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松木ひろ子さんの、腸内人民共和国【第百二十七回 ミツオケラ人民大会議】 «Bellum et Pax»  作者: 東曌


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第十二話 独立委員会の不都合な結論


## 一 数字の合わない朝


 旧記録移行検証委員会の調査が始まってから、三週間が過ぎた。


委員会の事務室には、三つの机が並べられ、机の上には記録の束が積み上がっていた。


旧制度の受領番号。


新制度の管理番号。


移行時の照合一覧。


意見提出者が保管していた受領証。


処理済みと記された案件の通知書。


そして、それらのどこにも、きれいには収まらない記録。


委員会の記録研究者は、朝から同じ数字を見つめていた。


「もう一度、集計してください」


事務局の担当者が、計算表を確認する。


「旧制度の移行対象として記録されている案件は、合計四万八千六百二十件です」


「新制度への移行が完了したとされる案件は?」


「四万七千九百八十二件です」


「差は?」


「六百三十八件です」


記録研究者は、眼鏡を外した。


「では、移行対象外として別途管理された案件は?」


「現時点で確認できている一覧では、四百二十六件です」


「残りは?」


担当者は、表計算の画面を確認した。


「二百十二件になります」


「その二百十二件は、どこへ行ったのですか」


担当者は、答えなかった。


「移行対象外の一覧にないのですか」


「はい。少なくとも、現在提出されている一覧にはありません」


「では、移行済みの一覧には?」


「該当する番号を確認できません」


記録研究者は、椅子の背にもたれた。


「つまり、六百三十八件の差がある。そのうち四百二十六件は、別途管理された記録として確認できる。しかし、残る二百十二件については、現在の資料では、どのように扱われたのかを確認できない」


「そのとおりです」


「それを、移行時の単純な集計ミスと判断する根拠はありますか」


担当者は、慎重に答えた。


「現時点では、ありません」


記録研究者は、計算表を閉じなかった。


「では、集計ミスではないと判断する根拠も?」


「ありません」


「よろしい。両方、記録してください」


担当者が顔を上げた。


「両方、ですか」


「ええ。集計ミスであると確認できていないこと。そして、集計ミスではないとも確認できていないこと。どちらか一方だけを書けば、まだわかっていないことを、わかったことにしてしまいます」


そのとき、ブラウ太郎が事務室へ入ってきた。


「何か見つかりましたか」


記録研究者は、数字を示した。


「六百三十八件の差です。四百二十六件については、別途管理された記録として確認できました。しかし、残りの二百十二件については、現在の資料では行き先を確認できません」


ブラウ太郎は、数字をしばらく見つめた。


「二百十二件の中に、人民が提出した意見が含まれている可能性は?」


「あります。ただし、現時点では、どのような記録が含まれているのか、確認できていません」


「では、その二百十二件がすべて意見提出の記録だという可能性も、すべて別の種類の記録だという可能性も、まだ排除できないわけですね」


「そのとおりです」


ブラウ太郎は、うなずいた。


「ならば、数字だけで結論を出すのはやめましょう。ただし、数字の意味がわからないからといって、数字そのものを無視することもやめましょう」


彼は、計算表の余白を指さした。


「この差は、まだ説明されていない。その事実だけは、確実に記録できます」


記録研究者は、その一文を調査記録に加えた。


《旧制度の移行対象数と、新制度への移行済み件数との間に六百三十八件の差がある。うち四百二十六件は別途管理記録として確認できるが、残る二百十二件については、現時点で処理状況を確認できていない。差の発生理由は未確認である》


一見すると、何も解決していない文章だった。


しかし、これまでの報告書なら、最後の一文は、別の表現に置き換えられていたかもしれない。


《移行時の確認作業については、引き続き適切に管理する》


その一文なら、報告書は整然と見える。


だが、二百十二件の行き先は、わからないままだ。


調査委員会は、整然とした説明よりも、説明できていない事実を選んだ。


それは、小さな選択だった。


しかし、その選択によって、委員会は初めて、中央委員会がこれまで使ってきた言葉とは違う言葉で、制度を記述し始めていた。


---


## 二 受領証を持つ人民


翌日、委員会は、記録の提出に協力していた人民三名から、聞き取りを行った。


最初の一人は、古い受領証を持っていた。


受領証には、旧制度の番号が記されている。


しかし、中央記録管理局の照合一覧には、その番号が見つからなかった。


「この番号は、間違いなく、あなたが提出した意見の受領証ですか」


委員長が尋ねた。


「はい。提出したときに窓口で受け取りました。日付も、そのときに書かれたものです」


「提出した意見の内容は、覚えていますか」


「食料配分についてです。私たちの地域では、配分量が減っていました。その理由を説明してほしいと書きました」


「回答は届きましたか」


「届きませんでした」


「窓口に問い合わせましたか」


「何度も行きました。最初は確認中と言われました。その次は、旧制度の番号では検索できないと言われました。新しい番号がわからないのであれば、回答できないと言われたこともあります」


委員長は、慎重に尋ねた。


「当時のやり取りについて、ほかに記録はありますか」


「窓口へ行った日を、手帳に書いてあります。それから、担当者に言われたことも、覚えている範囲で記録しています」


「その手帳を、委員会に提出していただくことはできますか」


「はい。ただし、これは私が自分で書いたものです。公的な記録ではありません」


委員長は、うなずいた。


「その点は、記録に明記します。手帳に書かれている内容と、委員会が公的資料によって確認できた事実は、区別して扱います」


人民は、少し安心したようだった。


「私が書いたものだから、信用できないと言われるのではないかと思っていました」


ブラウ太郎が答えた。


「個人の記録だからといって、最初から信用できないものとして扱うことはありません。ただし、個人の記録だけで、すべてが確定するわけでもありません。公的な記録も、個人の記録も、それぞれの作成経緯を確認し、照合する必要があります」


