↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
松木ひろ子さんの、腸内人民共和国【第百二十七回 ミツオケラ人民大会議】 «Bellum et Pax»  作者: 東曌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/38

第十三話 改革という名の新しい保留


 独立委員会の報告書が公表されてから、七日が過ぎた。


中央委員会は、その七日間を「改革の初動期間」と呼んだ。


人民のあいだでは「報告書が出てから一週間」と呼ばれていた。


この二つの呼び方は、同じ時間を指していたが、同じ出来事を指しているわけではなかった。


人民にとっての一週間には、報告書を読み、怒り、疑い、少し安心し、やはり納得できず、もう一度読み返す時間が含まれていた。


中央委員会にとっての初動期間には、対策本部の設置、担当部署の指定、会議の開催、議事録の作成、改革計画案の起草、関係部署への照会、照会結果の集約、集約結果の確認、確認結果の修正、修正内容の再確認が含まれていた。


つまり、中央委員会の七日間は、すでに人民の一週間よりも長かった。


もっとも、時間の長さは時計によって決まる。


行政上の時間は、手続きの数によって決まる。


そして、その数を数えるのは、行政自身だった。


---


中央委員会大広間。


壁面には、報告書の公表を受けて新設された改革推進本部の標語が掲げられていた。


《過去を検証し、未来を改善する》


その下には、さらに大きな文字で、次の標語が掲げられていた。


《改革の進捗を、見える化する》


さらにその下には、標語を見える化するための大型掲示板があった。


掲示板には、色分けされた棒グラフが並んでいた。


改革項目総数、担当部署割当率、期限設定率、進捗報告提出率、旧記録との照合率、再発防止策策定率。


そして、最も目立つ位置に、赤い数字が表示されていた。


**改革進捗率 六十八・四%**


議長菌は、その数字を誇らしげに見上げた。


「人民諸君。中央委員会は、独立委員会の指摘を真摯に受け止め、すでに改革の六十八・四%を達成しました」


拍手が起こった。


正確には、中央委員会の職員たちが、拍手を起こした。


拍手が起こったことは、議事録に記録された。


拍手が自発的だったかどうかは、記録されなかった。


「六十八・四%という数字は、改革が着実に進んでいることを示しています。私たちは、問題を指摘されても立ち止まりません。問題を改善項目に変換し、改善項目を担当部署に割り当て、担当部署に期限を設定し、期限に対する進捗を測定しています」


