第九話 人民の総意を再計算せよ
中央委員会の発表は、朝食後、全菌民がまだ食物繊維の摂取量をめぐって議論している時間に行われた。
発表場所は、人民大会議場。
発表者は、中央統計管理委員会の委員長。
発表の表題は、簡潔で、威厳があり、そして何よりも、すでに結論が出ているように見えた。
「人民の総意に関する過去統計の再計算について」
議場の正面には、巨大な数字が掲げられていた。
七%。
ミツオケラ党が長年、自らの歴史的使命を説明する際に用いてきた数字である。
ミツオケラ党は、全菌民の多数派ではなかった。
それでも、党は人民を代表していると主張してきた。
なぜなら、党は最も早く危機を認識し、最も長く制度を維持し、最も深く歴史を理解しているからである。
少なくとも、党の公式文書には、そのように書かれていた。
そして、公式文書の記述によれば、公式文書の正しさは、公式文書によって確認されていた。
「諸君」
統計管理委員長が演壇に立った。
「我々は、制度への信頼をさらに高めるため、過去に収集された人民の意見について、現在の統一基準に基づく再計算を実施することを決定した」
議場に拍手が起こった。
拍手の長さは、事前に定められていなかった。
ただし、誰も最初に拍手をやめたがらなかったため、結果的には十分な長さになった。
委員長は満足そうにうなずいた。
「今回の再計算では、過去の記録を現在の分類基準に照らし、確認可能なものについて、正確かつ客観的に集計する」
ブラウ太郎が手を挙げた。
「確認可能なもの、というのは?」
委員長は資料をめくった。
「現在の記録管理システムにおいて、原案件との対応関係を確認できるものです」
「確認できないものは?」
「今回の集計対象には含まれません」
「つまり、存在したかもしれない意見も、存在したことが確認できなければ、人民の総意には含まれないのですか?」
委員長は微笑んだ。
「ブラウ太郎同志。統計とは、確認できる事実に基づいて作成されるものです」
「それは分かります」
ブラウ太郎は言った。
「では、確認できない事実が存在する可能性については、統計の外で考えるのですか。それとも、統計の外にあるものは、考える必要がないのですか」
議場が静かになった。
委員長は、資料を一枚めくった。
「その問題については、現在、別途検討が進められています」
「別途検討されている問題は、いつも、現在進行形ですね」
ブラウ太郎は言った。
「それなのに、検討の結果だけは、いつも過去形で報告される」
議長菌が木槌を鳴らした。
「発言は簡潔にお願いします」
「はい」
ブラウ太郎は席に座った。
「では、簡潔に申し上げます。記録を再計算する前に、何が記録されなかったのかを確認する必要はありませんか。」
議長菌は、木槌をもう一度鳴らした。
今度は、少し強く。
「その意見は、記録の完全性に関する検討事項として受理します」
ブラウ太郎はうなずいた。
受理された。
それは、拒否されたわけではない。
ただし、採用されたわけでもなかった。
この人民共和国では、その二つの違いを説明するためだけに、専門の委員会が設置されていた。
そして、その委員会は現在、委員の選任手続きについて検討中だった。
一 数字は、誰のものか
再計算の実務を担当する中央統計管理局では、すでに作業が始まっていた。
机の上には、過去十年間の意見集計表が積み重なっている。
「旧分類では、賛成、反対、条件付き賛成、その他の四分類でした」
若い統計官が説明した。
「しかし、現在の分類では、賛成、反対、制度理解の促進、地域調整、発展的留保、その他の六分類になります」
バク長老は、説明を聞きながら目を細めた。
「発展的留保とは何だ?」
「反対と断定するには十分な根拠がないものの、制度に対する理解が十分でない可能性があり、今後の対話によって改善が見込まれる意見です」
「それは、反対ではないのか?」
「必ずしもそうではありません」
「賛成なのか?」
「必ずしもそうではありません」
「では、何なのだ?」
統計官は少し考えた。
「今後の対話によって明らかになるものです」
バク長老は深く息を吐いた。
「わしは長く生きてきたが、こんなに長生きしそうな分類は初めて見た」
統計官は笑わなかった。
笑ってよい場面なのか、判断がつかなかったのである。
彼は職務に忠実だった。
職務に忠実であるということは、分類基準に疑問を抱かないことではない。
疑問を抱いた場合、それをどの分類に入れるべきか、まず確認することだった。
「それで、再計算すると、何が変わる?」
バク長老が尋ねた。
「現時点では、賛成意見の比率が上昇する可能性があります」
「意見が変わったのか?」
