第十五話 改革という名の新しい保留
独立委員会の報告書が公表されてから、人民共和国の中央官庁では、かつてないほど多くの会議が開かれるようになった。
会議が増えた理由は明白だった。
問題が見つかったからである。
そして、問題が見つかった以上、問題に対応するための会議が必要になった。
さらに、会議を開いた以上、その会議で何が決まったかを記録する会議が必要になった。
記録が作成された以上、その記録が適切に作成されているかを確認する会議も必要になった。
最後に、それらの会議が適切に実施されたかを総括する会議が、翌月に予定された。
中央官庁の廊下には、いつの間にか新しい標語が掲げられていた。
**「問題を放置しない。改革を止めない。進捗を見える化する。」**
その標語の下で、ある職員が同僚に尋ねた。
「ところで、進捗の見える化を進めるための資料は、どこに提出するんだ?」
「進捗管理室だ」
「進捗管理室の進捗は?」
「それは、進捗管理室の進捗管理担当に聞いてくれ」
「その担当の進捗は?」
同僚は少し考えた。
「……そこまで見える化する必要があるのか?」
二人は、しばらく標語を見上げていた。
やがて、一人が言った。
「見える化というのは、見えるようにすることだろう」
「そうだな」
「見えていないものを、見えないままにしておくことではないはずだ」
「そのとおりだ」
「では、見えないものが残っている場合、進捗率にはどう反映する?」
二人は顔を見合わせた。
「……進捗管理室に聞いてみよう」
こうして、最初の照会が発生した。
そして、改革は始まった。
*
中央委員会が発表した改革計画の名称は、次のとおりだった。
《旧意見記録移管検証委員会報告を踏まえた、人民意見処理制度の透明性・追跡可能性・実効性向上に関する総合改革計画》
長い名称だった。
ただし、名称が長いこと自体は、改革の欠陥を意味しない。
短い名称の改革が優れているとも限らない。
問題は、名称の長さではなく、その名称の下で何が行われるかだった。
計画には、四つの重点項目が定められた。
第一に、未処理案件の担当部署と責任者を明確にすること。
第二に、案件ごとの処理期限を設定し、期限超過を自動的に把握できるようにすること。
第三に、旧番号と新番号の対応関係を整備し、記録の移管状況を追跡可能にすること。
第四に、処理済みとされた案件について、処理の内容と結果を確認できるようにすること。
これまで曖昧だった責任の所在は、少しずつ明確になった。
期限がないために何年も保留されていた案件には、新しい期限が設定された。
担当部署が不明だった案件には、仮の担当部署が割り当てられた。
旧番号と新番号の対応関係についても、確認できるものから照合が進められた。
一部の人民には、実際に変化が訪れた。
何度問い合わせても返事がなかった案件に、ようやく担当者から連絡が来た。
過去の申立てが見つからないと言われ続けていた人民が、旧番号と新番号の照合によって、自分の記録を確認できた。
回答の予定時期すら分からなかった案件に、初めて具体的な期限が示された。
それは、小さな変化だった。
しかし、当事者にとっては小さくなかった。
「いつまで待てばいいのか分からない」という状態から、「少なくとも、この日までに何らかの説明を受けられる」という状態へ移ることには、確かな意味があった。
ブラウ太郎は、ある申立人から届いた手紙を読みながら言った。
「これは、改革の成果だな」
名無しの七号がうなずいた。
「期限があるだけで、違うのですね」
「期限があること自体が、解決ではない。でも、期限がなければ、解決を求め続けることさえ難しくなる」
「では、期限を守ったかどうかを調べれば、改革の成果が分かるのでしょうか」
ブラウ太郎は、すぐには答えなかった。
「分かることは増える。でも、それだけでは足りない」
名無しの七号は、手元の記録帳に書き留めた。
《期限を設定したことと、問題を解決したことは、同じではない。》
その一文が、後に改革計画を揺るがすことになるとは、このとき二人はまだ知らなかった。
*
改革開始から三か月後、中央委員会の大会議室で、最初の進捗報告会が開かれた。
会議室の正面には、大型の表示板が設置されていた。
そこには、改革計画の進捗率が大きな数字で表示されていた。
**改革計画の進捗率 七十八・四%**
その数字を見た出席者たちの表情は、明るかった。
「順調ですな」
「想定以上の速度だ」
「人民の信頼回復に向けて、確かな一歩を踏み出したと言えるでしょう」
中央委員会の改革担当責任者は、満足そうにうなずいた。
「各部署の努力が実を結んでいます。責任者の明確化、期限管理の導入、記録照合の標準化。いずれも着実に進んでおります」