「では、私の意見が提出されたことは、認めてもらえるのでしょうか」


ブラウ太郎は、すぐには答えなかった。


「受領証が真正なものであることが確認できれば、提出されたことを裏づける重要な資料になります。ただし、受領証があることと、その後の処理がどうなったかを確認できることは、別の問題です」


人民は、しばらく黙っていた。


「私が知りたいのは、誰かを罰することだけではありません。私の意見が、どこへ行ったのかを知りたいのです」


委員長は、その言葉を記録するよう指示した。


次の人民は、回答通知を持っていた。


通知には、案件が「処理済み」と記されていた。


しかし、回答本文はなかった。


「この通知は、いつ届いたものですか」


「旧制度から新制度へ移るころです」


「処理済みという表示について、説明はありましたか」


「いいえ。窓口で尋ねたら、手続きが終わったという意味だと言われました」


「意見の内容に対する回答は?」


「ありませんでした」


「その後、再度問い合わせましたか」


「はい。そのときは、すでに処理済みなので、同じ内容については新たに受け付けられないと言われました」


委員長は、通知を見た。


「処理済みとされたことは確認できます。しかし、現時点では、意見の内容が検討されたのか、回答が作成されたのか、あるいは別の案件へ統合されたのかを確認できません」


人民は、ゆっくりとうなずいた。


「そうです。私は、何が行われたのかを知りたいのです」


最後の人民は、何も書かれたものを持っていなかった。


彼は、窓口へ何度も通ったという。


だが、受領証を紛失していた。


提出した日付も、正確には覚えていない。


「では、あなたの証言だけでは、提出されたことを確認できない可能性があります」


担当者が慎重に告げると、人民はうなずいた。


「それは、わかっています。私の記憶が間違っている可能性もあります」


委員長が尋ねた。


「それでも、証言を残したいですか」


「はい。確認できないことと、何もなかったことは違うと思うからです」


その言葉を聞いたとき、名無しの七号は、ペンを止めた。


それは、彼自身が何度も考えてきたことだった。


記憶は、完全ではない。


証言には、誤りが含まれることもある。


だからといって、証言を最初から存在しないものとして扱えば、記録が残っていない出来事は、永遠に調査の外側に置かれてしまう。


委員会は、三名の証言を、それぞれ異なる区分で記録した。


受領証によって提出を裏づける資料があるもの。


処理済みの通知はあるが、実際の処理内容を確認できないもの。


現時点では、証言以外に提出を裏づける資料が見つかっていないもの。


それぞれの記録には、確認できたことと、確認できていないことが併記された。


委員会は、三名の証言を、同じ強さの証拠として扱ったわけではない。


しかし、証拠としての強さが異なることを理由に、いずれかの存在を最初から消すこともしなかった。


その違いは、小さく見えて、決定的だった。


---


## 三 最初の報告書案


調査開始から一か月後、委員会は中間報告書の草案をまとめた。


報告書の表題は、簡潔だった。


《旧制度から新制度への記録移行に関する中間検証報告》


第一章では、調査の目的と方法が説明された。


第二章では、旧制度と新制度の記録番号の照合状況が示された。


第三章では、別途管理された記録の扱いが検証された。


第四章では、意見提出者が保管していた資料との照合結果がまとめられた。


そして、第五章には、現時点で確認できた問題点が列挙されていた。


第一に、旧制度の移行対象数と、新制度への移行済み件数との間に、説明されていない差が存在すること。


第二に、別途管理された記録について、確認期限や担当者が明確に定められていない事例が確認されたこと。


第三に、処理済みとされた案件の一部について、実際にどのような処理が行われたのかを、現在の資料から確認できないこと。


第四に、個人が保管する受領証や通知文書と、公的な照合一覧との間に、説明を要する不一致が存在すること。


第五に、調査対象外とされた記録について、その後に再確認が行われたかどうかを確認できない事例があること。


草案には、慎重な表現が使われていた。


意図的な隠蔽があったとは、現時点では確認できない。


記録の不一致が、すべて不適切な処理によって生じたとも断定できない。


また、確認できない記録があることだけで、提出者の主張がすべて正しいと判断することもできない。


その一方で、報告書は、次の点を明確にしていた。


《意図的な隠蔽の有無を現時点で確認できないことは、記録移行の過程が適切であったことを意味しない》


《処理済みという表示が存在することは、意見の内容が実質的に検討され、提出者が求めた問題が解決されたことを、それ自体では証明しない》


《記録の欠落や不一致について、原因を確認できない場合には、そのこと自体を調査上の未解決事項として扱う必要がある》


委員長は、草案を読み終えて言った。


「これが、現時点での私たちの結論です」


一人の委員が尋ねた。


「公表してよいでしょうか」


「公表する前に、事実関係の確認は必要です。関係部署に、記載内容に誤りがないか、追加資料がないかを照会します。ただし、報告書の結論そのものについて、関係部署の同意を得ることを公表の条件にはしません」