議長菌は一息置いた。


「もはや、改革を進める意思があるかどうかを議論する段階ではありません。改革は、すでに進んでいるのです」


そのとき、ブラウ太郎が手を挙げた。


「議長」


「発言を許可します。ただし、改革計画に関する質問に限ります」


「いまの六十八・四%は、何が六十八・四%になった数字ですか」


議長菌は、笑顔を崩さなかった。


「改革項目の進捗率です」


「改革項目とは、何ですか」


「改革計画に記載された項目です」


「それは分かります。では、改革項目が完了したというのは、何が完了したという意味ですか」


議長菌は掲示板を振り返った。


「完了条件を満たしたという意味です」


「完了条件は、誰が決めたのですか」


「改革推進本部です」


「改革推進本部は、誰が構成したのですか」


「中央委員会が、関係部署の専門性を考慮して構成しました」


「つまり、中央委員会が、中央委員会の改革について、中央委員会の職員が達成条件を決め、その達成率を公表しているわけですね」


「そのように単純化することは適切ではありません」


議長菌は、慣れ親しんだ言葉を選んだ。


「改革には多様な関係者が参加しており、評価についても複数の確認手続きを設けています」


ブラウ太郎はうなずいた。


「では、別の聞き方をします。六十八・四%という数字が上がったことで、報告書に登場した三人の申立人の問題は、どれだけ解決しましたか」


議場が静かになった。


議長菌は、掲示板を見た。


掲示板には、改革項目の達成率は表示されていた。


三人の申立人の問題がどれだけ解決したかを示す数字は、表示されていなかった。


「個別案件については、別途管理しております」


「その別途管理の結果を教えてください」


「本日の議題は、改革計画の進捗に関するものです」


「では、その議題に、個別案件の解決状況は含まれていないのですか」


「含まれていないわけではありません。別の評価体系で管理することになっています」


ブラウ太郎は、手元の資料に何かを書き込んだ。


「なるほど。改革の進捗と、改革によって問題が解決したかどうかは、別の評価体系なのですね」


「そのとおりです」


「では、二つの評価体系を結びつける仕組みはありますか」


議長菌は答えなかった。


答えられなかったのではない。


答えるためには、別の部署が作成した別の資料を参照し、その資料に記載された別の手続きを確認し、その手続きの所管部署に照会する必要があった。


その照会を開始するには、所定の様式が必要だった。


議長菌は、静かに木槌を置いた。


「ご質問は記録されました」


ブラウ太郎は言った。


「回答は、まだですね」


「回答に向けた手続きが開始されます」


その瞬間、議長菌は、改革が六十八・四%進んでいることを、少しだけ誇らしく思った。


少なくとも、質問を保留する手続きは、以前よりもずっと整っていた。


---


改革計画は、よくできていた。


それを認めないことは、公平ではない。


中央記録管理局には、以前は存在しなかった照合番号が導入された。


古い記録を新しい管理番号に移す際には、旧番号と新番号の対応関係を残すことが義務づけられた。


「別途管理」とされた記録には、担当部署、責任者、確認期限、再確認の条件が設定された。


期限を過ぎた案件は、担当者の机の奥で静かに熟成するのではなく、上位部署に自動的に報告されることになった。


以前なら、担当者が異動すれば一緒に消えてしまった案件が、今度は後任者の画面にも表示された。


照会を受けた部署が回答しなかった場合には、回答がないという事実そのものが記録された。


これは、小さな変化ではなかった。


名無しの七号は、改革推進本部の公開資料を読みながら、そう考えていた。


「少なくとも、前よりは追いかけられるようになった」


ビフ太郎が言った。


「前は、追いかけようとすると、どこに行ったか分からなかったからね」


「うん」


名無しの七号は資料の端に線を引いた。


「でも、追いかけられることと、たどり着けることは違う」


ビフ太郎は、その言葉を口の中で繰り返した。


「たどり着けること?」


「たとえば、申立人が『私の問題は解決していません』と言ったとする。中央記録管理局は、期限内に回答したことを記録できる。担当部署も記録できる。回答書の発送日も記録できる。再確認の期限も設定できる。でも、その回答によって問題が解決したかどうかは、誰が確かめるの?」


「担当部署じゃないの?」


「担当部署が、自分たちの回答によって問題が解決したかどうかを確認する。それ自体が悪いわけじゃない。でも、回答を出したことを解決と呼ぶなら、確認するまでもなく、解決したことになる」


ビフ太郎は黙った。


名無しの七号は、改革計画の別紙を開いた。


そこには、個別案件の処理について、次の定義があった。


《案件の完了とは、担当部署が必要な確認を行い、申立人に対する回答を発出し、所定の記録を保存した状態をいう》


名無しの七号は、その一文を二度読んだ。


「問題が解決した状態とは、書いてない」


「書いてないね」


「でも、案件の完了と書いてある」


「うん」


「すると、完了した案件が、未解決のまま残ることがある」


ビフ太郎は資料を覗き込んだ。


「それは、完了の定義が悪いのかな」


名無しの七号は、すぐには答えなかった。


「全部を同じ意味の完了にするのが、悪いんだと思う」


彼女は資料の余白に、三つの言葉を書いた。


《手続き完了》


《判断完了》


《問題解決》


そして、その三つのあいだに、線を引かなかった。


---


改革推進本部の事務局には、コウシン太郎がいた。


彼は、改革計画の作成に協力していた。


その理由を、彼自身は複雑に説明することができた。


記録の照合を改善するため。


責任の所在を明確にするため。


保留案件に期限を設定するため。


過去の不備を、同じ形で繰り返さないため。


どれも嘘ではなかった。


ただし、彼が説明しなかったこともあった。


彼は、この種の計画書を作るのが得意だった。


課題を分類し、対策を定義し、担当部署を割り当て、期限を設定し、進捗を数字にする。


かつて彼が中央委員会の政策担当者だったころ、複雑な問題を扱うために、そうした技術を磨いてきた。


問題を小さな単位に分解することは、必要だった。


大きすぎる問題は、誰にも手をつけられない。


期限を設けることも、必要だった。


期限のない仕事は、いつまでも終わらない。


達成度を測ることも、必要だった。


測れないものは、放置されやすい。


彼は、そのことを知っていた。


そして、もう一つのことも知っていた。


測りやすいものが、いつの間にか大切なものとして扱われることがある。


彼が作った過去の運用指針にも、その兆候はあった。


《対象記録の移行完了率を、移行作業の主要評価指標とする》


その文言は、記録移行の作業を進めるために書かれたものだった。


移行作業を正確に進めることは重要だった。


だが、移行完了率が高ければ、移行の対象から外れた記録まで適切に扱われたことになるわけではなかった。


彼は、かつてその違いを、十分に文章にしなかった。


文章にしなかった違いは、やがて存在しない違いとして扱われた。


そして今、彼は、新しい改革計画のなかに、よく似た仕組みを見つけていた。


改革項目の完了率。


担当部署の割当率。


期限設定率。


進捗報告提出率。


どれも必要な数字だった。


しかし、それらは、改革が人民の問題を解決したことを直接には示していなかった。


コウシン太郎は、改革推進本部の進捗表を閉じた。


その表の右上には、小さな文字でこう書かれていた。


《数値は、各担当部署からの報告に基づく》


彼は、かつて自分が書いた文章を思い出した。


《各担当部署は、所管事項について責任をもって確認する》


そして、その次のページに書かれていた文章も。


《確認結果については、必要に応じて上位部署に報告する》


彼は、目を閉じた。


「必要に応じて、か」


自分の声が、思ったよりも大きく響いた。


改革推進本部の若い職員が、顔を上げた。


「何か問題がありましたか」


コウシン太郎は、少し考えた。


「問題があるというより、確認したいことがある」


「どの項目でしょうか」


「改革項目の完了率と、個別案件の解決率の関係だ」


若い職員は、端末を操作した。


「個別案件の解決率は、別表にあります」


「その解決率は、誰が、どのように確認している?」


「担当部署からの報告を集計しています」


「担当部署は、何をもって解決と判断する?」


若い職員は、少しだけ困った顔をした。


「回答書を発出し、必要な記録を保存した場合は、完了として扱っています」


「それは、手続きの完了だ」


「はい。現在の規定では、そうなっています」


コウシン太郎はうなずいた。


若い職員は悪くなかった。


規定を守っている。


定義を理解している。


求められた数字を、正確に集計している。


彼を責めることはできなかった。


問題は、彼が正確に守っている規定のほうにあった。


「新しい項目を一つ、提案したい」


「どのような項目ですか」


「回答を出した案件のうち、実際に問題が解決したかどうかを、一定期間後に確認する項目だ」


若い職員は考え込んだ。


「すべての案件を再確認するのでしょうか」


「いや。すべてを同じ方法で確認する必要はない。申立人に連絡が取れる案件、追加の判断が必要な案件、回答に異議が出ている案件。まずは分類する。さらに、無作為抽出した案件も調べる」


