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松木ひろ子さんの、腸内人民共和国【第百二十七回 ミツオケラ人民大会議】 «Bellum et Pax»  作者: 東曌


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第二十一話 人民は、まだ夕食を決めていない

いよいよ最終話です。

ひろこさんの食生活も、腸内人民共和国の政治も、一夜にして理想郷にはなりません。

でも、ミツオケラたちが「ひろこさんの意思」を自分たちの都合で解釈してきたことに、少しずつ変化が生まれます。


 腸内人民共和国の歴史において、もっとも重大な会議が開かれようとしていた。


 会議の名称は、


 《腸内人民共和国の今後の運営と、本人の選択の尊重に関する最終確認大会議》


 である。


 名称が長い。


 長すぎる。


 議長菌は、開会の挨拶を始める前に、議題の名称を読み上げるだけで疲れてしまった。


「えー、本日の議題は……」


 議長は書類をめくった。


「……本日の議題は、別紙のとおりです」


 会場に拍手が起きた。


 議事の簡素化が、さっそく実現したのである。


 ただし、議事の簡素化を実現したのは、議長の疲労であった。


     *


 ミツオケラ十三世は、演壇に立った。


「同志諸君。我が国は、これまで多くの困難を乗り越えてきた」


 ブラウ太郎が、小声で言った。


「困難の半分くらいは、君たちが作ったものだがな」


「発言を慎みたまえ!」


 十三世は咳払いをした。


「我が党は、長年にわたり、腸内の安定と秩序を維持してきた。我々の支持基盤は、およそ七パーセント。少数ではあるが、歴史的使命を担う勢力として、国家運営の中心を担ってきた」


「七パーセントで、どうして中心を担えるのかね」


 バク長老が尋ねた。


「歴史的使命があるからだ!」


「その使命は、誰が決めたのだ」


「歴史が決めた!」


「歴史に確認したのか」


「……歴史とは、そういうものではない!」


「便利なものだな、歴史というのは」


 十三世は、長老を睨んだ。


 長老は、お茶を飲んだ。


 この国では、長老がお茶を飲んでいるとき、議論で勝つのは難しい。


 相手が怒っている間にも、お茶は冷めるからである。


「しかし、我々も変わらなければならないことは理解している」


 十三世は、演説を続けた。


「今後は、本人の選択を尊重する。記録の不備を見直す。未解決の案件を、回答済みという理由だけで処理済みにしない。改革の実施率だけで、改革の成果を判断しない。そして、我々自身が誤っていた場合には、それを認める」


 議場がざわついた。


 ミツオケラ党の幹部たちは、互いの顔を見合わせた。


 最後の項目が、特に不評だった。


「十三世、それでは政府の威信が損なわれます」


 側近が耳打ちした。


「では、どうすればよい」


「誤りを認める場合にも、一定の手続きを設けては」


「どのような手続きだ」


「まず、誤りの定義を決定する委員会を設置します」


「その委員会は誰が監査するのだ」


「監査人の監査委員会を設置します」


「その委員会は誰が監査するのだ」


「……検討が必要です」


 十三世は、頭を抱えた。


「やめよう」


「よろしいのですか」


「これ以上、委員会を増やしたら、委員会のために腸内を運営することになる」


 名無しの七号が、記録帳に書き込んだ。


 《委員会の増設について、当面の見送りを決定》


 その下に、小さく付け加えた。


 《なお、見送りを監視する委員会は設置しない》


 ブラウ太郎が、それを見て笑った。


「七号、君は本当に記録係に向いているな」


「派手な仕事は、皆さんが得意ですから」


     *


 会議の途中、コウシン太郎が立ち上がった。


 かつて、ミツオケラ党の政策立案を担い、改革の必要性を理解しながら、改革の範囲を決める側にもいた男である。


「私は、ひとつ訂正したいことがあります」


「何をだ」


 十三世が尋ねた。


「これまで私は、制度を変えれば、人々の問題も解決に向かうと考えていました」


「間違っていたのか」


「間違いではありません。ただ、それだけでは足りなかった」


 コウシン太郎は、手元の書類を見た。


「手続きが整えば、記録が残る。担当者が決まれば、責任の所在が明らかになる。期限が設けられれば、放置されにくくなる。そうした改革には意味があります」


「ならば、何が足りなかったのだ」


「制度の外側にいる人の時間です」


 議場が静まった。


「我々は、改革の実施率を計算しました。何件の記録を整えたか。何件の回答を送ったか。何件の担当者を決めたか。それらは数えられる。しかし、返事を待っている人が、どれほど長く待ったのか。返事を読んだあと、何が変わらなかったのか。そうしたことを、我々は十分に数えてこなかった」