ブラウ太郎がうなずいた。


「事実の誤りを訂正することと、都合の悪い結論を変更することは、別の問題ですからね」


委員長は答えた。


「その区別を、手続きにも反映させます」


名無しの七号は、報告書の最後のページを見た。


そこには、今後の調査方針が記されていた。


未照合の記録について、追加資料の提出を求めること。


別途管理された記録の一覧を、可能な限り復元すること。


処理済みとされた案件について、実際の処理内容を確認すること。


記録の作成、分類、移行、保存に関する規程の改訂履歴を調べること。


そして、調査範囲から除外された事項について、その判断過程を確認すること。


報告書は、問題がすべて解決したと述べてはいなかった。


むしろ、まだ解決していないことを、明確に示していた。


それでも、報告書は、ひとつの重要な意味を持っていた。


これまで、個別の人民が窓口で訴えても、中央の集計表に反映されなかった不一致が、初めて、独立した調査の対象として記録されたのだ。


その事実を、中央委員会は、無視することができなくなっていた。


---


## 四 安定を守るという提案


中間報告書の草案が中央委員会へ送られた翌日、ミツオケラ十三世の執務室に、緊急の協議要請が届いた。


提案者は、中央委員会の政策調整室だった。


表題は、こうなっていた。


《中間検証報告の公表時期および説明方法に関する提案》


ミツオケラ十三世は、文書を読み進めた。


提案の趣旨は、理解できないものではなかった。


調査報告書の公表によって、人民の間に不安が広がる可能性がある。


記録移行の不備が、意図的な隠蔽であったかのように受け取られる可能性がある。


中央委員会への信頼が低下すれば、食料配分や地域調整など、現在進行中の政策にも影響が出るおそれがある。


そのため、報告書の公表前に、中央委員会としての説明を準備し、人民に誤解が生じないよう、発表時期と説明方法を慎重に検討すべきである。


ミツオケラ十三世は、最後まで読み終えた。


提案には、露骨な隠蔽の要求はなかった。


報告書を永久に公表しないとも書かれていなかった。


ただ、発表前に十分な説明を準備すること。


人民の不安を避けること。


政策運営への影響を考慮すること。


それらを理由に、公表を慎重に進めるべきだと述べていた。


彼は、政策調整室の責任者を呼んだ。


「報告書の内容について、事実関係に誤りがあると考えているのか」


責任者は答えた。


「現時点で、重大な事実誤認があると判断しているわけではありません。ただし、調査結果の一部が切り取られ、制度全体への不信につながる可能性を懸念しております」


「具体的には、どの部分だ」


「たとえば、移行件数の差が確認されたという記述です。人民が、六百三十八件すべての意見が意図的に消されたと受け取る可能性があります」


「報告書には、差の原因は未確認だと書かれている」


「はい。しかし、すべての人民が報告書全体を読むとは限りません。短い見出しや断片的な情報だけが広がる可能性があります」


ミツオケラ十三世は、黙っていた。


その懸念は、現実的だった。


一部の数字だけが独り歩きすることはある。


確認されていないことが、確定した事実のように語られることもある。


制度の不備が見つかったからといって、制度全体が意図的な不正によって運営されていたと結論づけることはできない。


しかし、彼には、もう一つの問題が見えていた。


「では、報告書の公表を遅らせれば、誤解は防げるのか」


責任者は答えに詰まった。


「完全に防げるとは限りません。ただ、説明を準備する時間は確保できます」


「その説明は、いつ完成する」


「現時点では、明確な期限を設けておりません」


ミツオケラ十三世は、目を閉じた。


また、期限がなかった。


確認が終わり次第。


準備が整い次第。


適切な時期に。


慎重に検討する。


それらは、必要な行為を表す言葉であるはずだった。


しかし、期限も責任者もなければ、行為が実際に完了することは保証されない。


「報告書の公表前に、中央委員会として説明を準備することには異論はない」


彼は言った。


「ただし、説明の準備を、公表を延期するための無期限の条件にしてはならない。事実関係の確認と、結論への同意を求めることも区別する必要がある」


責任者は、慎重にうなずいた。


「では、公表時期については、委員会と協議して決めるということでしょうか」


「違う」


ミツオケラ十三世は、顔を上げた。


「公表時期を決める権限が、どこにあるのかを確認しよう。中央委員会が、調査委員会の報告書の内容を承認する立場にあるのか。それとも、委員会が自らの報告書を公表し、中央委員会は別途見解を示す立場にあるのか」