「それでは、解決率が下がる可能性があります」


コウシン太郎は、職員を見た。


「下がるかもしれない」


「公表済みの改革進捗率にも影響するでしょうか」


「それは、影響させるべき数字と、影響させるべきではない数字を、分けて考えなければならない」


「具体的には?」


「改革の手続きがどこまで進んだか。その手続きによって、人民の問題がどこまで解決したか。この二つを、別々に公表する。ただし、別々にしたまま、互いに関係がないように扱ってはいけない」


若い職員は、記録を取り始めた。


コウシン太郎は、その様子を見ていた。


自分が過去に作った仕組みを、いま別の人間が、より良い形に直そうとしている。


そのことに、彼は少し救われた。


同時に、彼がかつて書いた規定の下で、長い間、誰かが回答を待ち続けていたかもしれないという事実も、消えなかった。


改善案を一つ提出することは、過去の責任を一つ消すことではない。


彼は、そのことを、今度こそ記録に残したいと思った。


---


三日後、改革推進本部は「成果確認制度」の導入案を発表した。


その制度は、手続き上の完了と、実質的な解決を区別するものだった。


第一に、担当部署が回答を発出し、記録を保存した場合は「手続き完了」とする。


第二に、判断に必要な事実確認や審査が終わった場合は「判断完了」とする。


第三に、申立人が求めた是正が実施され、問題が解消されたことを確認できた場合は「実質解決」とする。


ただし、すべての案件で、申立人の望む結果が得られるとは限らない。


制度上、請求が認められない場合もある。


その場合でも、必要な事実確認と判断が適切に行われ、その理由が説明され、異議を申し立てる手段が確保されていれば、行政上の判断は完了しうる。


したがって、「実質解決」は、申立人の希望が必ずかなうことを意味するわけではない。


重要なのは、何が求められ、何が確認され、何が判断され、何が実現し、何が実現しなかったのかを、同じ言葉のなかに隠さないことだった。


新制度では、回答後の一定期間を経て、申立人への確認を行う。


連絡が取れない場合は、その事実を記録する。


申立人が回答に異議を唱えた場合は、ただちに解決済みとするのではなく、異議の内容を記録し、再確認の要否を判断する。


さらに、担当部署が自らの案件を評価するだけでなく、別の部署による標本確認を行うことも盛り込まれた。


ブラウ太郎は、その案を読んで言った。


「前進ではある」


名無しの七号は答えた。


「うん」


「ただし、制度ができたことと、制度が機能したことは、まだ別だ」


「うん」


「君は、何でも疑うんだな」


「何でもじゃないよ。疑わなくていいものが、どれなのかを知りたいんだ」


ブラウ太郎は笑った。


「それは、ずいぶん面倒な仕事だ」


「だから、誰か一人の仕事にしちゃいけないんだと思う」


二人は、成果確認制度の公開説明会に向かった。


会場には、中央委員会の職員、地方の代表者、申立人、研究担当の菌たちが集まっていた。


コウシン太郎が、制度の説明を担当した。


「この制度の目的は、改革の成果を過大に見せることではありません。改革の手続きが進んだことと、人民の問題が解決したことを、区別して把握することです」


彼は、そこで一度、言葉を切った。


「私たちは、これまで、回答を出したことを、案件の完了として扱ってきました。その扱いが、すべての案件で不適切だったと申し上げるつもりはありません。回答によって問題が解決した案件も、確かにあります。しかし、回答を出したことだけでは、問題が解決したかどうかを確認できない案件もありました」


会場の後方で、誰かがうなずいた。


コウシン太郎は続けた。


「私は、以前の制度設計に関わりました。期限や担当部署を設けず、対象外とした記録の再確認を、将来の検討事項にしたことがあります。今回の制度にも、同じような欠陥が生じる可能性はあります」


中央委員会の職員が、隣の職員と目を合わせた。


「そのため、制度を導入するだけでなく、制度が実際に機能しているかどうかを、定期的に検証する必要があります」


ブラウ太郎が手を挙げた。


「質問します」


「どうぞ」


「成果確認の結果、実質解決率が低かった場合、担当部署は評価を下げられますか」


「確認結果の内容によります」


「実質解決率が低いこと自体が、担当部署の責任とは限りません。制度上、実現できない要求もあります。外部環境によって、解決が難しくなることもあるでしょう」


「そのとおりです」


「では、担当部署が、実質解決率を高く見せようとして、難しい案件を避けたり、解決しやすい案件だけを優先したりする可能性はありませんか」


コウシン太郎は、すぐには答えなかった。


「あります」


会場がざわついた。


彼は続けた。


「指標を設ければ、その指標に沿って行動する動機が生まれます。それは、よい方向にも、悪い方向にも働きます。実質解決率だけを新たな評価目標にすれば、今度は、解決しやすい案件を優先する制度になるかもしれません」