 名無しの七号が、ゆっくりと頷いた。


「記録に残すことと、問題を解決することは違う」


 コウシン太郎は続けた。


「そして、改革を進める側が、改革によって自分たちの評価を上げようとすれば、都合のよい数字ばかりを選び始める。私も、その誘惑から自由ではありませんでした」


 十三世は、黙っていた。


 ブラウ太郎も、今回はすぐには反論しなかった。


 誰かが自分の誤りを認めるとき、周囲がすぐに勝利宣言をする必要はない。


 むしろ、その瞬間を利用して、自分たちの正しさを大きく掲げることのほうが危うい。


 バク長老が言った。


「自分を疑うことは、自分を否定することではない。間違っていないか確かめられる者だけが、間違いを直せるのだ」


「しかし、長老」


 十三世が言った。


「それでは、政治家はいつまでも安心できないではないか」


「安心するために政治をしているのかね」


「……国家を安定させるためだ」


「安定と、動かないことは違うぞ」


 長老は、湯飲みを置いた。


「身体だって、いつも同じ状態でいるわけではない。食べるものが変われば、環境も変わる。生活のリズムが変われば、受け取る資源も変わる。そこで、すべてを昔の状態に戻すことだけを目標にしたら、変化そのものを敵にすることになる」


「では、変化をすべて歓迎すればよいのか」


「それも違う。変化には、よいものもあれば、困るものもある。大事なのは、変化を見て、確かめて、必要なら調整することだ」


「……面倒だな」


「政治とは、面倒なものだよ」


「もっと簡単な方法はないのか」


「ある」


「何だ!」


「ひろこさんに、聞くことだ」


 議場は、また静かになった。


     *


 そのころ、ひろこさんはスーパーから帰ってきたところだった。


 買い物袋を台所に置き、ひとつずつ中身を取り出す。


 野菜。


 卵。


 豆腐。


 それから、以前に買った豆類。


 豆類は、まだ棚に残っていた。


 ひろこさんは、それを手に取った。


「そろそろ使おうかな」


 そう言って、調理台に置いた。


 ただし、その日の夕食に使うかどうかは、まだ決めていない。


 少し疲れていた。


 手の込んだ料理をする気分ではなかった。


 冷蔵庫には、すぐに食べられるものもある。


 ひろこさんは、しばらく考えてから、簡単な食事を用意した。


 豆類は、また棚に戻された。


 腸内人民共和国の中央統計局は、これを受けて緊急会議を開こうとした。


 しかし、今回は名無しの七号が止めた。


「何をするつもりですか」


「食料資源の流入状況について、検討会を……」


「本人の食事がまだ決まっていないのに?」


「しかし、予測が必要です」


「予測はしてもいい。ただし、予測を本人の意思として扱わないこと。変化が起きたときに、予測が外れたことを隠さないこと。それから、豆類が棚に置かれている状態を、政府への支持とも不支持とも解釈しないこと」


 担当者は、困った顔をした。


「では、報告書には何と書けばいいのでしょう」


「見たとおりに書けばいい」


「見たとおり?」


「豆類は棚にある。まだ食べられていない。それだけです」


 担当者は、しばらく考えた。


「……報告書が一行で終わってしまいます」


「事実が一行なら、一行でいいんです」


 七号は、記録帳を閉じた。


 それは、腸内人民共和国の官僚制度にとって、革命的な発言だった。


 報告書は、長ければ長いほど立派だと考えられてきた。


 しかし、長い報告書が、短い事実を覆い隠すこともある。


 七号は、そのことを知っていた。


     *


 夕方、最終確認大会議は再開された。


「本日の会議では、いくつかの方針が確認された」


 議長菌が読み上げた。


「第一に、本人の選択を尊重すること。第二に、記録と実態を区別すること。第三に、改革の実施と問題の解決を区別すること。第四に、政府の説明と本人の意思を区別すること」