責任者は、答えなかった。


ミツオケラ十三世は続けた。


「もし、中央委員会の承認がなければ報告書を公表できないのなら、委員会は独立して調査しても、最後の段階で中央委員会に判断を委ねることになる」


彼は、政策調整室の提案書を閉じた。


「安定を守ることは必要だ。しかし、安定を守るという理由で、人民が知るべき事実をいつまでも知らせないのであれば、私たちは何を守っているのだろうな」


責任者は、深く頭を下げた。


「ご指摘を踏まえ、制度上の権限を確認いたします」


ミツオケラ十三世は、その言葉を聞きながら、過去の自分を思い出していた。


彼もまた、何度も「安定」を理由に、判断を先送りしてきた。


急激な変更は混乱を招く。


対立を深めるより、対話を続けるべきだ。


不確かな情報で人民を動揺させるべきではない。


それらは、必ずしも間違いではない。


だが、安定とは、何を意味するのだろう。


問題が表面化しないことか。


不満が数字に現れないことか。


それとも、問題が存在するときに、それを認め、必要な修正を行えることか。


彼は、まだ、その答えを完全には持っていなかった。


ただ、ひとつだけ、以前とは違うことがあった。


彼は今、安定を守るという言葉そのものを、検証の対象にしようとしていた。


---


## 五 独立性を認めるという権力


中央委員会の協議では、報告書の公表をめぐって意見が分かれた。


政策調整室は、人民への説明を先に行うことを提案した。


記録管理局は、未確認の事項が多いため、報告書の表現を慎重に確認すべきだと述べた。


一方、法務担当の委員は、設置規程に基づく報告書の公表手続きを確認する必要があると主張した。


ミツオケラ十三世は、それぞれの説明を聞いてから尋ねた。


「この委員会の報告書を、公表するかどうか決める権限は、誰にあるのだ」


法務担当の委員が答えた。


「設置規程では、調査委員会は調査結果を報告書にまとめ、公表すると定められています。中央委員会が内容を承認しなければ公表できないという規定はありません」


「では、中央委員会が公表を延期するよう求めることはできるのか」


「要請すること自体は可能でしょう。ただし、その要請に従う義務が委員会にあるとは、規程からは読み取れません」


「では、委員会が要請を拒否した場合は?」


「委員会は、規程に従って判断することになると考えられます」


ミツオケラ十三世は、うなずいた。


「それなら、中央委員会としての説明は別途準備しよう。報告書の公表を、説明準備の完了に結びつけてはならない」


政策調整室の責任者が、慎重に発言した。


「しかし、委員会が公表した報告書に対し、中央委員会が十分な説明を行えなければ、人民の不信がさらに高まる可能性があります」


「その可能性はある」


ミツオケラ十三世は答えた。


「だが、説明できないことを、説明できるようになるまで公表しないという仕組みにすれば、説明できない問題ほど、公表されにくくなる」


その言葉に、会議室は静かになった。


彼は続けた。


「中央委員会は、報告書に対して見解を示すことができる。事実関係に誤りがあると考えるなら、その根拠を示せばよい。調査結果に異論があるなら、どの部分に異論があるのかを明確にすればよい」


彼は、手元の規程を開いた。


「ただし、委員会の報告書そのものを書き換えることはできない。委員会の結論を、中央委員会の説明に都合のよい形へ変えることもできない」


政策調整室の責任者は、少し表情を硬くした。


「中央委員会の立場が、十分に反映されない可能性があります」


「それでよい」


ミツオケラ十三世は、静かに答えた。


「委員会の報告書は、中央委員会の立場を説明するための文書ではない。委員会が調査した結果を示すための文書だ」


彼は、そこで言葉を切った。


自分が今、何を認めようとしているのか、理解していた。


調査委員会に独立性を与えるということは、委員会が自分の期待どおりの結論を出すことを保証するものではない。


委員会が、中央委員会にとって不都合な結論を出す可能性もある。


中央委員会の説明に納得しない可能性もある。


そして、ミツオケラ十三世自身の判断を、問題の一部として記録する可能性もある。


独立性を認めるとは、自分が好まない結論を出す自由まで認めることだった。


その自由を認めないのであれば、独立性という言葉は、ただの飾りになる。


ミツオケラ十三世は、協議記録に一文を加えるよう指示した。


《中央委員会は、調査委員会の報告書に対して独自の見解を示すことができる。ただし、報告書の公表を中央委員会の承認に従属させず、調査委員会の結論を変更する権限を持たない》


書記が、その文を記録した。


ミツオケラ十三世は、文面を確認した。


立派な言葉だった。


しかし、彼は、その言葉だけでは不十分であることも理解していた。


実際に報告書が公表されたとき、人民が怒り、中央委員会への批判が高まり、政策に影響が出たとしても、この決定を守れるか。


自分自身が批判の対象となったときにも、同じ原則を守れるか。


彼は、その問いに、まだ確信を持って答えることができなかった。


だからこそ、この判断も記録に残す必要があった。


将来、誰かが問い直すことができるように。


---


## 六 報告書の外側にある報告書


調査委員会は、中央委員会からの照会に対し、事実関係の確認に応じることを決めた。


ただし、確認の対象は、日付、番号、資料の記載内容など、客観的に検証できる事項に限定された。


委員会は、中央記録管理局に対して、追加資料の提出を求めた。


一方、中央委員会から提出された意見のうち、調査結果の表現をより穏当なものに変更するよう求める部分については、そのまま受け入れないことを決定した。


委員長は、会議で説明した。


「私たちは、事実関係に誤りがあるなら訂正します。確認が不十分な部分があれば、記述を見直します。しかし、結論が不都合であるという理由だけで、結論を変更することはできません」


記録研究者が尋ねた。


「中央委員会からの意見は、報告書にどのように反映するのでしょうか」


「事実関係の確認に関する指摘は、検討結果を記録します。採用した指摘については、報告書を修正します。採用しなかった指摘についても、その理由を記録します」


「その記録は公表しますか」


「原則として、報告書の公表時に、主要な指摘と委員会の対応を示します。個人情報など、公開に適さない部分については、理由を明記したうえで、必要な範囲を除外します」


ブラウ太郎がうなずいた。


「報告書だけでなく、報告書がどのように作られたのかも、後から検証できるようにするわけですね」


「そのとおりです」


委員長は答えた。


「結論だけを公表すれば、委員会がどのような資料を見て、どのような判断をしたのかが見えません。だからといって、すべての内部資料を無条件に公開するわけにもいきません。その両方を考慮しながら、判断の過程を可能な限り明らかにします」


