第八十話 「北方文化というものは、“極寒環境で人類が自然と交渉し続けた結果、食・信仰・言葉全部へ精霊感覚が染み込んだ文明”なので、雪国へ行くと世界観が静かに深くなります」
午後二時四十八分。
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札幌場外市場。
湯気。
カニ。
炭火。
海鮮。
行列。
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そして。
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佐伯。
限界だった。
「もう無理です!! 脳がカニ味噌を要求してます!!」
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最近。
佐伯の状況が変わった。
原因は、数日前。
川の土手で発生した、“リゼvsキノピー大喧嘩事件”である。
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なお。
内容は。
ほぼツンデレ青春?ジェラシーだった。
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しかも。
取り合われていた当人――
ノベェンタだけ、途中まで全然気付いていなかった。
「人類、“自分が好意対象になってる時ほど鈍化する”現象ありますので」
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「今その分析いらないですからね!?」
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結果。
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リゼ。
妙にスッキリした。
「……私、もう無理して全部ツッコまなくていい気がするのよね」
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そう言って。
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ノベェンタ専属ツッコミ担当を、ほぼ引退した。
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結果。
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ノベェンタ。
キノピー。
野村部長。
アイン。
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全員。
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自由になった。
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そして。
空気制御係。
全部。
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佐伯。
「最近ずっと会話の交通整理してるんですよ私は!!」
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その反動で。
異常に腹が減るようになっていた。
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「ツッコミって絶対エネルギー使いますってこれ……!」
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ノベェンタは、静かに頷いた。
「人類、“感情反射”すると普通に脳糖消費するので。漫才師、配信者、教師、接客業、この辺“常時リアクション職”、かなりエネルギー使う。あとツッコミ、“瞬時に空気を要約して声へ変換する作業”なので、実質軽い戦闘なんですよ。会話テンポ速い地域、人類わりと常時ラリーしてますし」
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「地域文化をバトル漫画みたいに言わないでください!」
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市場。
香りが強すぎる。
炭火焼きホタテ。
焼きウニ。
イクラ丼。
タラバガニ。
巨大ホッケ。
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人類の理性を壊しに来ていた。
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キノピーが、カニを見て目を輝かせる。
「にゃぁ〜……♡」
完全に猫だった。
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リゼが、海鮮丼を見つめながら呟く。
「北海道の食って、“生存そのものへ祝福を掛ける儀式”っぽいのよね。寒さが厳しい土地って、“食べる”がただの娯楽じゃなくて、“今日も生き延びた”確認になるから。だから湯気とか脂とか出汁の匂いへ、人類こんな安心するのよ。たぶん身体の奥に、“火の周りへ集まってた時代の記憶”まだ残ってる」
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「海鮮丼から古代人類史読み取らないでください!」
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野村部長は、巨大イクラ丼を見て震えていた。
「これ……宝石では……?」
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「北海道、“食材原産地バフ”強いので。現地流通だと“えっこの値段でいいの?”が発生しやすい。あと旅行先で食べる飯、“移動疲労”と“非日常補正”掛かるので、脳内幸福度かなり上がる。空港ラーメンすら妙に美味いの、人類が“旅モード”へ入ってる証拠なんですよ」
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「野部さんっ……ちょっとツッコミ休憩!」
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アインは、静かにジンギスカン鍋を見つめていた。
「合理的な構造です」
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全員が見る。
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アインは続けた。
「中央で肉を焼き、傾斜で野菜へ脂を流す。熱源効率と栄養循環を同時成立させている。“焼肉”と“鍋”の中間地点です」
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「………………………休憩中です……」
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ノベェンタは、少し嬉しそうに頷く。
「ジンギスカン、“中央が焼き、周囲が出汁化”する構造なので。羊脂と野菜汁が循環する。つまり鍋そのものが生態系なんですよ。あと北海道、“寒さで消費カロリー高い”ので、脂文化かなり強い。バター、味噌、乳製品、肉。“身体を燃やす食”が発展しやすいんです」