「いいえ。分類基準が変わったのです」
「人民の考えが変わらなくても、人民の総意は変わるのだな」
統計官は答えなかった。
その沈黙を、バク長老は責めなかった。
統計官が答えられないのではなく、答えた場合に、その答えをどの分類に入れられるのか分からなかったのだろう。
「もう一つ、確認したい」
バク長老は資料の端を指で押さえた。
「今回の再計算では、記録の総数も変わるのか?」
「はい。現在のシステムで原案件との対応関係が確認できない記録は、集計対象から除外されます」
「すると、賛成の比率が上昇する可能性があるのは、賛成が増えるからだけではない」
「……はい」
「反対や留保の記録が、集計の外に出る可能性もあるからだ」
統計官は、ようやく顔を上げた。
「ただし、除外される記録が、必ずしも反対意見だったとは限りません」
「その通りだ」
バク長老はうなずいた。
「賛成だったかもしれん。反対だったかもしれん。何も書かれていなかったかもしれん。だからこそ、分からないものを、都合のよい側にも、都合の悪い側にも数えてはならん」
彼は資料を閉じた。
「だがな、分からないものを全部捨てて、残ったものだけで全体を説明するなら、その数字は何の全体を表しているのだ?」
統計官は、手元の集計表を見つめた。
そこには、立派な罫線が引かれていた。
数字は小数点以下二桁まで記載されていた。
その表のどこにも、「全体とは何か」という欄はなかった。
二 名無しの七号、分母を問う
人民刷新協議会の臨時会議では、コウシン太郎が再計算の説明資料を配布していた。
「中央委員会の方針を、まず正確に理解する必要があります」
彼はそう言ってから、自分の発言が以前にも何度も使われてきたことに気づいた。
正確に理解する。
その言葉は、異議を唱える前に異議を唱える資格を確認させるための、便利な前置きだった。
「再計算自体に反対する理由はありません。古い統計に誤りがあるなら、訂正すべきです。しかし、集計基準を変更する場合には、旧基準との比較可能性を確保しなければなりません」
ブラウ太郎がうなずいた。
「比較できないものを、比較したことにしない。そのためですね」
「そうです」
コウシン太郎は答えた。
「それに、今回の結果を過去の政策の正当性を証明する根拠として使うなら、なおさらです」
会議室の隅で、名無しの七号が手を挙げた。
「一つ、質問してもいいですか」
「もちろんです」
コウシン太郎は答えた。
名無しの七号は、資料を開いた。
「この表では、過去に提出された意見が百件あったと仮定しています。そのうち、現在のシステムで確認できるものが八十件です」
「はい」
「八十件のうち、賛成が五十件。反対が二十件。その他が十件」
「その通りです」
「すると、賛成は六十二・五%になりますね。八十件を分母にすれば」
「はい」
「でも、百件を分母にすれば五十%です」
コウシン太郎はうなずいた。
「ただし、残り二十件の内容は確認できません」
「そうです」
名無しの七号は資料から顔を上げた。
「では、六十二・五%という数字は、何を表しているのでしょうか」
「現在確認できる意見の中での賛成比率です」
「人民全体の賛成比率ではないのですね」
「厳密には、そうです」
「では、なぜ報告書の見出しには『人民の総意』と書いてあるのですか」
誰も答えなかった。
名無しの七号は、さらに続けた。
「私は、確認できる八十件を数えることに反対しているのではありません。確認できる八十件を数えた結果と、百件すべてについて判断した結果を、同じものとして扱うことに反対しているのです」
ブラウ太郎が小さく拍手した。
議長菌がいない会議室だったので、拍手を止める者はいなかった。
名無しの七号は、少し困った顔をした。
「それから、もう一つ」
「どうぞ」
「確認できない二十件の中に賛成が何件あったか分からないのなら、賛成が増えたとも、減ったとも、言えないはずです」
「その通りです」
「なのに、再計算によって人民の総意が、より正確に把握されたと説明するのでしょうか」
コウシン太郎は、答えを探した。
「確認できる範囲では、精度が向上したと言えるかもしれません」
「それなら、『確認できる範囲の精度が向上した』と書けばいいのではありませんか」
名無しの七号は言った。
「どうして、いつも大きな言葉にしなければならないのでしょう。確認できる範囲の話を、人民全体の話にする。ある制度の一部を、制度全体の正しさにする。七%の党が、人民全体の歴史的使命を語る」
彼は少し言葉を切った。
「私たちは、何を数えているのでしょうか。意見でしょうか。それとも、意見を数える権限でしょうか」