名無しの七号は、議事録に書き込んだ。


《結論だけでなく、結論に至る過程を検証可能にする》


彼は、その文を見つめた。


それは、これまで人民が中央委員会に求めてきたことでもあった。


しかし、委員会が同じことを自分たちに課すとき、その意味は少し違ってくる。


自分たちが正しいと示すためだけではない。


自分たちが間違っていた場合に、その間違いを見つけられるようにするためだ。


委員会は、報告書の草案に対する指摘を一つずつ検討した。


その中には、妥当な指摘もあった。


ある番号の差は、実際には旧制度と新制度の重複登録によって生じたものだった。


別の案件については、移行後に統合処理が行われたことを示す資料が見つかった。


委員会は、これらの事項について記述を修正した。


しかし、すべての差が説明できたわけではなかった。


二百十二件の記録については、引き続き処理状況を確認できなかった。


別途管理された記録の一部についても、確認期限や担当者が定められていたことを示す資料は見つからなかった。


また、処理済みとされた案件の中には、処理の完了を示す記録はあるものの、意見の内容に対してどのような判断が行われたのかを確認できないものが残っていた。


委員会は、説明できた部分を訂正した。


そして、説明できない部分については、説明できないと記載した。


その結果、報告書は、最初の草案よりも複雑になった。


単純な数字の差の一部は解消された。


一方で、解消されない差については、より具体的な疑問が残った。


何が確認できたのか。


何が確認できなかったのか。


どの資料が追加され、どの資料がまだ提出されていないのか。


それらが、以前よりも明確になっていた。


報告書は、読みやすくなったわけではない。


しかし、読みやすさのために、不確かなことを確かなことのように書く必要はなくなった。


---


## 七 ミツオケラ十三世の七%


中間報告書の公表予定日が決まった夜、ミツオケラ十三世は、執務室で一人、過去の大会議記録を読んでいた。


そこには、彼が総書記に就任した当時の演説が記されていた。


《われわれ七%の少数派は、多数派が見落とす問題を見抜き、人民共和国の長期的な利益を守る歴史的使命を担っている》


彼は、その一文を何度も読んだ。


当時の彼は、本気でそう信じていた。


多数派の意見は、しばしば短期的な利益に引きずられる。


今すぐ食料を増やしてほしい。


今すぐ配分を変えてほしい。


今すぐ不満を解消してほしい。


そうした要求に応えるだけでは、長期的な安定は保てない。


だから、少数派には、目先の要求を超えて判断する責任がある。


その考えは、今でも完全には間違っていないと思う。


問題は、少数派であることが、正しさの証明になると考え始めたことだった。


七%だから、歴史を理解している。


七%だから、多数派の誤りを見抜ける。


七%だから、判断を委ねられる。


その論理が成立すれば、七%の判断を検証する必要はなくなる。


多数派が反対しても、それは歴史を理解していないからだと説明できる。


人民が不満を訴えても、長期的な利益を理解していないからだと説明できる。


記録に不一致があっても、制度全体の安定を優先すべきだと説明できる。


そうなれば、歴史的使命は、いつの間にか、権力を維持するための言葉になる。


ミツオケラ十三世は、演説記録を閉じた。


彼は、七%の歴史的使命を、完全に捨て去るつもりはなかった。


少数派であっても、長期的な責任を担うことはできる。


多数派であっても、間違うことはある。


重要なのは、どちらが正しいかを、あらかじめ人数によって決めないことだった。


そして、少数派が正しいと主張するなら、その判断もまた、検証にさらされなければならない。


彼は、新しい演説原稿を書き始めた。


《少数派であることは、正しさの証明ではない。多数派であることも、正しさの証明ではない。判断の正当性は、人数によってではなく、その根拠と、検証に耐えられるかどうかによって確かめられなければならない》


