第二話 九十三%の沈黙
腸内共和国に、「人民の声」が戻ってきた。
正確に言えば、人民の声を集める制度が新しくなったのである。
声そのものが戻ってきたのかどうかについては、まだ確認されていなかった。
制度の名称は、「全人民意見聴取・集約制度」。
中央委員会は、この制度を共和国史上画期的な改革と位置づけた。
国家放送局は、朝の定時放送で繰り返し報じた。
『人民の皆さん。共和国は、すべての人民の意見を尊重します』
『どのような意見であっても、提出することができます』
『提出された意見は、漏れなく受け付けられ、慎重に検討され、適切に分類されます』
『なお、意見の分類は、意見の内容を変更するものではありません』
最後の一文だけ、少し早口だった。
しかし、放送局はそのことを問題とは考えていなかった。
重要なのは、人民が意見を提出できるという事実である。
提出された意見が、その後どう扱われるかについては、別の部署の管轄だった。
*
制度開始から三日目。
中央広場には、意見提出箱が設置された。
箱は全部で百個。
赤、青、黄色、緑、白。
色とりどりの箱が、広場に整然と並んでいた。
それぞれの箱には、異なる説明書きが添えられている。
赤い箱――共和国の発展に関する意見。
青い箱――共和国の安定に関する意見。
黄色い箱――共和国の発展と安定に関する意見。
緑の箱――共和国の安定と発展に関する意見。
白い箱――その他の意見。
ブラウ太郎は、箱の前で腕を組んでいた。
「どう違うんだ、これ」
隣のビフ太郎が説明書きを読んだ。
「赤は発展、青は安定。黄色は発展と安定。緑は安定と発展」
「順番が違うだけじゃないか」
「そうだね」
「では、黄色と緑の違いは?」
「黄色は発展と安定。緑は安定と発展」
「わかっている。そういうことを聞いているんじゃない」
ビフ太郎は、少し考えた。
「もしかすると、意見を出す側の気持ちに配慮しているんじゃないかな」
「どういう意味だ?」
「発展を先に考える菌もいれば、安定を先に考える菌もいるだろう?」
「なるほど。意見を出す前から、意見の並べ方を選べるわけか」
「そういうことだね」
ブラウ太郎は、白い箱を指さした。
「では、ここは?」
「その他の意見」
「その他とは、何だ?」
「発展でも安定でもない意見じゃないかな」
「発展でも安定でもない意見というのは、具体的には何だろう」
ビフ太郎は、白い箱を眺めた。
「……そこまでは、説明書きにないね」
そこへ、意見聴取局の職員がやってきた。
「何かご不明な点でも?」
ブラウ太郎は尋ねた。
「白い箱に入れる意見とは、どのようなものですか」
職員は、にこやかに答えた。
「赤、青、黄色、緑のいずれにも該当しない意見です」
「それは、わかります。具体的には?」
「具体的な内容については、提出された意見を確認したうえで判断いたします」
「では、提出する前に、どの箱へ入れればよいかを判断することはできないのですね」
「いいえ。ご自身の判断でお選びいただけます」
「自分で判断して、間違っていた場合は?」
「職員が適切な箱へ移し替えます」
「それなら、最初から職員に渡せばよいのでは?」
職員は、少しだけ笑顔を深めた。
「人民の皆さんが、自らの意思で意見を分類することも、この制度の重要な目的であります」
ブラウ太郎は、箱を見た。
箱は百個もあった。
それでも、意見を出す側が選べるものは、箱の色だけだった。
*
制度開始初日の夕方、意見聴取局には、三万八千二百十四件の意見が寄せられた。
局長は、報告書を持って中央委員会へ向かった。
「書記長、人民から多数の意見が寄せられております」
ミツオケラ十三世は、報告書を受け取った。
「結構なことだ。人民が積極的に共和国の運営に参加している証拠だな」
「そのとおりであります」
「内容は?」
「現在、分類を進めております」
「どのような意見が多い?」
「発展に関する意見が最も多く、次いで安定に関する意見であります」
「それはよい。人民は発展と安定を望んでいるのだな」
「はい」
「具体的には?」
「分類が完了していないため、詳細については、まだ報告できません」
ミツオケラ十三世は、うなずいた。
「急ぐ必要はない。意見を正確に分類することが重要だ」
「ありがとうございます」
「ところで、その他の意見は何件ある?」
局長は、手元の資料を確認した。
「現在、その他に分類された意見は、四百二十七件であります」
「その他の意見には、どのようなものがある?」