コウシン太郎は、手元の資料を見た。
その資料の最後には、中央委員会の説明文が記されていた。
《今回の再計算は、過去の統計を否定するものではなく、現在の基準によって、その正確性をさらに高めるものである》
彼は、その文章を何度か読んだ。
否定しない。
訂正する。
しかし、訂正によって結論が変わる可能性については、書かれていない。
「名無しの七号同志」
コウシン太郎は、ようやく口を開いた。
「あなたの指摘は、正しいと思います」
その言葉を聞いて、会議室の空気がわずかに変わった。
コウシン太郎は、続けた。
「ただし、これまでの統計が、すべて無意味だったということにはなりません。あの時点で確認できた記録を、当時の基準で集計した。その作業自体には意味があります」
「はい」
名無しの七号はうなずいた。
「私も、そう思います」
「問題は、その数字を何に使ったかです」
ブラウ太郎が言った。
コウシン太郎は、ゆっくりとうなずいた。
「そうです。統計が当時の状況を示す資料だったのか、それとも、すでに決まっていた政策を正当化するための証明書だったのか。その区別を、私たちは曖昧にしてきた」
彼は自分が言った言葉を、頭の中でもう一度聞いた。
私たちは。
そこには、中央委員会だけでなく、自分自身も含まれていた。
三 七%の再計算
同じ日の午後、ミツオケラ十三世は執務室で、再計算の中間報告を受け取った。
報告書の冒頭には、次のように記されていた。
《現行基準において確認可能な記録を対象とした集計では、従来の分類に比べ、党の基本方針に整合的な意見の割合が上昇する傾向が確認された》
ミツオケラ十三世は、その一文を読んだ。
次に、二文目を読んだ。
三文目を読んだ。
そして、もう一度、最初の一文に戻った。
「これは、どういう意味だ?」
報告書を持参した統計管理委員長は、慎重に答えた。
「現在の分類基準において、党の基本方針と矛盾しないと判断された意見の割合が、従来より高くなったということです」
「人民の意見が変わったのか?」
「それは確認できません」
「党への支持が増えたのか?」
「そのように断定することはできません」
「では、何が確認された?」
委員長は、資料を指さした。
「分類基準を変更し、対応関係を確認できる記録だけを集計した場合、党の基本方針に整合的と分類される意見の割合が上昇した、ということです」
ミツオケラ十三世は、椅子の背にもたれた。
「つまり、人民の意見が変わったとは言えない。記録が完全になったとも言えない。ただ、数え方を変えたら、我々に都合のよい数字になった」
「都合のよい数字と申しますより、現在の基準において、より適切に分類された数字であると考えます」
「その基準を作ったのは誰だ?」
「中央統計管理局です。中央委員会の承認を受けております」
「その中央委員会は、誰の意見を代表している?」
委員長は口を閉じた。
ミツオケラ十三世は、怒ってはいなかった。
少なくとも、声を荒らげてはいなかった。
彼は長年、七%という数字を、単なる少数派の割合ではなく、党の歴史的な役割を説明するための数字として扱ってきた。
七%しかいないからこそ、我々は多数派の一時的な気分に流されない。
七%しかいないからこそ、我々は歴史を長い目で見る。
七%しかいないからこそ、我々は人民の本当の利益を守る責任がある。
この論理は、党員たちに誇りを与えた。
自分たちが少数であることを、恥じる必要はなかった。
むしろ、少数であることが、特別な責任を負っている証拠になった。
だが、そこには一つ、奇妙な点があった。
党が少数派であることは、党が正しいことの証明にはならない。
同じように、党が長く制度を維持してきたことも、その制度が正しいことの証明にはならない。
長く続いた制度は、優れた制度かもしれない。
あるいは、終わらせる方法を誰も知らなかった制度かもしれない。
ミツオケラ十三世は、机の上の七%という数字を見つめた。
「委員長」
「はい」
「もし、過去の意見の集計が間違っていたら、七%の歴史的使命はどうなる?」
委員長は、しばらく考えた。
「党の歴史的使命は、単一の統計によって成立するものではありません」
ミツオケラ十三世は、少しだけ笑った。
「なるほど。数字が我々を支持している間は、数字が使命の証拠になる。数字が我々を支持しなくなれば、使命は数字とは無関係だというわけか」
「そのような趣旨では……」
「分かっている。君が考えた説明ではない。長い時間をかけて、我々全員が作り上げた説明だ」
彼は報告書を閉じた。
「再計算を止めるな」
委員長は驚いたように顔を上げた。
「よろしいのですか?」