ミツオケラ十三世は、表示板を見つめていた。
七十八・四%。
数字は、彼に安堵を与えた。
独立委員会の報告書が公表された直後、中央委員会には厳しい批判が寄せられていた。
記録を管理できていなかった。
人民の意見を追跡できなかった。
処理済みという言葉の意味が曖昧だった。
改革の必要性は認められたものの、改革を本当に実行できるのかという疑念は残っていた。
だからこそ、この数字には政治的な意味があった。
改革は動いている。
中央委員会は、問題から逃げていない。
人民の信頼を取り戻すために、具体的な成果を積み上げている。
そう説明することができる。
「この進捗率は、どのように算出されたのでしょうか」
議長菌が尋ねた。
改革担当責任者は、用意された資料を開いた。
「計画に定められた実施項目を、完了済み、進行中、未着手の三段階で管理しております。各項目には重要度に応じた配点を設定し、完了した項目の配点を合計して算出しております」
「完了の定義は?」
「各項目に定められた実施要件を満たした状態です」
「例えば、未処理案件の責任者を明確にするという項目であれば?」
「責任者一覧の作成と登録が完了した状態です」
「期限管理の導入であれば?」
「期限管理システムの稼働と、対象案件への期限登録が完了した状態です」
議長菌はうなずいた。
「つまり、制度を整備したかどうかを測っているわけですね」
「そのとおりです」
そこで、ブラウ太郎が手を挙げた。
「では、制度を整備した結果、人民の問題が解決したかどうかは、どこに表示されているのでしょうか」
会議室が静かになった。
改革担当責任者は、資料を一枚めくった。
「人民への対応状況につきましては、別途、成果指標として管理しております」
「別途、というのは?」
「改革の実施状況と、個別案件の結果を混同しないためです」
「混同しないことは大切です。しかし、別々に管理した結果、両者の関係が見えなくなってしまうことはありませんか」
責任者は、丁寧に微笑んだ。
「そのような事態を防ぐため、相互参照の仕組みを検討しております」
名無しの七号は、その言葉を書き留めた。
《相互参照の仕組みを検討中。》
そして、その下に小さく付け加えた。
《現在、相互参照できるとは限らない。》
*
改革担当部門が公表した成果指標は、三つに分かれていた。
一つ目は、改革の実施率。
二つ目は、人民への回答率。
三つ目は、人民の満足度。
一見すると、よくできた仕組みだった。
制度を整えたかどうか。
人民に回答したかどうか。
人民がその対応に満足したかどうか。
それぞれ異なる問いを、異なる数字で測ろうとしていたからだ。
問題は、それぞれの数字の定義にあった。
改革の実施率は、予定された作業が完了した割合だった。
人民への回答率は、回答文書を発行した割合だった。
人民の満足度は、回答後のアンケートで肯定的な評価を得た割合だった。
その結果、ある申立てに対して担当部署が回答文書を発行すれば、回答率は上昇した。
その回答文書に、具体的な解決策が記されていなくても。
申立人が、その回答に納得していなくても。
問題が、依然として残っていても。
回答文書が発行されたという事実は、間違いなく存在した。
そして、その事実は、間違いなく数字に反映された。
「数字が嘘をついているわけではないんです」
コウシン太郎は、改革資料を見ながら言った。
「数字の定義どおりに数えているだけだ」
ブラウ太郎が答えた。
「では、何が問題なのですか」
「数字が答えている問いと、人民が知りたい問いが違うことだ」
コウシンは黙った。
「人民は、回答文書が発行されたかどうかだけを知りたいのではない。自分の問題がどう扱われ、何が決まり、何が変わらず、なぜ変わらなかったのかを知りたいんだ」
「それは、成果指標を増やせば対応できるかもしれない」
「増やすだけでいいのか?」
コウシンは、資料の端を指で押さえた。
そこには、見覚えのある文言があった。
《回答の実施をもって、当該案件への対応を完了したものとする。》
彼がかつて作成に関わった運用指針にも、よく似た表現があった。
当時、彼はこう考えていた。
回答がなければ、人民は放置されたと感じる。
だから、回答を義務化する。
回答の実施を確認できれば、放置を防ぐことができる。
それは間違いではなかった。
しかし、彼はいつの間にか、回答を出すことと、問題に対応することを、同じ欄で管理するようになっていた。
そして、その欄が、制度の中で独り歩きしていた。
「また、同じものを作ってしまった」
コウシンがつぶやいた。
ブラウ太郎は、すぐには慰めなかった。
「前に作った道具が、今も使われているんだろう」
「しかも、以前より精巧になっている」
