第四十四話 「量子力学という学問は、“観測するまで世界が決まりません”を真顔で研究しているので、冷静に考えると人類史でもかなり狂気寄りの分野です」
東央マテリアル地下第四層。
午前三時四十一分。
白色灯だけが静かに天井を照らしている。
培養槽の青い光が、床へ波みたいに揺れていた。
リゼは腕を組んだまま、まだ少し警戒していた。
「……で?」
「はい」
「DNA渡した後、アンタ普通にしてるけど、本当に大丈夫なの?」
「境界断ち適性持ちは、“自己存在の揺らぎ”に多少耐性があるので」
「全然安心できない説明なのよ」
俺は自販機の微糖コーヒーを開けた。
地下なのに、なぜか設置されている。
東央マテリアル七不思議の一つだ。
「ちなみに量子力学でも、“観測されるまで状態が確定しない”という現象があります。シュレーディンガーの猫が有名ですね。つまり極論すると、“見るまで存在が曖昧”なわけです」
「その説明だけ聞くと完全にオカルトよね」
「実際、初期量子論は科学者側もかなり混乱してました。アインシュタインは“神はサイコロを振らない”ってキレるし、ボーアは“いや振ってる”みたいな感じで返すし、二十世紀前半の物理学界、割とレスバ文化なんですよ」
「天才達の言い方が軽いのよ」
その時だった。
地下施設の照明が、一瞬だけ暗転する。
ノイズ。
低い振動。
培養槽の液体が微妙に波打った。
【位相揺らぎ検出】
【量子観測層 不安定化】
【SPDC領域 汚染開始】
リゼが顔をしかめる。
「……また嫌な表示出た」
「今回は量子観測系ですね」
「もっと嫌」
空間が、滲む。
地下施設の壁が、“二重化”していた。
同じ通路がズレて重なって見える。
現実の位相が微妙にズレ始めている。
「うわ……酔う……」
「自発的パラメトリック下方変換――SPDC領域ですね」
「急に呪文みたいなのやめて」
「ちなみにSPDCは、“一個の高エネルギー光子が二個の低エネルギー光子へ分裂する現象”です。量子もつれ実験でよく使われる。つまり“元は一つだったもの”が、離れても奇妙な相関を維持する」
「それが今どう関係あるのよ」
「現実世界が、“量子的整合性”を失い始めてる」
「はい?」
空間の奥。
“何か”がいた。
黒い。
いや、透明だ。
存在しているのに、視認できない。
ノイズだけがある。
まるで動画の圧縮バグみたいに、空間がブロックノイズ化していた。
「うわっ、なにあれ!?」
「観測失敗個体ですね」
「もっと分かりやすく!」
「“世界側が描画を諦めた存在”です」
「余計怖いわ!」
黒い存在が揺らぐ。
その周囲だけ、物理法則が微妙に遅延している。
音がワンテンポ遅れる。
光がズレる。
「ちなみに人類は、“同期ズレ”に本能的恐怖を感じます。口パクがズレた動画とか、不気味の谷現象とか。脳が“人間っぽいのに違う”を極端に嫌うので。だから低fpsホラーって妙に怖いんですよ」
「その豆知識、今かなり怖さ増したんだけど」
俺は黒い剣を出現させる。
空間が軋む。
「量子もつれって、本来かなり奇妙なんです。観測前は曖昧なのに、一方を測定した瞬間、離れた相手の状態まで決まる。アインシュタインが“遠隔幽霊作用”って嫌がったのもそこですね。ちなみに現代オタク文化で言うと、“推しが配信休むと自分のメンタルも崩れる”のに少し近い」
「その例え急に俗っぽい!」
「人類は昔から、“精神的量子もつれ”で生きてるので」
黒い存在がこちらを見る。
瞬間。
世界がブレた。
リゼの姿が、一瞬だけ別位相へズレる。
制服姿。
研究員姿。
異世界側の装束。
複数のリゼが重なった。
「っ……!」
「観測固定してください!」
「どうやって!?」
「“自分は誰か”を強く認識するんです!」
「急にスピリチュアル!」
「量子論も割とそんな感じです!」
地下空間が震える。
警報音。
【観測崩壊】
【認識位相離断】
【Reality Buffer Overflow】
「バッファオーバーフローって出てる!」
「ちなみに現代人類は、“なんとなくIT用語を理解した気になる”傾向があります。クラウド、AI、アルゴリズム、メタバース。実際には説明できないのに、雰囲気で会話してる。これは文明全体がブラックボックス化してる証拠ですね」
「今それ言う!?」
黒い存在が膨張する。
空間そのものが圧縮ノイズみたいに崩れ始めた。
俺は剣を構える。
「観測とは、“世界を固定する行為”です」
黒い剣が軋む。
「だから人類は、名前を付ける。分類する。物語を作る。推しを推す。考察する。つまりオタク文化って、“認識固定儀式”なんですよ」
「またオタク論始まった!」
「ちなみに考察勢が深夜三時に長文スレ立て始めるの、人類史的にはかなり異常ですからね。“架空存在へここまで情熱を注げる”って、冷静に考えると文明末期感ある」
「最後の方ちょっとネット掲示板の住人みたいになってるわよ!」
俺は踏み込む。
境界断ち。
黒いノイズを、空間ごと切断する。
瞬間。
世界が静止した。
ノイズが消える。
地下施設へ静寂が戻った。
リゼが壁へ寄りかかる。
「……毎回思うけど、アンタの説明聞いてると、量子力学ってだんだん“概念バトル作品”に見えてくるんだけど」
「実際かなり概念寄りですよ。ちなみに量子論を真面目に理解しようとすると、多くの物理学者が途中で“考えるのをやめる”方向へ行きます。“Shut up and calculate.”って有名な言葉もありますし。つまり人類最高峰の知性達ですら、“意味わからんけど計算は合う”で進めてる分野なんです」
「科学の最前線がそれでいいの……?」
ちなみに人類、“無料で読ませてもらったので逆に評価押しづらい”という謎の遠慮を発動することがありますが、創作者側はわりと「そのボタンで今日を生きてる」みたいな所あります。
動物で言うと、
カピバラが「ここ安全そう」と判断した温泉へじわじわ集まり始める現象に少し近い。
安心できる場所って、
生物かなり繰り返し来るので。
あとブックマーク文化って冷静に考えると凄くて、
現代人類、「この物語、あとでまた読みたい」を可視化できるんですよね。
数百年前の作家、
多分めちゃくちゃ羨ましがる。
なので、
もし「この空気ちょっと好きだな」と思って頂けたら、
評価やブクマなど頂けると嬉しいです。
作者の情緒と更新速度へ、
ほんのりバフが掛かります。