「正確に数えるために始めたのだろう。正確に数えた結果が、我々にとって不都合である可能性も含めて、続けなさい」
「承知しました」
委員長が退出しようとしたとき、ミツオケラ十三世は呼び止めた。
「ただし、報告書の表題を変更するように」
「どのように変更いたしましょう」
「『人民の総意』ではない」
彼は言った。
「まずは、『現在確認可能な記録の集計結果』としなさい」
委員長は一瞬、ためらった。
その表題では、報告書の格が落ちる。
新聞に掲載するには長すぎる。
党大会の演説に引用するには迫力がない。
何よりも、人民全体を代表しているようには聞こえない。
「承知しました」
委員長は、そう答えた。
ミツオケラ十三世は一人になった。
彼は、自分が今、正しい判断をしたのかどうか、すぐには分からなかった。
ただ一つ分かったことがある。
自分たちに都合のよい数字を、正確な数字と呼ぶことはできない。
それだけは、彼にも否定できなかった。
四 署名したのは、誰だったのか
夕刻、コウシン太郎のもとに、一通の古い文書が届いた。
差出人は、中央記録管理局。
文書の表題は、
《旧意見記録の移管作業完了に関する最終確認書》
だった。
コウシン太郎は、封筒を開けた。
古い紙の匂いがした。
それは、彼が中央委員会の政策担当者だった時代の文書だった。
十年以上前、記録管理制度の全面的な移行が行われた。
それまで各部署で別々に管理されていた意見記録を、新しい統一システムに移す計画だった。
記録の重複をなくし、検索性を高め、集計の正確性を向上させる。
計画そのものは合理的だった。
問題は、旧記録の中に、番号の欠落したもの、提出者の確認できないもの、複数の案件にまたがるもの、分類が完了していないものが大量に含まれていたことだった。
すべてを確認してから移管するなら、作業は何年もかかる。
制度移行を遅らせれば、日々増え続ける新しい記録を、旧システムと新システムの両方で管理しなければならない。
そこで、移管作業部会は、ある方法を採用した。
移管可能な記録を先に移し、確認できない記録は別途管理する。
その方針自体は、不合理ではなかった。
問題は、「別途管理」が、いつの間にか「移管作業の対象外」となり、さらに「移管作業の完了を妨げないもの」として扱われるようになったことだった。
コウシン太郎は、最終確認書の第一ページを読んだ。
《旧意見記録について、新システムへの移管作業が完了したことを確認する》
第二ページ。
《移管後の記録について、検索可能性および集計基準の統一が確保されたことを確認する》
第三ページ。
そして、最後のページ。
そこには、彼自身の署名があった。
コウシン太郎。
署名の横には、当時の役職が記されていた。
《中央委員会政策調整室・制度移行担当》
彼は、署名を見つめた。
その下に、細い文字で一行、注記があった。
《移管対象外となった記録については、移管完了の確認に含めない》
コウシン太郎は、しばらく動かなかった。
その注記は、明らかな嘘ではなかった。
移管対象外となった記録は、移管完了の確認に含めない。
文章そのものは、正確だった。
だが、第一ページには、旧意見記録の移管作業が完了したと書かれていた。
対象外の記録が存在することを、読者が十分に意識しないまま読めば、すべての記録が移管されたと理解しても不思議ではない。
つまり、この文書は、虚偽を記載せずに、誤った理解を生み出すことができる構造になっていた。
コウシン太郎は、記憶をたどった。
この注記は、誰が加えたのか。
彼自身だったのか。
部会の事務局だったのか。
記録管理局の担当者だったのか。
あるいは、誰かが書いたものを、彼が見落としたのか。
彼は、署名をした日の議事録を思い出そうとした。
その日、会議は長引いていた。
移管作業の遅延は、すでに問題になっていた。
中央委員会は、制度移行の完了を発表する予定だった。
地方の担当者たちは、旧システムと新システムの二重管理に疲弊していた。
現場では、検索できない記録を探すために、何日もかかることがあった。
「移管を完了させなければ、かえって記録の管理が混乱する」
当時、誰かがそう言った。
その言葉は、正しかったかもしれない。
コウシン太郎自身も、同じようなことを言った可能性があった。
彼は、すべての記録を一度に救うことができなかったのかもしれない。
だが、彼は今、別の問いに直面していた。
救えなかった記録があることと、すべての記録を救ったと発表することは、同じではない。
移管できなかったものがあると報告することと、移管完了に署名することも、同じではない。
「私は……」
彼は言いかけた。
その先の言葉が出てこなかった。
