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第14巻:如月令嬢は『電波の虚飾を信じない』  作者: アリス・リゼル


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第2話『正解』 ~section 1:煌びやかな密室と、ご褒美の特等席~

 巨大なスタジオの天井に張り巡らされた無数の照明機材が、まるで星空のように暴力的な光を放っている。

 月見坂放送局、第一スタジオ。局内で最大規模を誇るこの空間は、普段は局の看板番組である『VIP歴史ミステリー』の収録に使われている。

 この番組は、ただのクイズ番組ではない。毎週、政界の重鎮やプロスポーツ界のレジェンド、あるいは大企業のトップといった名だたるVIPをゲスト解答者として招き、月見坂市のみならず全国の歴史に隠されたミステリーを紐解いていくという、教養とバラエティを極めて高いレベルで融合させた国民的人気番組だ。

 特番のために急遽組まれた昨日のドキュメンタリー撮影とは異なり、ここは毎週のように高視聴率を叩き出している、いわば『完成された虚飾の箱庭』であった。


 僕は今、その完璧な箱庭の最も暗く、最も惨めな場所に潜伏している。

 すなわち、スタジオの中央に鎮座する『VIP解答者席』のデスクの下、カメラの画角には絶対に映らない足元の空洞部分である。


「……なんで僕が、こんな目に」


 配線の束と、かすかに漂うホコリの匂い、そしてベニヤ板と接着剤の化学的な臭いに包まれながら、僕は体育座りの姿勢で深くため息をついた。

 僕は、如月コンツェルンの臨時嘱託員という名目で、今日も今日とて如月瑠璃の『安全装置』として駆り出されていた。

 本来なら、裏のサブコントロールルームなどでモニターを見守るのが筋だろう。しかし、担当ディレクターである泊氏は、昨日のドキュメンタリー撮影で如月さんが引き起こした数々の『真実の暴露』にすっかり肝を冷やし、僕をこの解答者席の真下に配置するという狂気の作戦に出たのだ。


『あー、テステス。朔くん、聞こえるか? そっちのポジション、息苦しくないか?』


 右耳に装着された黒いインカムから、泊氏のやけにテンションの高い、そして焦燥感に満ちた声が響く。


「聞こえてますよ。息苦しいというか、屈辱的です。なんで僕が、こんな狭いところで丸まってなきゃいけないんですか」


 僕が声を潜めて抗議すると、泊氏はインカム越しに鼻息を荒くした。


『仕方ないだろう! お嬢様……いや、如月瑠璃という時限爆弾をコントロールするには、君が物理的に一番近い距離にいる必要があるんだ! スタジオの袖からじゃ、彼女が暴走した時に止められない。だから、カメラに絶対に映らないデスクの下に君を配置した。もしお嬢様が台本を無視して、放送禁止用語やスポンサーが青ざめるようなマニアックな鑑定を始めそうになったら、下から足首を小突くなり、ドレスの裾を引っ張るなりして、物理的に合図を送るんだ!』


「無茶苦茶なこと言わないでくださいよ! 如月さんの足首なんか蹴ったら、僕の命が危ないです!」


『そこをなんとかするのが、君の仕事だ! 頼んだぞ、今日のクイズ番組は完全なバラエティだ。昨日みたいな真実の暴露は絶対に許されないからな!』


 一方的に通信が切られ、僕は再び薄暗いデスクの下で頭を抱えた。

 とはいえ、この絶望的な状況下にも、ほんのわずかな救いは存在した。

 僕はそっと顔を上げ、デスクの隙間からスタジオの正面を覗き込んだ。

 そこには、VIP解答者席と対峙するように設けられた巨大なひな壇があり、豪華絢爛なゲストたちがずらりと並んでいた。


 その最前列の中央。

 僕は思わず息を呑んだ。そこに座っていたのは、今をときめく超人気若手女優、星野きららだったのだ。テレビの画面越しでしか見たことのない、文字通りのスターが、僕からわずか十メートルほど先の場所で、メイクの最終チェックを受けながら可憐な笑顔を振りまいている。