 議長は、そこで一度、息をついた。


「第五に、これらの方針について、今後も検討を続けること」


「結局、検討は続くのか!」


 ブラウ太郎が叫んだ。


「当然です。今回の会議で、すべての問題が解決したわけではありません」


「それを最初に言ってくれ!」


「なお、会議の成果を確認するため、成果確認会議の開催を提案します」


「やめろ!」


 議場に笑いが起きた。


 議長菌は、少し不満そうだったが、提案を撤回した。


 代わりに、議事録に一文を追加した。


 《本会議は、すべての問題を解決したものではない》


 それだけのことだった。


 けれども、これまでの議事録には、似たような一文はほとんどなかった。


 政府は、成果を発表することには熱心だった。


 成果がまだ十分でないことを、同じ大きさの文字で発表することには、あまり熱心ではなかったのである。


 十三世は、議事録を見つめた。


「……この一文を、広報資料にも載せるのか」


「はい」


「目立たないところに?」


「いえ、成果を説明する段落のすぐ下に」


「……そうか」


 十三世は、何か言いたそうにした。


 しかし、結局、何も言わなかった。


 彼はまだ、自分たちの政権が揺らぐことを恐れていた。


 その恐れが、すぐになくなるわけではない。


 ただ、恐れを理由に、事実を隠すことはできるだけ減らそうと考え始めていた。


     *


 会議が終わると、ブラウ太郎は議場の外で、バク長老に尋ねた。


「長老。これで、本当に変わるんでしょうか」


「何がだね」


「この国です。ミツオケラ党は、相変わらず七パーセントの歴史的使命を主張している。議長菌は、まだ何でも手続きにしようとする。十三世は、まだ自分たちに有利な食卓を望んでいる」


「そうだな」


「改革の方針はできました。でも、それが実際に守られるかどうかは、分からない」


「そのとおりだ」


「では、今日の会議には、何の意味があったのでしょう」


 バク長老は、しばらく考えた。


「意味があったかどうかは、明日からの行動で分かるのだろう」


「明日ですか」


「明日、都合の悪い記録が出てきたとき、隠さずに報告できるか。明日、ひろこさんが昨日と違うものを食べたとき、失敗だと決めつけずに見ていられるか。明日、誰かが『まだ解決していません』と言ったとき、その声を聞けるか」