「では、どうするのですか」


「解決率だけでなく、未解決案件の件数、未解決の理由、対応にかかった時間、異議申立ての状況、担当部署による判断の妥当性も確認します。難しい案件を抱えていることだけを理由に、担当部署を不当に評価しない仕組みも必要です」


ブラウ太郎は、うなずいた。


「つまり、数字を一つ増やせば問題が解決するわけではない」


「はい」


「数字を増やすたびに、その数字によって何が見えなくなるかも調べなければならない」


「はい」


ブラウ太郎は、会場の参加者を見渡した。


「それなら、今回の制度には意味がある。ただし、制度を作った者が、制度の意味まで独占してはいけない」


コウシン太郎は、深く頭を下げた。


それは、謝罪というより、確認に近かった。


彼は、自分が正しい制度を完成させたとは言わなかった。


正しい制度を完成させたと言うこと自体が、新しい検証を止めてしまうかもしれないと、ようやく理解し始めていた。


---


ところが、制度の導入から二週間後、改革推進本部に思いがけない指示が届いた。


《改革の成果を、人民大会議において分かりやすく説明すること》


《改革の進捗率を明示し、中央委員会の実行力を示すこと》


《未解決案件については、改善に向けた取組状況を整理し、過度な不安を生じさせないよう留意すること》


三つの指示は、どれも、それ自体としては不合理ではなかった。


人民には、改革がどこまで進んでいるのかを知る権利がある。


中央委員会には、実行したことを説明する責任がある。


未解決案件についても、必要以上に不安をあおることなく、事実に即して説明する必要がある。


問題は、三つの指示を同時に満たそうとしたときに生まれた。


改革推進本部は、報告用の資料を作成した。


改革項目総数は、百四十項目。


そのうち、完了条件を満たした項目は、百二項目。


進捗率は、七十二・九%。


前回の六十八・四%から、四・五ポイント上昇していた。


一方、成果確認制度の試行対象となった個別案件は、百二十件。


そのうち、回答後の確認まで完了した案件は、七十件。


実質解決が確認された案件は、三十一件。


判断は完了したが、申立人の求めた是正が実現しなかった案件は、二十件。


追加確認が必要な案件は、十二件。


申立人と連絡が取れなかった案件は、七件。


残る五十件は、確認作業の途中だった。


数字を並べれば、何が起きているかは、ある程度見えた。


しかし、中央委員会が人民大会議で公表する資料は、必ずしも、数字を並べるだけでは済まなかった。


説明資料の担当者は、各数字の意味を短くまとめる必要があった。


そして、短くまとめられた言葉は、少しずつ形を変えていった。


「回答後の確認まで完了した案件、七十件」


これは、


「成果確認の完了、七十件」


になった。


「実質解決が確認された案件、三十一件」


これは、


「実質解決、三十一件」


になった。


「判断は完了したが、申立人の求めた是正が実現しなかった案件、二十件」


これは、


「判断完了、二十件」


になった。


どれも、数字そのものは間違っていなかった。


だが、説明の順序が変わると、意味も変わった。


資料を見た者は、七十件の確認が終わり、そのうち三十一件が解決し、二十件は判断済みで、残りは追加確認や連絡待ちなのだと理解することもできた。


しかし、別の読み方もできた。


百二十件のうち、七十件で成果確認が完了し、三十一件が解決、二十件が判断完了している。


つまり、五十一件で何らかの成果が出ている。


残りは、今後の改善対象である。


さらに要約すれば、


《個別案件の確認作業は順調に進展》


という見出しになる。


そして、その見出しは、改革進捗率七十二・九%のすぐ下に置かれた。


資料を見た議長菌は、満足そうにうなずいた。


「分かりやすくなりましたね」


事務局長が答えた。


「はい。情報を整理し、重要な点が伝わるようにしました」


「未解決案件についても、隠してはいませんね」


「はい。別紙に記載しています」


「よろしい。人民には、改革が進んでいることを理解してもらわなければなりません」


事務局長は、深く頭を下げた。


そのとき、会議室の隅にいた名無しの七号が、静かに言った。


「別紙を読まなければ、未解決案件のことは分かりませんね」


事務局長が振り向いた。


「別紙にも、必要な情報は記載されています」


「はい。記載されています」


名無しの七号は、資料の表紙を指で押さえた。


「では、表紙に書かれた七十二・九%は、何が七十二・九%になった数字ですか」


事務局長は、答えた。


「改革項目の進捗率です」


「個別案件の問題が、七十二・九%解決したという意味ではない」


「もちろんです」


「でも、資料の構成だけを見ると、そう受け取る人がいるかもしれません」


「それは、読み手の理解にも関わる問題です」


名無しの七号は、顔を上げた。


「読み手の理解に関わる問題だからこそ、説明する側の責任もあるのではありませんか」


事務局長は、返事をしなかった。


議長菌は、会議の終了を告げた。


議事録には、こう記載された。


《成果公表資料について、読み手の理解に配慮する必要性が指摘された。今後、必要に応じて表現を検討する》


名無しの七号は、その一文を読み、手帳に書き写した。


《必要に応じて》


また、その言葉だった。


ただし、今回は違った。


彼女は、その言葉を見つけた。


そして、記録した。


---


人民大会議の日。


議場の大型掲示板には、改革進捗率七十二・九%が表示されていた。