自分は、誰かに騙されたのか。
それとも、分かっていて署名したのか。
あるいは、疑問を抱きながら、全体の進行を優先したのか。
どれも、十分にあり得る。
そして、どれも、彼を無罪にはしなかった。
五 記録を残す責任
翌朝、コウシン太郎は中央記録管理局を訪れた。
最終確認書の原本と、移管対象外記録の一覧を照合したいと申し出た。
受付担当者は、申請書を受け取った。
「閲覧目的を記載してください」
「旧記録の移管完了確認に関する検証です」
「対象案件の番号を記載してください」
「対象案件の番号が確認できない記録を調べたいのです」
受付担当者は、画面を見た。
「番号が確認できない記録については、案件番号の記載が必要です」
「その番号が存在しない可能性があるから、調べたいのです」
「その場合は、番号が不明であることを示す資料を添付してください」
「その資料が存在するかどうかを調べるために来たのですが」
担当者は、少しだけ困った顔をした。
「申し訳ありません。手続き上、必要となります」
コウシン太郎は、笑わなかった。
怒りもしなかった。
ただ、ひどく疲れた。
この制度は、誰かを困らせるために作られたのではない。
受付担当者も、悪意を持っているわけではない。
彼女は、与えられた手順に従っている。
その手順を守らなければ、別の案件で不公平が生じるかもしれない。
だから、彼女は正しい。
彼女の手順は正しい。
彼の申請も正しい。
そして、正しい手順と正しい申請が、正しい調査を妨げていた。
「一つ、お願いがあります」
コウシン太郎は言った。
「この申請が受理されなかった理由を、記録に残していただけますか」
「もちろんです」
担当者は、端末に入力した。
《必要な案件番号が確認できないため、申請を受理できず》
「ありがとうございます」
コウシン太郎は、受理されなかった申請書の控えを受け取った。
その控えには、受付番号が付いていた。
彼は、その番号を見つめた。
この申請は、受理されなかった。
しかし、受理されなかったという事実は、記録された。
彼は、その記録を失わないよう、控えを二部作った。
一部を自分の手元に置き、もう一部を人民刷新協議会の保管庫に預けた。
それは、制度を変えるほどの行為ではなかった。
だが、彼にとっては、重要な一歩だった。
これまでの彼は、制度が処理できる形に、問題を整えることばかり考えていた。
今度は、制度が処理できなかったという事実そのものを、残そうとしていた。
六 総意の外側
その日の人民大会議では、中央統計管理委員長が再計算の中間結果を報告した。
「現時点で、旧記録と新記録の対応関係が確認できた案件について、集計が完了しました」
議場の正面に、新しい数字が表示された。
従来の集計と比較して、党の基本方針に整合的な意見の割合は上昇していた。
議場には拍手が起こった。
今度は、先ほどよりも大きな拍手だった。
「これにより、過去の人民の総意について、より正確な把握が可能になりました」
委員長は、そう述べた。
ブラウ太郎が立ち上がった。
「委員長、確認させてください」
議長菌は、彼を見た。
「簡潔にお願いします」
「今回の集計対象から除外された記録は、何件ですか」
「旧記録と新記録の対応関係を確認できないものについては、現在も調査中です」
「件数は?」
「現時点では確定していません」
「では、総数も確定していないのですか」
「集計対象となる記録の範囲については、現行基準に基づき確定しております」
ブラウ太郎は、ゆっくりとうなずいた。
「つまり、全体の件数は確定していない。しかし、全体のうち何を数えるかは確定している」
「その通りです」
「そして、数えた範囲の結果を、人民の総意と呼ぶのですか」
委員長は、少しだけ間を置いた。
「今回の結果は、確認可能な記録に基づく、客観的な集計結果です」
「その説明なら理解できます」
ブラウ太郎は言った。
「ですが、確認可能な記録に基づく集計結果と、人民の総意は、同じではありません」
議場のあちこちで、ざわめきが起きた。
議長菌が木槌を鳴らした。
「発言の趣旨を確認します。ブラウ太郎同志は、今回の統計が無効であると主張していますか」
「いいえ」
「では、統計の有効性を認めるのですね」
「確認可能な記録についての集計としては、です」
議長菌は、書記菌に目を向けた。
「記録してください。ブラウ太郎同志は、今回の統計の有効性を認めた」
「違います」
ブラウ太郎は、すぐに言った。
「私は、統計が何を示しているかを限定して説明しました。何を示していないかも含めてです」
議長菌は眉をひそめた。
「発言の要旨を記録することは、議事運営上必要です」