「精巧になったこと自体は、悪くない」
「だが、何を測るための道具なのかを忘れれば、以前よりも強く、間違った方向へ進めてしまう」
ブラウ太郎はうなずいた。
「そこを認められるかどうかだな」
コウシンは、資料を閉じなかった。
今度は、自分の関わった仕組みから目をそらさないことにした。
*
中央委員会の進捗管理室には、毎朝、最新の数字が送られてきた。
改革実施率は、七十八・四%から八十一・二%へ。
人民への回答率は、六十九・七%から七十六・三%へ。
期限超過案件は、前月比で二十一%減少。
担当部署未設定の案件は、半数以下に減少。
どれも、一定の意味を持つ改善だった。
実際に、期限超過の警告が担当者に届くようになったことで、何か月も動かなかった案件が再び動き始めていた。
担当部署が明確になったことで、たらい回しにされる案件も減った。
記録の照合が進み、以前なら見つからなかった申立てが発見されることもあった。
改革は、単なる演出ではなかった。
しかし、別の数字も存在していた。
回答を受け取った人民のうち、問題が解決したと確認できた者の割合。
こちらは、なかなか上昇しなかった。
さらに、回答を受け取った後も、同じ内容の申立てを繰り返している人民がいた。
担当部署が回答を発行し、人民が再び問い合わせ、担当部署が再回答を発行する。
そのたびに、回答率は上昇した。
そして、同じ問題が繰り返し報告されているという事実は、別の統計表に記載された。
その統計表の名称は、《継続的な制度理解支援を要する案件の状況》だった。
「なぜ、同じ人民が何度も同じ申立てをしているのでしょうか」
名無しの七号が、集計資料を見て尋ねた。
担当者は答えた。
「制度の理解が十分に進んでいない可能性があります」
「人民が制度を理解していないのか、制度が人民の問題を理解していないのか。その区別はされていますか」
担当者は、少し考えた。
「現在の集計項目では、そこまでの区別は行っておりません」
「では、制度理解支援を必要としていると分類された案件のうち、制度側の対応が不十分だった案件は、どれくらいありますか」
「それを把握するには、個別案件の再確認が必要になります」
「その再確認は、改革計画に含まれていますか」
担当者は資料を探した。
「……現時点では、独立した実施項目にはなっておりません」
名無しの七号は、記録帳を開いた。
《繰り返し申立てを行う人民を、制度理解支援の対象として分類する仕組みがある。制度側の対応が不十分である可能性を確認する仕組みは、まだない。》
書き終えてから、彼は尋ねた。
「この記録は、どこに提出すればよいのでしょうか」
担当者は、少し安心したように答えた。
「ご意見であれば、改革計画に関する意見受付窓口がございます」
「そこに提出した場合、改革計画の進捗率に反映されますか」
「内容を確認のうえ、適切に分類いたします」
名無しの七号はうなずいた。
その回答に、彼はもう驚かなかった。
*
その日の夕方、ブラウ太郎と名無しの七号は、三人の申立人と面会した。
一人目は、何年も前に提出した栄養資源の配分に関する意見について、ようやく回答を受け取った人民だった。
回答文書には、こう書かれていた。
《ご提出いただいた意見については、関係部署において検討を実施しました。現行制度の枠組みにおいて、直ちに変更を行うことは困難ですが、今後の制度運用の参考といたします。以上をもって、本件への回答を完了いたします。》
「返事が来たことは、ありがたかったんです」
その人民は言った。
「何年も何も分からなかったから。でも、結局、何を検討したのかは分かりませんでした。誰が検討したのかも、どんな選択肢があったのかも」
「回答を受け取って、問題は解決しましたか」
ブラウ太郎が尋ねた。
「いいえ。でも、回答が来たので、制度上は解決したのかもしれません」
その言葉には、怒りよりも疲れがあった。
二人目の申立人は、担当部署の明確化によって、初めて正式な窓口を得た人民だった。
「これは、明らかに前進です。以前は、どこへ行っても別の部署を紹介されました。今は、担当者の名前も、回答期限も分かります」
「問題そのものは?」
「まだ解決していません。でも、少なくとも、誰に何を尋ねればよいかは分かりました」
ブラウ太郎は、その言葉を丁寧に記録した。
改革には、確かな成果があった。
それを否定してしまえば、改善された部分まで見失うことになる。
三人目の申立人は、回答を受け取った後、同じ申立てを三度繰り返していた。
「最初の回答には、担当部署で確認すると書いてありました。二度目の回答には、確認を継続すると書いてありました。三度目の回答には、確認を継続していることを確認したと書いてありました」