「……生きててよかった」


 僕は感動のあまり、デスクの下で小さくガッツポーズをした。

 推しの地下アイドル『魚魚ラブ』のライブで最前列を陣取るのとはまた違う、圧倒的なメジャーの輝き。その横には、ドラマでよく見る渋い大物俳優が腕を組んで座り、その後ろには、今一番勢いのある若手お笑いトリオが、本番に向けて声を出し合っている。

 まさに国民的番組の名に恥じない、豪華すぎる布陣だった。この特等席から彼らの生の本番を見られるのなら、この屈辱的な体勢も少しは我慢できるというものだ。


「ふふっ。こんな狭いところで丸まっているなんて、まるで捨て猫みたいね、光太郎くん」


 突然、頭上から鈴を転がすような美しい声が降ってきた。

 ビクッとして見上げると、解答者席のデスクの裏側から、如月翡翠さんが僕を見下ろして微笑んでいた。

 今日の翡翠さんは、コンツェルンでの冷徹なビジネススーツ姿とは異なり、テレビ映えを強く意識した純白のタイトなワンピース姿だった。百七十センチ近い長身と洗練されたプロポーションが、その白い生地によって完璧に引き立てられている。艶やかな黒髪のポニーテールが、彼女が身を屈めるたびにさらりと揺れ、高級な香水の甘い香りがデスクの下の埃っぽい空気を一掃した。


「ひ、翡翠さん。おはようございます。その、こんな見苦しい姿でお恥ずかしいです」


「いいのよ。でも、私の足元で変なところを見ないように気をつけてね? もし見たら、コンツェルンの経理権限を使って、光太郎くんの家の家計簿に致命的な打撃を与えてあげるから」


 翡翠さんは翡翠色の涼やかな瞳を細め、悪戯っぽく僕をからかってきた。その美しい笑顔の裏にある絶対的な権力と計算高さを知っている僕は、慌てて首を激しく横に振った。


「み、見ませんよ! 絶対に見ません! 僕はただ、如月さんが暴走しないように監視するだけですから!」


「頼もしいわね。でも、瑠璃の暴走を止めるのは至難の業よ。今日のクイズ、私も事前に台本を見せてもらったけれど……テレビ局の用意した『正解』は、数字の面から見ても、統計学的に見ても、論理的な破綻が多すぎるわ。瑠璃が黙って見過ごすはずがないもの。光太郎くん、胃薬はちゃんと飲んできたかしら?」


 翡翠さんは優雅な動作で自分の席に着き、手元のタブレット端末の電源を入れた。

 彼女の言う通りだ。テレビのクイズ番組の『正解』など、ある程度視聴者が納得しやすいように単純化され、都合よく脚色されたものに過ぎない。モノの真実をミクロの傷跡から読み取るあの令嬢が、そんなお遊びに素直に付き合うわけがないのだ。


 そして、ついにスタジオの巨大な防音扉が開き、この遊戯の最大の破壊者が姿を現した。


「不快な空間じゃ。人工的なオゾンの匂いと、強い照明による無駄な熱気。何より、このスタジオ全体を覆う『作り物の空気』が肌にまとわりついて反吐が出そうじゃ」


 如月瑠璃だった。

 彼女は、スタッフたちが道を譲る中、迷いのない足取りで解答者席へと歩み寄ってきた。僕の視界には、彼女の足元を包む、丁寧に磨き上げられた編み上げの豪奢なショートブーツと、歩くたびに夜の波のように揺らめく漆黒のオーガンジーのスカートの裾だけが映っている。

