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スラムの王と、血の匂いのする大金

スラム第1セクター。かつて巨大な溶鉱炉だった廃工場を改築した『玉座』に、肉と骨が砕ける鈍い音が響き渡った。


「……話は、それだけか」


玉座と呼ばれる鉄の椅子に深く腰掛けた巨漢――スラムの元締め、バルトロは退屈そうに呟いた。

 彼の足元には、原型をとどめていない血みどろの肉塊が転がっている。数分前まで、裏切りを企てていた彼の手下だった男だ。

 バルトロは立ち上がりすらしていない。ただ、新世界では珍しい純鋼鉄製の義手である右腕を、無造作に振り下ろしただけだった。


「ひっ……は、はいっ! バルトロ様!」


報告に上がっていた情報屋の男は、震え上がりながら床に額を擦り付けた。


「第4セクターの『シエル・ワークス』が、中層の闇ルートに流したブツの総額……しめて、1500万です。出所は不明ですが、旧世界の軍事用サーバーだったと……」

「1500万、ね」


バルトロは義手の指にこびりついた血と脳漿を、ボロ布でゆっくりと拭き取った。

 この男の恐ろしさは、暴力そのものだけではない。スラムという混沌の中で、常に「誰が、どこで、いくら動かしたか」を完全に把握し、自らの利益にならない異分子を徹底的に排除してきたその冷徹な管理能力にある。


「スラムのガキが手にするには、重すぎる額だな。生態系バランスが崩れる」


バルトロの低くしゃがれた声は、決して大きくはない。だが、その場にいる全員の心臓を鷲掴みにするような、絶対的な威圧感があった。

 彼にとって、スラムの人間はすべて自分が飼っている家畜だ。家畜が勝手に大金を持ち、力をつけることなど、許されるはずがなかった。


「……調べはついています! ブツを持ち込んだのは、最近スラムで噂になっている『名もなき女』です。得体の知れない黒い鉄の武器で、遺跡の機械獣を一方的にスクラップにしていると……」

「ほう?」


バルトロの隻眼が、わずかに細められた。

 魔法のように弾を吐き出す鉄の筒。そして、高純度の真鍮。彼のネットワークは、すでにサクラの持つ「兵器」の異常性に気づき始めていた。


「面白い。その女の『手品』のタネが何であれ……俺の庭で勝手に稼いだんだ。税金はキッチリ払ってもらわねえとな。命ごと、だ」


バルトロが指を鳴らすと、暗がりから数十人の重武装した男たちが音もなく姿を現した。全員が、スラムの標準装備をはるかに凌ぐ、バルトロ直属の私兵部隊だった。


◇ ◇ ◇


同じ頃。

 家賃8万の高級アパートの一室で、少女はベッドの縁に腰掛けていた。

 相変わらず柔らかいマットレスの上では眠れないが、それでもこの部屋は彼女の「城」だ。温かい食事と睡眠、そしてナノマシンの恩恵で、体の痛みが消え、肌に少しずつ血色が戻ってきているのを感じていた。

コンコン、と控えめなノックの音が響く。

 モニター越しにシエルの姿を確認し、少女は鍵を開けた。


「……換金、終わったか」


少女の問いに、シエルは無言で部屋に入り、分厚いアタッシュケースをテーブルの上に置いた。

 カチャリと開かれたケースの中には、新世界の紙幣が隙間なく敷き詰められている。1500万。間違いなく、スラムの底辺から抜け出すための切符だ。


だが、シエルの顔は青ざめ、その小さな手は小刻みに震えていた。


「シエル……?」

「……ごめん。ごめんね。私、中層のルートを通せばバレないって思ってた。でも……スラムの底は、全部あいつに繋がってたんだ……!」


シエルが泣きそうな声で叫んだのと同時に、部屋の窓ガラスがけたたましい音を立てて粉砕された。


ガシャンッ! という音と共に投げ込まれたのは、ボロ布と廃油で作られた粗悪な『自家製の発煙筒』だった。鼻が曲がるような有毒なヘドロの黒煙が、瞬く間に綺麗な部屋を汚していく。


「ゲホッ、ゴホッ……!」


シエルがむせる中、今度は分厚いドアが、外からの凄まじい衝撃でひしゃげた。

 油圧式の鉄杭パイルバンカーを無理やり腕に括り付けた巨漢のゴロツキが、ドアごと蹴破って雪崩れ込んでくる。その後ろには、錆びた鉈や、鉄くずを強引に撃ち出す手製のジャンク銃を持った男たちが十人近く控えていた。


「ヒャハハ! ネズミが小綺麗な部屋に住んでんじゃねえよ! バルトロ様からの命令だ、女は手足の腱を切って生け捕り! 金は全部回収だ!」


下劣な笑い声と、むせ返るような暴力の匂い。

 ようやく手に入れた「普通」の生活。温かいお風呂も、シエルと食べる美味しいご飯も、このスラムの支配者は泥足で踏みにじりに来たのだ。


少女の瞳に、氷のような怒りが灯る。

 彼女は反射的にシエルを庇うように立ち塞がり、テーブルの下に隠しておいた漆黒の『MP7』を構えた。


『マスター。敵対的ヒューマノイド、12名。室内での4.6ミリ弾によるフルオート射撃は、対象を文字通り「挽肉」に変えます。……殲滅しますか?』


脳内で、セレナが冷酷な最適解を提示する。

 引き金を引けば、一秒で終わる。この部屋は血と臓物で染まり、男たちは全員ただの肉塊に変わるだろう。獣を相手にしてきた時のように。


だが、少女の指は引き金の手前でピタリと止まっていた。


(……だめだ)


怪物を殺すのとは違う。ここで人間の命を奪ってしまったら、私はもう二度と、日の当たる場所を歩く「普通」の人間には戻れない。

 誰かに怯えられ、人殺しのバケモノとして一生泥の中を這いずり回ることになる。


「……殺さない」


少女の呟きに、ゴロツキたちが嘲笑した。

「あぁん? ガキのオモチャみたいな鉄砲構えて、ビビってんのかぁ!」


「……殺さない。ただ、徹底的に『教え込む』だけだ」


少女はMP7の銃口を、男たちではなく「彼らの足元の床」へと向けた。


『……了解しました、マスター。あなたのその「甘さ」、私は嫌いではありません』


――ビィィィィィィィィィィッ!!


狭い室内に、布を裂くような規格外の爆音が木霊した。

 一秒間に15発。男たちの足元すれすれのフローリングが、目に見えない暴力によって瞬時に粉砕され、大量の木片とコンクリートの粉塵が弾け飛んだ。


「ひぃっ!?」

「な、なんだこの威力は……っ!?」


ジャンク銃しか知らないスラムの男たちは、圧倒的な『面制圧』の恐怖を前に腰を抜かした。一歩でも前に出ていれば、足が膝から下ごと消し飛んでいたのだ。


少女は硝煙の中で、冷たい瞳で男たちを見下ろした。

 人を殺さずに、この圧倒的な暴力の群れを追い払う。それは、獣をミンチにするよりもはるかに困難な戦いだった。


「セレナ。……命を奪わずに、こいつらの心を折る武器を出せ。……金なら、そこにある」


少女は背後の1500万のアタッシュケースを指差した。

 バルトロとの、決して殺してはならない、しかし負けられない防衛戦が幕を開けた。

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