ミツオケラ十三世は、演壇に立った。


彼は、以前なら、この数字を見て安堵していただろう。


改革が進んでいる。


中央委員会は動いている。


過去の問題を放置してはいない。


そう説明できることは、彼にとって重要だった。


独立委員会の報告書が公表されたあと、中央委員会の内部には、改革そのものを疑う声もあった。


「不備を認めれば、統治能力を疑われる」


「未解決案件を公表すれば、人民の不安が増す」


「数字が悪ければ、改革の意義まで否定される」


その懸念は、すべて根拠のないものではなかった。


組織への信頼は、一度失われれば、容易には戻らない。


改革を続けるためには、改革が前進していることを示す必要もある。


ミツオケラ十三世は、その事情を理解していた。


だからこそ、彼は、壇上に置かれた説明原稿を見つめていた。


原稿には、こう書かれていた。


《中央委員会は、独立委員会の報告を受け、改革項目の七十二・九%を完了しました。個別案件の確認も進展しており、改革の成果は着実に現れています》


彼は、二行目を指でなぞった。


「個別案件の確認も進展しており」


この文章は、嘘ではない。


確認作業は進んでいる。


新しい制度によって、以前なら見えなかった案件が見えるようになった。


未解決の案件を、未解決のまま記録できるようになった。


期限が過ぎた案件を、期限が過ぎたものとして把握できるようになった。


それらは、本当の成果だった。


しかし、この文章には、もう一つの問題があった。


個別案件の確認が進展していることと、個別案件の問題が解決していることが、同じ方向を向いているように読めた。


ミツオケラ十三世は、原稿を閉じた。


演壇の下では、議長菌が開始の合図を待っていた。


「同志ミツオケラ十三世。時間です」


「分かっている」


「原稿の変更は、事前の確認が必要です」


「どの程度の変更なら可能だ」


「表現上の軽微な修正であれば、議長判断で認められる場合があります。ただし、改革進捗率の説明に関わる変更については、広報担当部署との確認が必要です」


ミツオケラ十三世は、少し笑った。


「つまり、数字を説明する文章を変えるには、数字を説明する部署の確認が必要なのだな」


議長菌は、困ったような顔をした。


「正確性を確保するためです」


「分かっている」


彼は、原稿を持ち上げた。


「だが、正確性を確保する手続きが、数字の限界を説明することまで妨げるなら、その手続きも確認しなければならない」


議長菌は、黙って一歩下がった。


ミツオケラ十三世は、演壇に向かった。


人民大会議が始まった。


彼は、用意された原稿を読み上げた。


「中央委員会は、独立委員会の報告を受け、改革項目の七十二・九%を完了しました」


議場に拍手が起こった。


彼は、続けた。


「この数字は、担当部署の割当て、期限の設定、記録の照合、進捗報告など、改革計画に定めた項目について、所定の完了条件を満たした割合です」


拍手が止まった。


「したがって、この数字は、人民の個別の問題が七十二・九%解決したことを示すものではありません」


議場がざわついた。


広報担当者が、席から顔を上げた。


ミツオケラ十三世は、原稿を見ずに続けた。


「改革の手続きが進んだことは、重要です。しかし、手続きが進んだことだけで、問題が解決したと判断することはできません。現在、試行的に確認を行った百二十件の個別案件のうち、実質解決が確認されたものは三十一件です。これは、確認対象となった案件の一部についての数字であり、人民共和国全体の解決率を示すものではありません」


議場の空気が変わった。


彼は、そこで一度、息を吸った。


「私たちは、数字を公表する責任があります。同時に、その数字が何を示し、何を示していないのかを説明する責任もあります」


最前列にいたバク長老が、ゆっくりと顔を上げた。


「未解決の案件は、依然として存在します。判断が完了しても、申立人が求めた是正が実現していない案件もあります。確認作業が途中の案件もあります。連絡が取れず、解決したかどうかを確認できていない案件もあります」


ミツオケラ十三世は、議場を見渡した。


「それらを、改革が進んでいるという理由だけで、解決済みとして扱うことはしません」


一瞬、静寂が訪れた。


それから、ブラウ太郎が拍手を始めた。


拍手は、ゆっくりと広がった。


全員が拍手したわけではない。


議長菌は、拍手の総数を数えなかった。


数える必要がなかったからではない。


拍手の数を、発言の正しさを測る指標にしないと、彼は決めたからだった。


演説が終わると、広報担当者がミツオケラ十三世のもとへ駆け寄った。


「議長、ただいまの発言について、確認させてください」


「何をだ」


「改革進捗率の説明に、原稿にない表現が追加されました」


「事実を説明した」


「はい。しかし、百二十件中三十一件という数字が強調されると、改革全体の成果が小さく見えるおそれがあります」


「だから、対象が一部の案件であり、全体の解決率ではないと説明した」


「ですが、人民は、その区別を正確に理解できるでしょうか」


ミツオケラ十三世は、広報担当者を見た。


「理解できるように説明するのが、われわれの仕事ではないのか」


担当者は口を閉じた。


ミツオケラ十三世は、静かに続けた。


「人民が誤解するかもしれないから、説明を簡単にする。その考え方は分かる。しかし、簡単にすることで、重要な違いまで消してしまうなら、われわれは人民を助けているのではない。人民が判断するための材料を、こちらの都合で選んでいることになる」