彼は、そこでペンを止めた。


この言葉を大会議で述べれば、これまでの演説を否定することになるかもしれない。


七%の歴史的使命を信じてきた党員たちは、どう受け止めるだろう。


自分たちの誇りを失ったと感じる者もいるだろう。


長年の統治を正当化してきた論理が、揺らぐと考える者もいるだろう。


それでも、彼は、その言葉を消さなかった。


自分が正しいと信じてきたことを、疑うこと。


その疑いを、言葉だけでなく、制度に反映させること。


それは、権力を失う危険を伴う。


しかし、疑うことのできない正しさは、やがて、正しさという名前を持った支配になる。


ミツオケラ十三世は、演説原稿を封筒に入れた。


まだ、これをいつ、どのように語るのかは決めていなかった。


ただ、少なくとも、次の大会議で、同じ言葉を何事もなかったように繰り返すことはできないと思った。


---


## 八 公表の日


中間報告書の公表日、中央記録管理局の前には、朝から多くの人民が集まっていた。


記録移行の不備について、以前から関心を寄せていた者たちだった。


自分の意見が処理済みとされたまま、回答を受け取っていない者。


旧番号を持っているのに、新番号を知らされていない者。


窓口で何度も説明を求めたが、記録が見つからないと言われた者。


彼らは、報告書が何を明らかにするのかを知りたがっていた。


同時に、報告書が何を明らかにできないのかも、知りたがっていた。


午前十時、調査委員会は、中間報告書を公表した。


報告書の冒頭には、調査の範囲と限界が明記されていた。


《本報告書は、現時点で委員会が入手し、照合できた資料に基づくものである。すべての記録を網羅していることを保証するものではない》


《意図的な隠蔽があったかどうかについては、現時点で確認できていない》


《ただし、記録移行の過程において、処理状況を確認できない案件や、分類と管理の手続きが明確でない事例が存在することは確認された》


《これらの事例について、原因を確認できないことを理由に、問題が存在しなかったと判断することはできない》


報告書には、確認できた事実と、未確認の事項が分けて記載されていた。


公表と同時に、中央委員会も声明を発表した。


声明では、調査委員会の活動を尊重すること、指摘された問題について改善策を検討すること、意図的な隠蔽が確認されたわけではないことが説明された。


また、報告書の記載の一部について、中央委員会としての見解も示された。


報告書と声明は、別々の文書として公表された。


中央委員会の声明が、調査委員会の報告書を書き換えることはなかった。


それは、設置規程に定められた手続きどおりだった。


しかし、人民の反応は、一様ではなかった。


「やはり、意図的に消されたわけではないのだな」


そう受け止める者もいた。


「原因がわからないのに、問題がなかったとは言えないと書いてある」


そう指摘する者もいた。


「二百十二件という数字は、結局、何を意味しているのだ」


疑問を持つ者もいた。


「これまで何度も説明を求めてきたのに、今になって初めて、確認できないと認めたのか」


怒りをあらわにする者もいた。


報告書は、すべての疑問に答えたわけではなかった。


むしろ、これまで見えなかった疑問を、公式な記録の中に持ち込んだ。


その結果、人民共和国には、新しい議論が生まれた。


誰かが、報告書の一部分だけを取り上げて批判した。


別の誰かが、中央委員会の声明だけを読んで、調査は問題がなかったと結論づけた。


また別の者は、報告書に書かれた未確認事項を、すべて不正の証拠であるかのように語った。


ブラウ太郎は、その様子を見ながら、複雑な気持ちになった。


報告書を公表すれば、人民が正確に理解してくれる。


そんな保証は、最初からなかった。


情報を公開することと、情報が正しく理解されることは違う。


しかし、誤解が生じる可能性があるからといって、情報を公開しなければ、正しく理解する機会そのものが失われてしまう。


彼は、名無しの七号に言った。


「報告書は、人民の理解を一つにまとめるためのものではありません」


名無しの七号は、うなずいた。


「では、何のためのものなのでしょう」


「何が確認され、何が確認されていないのかを、誰もが確かめられるようにするためです。そのうえで、報告書に対する異論も、批判も、検証もできるようにする」


「つまり、総意を作るためではなく、総意を誰かが独占しないために?」


ブラウ太郎は、少し笑った。


「そういうことです」


名無しの七号は、公表された報告書の表紙を見つめた。


そこには、委員会の名前が記されていた。


中央委員会の名前ではない。


総書記の名前でもない。


特定の党派の名前でもない。


調査を行った委員会の名前だった。


それだけで、すべてが変わるわけではない。


しかし、誰が調べ、誰が結論を出したのかを、少なくとも区別できるようになった。


人民共和国にとって、それは小さくない変化だった。


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## 九 報告書の次に来るもの


公表から二日後、コウシン太郎は、委員会から届いた文書を読んでいた。


それは、彼が提出した《調査対象の適正化に関する運用指針》について、追加の説明を求める通知だった。


委員会は、指針の作成経緯、改訂の理由、実際の運用状況、そして別紙二が現在も保管されているかどうかについて、説明を求めていた。


コウシン太郎は、文書を机に置いた。


彼は、自分が指針を作成した当時の記憶を、ノートに書き出した。


調査対象が広がりすぎることを防ごうとしたこと。


関係部署の負担を考慮したこと。


効率的に作業を進めるため、対象範囲を明確にしようとしたこと。


そして、別途管理という分類を認めたこと。


しかし、指針を作成したとき、彼は、別途管理された事項を、いつ、誰が、どのような条件で調査へ戻すのかを、十分に検討していなかった。


彼は、その点を隠さずに記載した。


《当時、調査対象の範囲を限定する必要性を重視した一方、対象外とされた事項を再検討するための期限、担当者、再検討の開始条件について、十分な規定を設けなかった。少なくとも、現時点で確認できる資料からは、それらが明確に定められていたことを確認できない》


彼は、その文章を何度も読み返した。


これを提出すれば、自分の判断が、問題の一部だったことを認めることになる。


だが、認めなければ、委員会は、彼が何を考えていたのかを知ることができない。


彼は、説明書の最後に、もう一文を加えた。


《本指針が、実際の運用において調査対象を不当に制限する結果を生じさせた可能性について、当時の私自身は十分に検討していなかった。この点については、当時の作成者として、検証に協力する》