名無しの七号が、思わず顔を上げた。
「確認を継続していることを、確認したのですか」
「はい」
「では、確認そのものは終わったのでしょうか」
「それを尋ねたところ、確認を継続しているとの回答がありました」
四人は、しばらく沈黙した。
やがて、ブラウ太郎が言った。
「少なくとも、回答の一貫性は保たれているな」
申立人は、困ったように笑った。
「そうなんです。毎回、同じように丁寧なんです」
その笑顔を見て、ブラウ太郎は、自分の冗談を少し後悔した。
制度の不条理を笑うことはできる。
しかし、その不条理の中で何年も待ち続けている者にとっては、笑い話ではない。
名無しの七号は、三人の記録を並べた。
一人目には、回答があったが、実質的な判断が分からなかった。
二人目には、担当者と期限が設定され、問題解決に向けた手続きが始まっていた。
三人目には、回答が繰り返されていたが、何が前進したのか分からなかった。
三つの案件は、すべて回答済みだった。
しかし、三つの案件の状態は、同じではなかった。
「同じ分類にしてはいけないのではありませんか」
名無しの七号が言った。
ブラウ太郎は、うなずいた。
「同じ回答済みでも、違う現実がある」
「では、どう分類すればよいのでしょう」
「まず、解決したかどうかを、回答した側だけで決めないことだ」
「人民が解決したと言えば、解決したことになるのですか」
「それも簡単ではない。申立てのすべてを、そのまま実現できるとは限らない。制度上、認められない要求もある。資源が足りず、すぐに対応できない問題もある」
「では、何をもって解決とするのですか」
ブラウ太郎は、少し考えた。
「解決したかどうかだけでは、足りないのかもしれない」
「どういうことですか」
「実現できたこと。実現できなかったこと。実現できない理由が説明されたこと。まだ判断できないこと。調査が必要なこと。それらを分けて記録する。そして、その分類が適切かどうかを、人民も確かめられるようにする」
名無しの七号は、記録帳に書き込んだ。
《未解決を、すべて失敗と呼ぶ必要はない。しかし、未解決を、すべて完了と呼んではならない。》
*
数日後、コウシン太郎は、中央委員会に新しい提案を提出した。
名称は、《改革成果の実効性確認に関する追加措置》だった。
提案の中心は、単純だった。
改革の実施率や回答率とは別に、実際の案件がどうなったかを確認する。
そのために、処理済み案件の一部を無作為に抽出し、当事者への聞き取りと記録の照合を行う。
確認する項目は、次の五つだった。
第一に、当初の申立て内容が、正確に記録されているか。
第二に、担当部署が、何を検討したかを確認できるか。
第三に、実際に行われた対応と、回答文書の内容が一致しているか。
第四に、問題が解決していない場合、その理由と今後の見通しが説明されているか。
第五に、当事者が、現在の案件の状態を確認できるか。
提案書には、重要な但し書きがあった。
《本確認は、未解決案件を直ちに失敗と判定することを目的としない。また、当事者の満足度のみをもって、制度上の適否を決定するものではない。目的は、公式記録上の処理状態と、実際の案件の状態との間に乖離が存在するかを確認することである。》
中央委員会の改革担当責任者は、提案書を読んで言った。
「考え方は理解できます。ただ、確認作業が増えれば、各部署の負担も増えます」
コウシンは答えた。
「それは事実です」
「回答期限を守ることが難しくなる可能性もあります」
「その可能性もあります」
「改革の実施率が、一時的に低下するかもしれません」
「低下するでしょう」
責任者は、少し不満そうに言った。
「それでは、改革が後退したように見えてしまいます」
コウシンは、静かに答えた。
「実際に行っている作業が増えたのに、数字が下がるのであれば、数字のほうに問題があるのかもしれません」
責任者は黙った。
コウシンは続けた。
「私たちは、数字を改善するために改革しているのではありません。数字によって、改革がどこまで進んだかを確かめるために、数字を使っているのです」
「しかし、数字は人民に説明するためにも必要です」
「そのとおりです。だからこそ、数字が何を示していて、何を示していないのかを説明する必要があります」
「それでは、説明が複雑になります」
「現実が複雑なのです。説明だけを簡単にしても、現実は簡単になりません」
会議室の隅で、議事録係が顔を上げた。
その発言は、記録に残すべきものだった。
しかし、記録に残すべき発言が増えると、議事録の作成時間も増える。
議事録係は、少しだけため息をついた。
もちろん、そのため息は議事録には記載されなかった。
*
ミツオケラ十三世は、コウシンの提案を受け取った日の夜、中央委員会の執務室に一人で残っていた。