広報担当者は、深く頭を下げた。


「発言記録を確認し、説明資料を修正します」


「修正ではなく、補足してくれ」


「補足、ですか」


「改革進捗率の定義と、個別案件の確認結果を、同じ資料の中で見られるようにする。数字の違いを隠すのではなく、違いが分かるようにしてくれ」


「承知しました」


担当者は去っていった。


ミツオケラ十三世は、演壇の横に立ち、空になった議場を見つめた。


七%の歴史的使命。


かつて彼は、その言葉を、自分たちが権力を握り続ける理由として使っていた。


七%であっても、歴史的使命を担うことはできる。


多数派であっても、必ず正しいとは限らない。


その二つの命題は、今でも間違いではなかった。


しかし、彼は、そこにもう一つの命題を加えなければならないと感じていた。


七%だから正しいのではない。


九十三%だから間違っているのでもない。


そして、歴史的使命を語る者が、歴史的使命の達成度を自分で決めてよいわけでもない。


彼は、議事録の公開担当者を呼び止めた。


「今日の発言は、全文を公開してくれ」


「原稿と異なる部分も、ですか」


「異なる部分も含めてだ」


「発言の意図を補足する説明文は、付けますか」


ミツオケラ十三世は、少し考えた。


「付けてもいい。ただし、私の発言と、中央委員会による説明は、別のものとして記録してくれ」


担当者は、記録した。


その小さな指示は、改革進捗率を一ポイントも上げなかった。


しかし、何を誰が語ったのかを、以前より少しだけ明確にした。


---


その日の夕方、ブラウ太郎と名無しの七号は、申立人たちの記録を整理していた。


机の上には、古い受領証、回答書、照会記録、手書きのメモ、中央委員会が発行した新しい管理番号の一覧が並んでいた。


三人の申立人のうち、一人は、古い受領証を持っていた。


一人は、回答書を持っていたが、その回答書が自分の申立てに対するものだと、中央委員会の記録だけでは完全には確認できなかった。


もう一人は、提出したという本人の証言以外に、当時の書類を持っていなかった。


それぞれの記録は、同じ重さではなかった。


しかし、同じ重さではないことと、どれか一つが存在しないことは、違った。


名無しの七号は、新しい一覧表に列を追加した。


《中央記録との照合状況》


《本人資料との照合状況》


《確認できた事実》


《確認できていない事項》


《次回確認期限》


ブラウ太郎は、その表を見て言った。


「また、表を作ったな」


「うん」


「表を作れば、問題が解決するわけではない」


「分かってる」


「でも、表がなければ、問題がどこに残っているか分からなくなる」


「そう」


ブラウ太郎は、笑った。


「君は、ずいぶん表に厳しいな」


「表に厳しいんじゃないよ」


名無しの七号は、鉛筆を置いた。


「表を作る人に、厳しくなったんだと思う」


そこへ、コウシン太郎がやってきた。


彼は、手に一枚の書類を持っていた。


「成果確認制度の試行対象を、追加することになった」


「何件ですか」


名無しの七号が尋ねた。


「まずは三十件。担当部署が選ぶのではなく、登録済みの案件一覧から、一定の方法で抽出する」


ブラウ太郎は書類を受け取った。


「無作為抽出か」


「そうだ。担当部署が解決しやすい案件だけを選ぶことを避けるためだ」


「抽出対象となる一覧に、そもそも登録されていない案件は?」


コウシン太郎は、答えるまでに少し時間をかけた。


「その問題は残る」


「なら、登録済みの案件の確認と、未登録案件の把握を、別の作業として進める必要がある」


「そのとおりだ」


「今回の三十件の結果を、改革全体の解決率として発表することは?」


「しない。試行対象の結果として公表する」


名無しの七号が尋ねた。


「試行対象の選び方も、公表しますか」


コウシン太郎は、うなずいた。


「抽出方法と対象範囲を公表する。何が分かり、何が分からないかも記載する」


ブラウ太郎は、書類を机に置いた。


「少しずつ、よくなっている」


「そう思うか」


「前よりはね」


コウシン太郎は、ほっとしたように息を吐いた。


しかし、ブラウ太郎は続けた。


「ただし、改革の仕組みがよくなったことを理由に、過去の問題が解決したことにはしない。新しい制度が動き始めたことを理由に、古い申立てを終了させることもしない」


「分かっている」


「本当に?」


コウシン太郎は、すぐには答えられなかった。


彼は、自分が「分かっている」と言うことの危うさを知っていた。


理解したと思うことと、理解できていることを確かめることは違う。


正しいと思うことと、正しさを検証できることも違う。


「分かっているつもりにならないようにする」


彼は、そう答えた。


名無しの七号は、その言葉を記録した。


ただし、彼女は、その言葉を成果として数えなかった。


---


夜。


松木ひろ子の身体の内側では、食事や生活環境の変化が続いていた。


その変化は、中央委員会の改革計画とは無関係に起きていた。


ミツオケラ党は、改革の成果を説明するための資料を作っていた。


人新会は、改革が本当に機能しているかを検証するための質問をまとめていた。


中央記録管理局は、古い記録と新しい管理番号の対応関係を確認していた。


そして、人民のなかには、まだ、自分の申立てがどこにあるのか分からない者がいた。


誰かの問題は、担当部署の一覧に載っていた。


誰かの問題は、回答書が発出されたという記録の中にあった。


誰かの問題は、判断が完了したという分類の中にあった。


誰かの問題は、未登録のままだった。


それぞれの問題は、異なる状態にあった。


それでも、中央委員会の資料の中では、すべてが「改革の進捗」という一つの言葉に包まれようとしていた。