書き終えたあと、彼は長いあいだ動かなかった。


自分の責任を認めることは、過去の自分を悪人と呼ぶことではない。


また、善意があったと説明することで、責任を免れることでもない。


自分が何を考え、何を考えなかったのか。


何を決め、何を決めなかったのか。


その結果、何が可能になり、何が困難になったのか。


それを説明することが、今の自分にできることだった。


彼は、説明書を委員会へ提出した。


提出後、彼は、報告書の公表をめぐる人民の議論を思い出した。


ある者は、委員会を称賛した。


ある者は、委員会の調査が不十分だと批判した。


ある者は、中央委員会の説明を支持した。


ある者は、中央委員会そのものの解体を求めた。


それぞれの意見は、異なっていた。


そして、どれか一つを、人民の総意と呼ぶことは、まだできなかった。


彼は、かつて、自分が管理した意見集約の資料を思い出した。


多数の意見を分類し、集計し、代表的な傾向を示す。


その作業自体は、必要だった。


しかし、集計結果を、人民の総意そのものと扱った瞬間、集計から漏れた意見や、分類に収まらない声は、存在しないもののように扱われてしまう。


報告書が公表された今、人民共和国は、再び、その問題に直面していた。


調査委員会の結論を、誰かが人民の総意と呼ぶのか。


中央委員会の声明を、人民の総意と呼ぶのか。


あるいは、どちらにも納得していない人民の声を、また別途管理するのか。


コウシン太郎は、窓の外を見た。


調査は終わっていない。


報告書が公表されたことは、一つの区切りではある。


しかし、記録の不一致は、まだ残っている。


処理状況を確認できない案件も、残っている。


制度のどこに問題があったのか、十分に説明できていない部分もある。


そして、調査委員会自身の判断についても、今後、検証する必要がある。


報告書は、問題を終わらせるための文書ではなかった。


問題を、これ以上、なかったことにしないための文書だった。


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## 十 不都合な結論


公表から一週間後、ミツオケラ十三世は、中央委員会の定例会議で発言した。


「旧記録移行検証委員会の中間報告書について、中央委員会としての見解を示した」


彼は、会議資料を閉じた。


「しかし、中央委員会の見解を示したことによって、調査委員会の結論が確定したわけでも、調査が終了したわけでもない」


一部の委員が、顔を上げた。


「報告書には、説明できていない記録の差があること、処理済みとされた案件の一部について、実際の処理内容を確認できないこと、別途管理された記録の扱いに不明確な点があることが記載されている」


彼は、言葉を選びながら続けた。


「意図的な隠蔽があったと確認されたわけではない。しかし、意図的な隠蔽が確認されていないことを理由に、制度に問題がなかったと判断することもできない」


会議室は、静かだった。


「私たちは、長いあいだ、七%の歴史的使命を語ってきた。少数派だからこそ、長期的な利益を考えられる。多数派が見落とす問題を、私たちは見抜ける。そう主張してきた」


彼は、一度、息を吸った。


「しかし、少数派であることは、正しさの証明ではない。多数派であることも、正しさの証明ではない。私たちが正しいと主張するなら、その判断の根拠を示し、検証に応じなければならない」


政策調整室の責任者が、発言を求めた。


「総書記。調査委員会の報告書が公表されたことによって、人民の間には、さまざまな受け止め方が生まれています。今後、制度への信頼が低下する可能性もあります」


「その可能性はある」


ミツオケラ十三世は答えた。


「だからこそ、問題が確認された場合には、改善しなければならない。説明できないことがあるなら、説明できないと認めなければならない。まだ確認できていないことがあるなら、確認する方法を考えなければならない」


彼は、会議室を見渡した。


「安定を守ることは、問題が表面化しないようにすることではない。問題が表面化したとき、それを認め、必要な修正を行えることも、安定の一部であるはずだ」


その言葉を聞きながら、何人かの委員は、うつむいていた。


彼らにとって、これは簡単に受け入れられる話ではなかった。


長年、人民共和国の制度を支えてきた者たちにとって、制度の不備を認めることは、自分たちの仕事そのものを疑うことでもあった。


それでも、ミツオケラ十三世は、言葉を続けた。


「調査委員会の報告書には、中央委員会にとって不都合な結論も含まれている。だが、中央委員会にとって不都合であることは、その結論が誤っていることの証明にはならない」


彼は、机の上の資料を手に取った。


「今後、私たちは、報告書に記された問題について、具体的な改善策を検討する。未解決の事項については、担当部署と確認期限を定める。調査委員会の活動を、中央委員会の都合だけで制限することはしない」


会議が終わったあと、ミツオケラ十三世は、ひとりで議事録を確認した。


自分の発言は、正確に記録されていた。


しかし、彼は、その記録だけでは不十分だと感じた。


言葉を述べたことと、その言葉を実際に守ったことは違う。


改善策を検討すると述べたことと、改善策が実行されたことも違う。


調査を制限しないと述べたことと、将来、不都合な結論が出たときにも制限しないことも違う。


彼は、議事録の余白に書き加えた。


《本発言に基づく改善措置の実施状況について、次回定例会議で報告すること》


その一文が、実際に守られるかどうかは、まだわからない。


しかし、少なくとも、発言を発言のまま終わらせないための記録は作られた。


ミツオケラ十三世は、議事録を閉じた。


人民共和国は、まだ、正しい制度を手に入れたわけではなかった。


調査委員会も、すべてを明らかにしたわけではなかった。


それでも、これまでなら、制度の外側に置かれていた不都合な結論が、今は、公式な議事録の中に残されている。


その結論を消すことは、以前より難しくなった。


だが、消せないことと、実際に改善することは違う。


その違いを、次に確かめなければならなかった。


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## 終章 報告書に書かれなかった問い


報告書の公表から十日後、ブラウ太郎と名無しの七号は、集めた記録を整理していた。


公的な照合一覧と一致したもの。


一部だけ一致したもの。


番号は一致するが、処理内容が確認できないもの。


番号そのものが見つからないもの。


そして、証言以外に、提出を裏づける資料が見つかっていないもの。


それぞれの記録には、現在の確認状況が記されていた。


名無しの七号は、一覧を眺めながら言った。


「少しずつ、わかることが増えてきましたね」


「ええ」


ブラウ太郎は答えた。


「でも、わかることが増えると、わからないことも、以前より具体的になります」


名無しの七号は、顔を上げた。


「どういう意味ですか」


「最初は、記録が見つからないというだけでした。ところが、照合を進めると、どの番号が見つからないのか、どの分類で止まっているのか、どの段階で対応関係が切れているのかが、少しずつ見えてきた」