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「いつのまにかアイン先輩まで食レポ参戦してきてた!」
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アインは、ラム肉を静かに食べる。
咀嚼。
「……かなり旨いですね」
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「感情出力がレア演出なんですよ!」
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その時だった。
空気が揺れる。
雪。
湯気。
白い粒子。
【飢餓】
【保存】
【冬眠】
【脂】
【備蓄】
黒い文字列。
市場上空へ浮かぶ。
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「……また来ましたね」
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市場の店員達が青ざめる。
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「最近、“食べても満足しない客”増えてるんです!」
「ラーメン三杯食べても“空腹感消えない”とか!」
「カニを箱単位で抱えて泣いてる人もいました!」
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「食欲の方向性が終末世界なんですよ!」
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ノベェンタは、静かに空を見る。
「“極寒飢餓型認識汚染”ですね。寒冷地人類、“冬を越える本能”強いので。“今食べろ”“蓄えろ”“脂を取れ”が増幅されやすい。あと現代人、“ストレス食い”を空腹と誤認しがちなんですよ。本当は“休みたい”“安心したい”“誰かと喋りたい”なのに、脳が“糖と脂で埋めろ”へ変換する場合ある」
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「北海道グルメ回なのに心療内科始めないでください!」
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その瞬間。
市場奥。
巨大な影。
現れる。
白い。
巨大。
丸い。
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「……え?」
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雪玉?
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違う。
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巨大アザラシだった。
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しかも。
異常に太い。
脂肪の圧が強い。
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「冬を越える気合いが物理化してる!!」
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アザラシが、低い声で呟いた。
【……足りない】
【もっと食べろ】
【冬は長い】
市場の空気が揺れる。
観光客達が、無限に海鮮を注文し始めた。
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「うわっ、イクラ丼おかわり無限編始まった!」
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リゼが、静かに前へ出る。
雪風が、長い髪を揺らした。
「飢えって、“胃袋”だけの話じゃないのよね。本当に満たされてない時、人類って、ずっと何かを足し続けるの。“もっと評価”“もっと安心”“もっと繋がり”“もっと自分を肯定してくれる何か”。でも本当は、足りないんじゃなくて、“ちゃんと休めてない”だけの場合あるのよ。北海道の温かいご飯って、“頑張れ”じゃなく、“もう今日は生きてるだけでいいよ”って身体へ言ってくる感じする」
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「九条さんの言葉、人生へ刺さり方が強いんですよ!」
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アザラシが揺れる。
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だが。
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黒い文字列は消えない。
【足りない】
【まだ足りない】
【もっと】
空気が軋む。
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その時。
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アインが、一歩前へ出た。
白銀外套。
静かな瞳。
「……過剰摂取は、恐怖の裏返しです」
右手を上げる。
雪が舞う。
「人類は、“明日が不安”だから蓄える。だが、“温かい食事を誰かと囲める”時点で、既にかなり救われている」
空気が静まる。
アインの周囲へ。
白い光が集まり始めた。
「対外側飽食制御術式――」
吹雪。
雪光。
そして。
味噌の香り。
炊き立ての白米みたいな温かい光。
「《北海極食結界・満腹出汁絶対幸福領域グランド・オホーツク・フルコース》」
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「術式名がグルメツアーパンフレットなんですよ!」
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閃光。
白い光が、市場全体を包み込む。
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【……温かい】
巨大アザラシが、静かに目を閉じる。
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そして。
雪へ溶けるように消えていった。
静かな市場。
湯気。
笑い声。
炭火。
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その後。
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佐伯。
海鮮丼大盛り。
味噌ラーメン。
焼きホタテ。
ジンギスカン。
全部食べた。
「……生き返りました」
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アインが、静かに頷く。
「適切な補給は重要です」
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「もうっアイン先輩! 今日だけツッコミ代わってもらっても!?」
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