 如月さんは翡翠さんの隣の席に着くと、デスクの下の暗がりにいる僕を、アメジストの瞳で冷ややかに見下ろした。


「こんな狭く埃っぽい空洞に押し込められるとは。お主のその滑稽な姿、まさに下僕に相応しい定位置じゃな、サクタロウ」


「好きでこんな所にいるわけじゃないですよ。ディレクターの命令です。……如月さん、お願いですから、今日は台本通りに、適当にクイズに答えて間違えたりして、バラエティ番組の空気を守ってくださいね。間違っても、セットの裏側まで鑑定したりしないでくださいよ」


 僕が懇願すると、如月さんは小さく鼻を鳴らした。


「わしはクイズという遊戯自体を否定するつもりはない。問いに対して、論理と証拠を用いて真実を導き出す行為は、至極真っ当な知的生産じゃ。だが、テレビという虚飾の箱が用意した『最初から結論ありきの偽物の問い』に付き合う義理はない。モノがそこにあるのなら、わしはただ、そのモノが語る真のルーツを解き明かすのみじゃ」


 ダメだ。完全にやる気だ。

 僕は絶望的な気持ちになりながら、如月さんの編み上げブーツのすぐ横のスペースに小さく丸まった。


「……分かりました。でも、もし如月さんが放送事故レベルの真実を話し始めたら、僕、下から如月さんの靴を軽く叩いて合図しますからね。一回叩いたら『ちょっと喋りすぎ』、二回叩いたら『それは放送禁止用語です』っていう意味ですから、絶対に従ってくださいよ」


「わしがなぜ、お主のそのような原始的なモールス信号に従わねばならぬ。だが……まあよい。お主の必死な足掻きを眺めるのも、一興じゃ」


 如月さんは冷たく言い放ち、正面のカメラへと視線を向けた。


 やがて、スタジオに甲高いブザーの音が鳴り響き、観客席を埋め尽くしたエキストラたちの、訓練された人工的な拍手と歓声が巻き起こった。

 強烈なLED照明が一斉に点灯し、スタジオ全体が昼間以上の暴力的な明るさに包まれる。


『さあ、本番五秒前! 4、3、2……キュー!』


 インカムから泊氏の気合の入った声が聞こえた瞬間、スタジオの空気が一変した。


「さあさあさあ! 今夜も始まりました、『VIP歴史ミステリー』! 皆さん、元気ですかー!」


 スタジオに響き渡ったのは、底抜けに明るく、それでいて抜群の安定感を誇る太い声だった。

 番組のMCを務めるのは、世間で知らない人はいない好感度ナンバーワンのお笑いコンビ『ハンバーガーマン』の二人だ。

 大柄で金髪、少し強面だが笑うと愛嬌のあるツッコミ担当の『あきお』氏と、少し小太りで飄々としたボケ担当の『たかし』氏。彼らがカメラの前に立つだけで、テレビ特有の『安心感』と『笑いへの期待』がスタジオ全体を包み込む。まさに、プロフェッショナルな空間制圧能力だった。


「いやー、たかしさん。今日のスタジオは、いつも以上に空気がピリッとしてますね!」


「そうですねー。なんせ今日のVIPゲストは、あの月見坂市の心臓部、如月コンツェルンからの刺客ですからね。僕らみたいな庶民は、ちょっと息をするのも緊張しちゃいますよ」


「お前、さっき楽屋で用意された高級弁当、三つも平らげてただろ! どこが緊張してんだ!」


 あきお氏の的確で力強いツッコミに、ひな壇の芸能人たちと観客席からドッと笑いが起こる。

 完璧な回しだ。彼らの軽快なトークによって、スタジオは一瞬にして『極上のバラエティ空間』へと昇華された。

 ハンバーガーマンの二人は、ひな壇のゲストたちを軽妙にいじっていく。女優の星野きららにはその美しさを褒めちぎって照れさせ、大物俳優には少し毒のあるパスを振って意外な一面を引き出し、若手芸人にはしっかり見せ場を作る。すべてが計算され尽くしており、それでいてアドリブの連続に見える。これが、国民的番組を背負うトップMCの実力か。