 長老は、笑った。


「今日の会議で立派なことを言うのは、簡単だ。明日、それを忘れないことのほうが難しい」


 ブラウ太郎は、黙って頷いた。


「では、明日も見ていきましょう」


「そうだな」


「記録を取りながら」


「うむ」


「必要なら、改善して」


「うむ」


「ただし、改善状況を確認する委員会は作らずに」


「そこは、特に大事だな」


 二人は笑った。


     *


 夜。


 松木ひろ子さんは、台所で夕食の支度をしていた。


 今日は、昨日とは少し違うものを食べることにした。


 特別な決意があったわけではない。


 健康のために、何かを完璧に変えようと思ったわけでもない。


 ただ、棚に置いてあった豆類を使ってみようと思った。


 ひろこさんは、いつもの料理にそれを加えた。


 味を確かめる。


「うん。これでいいかな」


 食卓に料理を並べる。


 ひろこさんは、椅子に座った。


 そして、食べ始めた。


 腸内人民共和国では、中央統計局が静かに記録を更新した。


 《豆類の摂取を確認》


 担当者は、少し考えてから、追記した。


 《ただし、今回の選択が今後も継続するかどうかは不明》


 さらに、別の欄に記入した。


 《本人の選択理由については、政府の推定をもって代替しない》


 ミツオケラ十三世は、その記録を読んだ。


「……我が党の政策が、食卓に影響した可能性はないのか」


「可能性は否定できません」


「では、その可能性を成果として発表しては」


「本人の選択理由を確認していません」


「しかし、我々の政策によって、本人が選択しやすい環境が整った可能性は……」


「その点は、今後の検証課題です」


「検証課題か……」


 十三世は、深く息を吐いた。


 かつての彼なら、ただちに成果を発表させていただろう。


 《ミツオケラ党の政策、食卓に変化をもたらす》


 そんな見出しをつけて。


 そして、明日の食卓が違うものになれば、


 《一時的な変動に左右されない、長期的政策の成果》


 と発表したに違いない。


 どちらに転んでも、自分たちの勝利。


 それが、長年の政治手法だった。


 しかし、十三世は、今回は報告書を閉じた。


「……まだ、分からないのだな」


「はい」


「分からないなら、分からないと記録しておこう」


 担当者は、目を丸くした。


「よろしいのですか」


「よくはない」


 十三世は、正直に答えた。


「だが、分からないものを、分かったことにするよりは、ましだろう」


 その発言は、すぐに党内で議論を呼んだ。


 ミツオケラ党の古参幹部は、十三世が弱気になったと批判した。


 改革派は、ようやく一歩進んだと評価した。


 ブラウ太郎は、まだ何も決まっていないと指摘した。


 バク長老は、お茶を飲んでいた。


 名無しの七号は、全員の発言を記録した。


 そして、記録の末尾に、こう書いた。


 《なお、各発言の評価については、現時点では確定していない》


 この国は、まだ完成していなかった。


 しかし、完成したふりをすることは、以前より少しだけ難しくなっていた。


     *


 翌朝。


 ひろこさんは、冷蔵庫を開けた。


 卵がある。


 野菜がある。


 豆腐もある。


 豆類は、昨日使った分だけ、少し減っていた。


 ひろこさんは、冷蔵庫の中を眺めた。


「さて、今日は何にしようかな」


 腸内人民共和国の中央統計局は、予測報告書の作成を開始した。


 しかし、担当者は、すぐに結論を書かなかった。


 昨日と同じものを食べるかもしれない。


 違うものを食べるかもしれない。


 食事の時間がずれるかもしれない。


 予定していたものを食べられない日もあるかもしれない。


 それでも、ひろこさんの暮らしは続いていく。


 その暮らしのすべてを、腸内の誰かが思いどおりに決めることはできない。


 ミツオケラ党は、これからも政権を維持しようとするだろう。


 ブラウ太郎は、これからも反論するだろう。


 バク長老は、これからもお茶を飲みながら、皆が見落としたことを指摘するだろう。


 議長菌は、これからも議事進行を気にするだろう。


 名無しの七号は、これからも記録を残すだろう。


 そして、ときには、また同じ間違いを繰り返すかもしれない。


 大切なのは、間違いが一度も起きないことではなかった。


 間違いが起きたとき、それを隠さずに認められること。


 誰かの声を、都合のよい数字に置き換えないこと。


 本人の選択を、勝手に自分たちの手柄にしないこと。


 そして、まだ解決していない問題を、解決したことにしないこと。


 それらは、壮大な革命ではなかった。


 立派な記念碑が建つような出来事でもなかった。


 ただ、日々の食卓と、日々の記録と、日々の判断の中で、何度も確かめなければならないことだった。


 ひろこさんは、冷蔵庫から卵を取り出した。


 それから、少し考えて、野菜も取り出した。