机の上には、改革の進捗報告書が置かれていた。
八十一・二%。
この数字を公表すれば、改革が順調に進んでいると説明できる。
実際、進んでいる部分はある。
担当者は明確になった。
期限管理は動き始めた。
記録照合も進んでいる。
これらは、過去の制度に欠けていたものだった。
それなのに、なぜ自分は、この数字をそのまま掲げることにためらいを感じているのだろう。
ミツオケラ十三世は、コウシンの提案書を読み直した。
そこには、彼自身が何度も使ってきた言葉があった。
《制度の実施状況と、人民への実際の影響を区別する。》
彼は、その一文に線を引いた。
以前の彼なら、こう考えていたかもしれない。
改革の進捗率が高いことは、中央委員会が責任を果たしている証拠だ。
責任を果たしている以上、改革は正しい方向へ進んでいる。
しかし、独立委員会の報告書を読んでから、彼は知っていた。
制度が定めた基準を満たしたことと、その制度が目的を果たしたことは、必ずしも同じではない。
記録の移管が完了したと報告されても、記録が見つからない人民がいた。
回答が発行されたと報告されても、何が検討されたのか分からない人民がいた。
そして今、改革の進捗率が上がっていると報告されても、その数字だけでは、人民の問題がどこまで解決したか分からない。
彼は窓の外を見た。
ミツオケラ党の古い標語が、庁舎の壁に掲げられていた。
《人民のために。人民とともに。人民の声を正しく反映する。》
かつては、その言葉に疑いを持たなかった。
今も、その理念を捨てたいわけではなかった。
むしろ、理念を守ろうとするならば、理念が実現していない可能性を認めなければならないのではないか。
「七%の歴史的使命……か」
彼は、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
少数であることは、正しさの証明ではない。
多数であることも、正しさの証明ではない。
そして、改革を進めていることも、改革が成功していることの証明ではない。
証明できることと、まだ証明できないこと。
その境界を、都合よく塗りつぶしてはならない。
翌朝、ミツオケラ十三世は、進捗報告の公表方針について指示を出した。
「改革の実施率は、公表してよい。ただし、制度整備の進捗率であって、人民の問題が解決した割合ではないことを、同じ資料の中に明記する」
改革担当責任者は、少し驚いた。
「別の資料に記載するのではなく、同じ資料に、ですか」
「そうだ」
「その場合、数字の印象が弱まる可能性があります」
「数字の印象を強めることが、私たちの仕事ではない」
ミツオケラ十三世は、そこで言葉を切った。
「数字が何を示しているのかを、正しく伝えることが仕事だ」
「人民から、改革が不十分だと批判される可能性もあります」
「不十分な部分があるなら、批判されることもあるだろう」
責任者は、返す言葉を探していた。
ミツオケラ十三世は続けた。
「ただし、改善された部分まで否定する必要はない。期限管理が進んだことは、成果だ。記録の照合が進んだことも、成果だ。しかし、まだ解決していない問題が残っているなら、それも同じ資料に載せる」
「進捗率と未解決案件を、並べて公表するということですね」
「そうだ。改革が進んでいることと、改革が不十分であることは、同時に成立し得る」
彼は、報告書の末尾に一文を追加するよう命じた。
《本進捗率は、計画に定められた制度整備項目の実施状況を示すものであり、人民から提出された個々の意見の解決率、または当事者が問題の解決を確認した割合を示すものではない。両者の関係については、追加の検証を実施する。》
その文言は、華々しい成果発表には向かなかった。
しかし、後から読み返したときに、数字の意味を誤解しないためには必要だった。
*
改革進捗報告書は、予定どおり公表された。
見出しには、大きくこう書かれていた。
《改革実施率八十一・二%。制度整備は着実に進展》
その下には、これまでよりも小さな文字で、未解決の課題が記載されていた。
《個別案件の解決状況については、別途検証を実施する。》
人民の反応は、さまざまだった。
「ようやく改革が動き始めた」
「八十一%も進んだのなら、もう安心だ」
「制度整備の進捗率であって、解決率ではないと書いてある」
「では、実際に解決した割合は、どこにあるのだ」
「また別途か」
最後の言葉を見た名無しの七号は、しばらく考え込んだ。
《別途》という言葉には、二つの可能性がある。
本当に別の作業として実施されること。
そして、同じ作業の中から、都合の悪い部分が切り離されること。
その違いを決めるのは、言葉そのものではない。
