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第14巻:如月令嬢は『電波の虚飾を信じない』  作者: アリス・リゼル


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第1話『演出』 ~section 3:凍てつく石畳と、名もなき職人の意地~

 如月コンツェルン本社ビルでの、マカダミアナッツにまつわる偉大なる創業者の『物理的なブレイクスルー』の撮影を何とか無事に──少なくともディレクターの泊氏の脳内では感動的な美談として──乗り切った僕たちは、息をつく暇もなく次のロケ地へと移動を余儀なくされた。

 午後になり、太陽が空の高い位置へと昇る頃、撮影クルーの巨大なロケバスが滑り込んだのは、月見坂市の中心部に位置する『スマートシティ中央広場』だった。


 ここは今からちょうど三十年前、月見坂市が『次世代型スマートシティ化宣言』を行った際に、その第一期工事の集大成として真っ先に完成した、この街の象徴とも言える巨大なオープンスペースである。

 ドーム球場がすっぽりと収まるほどの広大な敷地には、何万枚という特殊な透水性インターロッキングブロックが、コンピューターの計算通りに幾何学的な狂いもなく敷き詰められている。広場の中央には、風向きや気温、周囲の人間の密集度をセンサーで感知し、常に最適なマイナスイオンと涼風を供給する巨大な人工噴水が稼働していた。落ち葉やゴミ一つ落ちていないのは、市民のモラルが高いからだけではない。夜間になれば、地中に格納された無数の小型清掃ドローンが一斉に這い出し、広場の隅々までを舐め回すように磨き上げているからだ。

 まさに、如月コンツェルンがこの三十年間で築き上げてきた『完全無欠の管理社会』を体現する、巨大なショーケースである。


 特番の撮影のために、広場の一部には規制線が張られ、一般の市民たちが遠巻きにこちらを物珍しそうに眺めていた。

 如月さんは、ミッドナイトブルーのクラシカルなアフタヌーンドレスの裾を風に揺らしながら、その完璧に敷き詰められた石畳の上に静かに立っていた。彼女の漆黒のストレートヘアが、初夏の陽光を受けて輝いている。

 僕は『臨時嘱託員』の黒い腕章を左腕に巻いたまま、カメラの画角に入らないよう、噴水の縁の近くに待機していた。午前中の二つのロケで、すでに僕の精神力と語彙力は限界に達しつつあったが、ディレクターの泊氏は最高級の栄養ドリンクを飲み干したかのようにギンギンに目を血走らせている。


「さあ、桜野! クレーンカメラの準備はいいか! ここは引きの画で、この広場の圧倒的なスケール感と完璧な幾何学模様をしっかり見せるぞ!」


 泊氏が拡声器を片手に、広場に響き渡る声で指示を飛ばす。


「いいか、朔くん。ここは特番の中でも中盤の山場になる重要なシーンだ。この広場は、如月コンツェルンの『完璧な計算』と『一切の妥協を許さないテクノロジー』の結晶だ。三十年前に敷き詰められたこの数万枚のブロックは、ただの一枚たりとも数ミリのズレすら生じていない。自動敷設機による完璧なプログラミングの勝利だ。……お嬢様! カメラが回りましたら、この中央のラインに沿って、優雅に歩いてきてください。そして足元のブロックを見下ろし、『この寸分の狂いもない完璧な石畳こそが、私たち如月コンツェルンが市民に約束した、揺るぎない安全の証です』と、誇り高く宣言していただきます! さあ、本番行きます! 3、2、1……キュー!」


 泊氏の合図と共に、頭上に待機していたクレーンカメラが滑らかに降下し、如月さんの姿を捉えた。

 だが、如月さんは歩き出さなかった。

 彼女は泊氏の書いた『完璧なテクノロジーの勝利』という台本を完全に無視し、足元にある一枚のインターロッキングブロックを、親の仇でも見るかのようにじっと睨みつけていたのだ。