 今日の食事は、それで決まりかもしれない。


 いや、途中で気が変わるかもしれない。


 腸内人民共和国の中央統計局は、報告書の最後に、こう記した。


 《本日の食事については、本人の選択を確認するまで、確定しない》


 その下に、担当者が小さく付け加えた。


 《なお、本人は現在、卵を手にしている》


 それは、正確な記録だった。


 それ以上でも、それ以下でもなかった。


     *


 ミツオケラ十三世は、朝の報告書を読み終えると、執務室の窓を開けた。


「……静かだな」


 側近が答えた。


「はい。今のところ、大きな変動はありません」


「そうか」


 十三世は、少し満足そうに頷いた。


「では、安定していると発表しよう」


「まだ食事が決まっていません」


「……そうだったな」


 十三世は、窓の外を眺めた。


「では、発表は保留だ」


「よろしいのですか」


「よくはない」


 十三世は言った。


「しかし、ひろこさんがまだ決めていないのに、我々が先に決めるわけにもいかん」


 側近は、驚いた顔をした。


 それは、ミツオケラ十三世が政権を握って以来、初めて口にした種類の言葉だった。


 本人がまだ決めていないことを、本人に代わって決めない。


 たったそれだけのことだった。


 けれども、腸内人民共和国にとっては、長い歴史の中で、ようやく覚え始めた新しい作法だった。


 そして、松木ひろ子さんは、まだ知らない。


 自分が冷蔵庫の前で考えているあいだに、腸内でひとつの政治的進歩が起きたことを。


 ひろこさんは、卵を置き、野菜を洗い始めた。


 水が流れる。


 包丁の音がする。


 台所に、いつもの朝が戻ってくる。


 腸内人民共和国では、誰かが新しい標語を提案していた。


 《人民の意思を尊重せよ》


 ブラウ太郎は、その標語を見て言った。


「悪くないが、ひとつ付け加えよう」


「何をだ」


 十三世が尋ねた。


 ブラウ太郎は、標語の下に、小さく一文を書いた。


 《ただし、人民が何を望んでいるかは、人民に聞くこと》


 バク長老は、それを読んで頷いた。


「うむ。ようやく、当たり前のことを書けたな」


 名無しの七号は、その標語を記録した。


 議長菌は、正式な掲示手続きを確認した。


 ミツオケラ十三世は、標語の文字が少し小さいことを気にした。


 そして、ひろこさんは、朝食を作り終えた。


 政治は、まだ続く。


 腸内の勢力争いも、まだ続く。


 食卓も、明日になれば、また変わるかもしれない。


 それでも。


 ひろこさんの選択を、ひろこさん自身のものとして残すこと。


 その当たり前のことを、忘れないようにすること。


 腸内人民共和国は、ようやくその第一歩を踏み出した。


 その日の夕方、中央広報部は、改革の成果を発表した。


 見出しは、こうだった。


 《政府、本人の選択を尊重する方針を確認》


 その下に、名無しの七号が、訂正を求めた。


 《政府が確認したのは方針であり、本人の選択そのものではありません》


 広報部は、少し考えた。


 そして、訂正を受け入れた。


 見出しは、次のように修正された。


 《政府、本人の選択を尊重する方針を確認。本人の選択は、本人に確認へ》


 ブラウ太郎は、その見出しを見て、腹を抱えて笑った。


「まだ日本語がぎこちない!」


 議場にも、笑いが広がった。


 ミツオケラ十三世も、とうとう笑った。


 完璧な制度は、できなかった。


 完璧な政治家も、現れなかった。


 完璧な食生活も、存在しなかった。


 ただ、少しだけ、誰かの話を聞く余地ができた。


 少しだけ、間違いを訂正する余地ができた。


 少しだけ、分からないことを分からないままにしておく余地ができた。


 その余地が、明日も残っているかどうか。


 それは、明日にならなければ分からない。


 だからこそ、記録を残す。


 だからこそ、話を聞く。


 だからこそ、決めつけない。


 そして、何よりも。


 腸内人民共和国のすべての会議が終わったあとも、松木ひろ子さんには、夕食を決める権利が残されていた。


 それは、政府の成果ではない。


 改革の実施率にも含まれない。


 誰かの支持率を上げるための数字でもない。


 ひろこさん自身の暮らしだった。


 ――人民は、まだ夕食を決めていない。


 だから、物語も、ここでひとまず幕を閉じる。


 明日の食卓は、明日のひろこさんが決める。


 腸内人民共和国は、それを勝手に決めない。


 少なくとも、今夜は。


 そして、今夜の議事録には、最後にこう記された。


 《本日の会議は終了した。なお、問題がすべて解決したことを意味するものではない》


 その一文を読んで、バク長老は、静かにお茶を飲んだ。


「うむ。今日は、これでよかろう」


 腸内人民共和国の夜は、更けていった。


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