「要旨を記録することと、発言の条件を削除することは違います」
名無しの七号が立ち上がった。
「私からも、一つだけ」
議長菌は、ため息をついた。
「どうぞ。ただし、簡潔に」
名無しの七号は、議場の正面に掲げられた数字を指さした。
「この数字は、誰の総意ですか」
議長菌は答えなかった。
名無しの七号は続けた。
「確認できた記録を提出した人々の総意ですか。記録が残っている人々の総意ですか。記録が現在のシステムに適合した人々の総意ですか。それとも、人民全体の総意ですか」
彼は、少し間を置いた。
「同じ数字を使っていても、分母が違えば、意味は違います」
議場は静まり返った。
「そして、分母を決めるのは、算数ではありません。制度です」
その言葉は、議事録に残された。
ただし、議事録の要旨欄には、次のように記載された。
《名無しの七号同志より、統計の対象範囲に関する意見があった》
その後の発言内容は、別紙に整理することとなった。
別紙の提出期限は、まだ定められていなかった。
七 誰も知らなかった一行
その夜、ミツオケラ十三世は、再計算の進捗報告とともに提出された資料を読んでいた。
資料には、旧記録の移管作業に関する補足説明が添付されていた。
その中に、見覚えのある一文があった。
《移管対象外となった記録については、移管完了の確認に含めない》
ミツオケラ十三世は、指を止めた。
「この文書の原本を確認したい」
秘書菌が答えた。
「原本は中央記録管理局に保管されているはずです」
「はず、では困る」
「ただちに確認いたします」
「それから、この注記がいつ、誰によって加えられたのかも調べてくれ」
秘書菌は一礼した。
「承知しました」
ミツオケラ十三世は、再び文書に目を落とした。
彼は、コウシン太郎の署名を知らなかったわけではない。
かつて中央委員会にいたコウシン太郎は、制度の細部を整える能力に優れていた。
複雑な問題を分類し、対立する意見を調整し、実行可能な規則に落とし込む。
その仕事ぶりは高く評価されていた。
だが、ミツオケラ十三世は、今まで考えたことがなかった。
制度の細部を整える能力が、制度の欠陥を見えにくくする能力にもなり得ることを。
一つ一つの手続きが合理的でも、その手続きが連結された結果、誰も責任を負わない仕組みが生まれることがある。
記録を移管する。
移管できない記録を区分する。
区分された記録を別途管理する。
別途管理される記録を、移管完了の確認対象から除外する。
対象外の記録が残っていても、移管作業は完了する。
移管作業が完了すれば、新システムによる統計が作成できる。
統計が作成されれば、人民の総意が報告される。
そして、人民の総意が報告されれば、党の歴史的使命が確認される。
一つ一つの段階には、それぞれの理由があった。
だが、その連鎖の最後に立った者は、最初に何が取り残されたのかを、もう見ようとしなくなっていた。
ミツオケラ十三世は、窓の外を見た。
この人民共和国のすべての菌民が、中央委員会の決定に反対しているわけではない。
党を支持する菌民もいる。
制度に助けられた菌民もいる。
過去の混乱を経験し、安定を望んでいる菌民もいる。
七%の党が、すべて間違っているわけではない。
しかし、七%の党が正しいことと、七%の党が人民全体を代表していることは、別の問題だった。
そして、その二つを同じものとして扱ってきたのは、党だけではなかった。
記録を作った者。
記録を分類した者。
記録を移管した者。
記録の移管を確認した者。
記録を集計した者。
集計結果を引用した者。
その数字を聞いて安心した者。
彼らは、それぞれ別の理由で、その仕組みを支えていた。
ミツオケラ十三世は、机の上に置かれた七%という数字を裏返した。
紙の裏には、何も書かれていなかった。
当然だった。
数字の裏側を記録する欄など、これまで作られていなかったのだから。
八 署名の下にあったもの
深夜、コウシン太郎は、自宅の机で、最終確認書の写しをもう一度開いた。
彼は、最後のページを照明の下に置いた。
注記を拡大して読む。
《移管対象外となった記録については、移管完了の確認に含めない》
文言は、いつ見ても同じだった。
しかし、今夜は、その下に小さな記号があることに気づいた。
注記の末尾。
紙の端に、鉛筆で書かれた短い符号。
「別紙B-17」
コウシン太郎は、記憶をたどった。
別紙B-17。
それは、移管作業部会が扱っていた補足資料の番号だった。
彼は、当時の文書目録を探した。
旧制度移行期の資料は、すべてが新しいシステムに移されているわけではなかった。
だが、彼は政策担当者だった頃、自分の仕事に関する文書の控えを、個人的にも保存していた。
