非殺傷の暴風、あるいは雷鳴
鼻が曲がるような有毒な黒煙と、MP7が足元を粉砕したことで巻き上がったコンクリートの粉塵。狭いアパートの一室は、視界ゼロの地獄絵図と化していた。
「ゲホッ、ゴホッ! あ、あのガキ、何てもんを……っ!」
「ひるむな! 煙に紛れて生け捕れ! バルトロ様への貢ぎ物だ!」
男たちが錆びた鉈や鉄パイプを振るいながら、黒煙の向こうから迫ってくる。
少女はシエルを背中で庇いながら、焦燥感に駆られていた。MP7を引き金を引けば一瞬で終わる。だが、ここで人間の命を奪ってしまったら、私はもう二度と、日の当たる場所を歩く「普通」の人間には戻れない。
「……セレナ。死なせないが、二度と私に牙を向けない武器を出せ。……使い方も、すぐ教えろ」
『了解しました、マスター。残高80万円を消費し、最適な制圧パッケージを転送します』
手首のデバイスが熱を帯び、少女の手元に光の粒子が収束する。
現れたのは、緑色の小さな金属の筒――『M84・スタングレネード(閃光音響弾)』だった。
「……なんだこれ。ただの鉄の缶じゃないか。どうやって……」
少女が戸惑っていると、視界に緑色のホログラム・矢印が強制的にポップアップした。
『マスター、上のリングに指をかけ、引き抜いてください。そして、すぐに敵の足元へ投げ、目を閉じて耳を塞ぐこと』
「……っ、こうか!」
少女は言われるがままリングを力任せに引いた。カチン、と留め具が跳ね飛び、小さな火花が散る。
爆発すると思い込んだ少女は「うわっ!?」と声を漏らし、慌ててそれを男たちの足元へ放り投げ、シエルに覆い被さるようにして目をきつく閉じた。
数秒後、部屋が『爆発』した。
―――キィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!
まぶたを閉じているのに、世界が真っ白に染まった。
鼓膜を直接ハンマーで殴られたような衝撃と、170デシベルの爆音が狭い室内で乱反射する。
「が、あ、ぁああっ!?」
「目が、目がぁぁぁっ! 耳がぁぁぁッ!!」
スタングレネードの威力を知らなかった男たちは、網膜と三半規管を完全に破壊され、武器を落としてその場にのたうち回った。
「はぁっ……はぁっ……」
少女自身も、激しい耳鳴りと動悸に襲われていた。だが、ナノマシンの自動補正が強制的に彼女の平衡感覚を立て直す。
彼女は、次に転送された武器――無骨な黒い鋼鉄製の『大型警棒タイプ・スタンガン』を握りしめた。
「……ただの鉄の棒。これで殴ればいいのか」
『違います、マスター。グリップの赤いボタンを押してください』
言われた通りにボタンを押し込んだ瞬間。
バチィィィィッ!! と、先端から強烈な青白いプラズマが弾け飛んだ。
「ひっ!?」
少女はビクッと肩を震わせ、思わず手から落としそうになる。新世界には電気などという概念はほとんどない。彼女にとって、それは「雷」を握らされたに等しかった。
『恐れることはありません。高圧電流で対象の神経系をショートさせます。押し当てるだけで十分です』
少女は唾を飲み込み、煙の中で頭を抱えてうずくまる男の一人に向かって飛び込んだ。
美しい暗殺者のような動きではない。スラムで培った泥臭い喧嘩の延長だ。
立ち上がろうとした男の胸ぐらを強引に掴み、震える手でスタンバトンの先端を腹に押し当てる。
「ぶっ殺……が、ぁ、あぁぁぁぁっ!?」
数百万ボルトの電流が駆け抜けた瞬間、男の体が信じられないほど海老反りに跳ね上がり、白目を剥いて痙攣した。
「……っ!」
想像以上の威力と、人間の体がこんな風に壊れる光景に、少女は一瞬吐き気を覚えた。人を殺さないための武器だが、与える苦痛は殺すよりも残酷に見えたからだ。
だが、ここで止まれば自分がやられる。
「……来るなっ!」
二人目、三人目。
少女は荒い息を吐きながら、がむしゃらにスタンバトンを振り回した。技術はない。ただ、ナノマシンで強化された脚力で間合いを詰め、力任せに雷の警棒を押し当てるだけ。
バチッ! バチィッ! とオゾンを焼く嫌な匂いが充満し、男たちが次々と糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。
「ゲホッ……お、前、化け物……」
最後に残ったリーダー格の男が、這いずり回って逃げようとしていた。彼は、息を切らしながらも氷のような瞳で近づいてくる少女を見て、本当の恐怖を知った。
「……化け物。……そうかもな」
少女はぶっきらぼうに呟き、スタンバトンを男の背中に力任せに叩きつけた。
強烈なスパークと共に、リーダーの男は全身を硬直させ、泥のように床に沈んだ。
静寂。
12人の武装したゴロツキは、一人の死者も出すことなく、全員が意識を失い痙攣している。
少女は、熱を持ったスタンバトンを取り落とし、その場にへたり込んだ。
「はぁ……はぁ……」
初めてのガジェットに振り回され、両手は酷く震えている。スマートな勝利とは程遠い、泥臭い泥仕合。
だが彼女は、背後のアタッシュケースに入った1500万と、シエルの命、そして「誰も殺さなかった自分」を、確かに守り抜いたのだ。