期限があるか。
担当者がいるか。
結果が公表されるか。
未解決の問題が、次の判断につながるか。
名無しの七号は、ブラウ太郎に言った。
「今回は、以前とは違うところもあります」
「そうだな」
「未解決の問題があることを、最初から報告書に記載しました。検証の必要性も、正式に認められました」
「それは前進だ」
「でも、検証が実際に行われるかどうかは、まだ分かりません」
ブラウ太郎は、うなずいた。
「だから、今回の記録を残すんだ」
「改革が成功したと証明するために、ですか」
「違う」
ブラウ太郎は答えた。
「改革が、どこまで成功していて、どこから先はまだ分からないのか。それを後から確かめるためだ」
名無しの七号は、記録帳を閉じた。
彼らは、改革を否定したいわけではなかった。
むしろ、改革が本当に人民のためになることを望んでいた。
だからこそ、数字が上がったときだけ記録するのではなく、数字が上がっても残された問題を記録しなければならなかった。
*
一週間後、中央記録管理局から、改革進捗管理室へ一通の文書が届いた。
文書の表題は、《改革進捗率の算定対象に関する照会》だった。
内容は簡潔だった。
旧意見記録移管検証委員会の報告書において、移管状況を確認できなかった記録が存在するとされた。
そのうち一部について、現在の改革計画では、対象記録の所在確認、旧番号と新番号の照合、担当部署の割当てが実施項目として登録されている。
しかし、調査の過程で新たに発見された関連文書の一部は、現行の管理番号と対応していない。
そのため、当該文書については、既存の改革計画の対象に含めるべきか、追加案件として管理すべきか、判断を求める。
文書の末尾には、こう書かれていた。
《当該文書の位置づけが確定するまで、改革計画上の進捗率への算入は保留することが適当と考えられる。》
改革進捗管理室の担当者は、文書を読み終えると、ため息をついた。
「また、保留か」
隣の職員が言った。
「ただし、今回は理由があります。管理番号が対応していないのですから」
「それは分かっている」
「以前なら、所在不明の記録として処理されていた可能性もあります。今回は、関連文書の存在自体が確認されました」
「それも分かっている」
担当者は、文書を机の上に置いた。
「問題は、保留することそのものではないんだ」
「では、何が問題なのでしょう」
「保留した案件が、いつ、誰によって、どの条件で、再び判断の対象になるのか。それが決まっているかどうかだ」
担当者は、改革計画の管理画面を開いた。
そこには、新しい入力欄が追加されていた。
《保留理由》
《再確認予定日》
《担当責任者》
《再開条件》
以前なら、保留という分類に入った時点で、その案件は進捗管理の中心から外れていた。
今は、保留案件にも担当者と期限を設定できる。
これは、確かに改善だった。
しかし、入力欄があることと、その欄が適切に運用されることは、別の問題だった。
担当者は、今回の案件に入力を始めた。
保留理由。
管理番号の不一致。
再確認予定日。
翌月十五日。
担当責任者。
中央記録管理局の照合担当責任者。
再開条件。
旧番号と新番号の対応関係が確認されること。または、対応関係が確認できない理由について、独立した検証結果が記録されること。
入力を終えたところで、担当者は気づいた。
「以前は、対応関係が確認できなければ、再開できないと考えていた」
隣の職員が尋ねた。
「今回は違うのですか」
「今回は、対応関係が確認できないという事実そのものも、検証の対象にした」
彼は画面を見つめた。
「確認できないことを、確認できないまま記録する。そのうえで、次に何を調べるかを決める。そこまでは、できるようになった」
「では、改革は進んでいますね」
「そうだ」
担当者はうなずいた。
「だが、この案件が本当に解決したかどうかは、来月十五日にならなければ分からない」
「来月十五日までに、解決できなかったら?」
担当者は、今度は迷わず答えた。
「その理由を記録し、次の判断を設定する。期限を延ばすなら、延ばす理由と新しい期限を残す」
それは、以前にはなかった答えだった。
完璧ではない。
しかし、以前と同じでもなかった。
*
その夜、ブラウ太郎は、名無しの七号がまとめた記録を読んでいた。
改革によって改善されたこと。
まだ解決していないこと。
新たに判明したこと。
依然として分からないこと。
四つの欄が、はっきり分けられていた。
ブラウ太郎は言った。
「この記録は、いいな」
名無しの七号は、少し照れた。
「まだ、足りないところが多いです」
「足りないところが分かるようになっている。それが大事なんだ」
「でも、改革の進捗率は、八十一・二%です」
「そうだな」