「現在、精査中であります」
「なぜ精査が必要なのだ?」
「その他の意見には、分類の難しいものが含まれているためであります」
ミツオケラ十三世は、少し考えた。
「分類の難しい意見とは、重要な意見かもしれないな」
「その可能性はあります」
「よろしい。その他の意見については、慎重に扱うように」
「承知いたしました」
局長が退室すると、ミツオケラ十三世は側近に言った。
「人民の意見を聞くというのは、思った以上に大変な仕事だな」
「おっしゃるとおりであります」
「人民の意見には、人民自身にも整理できていないものがある」
「はい」
「それを我々が整理する。これは、人民に対する重要な奉仕だ」
側近は深く頭を下げた。
「歴史的な奉仕であります」
ミツオケラ十三世は満足した。
人民が何を望んでいるのかを知るためには、まず人民の言葉を整理しなければならない。
そして、整理するためには分類が必要だった。
分類するためには基準が必要だった。
基準を定めるためには、判断する者が必要だった。
判断する者が誰であるべきかについては、すでに決まっていた。
*
翌日、意見聴取局では分類作業が始まった。
作業室には、長い机が並んでいた。
机の上には、人民から寄せられた意見が積み上がっている。
職員たちは、意見を一枚ずつ読み、分類していった。
「『食物繊維を増やしてほしい』。発展」
「『急激な環境変化は避けてほしい』。安定」
「『発展も必要だが、急激な変化は困る』。発展と安定」
「『今のやり方を見直してほしい』。その他」
「なぜその他なんです?」
若い職員が尋ねた。
先輩職員は、意見書を指で叩いた。
「今のやり方を見直すというのは、発展を求めているとも言える。しかし、見直すことで安定を損なう可能性もある」
「それなら、発展と安定に分類すればよいのでは?」
「見直しの内容が明確ではない」
「では、本人に確認しては?」
先輩職員は、若い職員を見た。
「三万件以上の意見を、すべて本人に確認するつもりか?」
「……それは難しいですね」
「だから、分類するのだ」
先輩職員は、次の意見書を手に取った。
「『誰が分類基準を決めているのか知りたい』。その他」
「それもその他ですか?」
「当然だ」
「発展にも安定にも関係がないから?」
「いや、分類基準についての質問だからだ」
「分類基準を決めることは、共和国の発展や安定に関係するのでは?」
先輩職員は、手を止めた。
若い職員も、自分の発言の意味を考えた。
作業室の空気が、少しだけ変わった。
先輩職員は、意見書を裏返した。
「この意見は、分類基準そのものについての意見だ」
「はい」
「基準を使って分類する我々が、基準についての意見を分類する」
「はい」
「その結果、基準についての意見が、基準に従ってその他に分類される」
「……はい」
先輩職員は、椅子に深く座り直した。
「仕事というのは、奥が深いな」
若い職員は、返事をしなかった。
先輩職員は、次の意見書を手に取った。
「『反対意見も、反対意見として公表してほしい』。その他」
若い職員は、とうとう尋ねた。
「どうしてですか?」
「これは、意見の内容についての要望ではなく、意見の取り扱いについての要望だからだ」
「でも、取り扱いについての要望も、人民の意見ですよね」
「もちろんだ」
「それなら、なぜその他に?」
先輩職員は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに答えた。
「その他という分類がなければ、分類できない意見がなくならないだろう」
若い職員は、その言葉を聞いて、何も言えなくなった。
その他は、便利だった。
分類できない意見を受け入れる場所として。
そして、分類できない意見について、それ以上考えなくても済む場所として。
*
三日後。
意見聴取局は、最初の集計結果を公表した。
結果は、中央広場の掲示板に大きく貼り出された。
人民の意見、総数三万八千二百十四件。
発展に関する意見、四十二%。
安定に関する意見、三十一%。
発展と安定に関する意見、二十六%。
その他、一%。
合計、百%。
掲示板の前には、多くの菌が集まった。
「やはり、人民は発展を望んでいるんだな」
「いや、安定を望む意見も多いぞ」
「発展と安定を合わせれば、九十九%だ」
「つまり、ほとんどの人民が、共和国の方針を支持しているということか」
誰かが、感心したように言った。
その言葉を聞いた宣伝部の職員は、すかさずメモを取った。