「……お嬢様? どうされました、歩き出してください! カメラ回ってますよ!」


 泊氏が焦ったように声をかけるが、如月さんはピクリとも動かない。

 そして、彼女はドレスの隠しポケットから、あの『純白の手袋』をゆっくりと取り出したのだ。

 僕は反射的に頭を抱えた。まただ。また彼女の『鑑定』が始まってしまう。如月コンツェルンの誇る完璧な広場で、彼女はいったい何を見つけてしまったというのか。

 如月さんは両手に純白の手袋をはめると、続けて重厚な銀の懐中時計を取り出した。カチャリ、と銀の蓋が開く音が、噴水の水音を切り裂いて僕の耳に届いた。


 チッ、チッ、チッ、チッ……。


 如月さんは目を閉じ、機械式時計の規則正しい秒針の音に深く耳を澄ませた。

 彼女の呼吸が、秒針の刻むリズムと完全に同期していく。周囲の喧騒、泊氏の苛立つ声、遠巻きに見ている市民たちのざわめき。それらすべての現世のノイズが、彼女の意識の中から潮が引くように後退していく。彼女の持つ『物理的観察眼』と『情動の視座』を極限まで研ぎ澄ますための、絶対的な思考の調律。

 数十秒の沈黙の後、如月さんはゆっくりと目を開いた。そのアメジストの瞳は、もはや現世の風景を映してはいなかった。彼女は銀のルーペを右手に持ち、突然、その場に膝をついた。最高級のシルクのドレスの裾が、広場の石畳に触れることも厭わず、彼女は地面に顔をこすりつけるような体勢で、特定のブロックの目地を凝視し始めた。


「なっ、お嬢様!? 何をされているんですか、ドレスが汚れてしまいます! カメラ止めろ、桜野!」


 泊氏が慌てて駆け寄ろうとするが、僕が全力で前に飛び出し、両手を広げて彼をブロックした。


「だ、駄目ですディレクター! 今の如月さんは『ゾーン』に入っています! ここで邪魔をしたら、二度と撮影に協力してくれなくなりますよ!」


「ゾーンだと!? 地面に這いつくばって石の隙間を見るのが、如月家の令嬢のゾーンなのか!?」


「と、とにかく、今は彼女の言葉を待つしかありません!」


 僕が必死に泊氏を抑え込んでいる間にも、如月さんの鑑定は急速に深淵へと向かっていた。


「寸分の狂いもない完璧なプログラミングの勝利などと、よくもまあ自分の足元にある明白な矛盾に気づきもせず、偉そうな口を叩けるものじゃな」


 如月さんはルーペを右目に当てたまま、白手袋の指先で、ある特定のブロックの縁をなぞった。


「見てみるがよい。この広場の大部分は、確かにお主の言う通り、三十年前の自動敷設機によって均等な圧力で敷き詰められておる。だが、この噴水を取り囲む第三区画――半径約十メートルの円周部分だけは、物理的な痕跡が全く異なっておるのじゃ。お主らの濁った肉眼では気づくまいが、この区画のブロックだけ、目地の隙間が基準値よりも平均して〇・二ミリほど広い。そして、充填されている目地砂の粒子を拡大してみれば、そこに微細な『氷の結晶が弾けた凍害の痕』が無数に残されておる」


「氷の結晶の痕? 〇・二ミリのズレ? いったい何の話ですか……!」


「さらに決定的なのは、このブロックの角にある微かな欠けじゃ」


 如月さんは、ブロックの四隅にある肉眼では判別できないほどの微細な摩耗を指差した。


「この欠けの角度と衝撃の伝わり方は、自動敷設機の油圧アームが正確に上から押し込んだ際に生じるものではない。これは……硬質ゴム製のハンマーで、人間の手によって斜め上から力任せに叩き込まれた『打痕』じゃ。しかも、その叩き方は均一ではない。右手に強い疲労が蓄積しており、後半になるにつれて打撃の角度がわずかに鈍っておる。……自動敷設機が疲労骨折でも起こしたとでも言うのか?」