「この記録だけを見れば、改革が八十一・二%成功しているとは言えません」
「そもそも、進捗率は成功率ではないからな」
名無しの七号は、うなずいた。
「では、私たちは、何を見ればいいのでしょう」
ブラウ太郎は、記録帳の四つの欄を順番に指した。
「制度が整ったかどうかを見る。実際に使われたかどうかを見る。人民の問題がどうなったかを見る。そして、まだ分からないことが、隠されずに残っているかを見る」
「四つとも、必要なのですね」
「そうだ。一つの数字に全部を背負わせるから、数字が現実を押しつぶすんだ」
名無しの七号は、しばらく考えていた。
「改革の進捗率をなくしたほうがいいのでしょうか」
「いや」
ブラウ太郎は首を振った。
「数字は必要だ。期限が守られたか、担当者が決まったか、記録が照合されたか。数字で確認できることは、数字で確認すればいい」
「ただし、数字で確認できないことまで、数字で確認したことにしてはいけない」
「そのとおりだ」
二人は、記録帳を閉じた。
改革は、まだ途中だった。
それは、改革が失敗しているという意味ではない。
また、改革が成功しているという意味でもない。
途中にあるものを、途中にあると記録する。
それだけのことが、彼らの人民共和国では、長い時間をかけて学ばなければならない技術になっていた。
*
翌朝、ミツオケラ十三世は、中央委員会の会議で、次の方針を発表した。
「改革計画の実施率は、引き続き公表する。同時に、処理済み案件の実態確認を開始する。確認の結果、公式記録上の処理状態と、実際の案件の状態に違いがあった場合、その違いを修正するだけでなく、なぜ違いが生じたのかを検証する」
議長菌が尋ねた。
「その検証によって、改革実施率が低下する可能性がありますが」
「あるだろう」
「改革が後退したと受け取られる可能性もあります」
「あるだろう」
「それでも実施するのですか」
ミツオケラ十三世は、ゆっくりとうなずいた。
「改革の進捗率を守るために、実際の問題を見えなくすることはできない」
彼は、会議室を見渡した。
「私たちは、改革を成功したように見せるために、改革しているのではない。人民の問題に、以前より適切に対応できるようにするために、改革しているのだ」
その言葉を聞いて、コウシン太郎は、わずかに目を伏せた。
かつて自分が作った制度にも、同じ理念が掲げられていた。
ただ、理念と運用の間に、いつしか距離が生まれていた。
その距離を埋めるには、新しい標語を掲げるだけでは足りない。
誰が何を確認するのか。
何が分かれば完了なのか。
分からない場合、どう記録するのか。
期限を延ばす場合、誰がその理由を説明するのか。
そして、制度の担当者自身が、制度の成果を判定してよいのか。
答えなければならない問いは、まだ残っていた。
*
会議が終わった後、中央委員会の廊下で、議長菌がミツオケラ十三世に声をかけた。
「今回の判断は、政治的には難しいものになるでしょう」
「分かっている」
「改革の成果を示すためには、分かりやすい数字が必要です」
「それも分かっている」
「しかし、数字の限界まで説明すれば、人民は何を信じればよいのか、迷うかもしれません」
ミツオケラ十三世は、足を止めた。
「議長菌。人民が迷うことを、私たちが恐れすぎているのかもしれない」
「どういう意味でしょうか」
「私たちは、人民に正しい理解をしてもらうことを望んでいる。しかし、そのために、理解しやすい形に現実を整えすぎてきたのではないか」
彼は、廊下に掲げられた改革の標語を見上げた。
「人民が何を信じるべきかを、私たちがすべて決めることはできない。私たちにできるのは、何を確認し、何を確認できず、何をこれから調べるのかを、隠さずに示すことだ」
議長菌は、すぐには答えなかった。
やがて、慎重に言った。
「それでは、人民が中央委員会を信頼しなくなる可能性もあります」
ミツオケラ十三世は、静かにうなずいた。
「あるだろう」
そして、続けた。
「しかし、信頼されるために、信頼に値するかどうかを確かめる仕組みを弱めるわけにはいかない」
議長菌は、深く息を吐いた。
「その言葉も、記録に残すべきでしょうか」
ミツオケラ十三世は、少しだけ笑った。
「もちろんだ。ただし、私の発言だから正しいという注釈は、つけなくていい」
議長菌は、今度こそ笑った。
その笑いは、会議の議事録には残らなかった。
だが、その日の記録には、一つの新しい方針が残された。
《改革の実施状況と、人民への実際の影響を、相互に検証可能な形で公表する。両者の間に差異がある場合、その差異を隠さず、原因と今後の対応を記録する。》
それは、華々しい勝利宣言ではなかった。
むしろ、自分たちがまだ何を成し遂げていないのかを、明らかにするための約束だった。
