拒絶する引き金と、王を堕とす刃
スラム第1セクター。かつて巨大な溶鉱炉だった廃工場の最奥。
薄暗い玉座の間に、重い足音が響いた。
「……本当に、自分から来やがるとはな。命知らずの馬鹿か、それとも頭がイカれてるのか」
玉座に座る巨漢――スラムの王バルトロが、重々しく立ち上がる。
少女は、M870(ライオットガン)を構えたまま、血の匂いが染み付いた空間へと単身で足を踏み入れた。シエルは安全な場所へ隠してある。ここからは、大将同士のサシの勝負だ。
「……私の家を汚した代金、払ってもらうぞ」
「ヒャハハ! ガキが、身の程を知れ!」
バルトロが咆哮を上げ、巨体に似合わぬ猛烈な速度で突進してくる。
少女は冷静に引き金を引いた。
ドォォンッ!!
先ほどアパートの廊下でゴロツキの骨を粉砕した硬質ゴム弾。だが、バルトロはそれを避けるそぶりすら見せなかった。
彼は右半身を前に出し、顔を庇うように純鋼鉄製の巨大な義手を盾にしたのだ。
ガァンッ!! という重い金属音が響き、義手から火花が散る。
ゴム弾の恐ろしい運動エネルギーを、バルトロは分厚い鉄の質量と持ち前の筋力だけで強引に耐え切った。
「なっ……!?」
「そんなオモチャが、俺の『鉄腕』に通用すると思うなァ!」
驚愕する少女の隙を突き、バルトロが間合いをゼロにする。
丸太のような左腕が振るわれ、少女の細い体が宙を舞った。ナノマシンによる強化がなければ、内臓が破裂していただろう。
「が、はっ……!」
少女が床に叩きつけられ、手からM870が滑り落ちる。
バルトロはニヤリと笑い、少女の落とした長銃身を無造作に拾い上げた。
「不思議な鉄砲だが、大した威力だ。……だが、武器ってのはな、力のある奴が使ってこそ意味があるんだよ!」
バルトロは銃口を、床で咳き込む少女の頭へと向けた。
「あの世で後悔しな、クソガキ」
バルトロが、容赦なく引き金に指をかけ、力を込める。
だが。
――カチッ。
引き金は、岩のように硬く固定されたまま、ピクリとも動かなかった。
「……あ?」
バルトロは眉をひそめ、もう一度、力を込めて引き金を引く。
カチッ、カチッ。
「なんだ、弾詰まりか!? どうなってやがる!」
バルトロが焦燥に駆られ、銃の側面をバンバンと叩く。
その様子を見上げながら、少女は口元についた血を手の甲で拭い、ゆっくりと立ち上がった。
『……生体認証不一致。未登録ユーザーによる射撃プロセスを強制ロックしました。マスター、ご安心を。この世界の住人に、旧世界のシステムは破れません』
脳内に響くセレナの冷徹な声を背に、少女は腰に下げていた黒い鞘に手をかけた。
「……武器ってのはな。ただ力任せに振り回せばいいってもんじゃないんだよ」
少女が鯉口を切る。
キィィィィィィンッ――!!
耳を劈くような高周波の共鳴音が、廃工場に木霊した。
バルトロが驚いて銃から目を離した瞬間、少女は地を蹴っていた。
「死ねェッ!」
バルトロが反射的に、少女を叩き潰そうと鋼鉄の義手を振り下ろす。
少女は躱さない。
真っ向から、高周波で振動する『直刀』を振り抜いた。
ズパァンッ!!
信じられない光景だった。
ゴム弾すら弾き返した分厚い純鋼鉄の義手が、まるで豆腐のように、肘の関節から斜めにスッパリと切断されたのだ。
ドサリ、と重い鉄の塊が床に落ちる。
「……は?」
バルトロは、自分の右腕の先がなくなっていることに数秒間気づけなかった。断面からは血すら出ない。ただ、見事に切断された義手の機構が、虚しく火花を散らしているだけだ。
チャキ、と冷たい金属音が響く。
少女は、呆然と立ち尽くすバルトロの喉元に、微かに振動を続ける刃を突きつけていた。
「動くな。……次は、本物の首が飛ぶぞ」
バルトロは、冷や汗を滝のように流しながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。
圧倒的な力。自分が絶対に勝てない次元の『暴力』が、たかだか十代半ばのガキの形をして目の前に立っている。
スラムの王の心が、完全にへし折られた瞬間だった。
「……殺せ。俺の負けだ」
バルトロは屈辱に顔を歪めながら、目を閉じた。スラムの掟だ。敗者は死をもってすべてを奪われる。
だが、刃はいつまで経っても振り下ろされなかった。
「……殺さない。お前の血で、私の刀を汚したくない」
少女は静かに刃を引き、カチャリと鞘に収めた。
そして、バルトロの足元に転がっていたM870を拾い上げ、埃を払う。
「スラムの管理役は、今まで通りお前がやれ。私にはそんな面倒なことをする暇はない。……だが、これからは私とシエルには一切手出しするな。わかったな?」
「……あ、あぁ」
バルトロは、腰を抜かしたまま力なく頷いた。
少女は踵を返し、薄暗い廃工場を後にする。
殺さずに、王を屈服させた。
それはただの殺戮者ではなく、彼女が自らの意志でこのディストピアの理不尽を叩き伏せ、「自分の居場所」を力技で確保した証明だった。
「……帰ろう、セレナ。シエルが待ってる」
『はい、マスター。お疲れ様でした。……これでようやく、ゆっくりお風呂に入れますね』
名もなき少女の、スラムでの最初の戦いは、こうして幕を閉じた。
だが、この成り上がりはまだ序章に過ぎない。彼女の求める「普通」への道は、さらに深く、混沌とした世界へと続いていくのだ。