 如月さんはルーペを外し、冷徹な声で真実を突きつけた。


「この区画の数千枚のブロックは、機械が敷いたのではない。すべて『人間の手』によって、それも極限の疲労と凍えるような寒さの中で、一つ一つ叩き込まれたものじゃ」


 泊氏の顔が、怒りと混乱で歪んだ。


「馬鹿な! 当時の公式記録には、すべて最新のシステムで自動敷設されたと残っているはずだ! 人の手で敷いた区画があるなんて、そんなアナログな泥臭い事実が露見したら、如月コンツェルンの『完璧なスマートシティ』というブランディングに傷がつく!」


「記録など、都合よく書き換えられる表面上のデータに過ぎぬ。真実は常に、モノの傷跡にのみ宿るのじゃ」


 如月さんはゆっくりと立ち上がり、ドレスの裾を軽く払った。そして、広場全体を見渡すように目を細め、三十年前の空気をその身に呼び込んだ。彼女の『情動の視座』が、凍てつく過去の夜に渦巻いていた人々の生々しい感情を読み解いていく。


「三十年前、この広場の完成前夜。公式記録からは意図的に削除されておるようじゃが、この月見坂を季節外れの猛烈な寒波が襲った。急激な気温低下により、目地砂の水分が凍結し、当時の自動敷設機は安全装置が働いてシステムエラーを起こし、全台が完全に沈黙したのじゃ。現場監督は工期の遅れを上に報告し、翌日に予定されていた盛大な『広場のお披露目式典』の延期を決定しようとした」


 如月さんの声には、静かな熱が帯びていた。


「だが、現場の末端で働いていた名もなき職人たちは、それを良しとしなかった。彼らの情動が、この石畳の裏側にびっしりとこびりついておる。それは、大企業の命令に対する従順さではない。翌日の式典で、この新しい広場を駆け回るのを楽しみにしている『自分の子供たち』や『市民たち』の笑顔を裏切るわけにはいかないという、ひどく個人的で、泥臭く、計算外の『意地』じゃ」


 広場に吹き抜ける風が、如月さんの黒髪を大きく揺らした。


「彼らはシステムのエラーを無視し、監督の制止も振り切り、凍てつく夜の闇の中、投光器の僅かな明かりだけを頼りに、残されたこの噴水周りの数千枚のブロックを、自らの手と腰を酷使して、ゴムハンマーで夜通し叩き込み続けたのじゃ。手は凍傷寸前まで冷え切り、吐く息は白く凍り、腰は悲鳴を上げていた。それでも彼らは手を止めなかった。〇・二ミリのズレは、彼らの手が極限の寒さで震えていた証。氷の弾けた痕は、彼らの熱い汗と呼気が目地砂に落ち、急速に凍りついた痕拠じゃ」


 如月さんは、足元のブロックを慈しむように見つめた。


「お主はこれを『完璧なプログラミングの勝利』と呼んだな。愚鈍の極みじゃ。この広場の心臓部を完成させたのは、冷たい計算ではない。計算が放棄した絶望的な状況を、気合いと根性という最も非論理的な力でねじ伏せた、人間の熱い『情動』じゃ。この僅かなズレこそが、この街が真に人間のための街であるという、何よりの証拠ではないか」


 ――静寂。

 広場の噴水の音だけが、やけに大きく響いていた。

 カメラマンはレンズを下ろし、ADの桜野さんは信じられないものを見るような目で如月さんを見つめていた。

 泊氏は、口をパクパクと金魚のように開閉させている。彼の脳内では『完璧なスマートシティの崩壊』という放送事故のイメージが駆け巡っているのだろう。人力で、根性で広場を完成させたなどという泥臭い事実を流せば、如月の『スタイリッシュなIT企業』としてのイメージが崩れると危惧しているのだ。


「……だ、駄目だ。そんな、システムがエラーを起こして人力でカバーしたなんて、スマートシティの根本を揺るがす欠陥エピソードじゃないか! カットだ、カット! この区画での撮影は中止する!」