「さあ、それでは本日の主役をご紹介しましょう! 月見坂市の歴史を語る上で絶対に外せない、如月コンツェルンからお越しいただきました! 如月翡翠様、そして如月瑠璃様です!」


 ハンバーガーマンの紹介に合わせ、僕の頭上から、翡翠さんの優雅な声が響いた。


「皆様、こんばんは。如月コンツェルン財務統括の如月翡翠です。本日は、月見坂市の歴史について楽しく学ばせていただきたいと思いますわ。ハンバーガーマンのお二人、いつも番組拝見しております」


「うおおお! 美人! めちゃくちゃ美人ですね、たかしさん! コンツェルンの財務のトップがこんなお綺麗な方だなんて、僕、今すぐ如月コンツェルンに就職したいです!」


「お前みたいな金髪豚野郎は、履歴書送る前に正門の警備員に撃たれるわ!」


 再びスタジオが爆笑に包まれる。翡翠さんも、テレビの空気を完璧に読み、上品な笑顔でそのやり取りに応じている。

 だが、問題はその隣に座る妹の方だった。


「そして、妹の瑠璃様! いやあ、瑠璃様もお美しい! まるでフランス人形みたいですね! 今日のクイズ、自信のほどはいかがですか?」


 あきお氏が、満面の笑みで如月さんに話を振る。

 スタジオ中の視線が、そして無数のカメラのレンズが、一斉に如月さんに向けられた。

 デスクの下で、僕の心臓が早鐘のように打ち始める。頼む、無難な返しをしてくれ。


 数秒の、重苦しい沈黙。

 如月さんは、ハンバーガーマンのプロフェッショナルな笑顔を、まるで路傍の石でも見るかのように冷ややかなアメジストの瞳で見つめ返した。


「自信、じゃと? 愚鈍な質問じゃな」


 凛とした、しかし氷のように冷たい声が、スタジオの熱気を一瞬で凍りつかせた。

 ひな壇の芸人たちが「えっ?」という顔を見合わせる。


「真実は常に一つ。モノの傷跡に刻まれておる。わしはただ、そこにある物理的痕跡からルーツを読み解くだけのこと。お主らが用意したという『クイズ』とやらが、いかほど底の浅い虚飾で塗り固められておるか、とくと見せてもらうとしよう」


 ……やってくれた。

 僕はデスクの下で、音を立てないように頭を抱え込んだ。

 国民的人気番組のオープニングトークで、MCに対して『愚鈍』と言い放ち、番組の企画そのものを『底の浅い虚飾』と全否定したのだ。


「お、おう……! な、なんだか凄いプレッシャーですね! さすがはコンツェルンのお嬢様、隙が全くない! こりゃあ僕らも生半可な問題は出せませんよ、たかしさん!」


 だが、そこはさすがのハンバーガーマンだった。

 あきお氏は一瞬の硬直を力技で笑いに変え、ひな壇の芸人たちも「お嬢様、こえー!」「俺ら、今日試されてんの!?」と一斉にガヤを入れてフォローする。

 なんとかバラエティの形を保ったまま、番組は進行していく。

 しかし、僕には分かっていた。

 如月さんのあの目は、決してバラエティのヒール役を演じているわけではない。彼女は本気で、このスタジオに持ち込まれるであろうすべての『歴史的遺物』の正体を、情け容赦なく丸裸にするつもりなのだ。


「では早速、第一問の歴史的遺物、カモン!」


 派手な効果音と共に、スタジオの中央に設置された円形の展示台が、床下からゆっくりとせり上がってきた。

 そこにうやうやしく置かれていたのは、ガラスケースに収められた、古びてボロボロになった『麻製の漁師の網』だった。


 僕の右耳のインカムから、泊氏の緊張した息遣いが聞こえてくる。

 デスクの上の如月さんが、わずかに姿勢を正す気配がした。

 煌びやかな密室で、虚飾と真実の、決して交わることのない遊戯が、今まさに幕を開けようとしていた。



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