箱を開け、古い紙束を取り出した。
その中から、文書目録の写しが見つかった。
《別紙B-17 移管対象外記録の取扱いに関する協議案》
記載日は、最終確認書に署名する三日前だった。
コウシン太郎は、目録の下に挟まっていた短いメモを見つけた。
そこには、彼自身の筆跡で、こう書かれていた。
《対象外記録については、別途調査を継続すること。移管完了の発表に際しては、対象外記録の存在と件数未確定の旨を明記すること》
コウシン太郎は、息を止めた。
彼は、忘れていた。
少なくとも、思い出せずにいた。
当時の自分は、対象外記録の存在を問題にしていた。
すべての記録を移管できないことは、理解していた。
だからこそ、対象外記録の存在を明記し、調査を継続するよう求めていた。
では、なぜ最終確認書には、その条件が反映されていなかったのか。
誰かが削除したのか。
それとも、彼自身が最終的な文書を確認しないまま、署名したのか。
彼は、メモを裏返した。
裏面には、もう一行あった。
《最終案、再確認のこと。発表日程優先で処理しないこと》
その下には、短い署名があった。
コウシン太郎。
彼は椅子から立ち上がった。
これは、誰かが彼を陥れるために作った文書ではない。
少なくとも、今ある証拠からは、そうは言えなかった。
むしろ、彼自身が問題を認識していた証拠だった。
そして、その問題を認識していたことは、彼の責任を軽くするとは限らなかった。
知っていたのに、止められなかったのか。
止めるべきだと考えたのに、最後には譲歩したのか。
譲歩した理由は、制度移行を進めるためだったのか。
あるいは、予定されていた発表を延期させたくなかったのか。
記憶は、都合のよい部分から鮮明になる。
自分が正しかった場面は、よく覚えている。
自分が妥協した場面は、状況の複雑さとともに、記憶の奥へ沈んでいく。
コウシン太郎は、メモを机に置いた。
彼は、明日、中央記録管理局にもう一度行くつもりだった。
今度は、申請書の番号が分からないからではない。
自分の署名の意味を、確認するために。
そして、もし自分が誤った判断をしていたなら、その判断がどのように制度の一部になったのかを、記録するために。
彼は、新しいノートを開いた。
一行目に、こう書いた。
《旧記録移管に関する私の関与について、確認できた事実と、現時点で確認できない事項を分けて記録する》
二行目。
《私自身の記憶は、証拠そのものではない》
三行目を書こうとして、彼は手を止めた。
しばらく考えてから、こう書いた。
《ただし、記憶が不確かであることを理由に、確認を避けてはならない》
彼はペンを置いた。
机の上には、最終確認書と、古いメモと、新しいノートが並んでいた。
三つの紙は、同じ過去を語っていた。
だが、それぞれが語っていることは、少しずつ違っていた。
そして、その違いを埋めるためには、もう一度、記録をたどらなければならなかった。
終章 総意を再計算するということ
翌朝、中央委員会は、再計算に関する追加声明を発表した。
《今回の集計結果は、現在確認可能な記録に基づくものであり、過去のすべての意見を網羅したものではない。対象外となった記録については、引き続き確認作業を進める》
声明は、簡潔だった。
これまでの発表よりも、慎重な表現だった。
党の基本方針に整合的な意見の割合が上昇したことについては、引き続き報告される。
ただし、その数字を、人民全体の支持率と同一視しないことも明記された。
それは、小さな変化だった。
すべてが変わったわけではない。
記録が失われた経緯は、まだ明らかになっていない。
対象外となった意見が何件あったのかも、確定していない。
七%の党が、人民全体を代表しているのかという問いにも、答えは出ていない。
しかし、公式発表に、初めて一つの留保が付け加えられた。
「現在確認可能な記録に基づく」
その一文は、党の主張を弱めるためだけにあるのではなかった。
何が分かっていて、何が分かっていないのか。
どこまでが確認された事実で、どこからが解釈なのか。
その境界を、初めて公式に示そうとする試みでもあった。
ブラウ太郎は、声明を読んだ。
「これで、問題は解決したのかな」
ビフ太郎が尋ねた。
「いいえ」
ブラウ太郎は答えた。
「でも、問題が解決していないことを、少しだけ正確に説明できるようになった」
「それは、前進なのか?」
「前進になる可能性はある」
ブラウ太郎は言った。
「ただし、未解決という言葉を、解決を先延ばしにするために使い始めたら、また同じことになる」
名無しの七号は、二人の話を聞きながら、自分のノートを開いた。
