、いくらになるんだ。また1500万くらいか?」
「……そんなレベルじゃないよ!!」
シエルは装置に駆け寄り、その表面を愛おしそうに撫でた。
「これ……『自律型・水質環境浄化プラントの小型コア』だよ! 旧世界が、汚染された地球を元に戻そうとして作った奇跡の装置……中層の特権階級が、自分の別荘なんかで使うレベルの超高級品!」
「……水? ただの水か?」
「ただの水じゃない! このコアがあれば、スラムに降る毒雨(神のヨダレ)も、地下の汚水も、全部一瞬で『無限の綺麗な純水』に変えられるの! これを売れば……安く見積もっても、5億はくだらないよ!!」
5億。
その響きに、少女の脳がフリーズする。
だが、それよりも彼女の心を激しく揺さぶったのは、シエルのその言葉だった。
(……無限の、綺麗な水?)
少女の脳裏に、奪われた1000万と、粉々に砕け散ったアパートのバスタブが浮かぶ。
「……シエル。それがあれば、毎日、綺麗なお湯に浸かり放題ってことか?」
「えっ? ……ま、まぁ、配管が生きている施設を占拠して設置できれば、そうだね。一生お風呂には困らないよ」
少女の瞳に、5億という現金以上の強烈な『執念』の炎が宿った。
「……決めた。こいつは売らない」
少女は、青く輝くコアを真っ直ぐに見据えた。
「これは、私のものだ。……新しい家を買って、私とお前だけの、最高のお風呂を作るぞ、シエル」