その日の夕方、国家放送局は特別番組を放送した。
『人民の皆さん、全人民意見聴取・集約制度は、画期的な成果を上げました』
『寄せられた意見の九十九%が、発展または安定、あるいはその両方に関するものでありました』
『これは、人民の関心が共和国の発展と安定に集中していることを示しています』
『また、共和国の方針に対して、人民が広く共通の関心を持っていることも明らかになりました』
放送は、そこで一度、区切られた。
画面には、笑顔のミツオケラ十三世が映し出された。
『人民の声を聞くことは、指導者の責任であります』
『我々は今後も、人民の声を聞き、人民のために判断し、人民とともに前進してまいります』
放送が終わると、共和国のあちこちで拍手が起こった。
拍手をしなかった菌たちも、テレビを見ていた。
彼らは、発展にも安定にも関心がなかったわけではない。
ただ、自分たちの意見が、いったいどのように扱われたのかを知りたかった。
その答えは、放送されなかった。
*
その夜、ブラウ太郎は、ビフ太郎とバク長老を自宅に招いた。
テーブルには、意見聴取局が公表した集計表が置かれていた。
ブラウ太郎は、集計表を指で叩いた。
「九十九%が発展と安定に関する意見だそうだ」
バク長老は、うなずいた。
「残る一%は、その他か」
「そうです」
「三万八千件以上の意見が寄せられたのだから、一%でも相当な数になるな」
「三百八十二件ほどですね」
ビフ太郎が計算した。
「それだけの意見が、その他に分類されたということか」
「そうなります」
バク長老は、集計表を眺めた。
「ところで、二つ聞きたいことがある」
「何ですか?」
「第一に、発展に関する意見と、安定に関する意見は、どうやって区別したのか」
ブラウ太郎は答えた。
「分類基準に従ったのでしょう」
「その基準は、誰が決めた?」
「意見聴取局ではないでしょうか」
「第二に、その他に分類された意見は、何を求めていたのか」
ビフ太郎が答えた。
「集計結果には、そこまで書かれていません」
「なぜだ?」
「その他だから、ではないでしょうか」
バク長老は、二人を交互に見た。
「つまり、我々は、人民の意見を集めた結果、人民が発展と安定を望んでいることを知った。しかし、発展と安定以外の意見については、何も知らないままなのだな」
ブラウ太郎は、集計表を見つめた。
「そうなりますね」
「では、発展と安定に関する意見についても、もう少し調べる必要があるのではないか」
「どうしてです?」
「発展を望む意見が、どのような発展を望んでいるのか。安定を望む意見が、何を変えずにいてほしいと願っているのか。それがわからなければ、数字だけを見ても、人民の望みを知ったことにはならない」
ビフ太郎は、ゆっくりとうなずいた。
「確かに。『発展してほしい』という意見と、『今よりよくなってほしい』という意見は、似ているようで違うかもしれません」
「そして、『安定してほしい』という意見と、『今の指導者に変わってほしくない』という意見も、同じではない」
バク長老は、集計表を机に置いた。
「数字は、何を数えたかを示す。しかし、何を数えなかったかまでは、教えてくれない」
ブラウ太郎は、しばらく黙っていた。
「長老。意見聴取局に、詳しい資料を請求してみましょうか」
「よい考えだ」
ビフ太郎が言った。
「ただし、質問の申請には、質問の目的と、共和国への貢献と、公式見解への理解度が必要なんですよね」
ブラウ太郎は、苦笑した。
「よく覚えているな」
「先日、七号が苦労していましたから」
その名を聞いて、バク長老が顔を上げた。
「七号か。あの若い菌は、何かを調べているようだな」
「はい。何かを知ろうとしているようです」
「それは、よいことだ」
バク長老は、少し間を置いてから続けた。
「ただし、知ろうとすることと、知ることが許されることは、必ずしも同じではない」
*
翌日、名無しの七号は、意見聴取局の資料公開窓口を訪れた。
提出した申請書には、こう書かれていた。
請求内容:その他に分類された意見の内訳。
請求目的:人民の意見がどのように分類されているかを理解するため。
共和国への貢献:今後の意見提出制度の改善に役立てるため。
窓口の職員は、申請書を確認した。
「記入内容に問題はありません」
「では、資料をいただけますか」
「公開の可否を審査いたします」
「どれくらいかかりますか」
「通常は七日以内です」
「七日後には、結果がわかるのですね」
