第五話 「大規模障害というものは、大体“誰かがよくわからないまま押した何か”で始まります」
月曜日。
⸻
午前八時四十分。
⸻
東央マテリアル本社工場。
⸻
灰色の空。
湿った風。
⸻
巨大配管の並ぶ工場地帯には、
鉄と油と、
⸻
あと、
“月曜朝の人類の諦め”
⸻
みたいな空気が漂っていた。
⸻
始業ベル。
フォークリフト。
安全確認の声。
⸻
そして。
⸻
営業企画部フロアでは、
朝から誰かが絶叫していた。
⸻
「サーバー落ちてるぞ!!!!」
⸻
空気が凍る。
⸻
「え?」
「マジ!?」
「生産管理システム死んでる!?」
「ライン止まるぞ!!」
⸻
一気に騒然となる。
⸻
電話。
怒号。
エラー音。
⸻
野村部長の顔色は、
もう軽く酸欠だった。
⸻
「誰だ!! 昨日メンテしたの!!」
⸻
「情報システム部です!!」
⸻
「呼べ!!」
⸻
「繋がりません!!」
⸻
「終わったァ!!」
⸻
地獄だった。
⸻
月曜朝に最も見たくないタイプの地獄だった。
⸻
その中心で。
⸻
野部遠汰だけが、
静かに缶コーヒーを飲んでいた。
⸻
「なるほど」
⸻
野村部長が吠える。
⸻
「何がなるほどだ!!」
⸻
遠汰は、
モニターを見たまま呟く。
⸻
「多分これ、外部攻撃じゃなく内部同期ズレですね。昨日の更新で旧系統サーバーとの時刻整合崩してます。あと日本企業って“古いシステムに新しいシステムを継ぎ足し続ける文化”あるので、実質的に文明の遺跡なんですよね。ちなみに銀行系でCOBOL現役なの、人類史かなり面白いです」
⸻
野村部長。
⸻
「情報量多い多い!!」
⸻
「あと工場システムって“止めたら死ぬ”思想で運用されるので、誰も全体更新できなくなるんですよ。文明って割と、“怖いから触れない”で維持されてます」
⸻
「今それ語るな!!」
⸻
遠汰は、
静かに立ち上がる。
⸻
「少し見ます」
⸻
野村部長。
⸻
「お前システム部じゃないだろ!?」
⸻
「でも原因は多分わかりますよ」
⸻
「なんで営業企画がわかるんだよ!!」
⸻
静かだった。
⸻
だが。
⸻
遠汰の灰色の瞳だけが、
ほんの少し深くなる。
⸻
社内ネットワークを開く。
⸻
指が高速で走る。
⸻
カタカタカタカタ。
⸻
普通の社員には見えない。
⸻
だが。
⸻
画面の奥。
⸻
“境界”が見えていた。
⸻
情報世界。
人類の認識が積み上げた電子位相空間。
⸻
異世界能力《境界視》。
⸻
本来は、
魔力流路や世界裂傷を見る能力。
⸻
だが現実世界では、
“情報の流れ”として現れる。
⸻
遠汰には見えていた。
⸻
どこで同期が崩れ。
どこで情報が淀み。
どこが腐っているか。
⸻
「……あー、やっぱり」
⸻
小さく呟く。
⸻
「旧生産管理側のキャッシュ暴走ですね。多分メモリ解放漏れ。あとこの構造、十年以上継ぎ足してるので誰も全体理解してないタイプです。人類、“動いてるもの触りたくない本能”かなり強いですよね。ちなみにタワマン配線も割と似た地獄あります」
⸻
野村部長。
⸻
「急にタワマン巻き込むな!!」
⸻
「あと古い基幹システムって担当者退職すると“口伝承文明”になるんですよ。エジプト神官制度に近いです」
⸻
「会社を古代文明扱いするな!!」
⸻
遠汰は、
指を動かす。
⸻
ほんの少しだけ。
⸻
能力を使う。
⸻
誰にも分からない程度に。
⸻
現実法則へ、
“微弱な干渉”。
⸻
電子位相を整える。
情報流動を修復する。
⸻
普通なら不可能。
⸻
だが。
⸻
ノベェンタなら出来る。
⸻
世界の“境界”へ触れられるから。
⸻
数秒後。
⸻
止まっていたモニターが復帰した。
⸻
「……あれ?」
「戻った!?」
「ライン再開した!!」
⸻
フロアがざわつく。
⸻
野村部長が目を剥いた。
⸻
「お、お前何した!?」
⸻
遠汰は、
缶コーヒーを飲む。
⸻
「キャッシュ整理しただけです。あと再起動って“機械へ一回寝ろ”って言ってるのと本質同じなので、人類も睡眠かなり大事なんですよね。ちなみにタコも睡眠不足で性格荒くなります」
⸻
野村部長。
⸻
「最後なんなんだよ!!」
⸻
「あとシャチは寝不足だと仲間にちょっかい増えるらしいです」
⸻
「海洋豆知識を混ぜるな!!」
⸻
その時。
⸻
スマホが震えた。
⸻
個人LINE。
⸻
送信者。
⸻
九条理沙。
⸻
『今、能力使ったでしょ』
⸻
遠汰の動きが、
一瞬だけ止まる。
⸻
周囲にはバレていない。
⸻
だが。
⸻
理沙だけは分かる。
⸻
大学院時代から。
⸻
彼女だけは、
遠汰の“違和感”を観測できる。
⸻
遠汰は返信する。
⸻
『0.7秒だけです』
⸻
『使いすぎ』
⸻
『今回は軽度です』
⸻
『顔色悪い』
⸻
『昨日三時間しか寝てないので』
⸻
『違う。境界干渉後の顔』
⸻
遠汰は、
少し黙る。
⸻
流石だった。
⸻
やはり、
この人だけは誤魔化せない。
⸻
その時。
⸻
工場全体の照明が、
一瞬だけ明滅した。
⸻
ピシ。
⸻
空気が軋む。
⸻
誰も気付かない。
⸻
だが。
⸻
遠汰だけは理解した。
⸻
「……なるほど」
⸻
窓の外。
曇り空の向こう。
⸻
ほんの一瞬だけ。
⸻
“黒い目”がこちらを見ていた。
⸻
数秒。
すぐ消える。
⸻
誰にも見えていない。
⸻
だが。
⸻
世界の外側の何かが、
現実へ触れ始めていた。
⸻
遠汰は、
小さくため息を吐く。
⸻
「境界薄くなるの早くないですかね最近。あと梅雨前って低気圧で人類全体ちょっと情緒不安定になるので、世界侵食と相性悪い気がします」
⸻
理沙から即返信。
⸻
『また何か来てる?』
⸻
遠汰は、
窓の外を見る。
⸻
『まだ小規模です』
『でも今回ちょっと面倒ですね』
⸻
その瞬間。
⸻
野村部長が叫んだ。
⸻
「野部ェ!! 復旧報告資料作れ!!」
⸻
「はい」
⸻
「あと今の説明、三行で書け!!」
⸻
「難しい要求ですね」
⸻
「量子論抜きで頼む!!」
⸻
遠汰は、
静かに席へ戻る。
⸻
誰も知らない。
⸻
今。
⸻
この男が。
⸻
たった数秒だけ、
“世界の外側”へ触れていたことを。
⸻
そして。
⸻
人類滅亡の入口を。
⸻
月曜朝の業務テンションで、
しれっと閉じていたことを。