そして、約束は、記録された瞬間に実現するわけではない。
記録された約束を、後から確かめられるようにすること。
その約束を守れなかった場合にも、守れなかった理由を隠さないこと。
そのための仕組みを、実際に動かすこと。
改革の本当の難しさは、ここから始まるのだった。
*
その日の夕方、名無しの七号のもとに、新しい照会文書が届いた。
送り主は、改革計画の対象となっている、ある小規模な人民集団だった。
文書には、こう書かれていた。
《私たちが提出した意見について、担当部署から回答がありました。回答文書には、意見を受理し、関係部署で検討し、今後の制度運用の参考とすると記載されています。》
ここまでは、よくある文面だった。
しかし、その後に、見慣れない一文が続いていた。
《なお、当該意見については、制度の実施状況を評価するための対象案件として、すでに抽出されているとの説明を受けました。》
名無しの七号は、続きを読んだ。
《私たちは、自分たちの意見が、制度を評価するための資料になることに異議はありません。ただし、制度を評価するために意見を使うのであれば、その意見を提出した私たち自身が、どのように評価されたのかを知ることもできるのでしょうか。》
彼は、しばらく文書を見つめていた。
制度の実効性を確認するために、当事者の声を聞く。
その考え方は、正しい方向を向いている。
しかし、当事者の声を、制度の評価に役立つ資料として利用するだけでよいのだろうか。
聞き取った声を、集計し、分類し、報告書に載せる。
その結果、制度の評価が改善されたとしても、声を上げた本人が、何も変わらないまま取り残される可能性はある。
人民は、改革の評価に参加するためだけに、意見を提出したのではない。
自分たちの問題を、解決してほしかったのだ。
名無しの七号は、ブラウ太郎に文書を渡した。
ブラウ太郎は、読み終えると、ゆっくりと言った。
「今度は、調査の側が問われているな」
「調査される側だけではなく、調査する側も、ですね」
「そうだ」
ブラウ太郎は、窓の外を見た。
「正しいことを調べるのは大切だ。でも、正しいことを調べている自分たちが、いつの間にか、人民を調査の材料として扱ってしまうこともある」
名無しの七号は尋ねた。
「では、どうすればいいのでしょう」
ブラウ太郎は、しばらく考えてから答えた。
「調査の結果を公表するだけではなく、調査によって明らかになった問題に、誰がどう対応するのかまで、追跡できるようにする。そして、調査に協力した人民が、その後の対応を確かめられるようにする」
「調査の終わりを、報告書の公表にしない」
「そうだ。報告書が出た後に、誰かの問題が放置されたままなら、調査は制度としての目的を果たしたとは言えない」
名無しの七号は、新しい記録を開いた。
そして、こう書いた。
《改革の進捗率は、制度が何をしたかを示す。人民の問題がどうなったかは、制度が何を果たしたかを示す。両者の間にある距離を、制度自身が検証しなければならない。》
書き終えたとき、彼は気づいた。
改革は、制度を変えるために始まった。
しかし、制度を変えることが目的になれば、改革そのものが、新しい制度の自己正当化に使われてしまう。
だから、改革を進める者にも、問いを向けなければならない。
誰のために、改革をしているのか。
何をもって、改革が成功したと判断するのか。
そして、改革によって利益を得るのは、制度なのか、人民なのか。
その問いは、まだ報告書には記載されていなかった。
だが、次の調査では、避けて通れない問いになるだろう。
**改革を評価する者が、改革の成果を独占してはならない。**
それは、独立委員会の報告書が残した問いとは、また別の問いだった。
そして、その問いこそが、調査する者たち自身を、次の試練へと導こうとしていた。
---
### 次回予告
改革の実効性を確かめるため、当事者への聞き取り調査が始まる。
しかし、調査対象となった人民の一部は、こう問いかける。
「私たちの声は、制度を評価するために使われるのですか。それとも、私たちの問題を解決するために使われるのですか」
調査に協力することと、自分の問題が解決すること。
その二つが、いつの間にか別々の手続きになっていた。
コウシン太郎は、かつて自分が設計した制度の延長線上に、またしても同じ問題が生まれていることに気づく。
そして、ミツオケラ十三世は、改革を評価する権限を、改革を進める側だけが握っていてよいのかという問いに直面する。
**制度を変えたと宣言することと、人民の現実が変わること。その間にある距離を、誰が測り、誰が埋めるのか。**
正義を調査する者たちが、ついに自分たち自身の正義を問われる。