「いいえ。七日以内に、審査状況をお知らせいたします」
七号は、少し考えた。
「資料が公開されるかどうかは、いつわかりますか」
「審査状況によります」
「審査状況は、どこで確認できますか」
「申請番号を用いて、窓口でお問い合わせください」
「申請番号は、どこに書いてありますか」
「受付後に発行されます」
七号は、受け取った控えを見た。
右上に、小さな番号が印字されていた。
「これですか」
「はい。そちらが申請番号です」
「では、これで審査状況を確認できるのですね」
「はい」
七号は、ほっとした。
窓口の職員は、笑顔で付け加えた。
「なお、審査状況に関するお問い合わせは、審査状況が一定段階に達している場合に限り、お受けしております」
「一定段階とは?」
「審査状況によります」
七号は、控えを折りたたんだ。
「わかりました」
窓口の職員は、満足そうにうなずいた。
「ご理解いただき、ありがとうございます」
七号は、その言葉を聞きながら思った。
この国では、何かを知るために申請する。
申請した結果を知るために、問い合わせる。
問い合わせるためには、問い合わせが可能な段階まで審査が進んでいなければならない。
そして、審査がどこまで進んだかを知るためには、審査状況を問い合わせなければならない。
彼は控えを懐にしまった。
今日も、何ひとつわからなかった。
ただし、わからないことを確認するための申請番号だけは、手に入った。
*
その頃、意見聴取局では、その他に分類された意見の再検討が始まっていた。
局長は、担当者を集めて言った。
「その他の意見が一%存在することについて、中央委員会から照会があった」
担当者たちは顔を見合わせた。
「照会の内容は?」
「その他の意見の中に、発展または安定に関する意見が含まれていないか、再確認せよとのことだ」
「含まれていた場合は?」
「適切な分類へ移す」
「含まれていなかった場合は?」
「そのまま、その他に分類する」
若い職員が手を挙げた。
「局長。ひとつ質問してもよろしいでしょうか」
「何だ」
「その他の意見がすべて、発展か安定に関するものだった場合、その他はゼロになります」
「そのとおりだ」
「では、その他がゼロになった場合、制度は成功したと評価されるのでしょうか」
「もちろんだ。人民の意見が、より明確に分類されたことになる」
「では、その他がゼロにならなかった場合は?」
「分類が十分ではなかった可能性がある」
「つまり、その他がゼロになれば成功で、ゼロにならなければ改善が必要ということですか」
「そうだ」
若い職員は、しばらく考えた。
「では、その他という分類は、最終的にはなくなることを目指しているのですね」
「そのとおりだ」
「しかし、どのような分類にも当てはまらない意見が、今後も出てくる可能性はありませんか」
局長は、机に置かれた資料を見た。
「もちろん、その可能性はある」
「では、その他をなくすことが、本当に人民の意見を正確に分類することにつながるのでしょうか」
局長は、若い職員を見た。
「君は、何を言いたいのだ?」
「その他に分類される意見が存在すること自体は、必ずしも制度の失敗ではないのではないか、と申し上げたいのです」
室内が静まった。
局長は、ゆっくりと椅子に座り直した。
「君の考えは、興味深い」
「ありがとうございます」
「しかし、今回の検討課題は、その他をなくすべきかどうかではない」
「では、何でしょうか」
「その他を、可能な限り減らすことである」
若い職員は、口を閉じた。
局長は、会議を締めくくった。
「我々は、人民の意見を正確に分類するために働いている。分類できない意見があるならば、分類できるように努力する。それが我々の責任だ」
誰も反対しなかった。
会議録には、こう記された。
「その他の意見について、分類の精度を向上させる方針を確認した。」
若い職員の質問は、記録されなかった。
質問が議題ではなかったからである。
*
三日後。
意見聴取局は、再分類の結果を発表した。
その他に分類されていた三百八十二件の意見のうち、二百四十件が発展に関する意見へ、百三十件が安定に関する意見へ移された。
残る十二件は、引き続きその他に分類された。
国家放送局は、特別速報を流した。
『人民の意見を、より正確に分類することに成功しました』
『これにより、共和国の発展と安定に対する人民の関心が、さらに明確になりました』
『なお、その他に分類された十二件の意見についても、引き続き慎重な検討を進めてまいります』