そこには、記録を失った菌民たちの証言が書かれていた。
提出した意見の内容。
提出した時期。
受け取った控えの番号。
窓口で言われたこと。
確認できた事実。
確認できない事実。
それぞれが、混ざらないように分けられていた。
まだ、すべての証言が確認されたわけではない。
記憶違いがあるかもしれない。
同じ出来事を、異なる立場から見たために、説明が食い違うこともあるだろう。
それでも、彼らは記録を作っていた。
記録が残っている者だけが、存在したことになる。
そんな制度にしないために。
ミツオケラ十三世は、声明の原稿を読み返していた。
彼は、まだ党の総書記だった。
七%の歴史的使命を、完全に撤回したわけではない。
その使命を信じている党員も多かった。
制度の安定を望む菌民もいた。
一つの数字が、すべての問題を説明できないからといって、その数字に何の意味もないわけではない。
しかし、数字に意味があることと、その数字がすべてを語ることは違う。
彼は、声明の末尾に、一文を追加した。
《今後の報告では、集計結果だけでなく、集計対象の範囲、除外された記録の状況、および確認できていない事項についても明示する》
秘書菌は、その一文を読んだ。
「総書記、この記述を加えますと、今後の報告書は長くなります」
「そうだろうな」
「また、確認できていない事項を明示することで、制度への疑念が広がる可能性もあります」
「そうかもしれない」
「それでも、掲載されますか」
ミツオケラ十三世は、窓の外を見た。
「疑念があるのに、疑念がないように見せることと、疑念があることを認めたうえで制度を維持することは、同じではない」
彼は、原稿を返した。
「掲載しなさい」
秘書菌は一礼した。
そして、その一文は公式声明に残された。
もっとも、中央広報局は、声明を掲載する際に見出しを変更した。
《人民の総意、より正確な把握へ》
本文の慎重さに比べて、見出しは相変わらず力強かった。
広報局によれば、見出しは本文の要点を簡潔に示すためのものだった。
本文に記された留保を、見出しにすべて盛り込むことは、紙面の都合上、困難だった。
その説明は、制度上、間違っていなかった。
ただし、広報局の発表を読んだ菌民の多くは、見出しだけを読んだ。
そして、見出しだけを読んだ菌民の多くは、人民の総意が、より正確に把握されたのだと理解した。
こうして、慎重な一文は、慎重なまま残された。
同時に、その一文が伝えようとしたことは、以前ほど多くの菌民には届かなかった。
人民共和国の制度は、一夜にして変わることはなかった。
しかし、その内側には、少しずつ新しい問いが入り込んでいた。
何を数えたのか。
何を数えなかったのか。
誰が、何を決めたのか。
そして、分からないことを、分からないまま記録する勇気はあるのか。
七%という数字は、まだそこにあった。
だが、初めて、その数字の隣に、別の言葉が置かれた。
「未確認」
それは、党への反対を意味する言葉ではなかった。
制度の崩壊を意味する言葉でもなかった。
ただ、まだ確認できていないことがある、という意味だった。
そして、確認できていないことがあると認めるのは、何も知らないと認めることよりも、難しい場合がある。
なぜなら、何も知らない者は、答えを持っていない。
しかし、答えを持っていると思い込んでいた者は、自分の答えを手放さなければならないからだ。
その日の夕方、名無しの七号は、記録の束に新しい表紙を付けた。
表紙には、こう書いた。
《人民の意見に関する記録――確認済み事項と未確認事項》
彼は、その下に、小さく一行を付け加えた。
《この記録は、人民全体の総意を示すものではない》
少し考えてから、さらに書いた。
《ただし、人民全体の総意を知るために、無視してよい記録でもない》
彼は、表紙を閉じた。
それから、記録の束を二つに分けた。
一つは自分の手元に。
もう一つは、別の菌民の保管庫に。
どちらも、まだ完全な記録ではなかった。
どちらも、間違いを含んでいる可能性があった。
だが、二つの記録が異なっていた場合には、その違いを確認することができる。
一つの記録しかなければ、記録そのものが失われたとき、何が失われたのかさえ分からなくなる。
名無しの七号は、二つの束を見比べた。
そして、ようやく気づいた。
自分たちが作ろうとしているのは、正しい記録だけではない。
記録が間違っていたときに、それを確かめ直せる仕組みなのだ。
人民共和国は、まだその仕組みを持っていなかった。
少なくとも、十分には。
だが、その夜、記録の束は二つになった。
それは、中央委員会の統計には、まだ反映されていなかった。