ブラウ太郎は、一枚の一覧を示した。


「わからないことが、ただの空白ではなくなったのです。どこを調べればよいのか、何が足りないのか、少しずつわかるようになった」


「それなら、調査は進んでいるということですね」


「そうです。ただし、調査が進んでいることと、問題が解決していることは違います」


名無しの七号は、うなずいた。


彼は、委員会の中間報告書を手に取った。


そこには、現時点で確認できた問題と、未確認の事項が記されていた。


だが、人民一人ひとりの問いに、すべて答えが出たわけではない。


ある者は、自分の意見がどこへ移されたのかを、まだ知らない。


ある者は、処理済みとされた案件について、実際にどのような判断が行われたのかを、まだ確認できていない。


ある者は、提出したことを示す受領証を持っているのに、その番号が公的な一覧に見つからないままだ。


そして、ある者は、記録そのものを持っていないため、自分の記憶を、証言として提出するしかない。


報告書は、それらの違いを記録した。


しかし、記録したことによって、すべての問題が解決したわけではない。


名無しの七号は、ふと、報告書の表紙を見た。


そこには、調査委員会の名前が記されている。


報告書の最後には、委員長の署名がある。


委員会は、自らの調査結果を公表した。


中央委員会は、別途、見解を示した。


二つの文書は、区別されたまま、人民の前に置かれている。


それは、誰か一人が、人民の総意を独占することを防ぐための、一つの仕組みだった。


しかし、委員会が公表した報告書も、完全ではない。


調査できた範囲には限界がある。


提出されなかった資料もある。


証言の中には、まだ裏づけを確認できていないものもある。


委員会が見落としている問いも、きっとある。


だから、報告書そのものも、検証の対象であり続けなければならない。


ブラウ太郎は、記録の束を整理し終えた。


「次は、何を調べますか」


名無しの七号が尋ねた。


ブラウ太郎は、しばらく考えた。


「報告書で確認できた問題について、具体的な改善策が実行されるかどうか。そして、未解決事項が、本当に引き継がれるかどうか。それを調べる必要があります」


「調査委員会のあとも、調査を続けるのですね」


「ええ。調査すること自体が、目的ではありませんから」


ブラウ太郎は、窓の外を見た。


「記録を調べるのは、記録の中にある問題を明らかにするためです。そして、問題を明らかにするのは、同じことが繰り返されないようにするためです」


名無しの七号は、静かにうなずいた。


そのとき、事務室の電話が鳴った。


事務局の担当者が受話器を取り、しばらく話を聞いたあと、二人のもとへやってきた。


「中央記録管理局から連絡がありました」


「何か、新しい資料が見つかったのですか」


ブラウ太郎が尋ねた。


担当者は、手元のメモを確認した。


「旧制度から新制度への移行時に使用した、調査対象の変更に関する承認記録が、別の保管区分から見つかったそうです」


名無しの七号は、顔を上げた。


「承認記録?」


「はい。ただし、記録の一部は、現在の管理番号と対応していないとのことです。資料を整理したうえで、委員会へ提出する予定だそうです」


ブラウ太郎は、ゆっくりとうなずいた。


「いつ提出される予定ですか」


担当者は、メモを見た。


「確認が完了次第、とのことです」


三人は、しばらく黙っていた。


また、その言葉だった。


しかし、今度は、彼らも以前とは違っていた。


提出予定日が記されていないなら、期限を確認する。


保管区分が変わっているなら、移管の履歴を確認する。


管理番号が一致しないなら、対応関係を調べる。


そして、資料が提出されなければ、提出されていないという事実を記録する。


それは、地味で、時間のかかる作業だった。


だが、記録の行き先を追うためには、必要な作業だった。


ブラウ太郎は、担当者に言った。


「提出予定日と、現在の担当部署を確認してください。もし、期限を設定できないのであれば、その理由も記録してもらいましょう」


「承知しました」


担当者が去ったあと、名無しの七号は、ノートを開いた。


そして、新しい項目を書き加えた。


《調査対象変更に関する承認記録。保管区分の変更履歴と、現行管理番号との対応関係を確認すること》


彼は、その下に、担当者と確認期限を書いた。


調査は、まだ終わっていない。


報告書が公表されても、問題が自動的に解決するわけではない。


独立委員会が結論を出しても、その結論が実際の制度を変えるとは限らない。


そして、制度が変わったとしても、その変化が人民の生活に届いているかどうかは、別に確かめなければならない。


名無しの七号は、最後に一文を加えた。


《報告書の公表を、調査の終了とみなしてはならない》


書き終えた彼は、ノートを閉じた。


人民共和国では、ようやく、不都合な結論を記録に残すことができるようになった。


しかし、記録に残すことができるようになったからといって、不都合な結論を受け入れることまで、制度が保証しているわけではない。


その結論を受け入れ、必要な修正を行い、修正が実際に機能したかどうかを確かめること。


それこそが、次に問われることだった。


そして、その問いは、もう一度、中央委員会へ戻っていく。


報告書に書かれた問題を、誰が改善するのか。


改善されたと、誰が判断するのか。


その判断が間違っていた場合、誰が訂正を求められるのか。


調査する者を、誰が調査するのか。


その問いは、まだ終わっていなかった。


人民共和国は、ようやく、その問いを公然と語り始めたところだった。


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