その言葉は、必要だった。


大きな組織が、自分たちの仕事を把握するためには、複雑な現実をある程度まとめなければならない。


問題は、まとめることそのものではない。


まとめた結果、何が失われたかを忘れることだった。


ミツオケラ十三世は、執務室で、翌日の改革推進本部の資料を読んでいた。


最後のページには、次の一文があった。


《今後は、改革進捗率と個別案件の実質解決率を併記し、両者の関係を継続的に確認する》


彼は、その一文に線を引いた。


そして、余白に書き加えた。


《未解決案件の存在を、改革の失敗と直ちにみなさないこと。ただし、改革の進捗を、未解決案件の説明に代用しないこと》


書き終えたとき、彼は、自分が何かを解決したとは思わなかった。


制度は、まだ不完全だった。


指標は、まだ新しい歪みを生むかもしれなかった。


担当部署が数字を操作しようとする可能性も、中央委員会が不都合な結果を小さく扱おうとする可能性も、消えたわけではなかった。


それでも、彼は、以前なら削除していたかもしれない一文を、資料に残した。


不都合なことを記録に残すことは、権力を失うことと同じではない。


だが、権力が、自分に都合のよい記録だけを残すことに慣れてしまえば、いつか自分が何をしているのかさえ、分からなくなる。


彼は、机の上に置かれた「七%の歴史的使命」と題された古い演説原稿を見た。


その原稿は、まだ捨てられずにいた。


かつての彼にとって、七%は、正しさを証明する数字だった。


今の彼にとって、七%は、正しさを独占してはいけない理由を思い出させる数字になりつつあった。


---


翌朝、中央記録管理局から、改革推進本部に新たな報告が届いた。


旧記録の追加照合を行う過程で、過去に「処理済み」と分類された案件の一部について、回答書は存在するものの、回答後の確認記録が見つからないことが判明した。


その案件は、新しい制度では「手続き完了」として扱われていた。


しかし、申立人が回答を受け入れたかどうか。


求めていた是正が実施されたかどうか。


追加の説明や異議申立てが必要だったかどうか。


それらを示す記録は、確認できなかった。


報告書の末尾には、こう書かれていた。


《当該案件については、回答書の発出を確認したため、手続き完了の要件を満たす。一方、実質解決の有無については、現時点で確認できない》


ミツオケラ十三世は、その報告を読み、担当者に尋ねた。


「この案件は、改革進捗率に含まれているのか」


「はい。手続き完了の条件を満たしているため、完了案件として計上されています」


「では、実質解決率には?」


「実質解決が確認できていないため、解決案件としては計上されていません」


「それなら、数字の定義は守られている」


「はい」


ミツオケラ十三世は、うなずいた。


「では、問題はないのか」


担当者は、答えに迷った。


「定義上の問題はありません。ただし、人民がその違いを理解できるよう、説明を続ける必要があります」


ミツオケラ十三世は、報告書を机に置いた。


「その説明を続ける責任者は、誰だ」


担当者は、資料を確認した。


「改革推進本部です」


「期限は?」


「現時点では、設定されておりません」


ミツオケラ十三世は、静かに目を閉じた。


また、期限のない仕事が生まれかけていた。


だが、今回は、彼はそれを見つけた。


「期限を設定してくれ。担当者も決める。説明資料の公開後には、理解されていない点がないかを確認する方法も考えてほしい」


「承知しました」


「それから、もう一つ」


「はい」


「手続き完了と実質解決を区別したこと自体を、改革の最終成果にしないこと。区別できるようになったのは、確認を始めるためだ」


担当者は、深く頭を下げた。


「記録いたします」


ミツオケラ十三世は、窓のない執務室で、報告書の最後の一文をもう一度読んだ。


《実質解決の有無については、現時点で確認できない》


その文章は、失敗の宣言ではなかった。


しかし、成功の宣言でもなかった。


それは、まだ確認されていないことを、確認されていないまま記録する文章だった。


そして、彼は、そこに次の一文を加えるよう指示した。


《確認できていないことを、確認しなくてよい理由としてはならない》


---


その夜、名無しの七号は、個人の記録帳を開いた。


彼女は、今日までに集めた記録を、三つの欄に分けていた。


確認できたこと。


確認できていないこと。


これから確認すること。


最後の欄には、いくつもの項目が並んでいた。


旧記録と新記録の対応関係。


未登録案件の存在。


回答後の実質解決。


担当部署の判断が適切だったかどうか。


申立人が説明を理解できたかどうか。


そして、改革進捗率という数字が、人民に何を伝え、何を伝えなかったか。


彼女は、最後に一行を書き加えた。


《改革が進んだことと、人民の問題が解決したことを、同じ言葉で済ませない》


少し考えてから、その下にもう一行を書いた。


《ただし、問題が未解決であることを理由に、改革が何も進んでいないとも決めつけない》


彼女は、二つの文を読み返した。


どちらか一方だけなら、簡単だった。


改革は進んでいる。


あるいは、問題は解決していない。


どちらか一つに決めれば、説明は短くなる。


拍手も、批判も、集めやすくなる。


だが、現実は、いつも一つの言葉に収まるわけではなかった。


改革は、確かに進んでいた。


同時に、未解決の問題も残っていた。


その二つを同時に記録することは、組織にとって面倒だった。


人民にとっても、簡単ではなかった。


しかし、どちらかを消してしまえば、もう一方まで正しく理解できなくなる。


名無しの七号は、記録帳を閉じた。


