王を討つより高くつく
スラムの王を屈服させ、意気揚々と帰路についた少女。
これで邪魔者は消えた。バルトロが手を出さない以上、このスラムで彼女の「普通の生活」を脅かす者はもう誰もいない。
温かいお湯が張られたバスタブと、ふかふか(すぎて床で寝てしまうが)のベッドが私を待っている。
しかし。
家賃8万(初期費用100万)のアパートにたどり着いた彼女を待っていたのは、無残な現実だった。
「……嘘、だろ」
ドアはパイルバンカーで完全に吹き飛び、蝶番からひしゃげて廊下に転がっている。
部屋の中に足を踏み入れると、そこはまさに『戦場跡』だった。
MP7の圧倒的な連射でフローリングは木っ端微塵に粉砕され、下水管まで撃ち抜いたのか、床からチョロチョロと汚水が染み出している。
とどめに、廊下へ向けて放ったM870の硬質ゴム弾の余波で、壁には巨大なクレーターがいくつも穿たれていた。
「あ、おかえり……。怪我、なかった……?」
「シエル。……私のお風呂は」
「……ゴム弾が壁を貫通して、配水ユニットごと粉々に……」
シエルが申し訳なさそうに指差した先には、無残に砕け散ったバスタブの残骸があった。
絶望で膝から崩れ落ちそうになったその時、背後の廊下から、ドカドカと足音を立てて『彼』が現れた。
このアパートの管理人にして、初期費用100万をぼったくった悪徳ブローカーだ。
「おいおいおいおい!! 誰の許可を得て俺のシマでドンパチやってくれてんだ、クソガキ!!」
「……」
ブローカーは葉巻を地面に叩きつけ、血走った目で部屋の惨状を睨みつけた。
「壁の修復、配管の全取っ替え、それからドアとバスタブの再発注! さらに、近隣住人への迷惑料と、中層の治安部隊の目をごまかすための『口止め料』だ!」
ブローカーは懐から電卓のような端末を取り出し、猛烈な勢いでキーを叩く。
「しめて……1000万だ。今すぐ払え。払えなきゃ、お前らの内臓を売り飛ばしてでも――」
「は……?」
少女の瞳から、スラムの王と対峙した時のような冷酷な光が消え去り、代わりに純粋な『殺意』が沸き上がった。
「いっせん、まん……? ゴミみたいなこの部屋の修理で、なんでそんなにかかる。……ふざけるな」
「うるせえ! スラムじゃ建材を取り寄せるだけでも命懸けなんだよ! あと、契約書に『故意の破損は違約金十倍』って書いてあんだろ!」
ブローカーが突きつけたシワシワの契約書の端には、虫眼鏡で見なければ読めないような極小の文字で、確かにそう書かれていた。
「……セレナ」
少女は、ギリリと奥歯を噛み締め、懐のMP7のグリップを力強く握り込んだ。
「こいつ、撃っていいか。……ゴムじゃない。本物の鉛玉で、頭を」
『マスター。お気持ちは痛いほど理解できますが、契約書にサイン(指印)をしたのはあなたです。ここで彼を殺害すれば、中層の治安部隊が介入し、結果的に1000万以上の損失と逃亡生活が待っています。非推奨です』
「ああああああっ、クソッ!! なんでだよ!!」
スラムの王相手には一歩も引かなかった少女が、今日一番の悲痛な叫びを上げた。
シエルが慌ててアタッシュケースから1000万の札束を取り出し、泣く泣くブローカーに手渡す。
「はい、毎度あり! 明日までに直してやるから、今日は外のゴミ捨て場でも寝てな!」
ブローカーは札束を数えながら、下劣な笑い声を上げて去っていった。
手元に残ったのは、たったの400万。
また、一から稼ぎ直しだ。
「……シエル」
「ひゃ、はい!」
怒りで肩を震わせる少女の姿に、シエルはビクッと直立不動になる。
「……明日の朝イチで、稼ぎに行くぞ。一番ヤバくて、一番金になる遺跡を案内しろ。……弾は、全部実弾だ」
不殺の誓い(人間相手限定)を立ててわずか数時間。
理不尽な資本主義の暴力によって全財産の三分の二を毟り取られた少女は、獣たちに対する圧倒的な八つ当たりを決意したのだった。