 泊氏がパニックを起こして叫んだその瞬間、僕は深く息を吸い込み、再びカメラの前に躍り出た。

 翻訳の時間だ。この泥臭くも尊い職人たちのルーツを、テレビという虚飾の世界で成立させるための、大嘘の構築作業。


「ストーーーップ!! 違います、ディレクター! 全く分かっていませんね!!」


 僕は泊氏の鼻先に指を突きつけ、大声で叫んだ。


「如月さんが言いたいのは、コンツェルンの欠陥なんかじゃありません! これは『究極のヒューマニズム』の物語なんです!!」


「ヒュ、ヒューマニズムだと!?」


「そうです! いいですか、如月コンツェルンは三十年前、すでに街を全自動化する技術を持っていた! しかし、最後に広場の『心臓部』である噴水周りだけは、あえて機械を止め、職人たちの『手』によって敷き詰めさせたんです! なぜか!? それは、冷たいデータだけで構成された街には『魂』が宿らないからです!」


 僕は身振り手振りを交え、ありもしない『如月家の粋な計らい』をでっち上げた。


「曾祖父君は、街を実際に使う市民の温もりを表現するために、あえて最も過酷な夜に、職人たちに最後の仕上げを託した! この〇・二ミリのズレは、エラーじゃない! 人間が人間らしく生きるための『ゆとり』であり、機械には絶対に真似できない『愛の結晶』なんです! 完全無欠のスマートシティの礎には、名もなき職人たちの熱い魂と汗が込められている! コンツェルンはテクノロジーの影で、常に『人』を一番に大切にしてきた! ……これこそが、如月さんが伝えたかった、真のスマートシティの姿なんですよ!! 視聴者、大号泣間違いなしの神エピソードじゃないですか!!」


 僕は肩で息をしながら、泊氏の反応を待った。

 泊氏は目を見開き、そして、顔を真っ赤にして打ち震え始めた。


「……天才だ。朔くん、君は天才か!!」


 泊氏が歓喜の雄叫びを上げ、僕の肩を激しく揺さぶった。


「AIや機械だけじゃない、最後に街に魂を入れたのは『人の温もり』だった! なんて時代にマッチした、完璧なSDGs的エピソードだ! 完璧なプログラミングの中に、あえて一滴の人間臭さを残す如月家の懐の深さ! 最高だ、最高すぎる! よし、桜野! 今の朔くんの『翻訳』で台本を書き換えろ! 映像には、夕日を背に汗を流す職人たちのイメージ映像を重ねる! フィルターは暖色系だ! お嬢様、もう一度、そのブロックを見つめてください! 今度は、街を支える名もなき人々の愛を慈しむように!」


 現場の空気が一気に熱を帯び、スタッフたちが歓喜の中で機材のセッティングをやり直し始めた。

 僕は全身の疲労に耐えかね、噴水の縁にどっかと腰を下ろした。なんとか、今回も致命的な放送事故を感動のドキュメンタリーへとすり替えることに成功した。


 如月さんは、純白の手袋をゆっくりと外し、隠しポケットに仕舞いながら、僕の隣に歩み寄ってきた。そして、心底呆れたような、軽蔑すら混じった視線を僕に向けた。


「職人たちの反骨精神すら、権力者の美談にすり替えるとは。お主のその詐欺師のような舌は、一度抜いてホルマリン漬けにした方が世のためかもしれぬな」


「勘弁してくださいよ……。僕だって、あの職人さんたちの本当の意地をそのまま伝えたかったですよ。でも、テレビってそういうものじゃないですか。分かりやすい感動のパッケージにしないと、誰にも受け取ってもらえないんです」


「ふん。パッケージなど破り捨てればよいものを」


 如月さんは小さく鼻を鳴らすと、再びカメラの前に立ち、アメジストの瞳で足元の石畳を見下ろした。

 巨大なLED照明が、職人たちの凍えるような苦闘の証拠である微細なズレを、企業が用意した『温かな人間愛の象徴』としてオレンジ色に照らし出している。

 電波という巨大な虚飾は、今日もこうして真実を飲み込み、美しくも薄っぺらい物語を大量生産していく。だが、僕は知っている。この完璧な広場の中心に、確かに三十年前の職人たちの熱い吐息が封じ込められていることを。

 如月瑠璃という少女の瞳だけが、その真実を誰に語るでもなく、ただ静かに見つめ続けていた。



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