彼女は、改革を否定するために記録を集めているのではなかった。


改革を称賛するためでもなかった。


誰かが、改革の意味を一人で決めてしまわないようにするためだった。


そのとき、机の端に置いていた端末が鳴った。


中央記録管理局からの通知だった。


《旧記録の追加照合に関し、新たな関連文書が確認されました》


その下には、小さな文字で、こう記載されていた。


《当該文書には、過去の処理済み案件について、回答後の確認を行う必要性を指摘した記述が含まれています》


名無しの七号は、画面を見つめた。


回答後の確認を、誰かが必要だと考えていた。


その記述は、いつ書かれたのか。


誰が読んだのか。


なぜ、その確認は行われなかったのか。


それとも、確認は行われたが、その記録が見つかっていないだけなのか。


まだ、何も分からなかった。


彼女は、通知を保存した。


そして、確認期限を設定する欄を開いた。


期限を設定するには、まず担当部署を指定しなければならなかった。


担当部署を指定するには、文書の分類を確定しなければならなかった。


文書の分類を確定するには、文書の内容を確認しなければならなかった。


名無しの七号は、端末を見つめた。


「なるほど」


彼女は、ため息をついた。


「確認するために、確認が必要なんだ」


そして、画面に向かって、はっきりと言った。


「じゃあ、最初の確認を、誰かが始めなきゃいけない」


彼女は、分類が確定する前の仮登録を行い、担当部署の確認を求める記録を作成した。


新しい記録番号が発行された。


その番号は、まだ問題を解決していなかった。


だが、少なくとも、その問題は、再び「別途管理」の奥に消えることを、少しだけ難しくされていた。


---


改革推進本部の掲示板では、翌朝も、改革進捗率が七十二・九%と表示されていた。


その数字は、前日と変わらなかった。


しかし、数字の下には、新しい注記が加わっていた。


《本数値は、改革計画に定めた手続き上の完了条件に基づく。個別案件の実質解決を示すものではない。実質解決の確認状況については、別途公表する》


その注記は、小さかった。


改革進捗率の数字よりも、ずっと小さかった。


だが、以前は存在しなかった。


ブラウ太郎は、掲示板の前で足を止めた。


「小さな文字だな」


名無しの七号が言った。


「うん」


「大きくすればいいのに」


「そうだね」


「なぜ、大きくしないんだろう」


名無しの七号は、少し考えた。


「大きくすることも、次の課題なのかもしれない」


ブラウ太郎は笑った。


「課題が増えるな」


「課題が増えたのか、今まで見えていなかった課題が見えるようになったのか。それも、確認しないと分からないね」


二人は、掲示板の前を離れた。


改革は進んでいた。


しかし、改革が進んでいることを、改革を進める側だけが決めてよいわけではなかった。


数字は必要だった。


期限も必要だった。


担当者も、記録も、評価も必要だった。


ただし、それらは、人民の問題を理解するための道具であって、人民の問題そのものに代わるものではなかった。


中央委員会は、ようやく、その違いを制度に書き込み始めた。


だが、制度に書き込まれた違いが、実際の運用のなかで守られるかどうかは、これから確かめなければならない。


そして、その確認を始める者が、また別の仕組みを作ることになる。


その仕組みが、今度こそ、問題を解決するためのものになるのか。


それとも、問題を管理し、説明し、数え、報告するためだけのものになるのか。


まだ、誰にも分からなかった。


ただ一つ、確かなことがあった。


「改革進捗率七十二・九%」という数字の下に、小さな注記が加わったその日、中央委員会は、初めて自分たちの成果を説明する文章のなかに、自分たちの成果ではないものを、明確に書き込んだ。


それは、改革の完成ではなかった。


改革が、まだ完成していないことを、記録に残したという、小さな前進だった。


そして、その前進を本当のものにするためには、次に問わなければならないことがあった。


**誰のために、改革は行われているのか。**


---


### 次回予告 第十五話「誰のための改革なのか」


改革の進捗率と、個別案件の実質解決率。


二つの数字を分けたことで、中央委員会は、以前よりも多くのことを説明できるようになった。


しかし、説明できることが増えたからといって、人民の声が意思決定に届くようになったとは限らない。


成果確認制度の試行では、回答を受け取った申立人たちの声が集まり始める。


そこには、問題が解決した者も、判断の理由に納得した者も、回答を受け取っただけで何も変わらなかった者もいた。


そして、改革推進本部は、その声を評価するために、さらに新しい指標を作ろうとする。


ブラウ太郎は問う。


「人民のための改革とは、人民が満足したと報告できる改革なのか。それとも、人民が不満を述べても、改革を続けられる仕組みなのか」


コウシン太郎は、自分が設計してきた制度の最後の盲点と向き合う。


ミツオケラ十三世は、改革の成果を守るために不都合な声を小さく扱うのか。それとも、改革そのものを疑う声を、改革の一部として受け入れるのか。


そして、名無しの七号は、記録帳に新しい欄を作る。


《改革によって、誰の声が届くようになったか》


《改革によって、まだ届いていない声は何か》


正義を調査する者たちが、今度は、自分たちの改革を調査される側に回る。


そのとき、彼らは、どこまで自分たちに不都合な事実を残すことができるのか。


次回、**第十五話「誰のための改革なのか」**。


改革の正しさを証明するためではなく、改革の正しさを、誰にも独占させないために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。