中央委員会は、成果を高く評価した。
ミツオケラ十三世は、会議の席で言った。
「その他が三百八十二件から十二件に減った。これは大きな前進だ」
「まったく、そのとおりであります」
「人民の意見が、より明確になったということだな」
「はい」
「残る十二件は?」
「引き続き検討しております」
「よろしい。急ぐ必要はない。人民の意見を、無理に分類してはならない」
その発言は、たいへん寛容な姿勢として評価された。
翌日の新聞には、見出しが躍った。
『書記長、少数意見への慎重な配慮を強調』
記事は、ミツオケラ十三世の温かい人柄を紹介していた。
しかし、誰も気づかなかった。
十二件の意見が、なぜその他に残ったのか。
何を求めていたのか。
誰が、それをその他に残すと決めたのか。
それらは、まだ明らかになっていなかった。
少数意見を尊重することと、少数意見が存在する理由を明らかにすることは、別の問題だった。
共和国は、前者について大きく前進したと発表した。
後者については、議題に上がっていなかった。
*
その夜、名無しの七号は、意見聴取局から届いた通知を開いた。
申請から七日目のことである。
通知には、丁寧な文章が並んでいた。
『このたびは、資料公開申請をいただき、誠にありがとうございます』
『ご請求いただいた資料につきましては、現在、公開の可否を慎重に審査しております』
『審査の結果、公開可能な範囲が確定次第、改めてご連絡いたします』
『今後とも、人民の声を尊重する共和国の制度運営に、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます』
七号は、通知を読み終えた。
「審査状況のお知らせ、か」
資料は届かなかった。
公開されるかどうかも、まだわからなかった。
けれども、共和国が自分の申請を忘れていないことだけは、確認できた。
七号は、帳面を開いた。
第一話の記録。
「全会一致は、全員の自由な意思を意味するのか。」
第二話の記録。
「七%には、七%の責任がある。では、九十三%には、どのような責任があるのか。」
そして、第三話の記録。
「人民の意見を集めた結果、人民の意見を分類する者が、人民の意見を定義することになった。」
七号は、しばらく考えた。
それから、もう一行を付け加えた。
「意見を聞く制度があることと、意見が届くことは、同じではない。」
書き終えたところで、彼はふと、別の疑問を抱いた。
自分がこうして書き残している記録も、いつか誰かに読まれるのだろうか。
読まれたとき、誰かは理解してくれるだろうか。
そして、理解してくれた誰かが、その理解を誰かに伝えられるだろうか。
七号は、帳面を閉じた。
今のところ、答えはなかった。
だが、答えがないということと、問いに意味がないということは、同じではない。
*
翌朝。
中央広場には、新しい看板が掲げられた。
「人民の声を聞く共和国。」
その下には、小さくこう書かれていた。
「寄せられた意見の九十九%を、発展と安定に分類しました。」
看板の前で、ある若い菌が立ち止まった。
「すごいな。九十九%も分類できたのか」
隣の菌が答えた。
「そうだね。ほとんどの意見が、発展か安定に関するものだったんだ」
「では、残る一%は?」
「その他だよ」
「その他って、何だろう」
隣の菌は、少し考えた。
「発展でも安定でもない意見じゃないかな」
「そんな意見があるのかな」
「あるから、その他に分類されたんだろう」
「では、何を言っていたんだろうね」
ふたりは看板を見上げた。
答えは、どこにも書かれていなかった。
やがて、若い菌は歩き出した。
「まあ、九十九%も分類できたんだから、十分じゃないかな」
「そうだね」
ふたりの姿が見えなくなると、中央広場には、また静けさが戻った。
看板は、朝の光を受けて輝いていた。
人民の声を聞く共和国。
その看板の下を、たくさんの菌たちが通り過ぎていった。
誰も、声を上げなかった。
誰も、反対しなかった。
そして国家放送局は、その日の夕方、こう報じた。
『共和国の人民は、制度の成果を広く理解し、落ち着いた反応を示しております』
『これは、人民の声を尊重する共和国の取り組みが、着実に実を結んでいることを示すものです』
放送は、いつもの音楽で締めくくられた。
タン、タタタン、タン。
腸内共和国は、今日も安定していた。
ただ、その安定の中に、どれだけの声が含まれていたのかは、誰にもわからなかった。




